在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
聖地をめぐる旅(長野県)
信濃高遠城を歩く。 その1 <三ノ丸・二ノ丸・本丸>
武田信玄の菩提寺・恵林寺(山梨県甲州市)
青梅街道宿場巡り⑩:大菩薩峠の向こうの塩山宿
【戦国武将診断】あなたに似ている戦国武将は誰?
甲府に行ってきました(前編):武田氏居城跡にある武田神社
大型連休の旅7・武田神社3-境内を巡り歩いて大満足の参拝でした-
■「小諸城址『懐古園』」千曲川と深い谷に囲まれた天然の要塞(長野県小諸市)
大型連休の旅6・武田神社2-神社の境内は見どころが一杯です-
大型連休の旅5・武田神社1-武田信玄を祀る神社を久しぶりに参拝です-
三分一湧水(さんぶいちゆうすい)武田信玄が三つの村に水を公平に分配した 山梨
秘湯中の秘湯。
奈良和歌山の旅ラン③ 高野山の奥之院参道で戦国武将の墓碑を参るランというかほぼウォーク
策を練らずして戦う者は、己を滅ぼす
一歩退くことは、二歩進むための準備である
聖徳太子(574-622年)が、隋の煬帝に宛てて書いた国書の中身は割合有名です。~日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。 恙無しや、(云々)~後進国・日本が超大国・中国向けた国書にしては、かなりのツッパリ感を込めた物言いですから、受け取った側が大いにムッ
宮崎県中北部の街・日向市(ひゅうがし)の美々津(みみつ)に海軍発祥之地碑が あります。 (日向市美々津にある「海軍発祥の地碑」) 宮崎県日向市美々津。日向灘に面したこの町は、かつて貿易で栄え、今も残る昔の町並みは、“重要伝統的建造物群保存地区”に指定されています。 その美々津の昔の町並みが残る地区の、その先にある海沿いに、高さ10mを超える石の塔が建っています。 結構大きいです。 波の形をしている石の塔で、宮崎市にある「皇軍発祥之地碑」や「八紘一宇の塔」と同じく日名子実三のデザインです。 塔の前面には「日本海軍発祥之地」と刻まれています。この文字は、当時の内閣総理大臣で海軍大将であった米内光政…
宮崎県中北部の都市・日向市。日向灘に面した美々津には、初代神武天皇が東征にむかったということで「日本海軍発祥の地碑」がありますが、そのすぐ横に出発前の神武天皇が腰をかけたという岩がある立磐(たていわ)神社があります。 下の写真で見ると、正面が「日本海軍発祥之地碑」でその左に立磐神社があります。 (立磐神社) 古事記と日本書紀のいわゆる「記紀」には、神武天皇は日向の国(現在の宮崎県)からお船出したと書かれてます。古事記では・・ 「何れの処にいまさば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお東に行かむと思ふとのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に」 日本書紀では・・ 「冬十月丁巳の朔……日向より諸皇…
(神武天皇の御所跡) 天孫降臨の地として知られる宮崎。 この宮崎市には初代天皇の神武天皇が、かつて住んでいた皇居跡と伝わるところが あります。皇宮神社の旧社殿です。 ここは宮崎市にある皇宮神社の森の中にある木々に囲まれた静かなところです。 初代天皇の神武天皇の御所跡としては実に静かなたたずまいです。 (継壟記) 宮居跡には、江戸時代に建てられたという「継壟記」(けいろうき)がありました。 この「継壟記」には、神武天皇がここに居をかまえたと彫られています。 この碑には、「弘化三年歳在丙牛年九月望」と記されてあり、これは江戸時代の1846年9月です。 このことから、この時代には武士の間に日本書紀や…
皇宮神社は、神武天皇が、大和地方へ向かって美々津から船出する いわゆる「神武東遷」の直前まで過ごしたといわれる場所で別名「皇宮屋(こぐや)」ともいいます。 宮崎市下北方町の森の中にひっそりとありました。 シンプルながら落ち着いた雰囲気の社殿です。 ここは、プロ野球の巨人軍が参拝することで有名な「宮崎神宮」の摂社にあたり、 宮崎神宮から徒歩15~20分の場所にあります。 このあたりは大小の古墳がある「下北古墳群」で、この東南には宮崎神宮があります。 この皇宮神社に祀られているのは、4人。 神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)=(神武天皇) 吾平津姫命(あひらつひめのみこと)=(…
宮崎市には、皇軍発祥之地碑があります。 宮崎は天孫降臨の地であり、宮崎市には奈良の柏原で即位し初代天皇になる前の 神武天皇の住居があったと言われています。 その神武天皇を祀る皇宮神社のすぐ近くに「皇軍発祥之地碑」があります。 「記紀」の伝承で「神武東征」のときにこの地で軍隊ができたことから、この地に天皇の軍隊=皇軍が誕生したということで「皇軍発祥之地」ということです。 高さ12メートルの石でできた塔です。 (紀元2600年を記念し作成) この塔の裏面には「紀元二千六百年宮崎県奉祝会」の文字が・・。 この塔は、皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、紀元2600年の記念事業の一環として…
聖徳太子の命日2月22日ですが,2021年(令和3年)は没後1400年目という節目です。 その日に、聖徳太子が建てた寺の1つ大阪市にある四天王寺に行きました。 この日は、太子にちなんだ「二才まいり」が開かれていました。 (二才まいりとは) 飛鳥時代の662年2月22日に亡くなりましたが、色々と聡明な伝説を持つ人です。 その1つとして、聖徳太子が2才のときに「東に向かい合唱し南無仏と唱えた」という伝説があります。 そんな聖徳太子のご利益を授かり、太子みたいに頭がよくなろうということで2月22日の聖徳太子の命日に「2才まいり」という行事が、四天王寺の聖霊院(太子殿)で 行われます。 場所は、下の地…
4月3日は、初代天皇の神武天皇が崩御した日です。 その神武天皇が都を置いたのが奈良の橿原神宮です。 橿原神宮は 近鉄・橿原神宮前駅から徒歩15分程度、ちょうどいい散歩コースです。 神武天皇の命日の4月3日(土)午前10時から、 奈良の橿原神宮で、 神武天皇祭がありましたので見てきました。 (コロナ禍の神武天皇祭り) 神武天皇祭の会場となる橿原神宮。 今の季節柄、入り口にあたる南神門(みなみしんもん)では、見学者・参加者に対し 新型コロナウイルス対策が厳重に行われていました。 中に入ると右側に受付がありました。 上の写真の左側に見える外拝殿(げはいでん)は、1939年(昭和14年)にできた建物で…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。