在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
0600 起床 気分快 曇 頼朝と3つの半島。鎌倉幕府を築いた「半島物語」。
昨夜は「ポツンと一軒家」を食い入るように見た。
自分の前世が、ひとりわかりました
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百参拾四
土佐坊昌俊邸跡と堀川夜討
ダブル富士に興奮!多摩川浅間神社で富士山を拝む
頼朝の軍議と安産祈願の寺・日蓮宗大巧寺:江ノ島・鎌倉日帰り旅②
探検630 奥州藤原三代の特異な伝統
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】八拾九
妙本寺(2)比企一族の墓
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】八拾八
言葉編38/どこが違うの?違いがハッキリ!
妙本寺(1)比企一族ゆかりの寺
葛の葉伝説が伝わる地、信太の森にて歌を鑑賞す ~源頼朝との意外なつながり
北条義時の孫・長時が創建した浄光明寺
<鳥取城>の”城門”を巡るー現存の”西坂下御門”と復元の表門・渡櫓門”中ノ御門”が建ちます
<新高山城>の”城門”を巡るー小早川隆景の山城にあった桃山風の四脚門が寺院山門へ移築
<三原城>の”城門”を巡るー城下の寺院2箇所へ奉行所門が移築
<福山城>の”城門”を巡るー”東の門”が鞆の浦に移築され店舗として再利用されています
<美作勝山城>の”城門”を巡るー版籍奉還以降に旧藩主の居所となった”椎の木御殿”表門へ移築
<津山城>の”城門”を巡るー城内に多く残る門跡も中山神社へ移築門が1基残るだけ
<備中松山城>の”城門”を巡るー本丸の出入口に復元の棟門が3基
<妹尾戸川代官所>の”城門”を巡るー複雑な経緯で現在”笠岡代官所(小田県庁)”跡に移築
<備中高松城>の”城門”を巡るー秀吉によるあの有名な水攻めされたお城の城門がはるばる京都へ移築
<撫川(なつかわ)陣屋>の”城門”を巡るー交代寄合旗本”戸川氏”の知行地総門が城跡に移築され現存
<岡山藩閑谷学校>の”城門”を巡るーお城の門ではないですが藩主の命で建てられた公立学校内の諸門
<岡山城>の”城門”を巡るー城内には復興”六十一雁木要害門”と生坂家邸門から移築の長屋門が建つ
6月4日は武者の日!お城EXPOin松江まもなく!
<徳島藩由良藩邸>の”城門”を巡るー徳島藩主”蜂須賀家”が参勤交代時に宿泊した藩邸の門
<平福陣屋・利神(りかん)城>の”城門”を巡るー利神城廃城後の御殿邸門と陣屋代官支配時の門が残る
当時の比叡山の天台座主は、正親町天皇の弟である、覚恕法親王であった。比叡山は、京都を支配しようとする者にとって、北陸路と東国路の交差点になっており、山上には、…
さて、「戦国時代」はいつ始まったのか?ひとつにはこんな見解もあります。~室町将軍・足利義教が暗殺に倒れた瞬間から~そして、この第六代将軍・足利義教(1394-1441年)が暗殺された事件を「嘉吉の乱」(1441年)と呼んでいます。この事件から「戦国時代」が始まったと見
翌年の1571年(元亀2年)2月24日、信長は、近江国の佐和山城主を攻撃させると、城主の磯野員昌が、信長に佐和山城を明け渡し、降伏した。信長は、丹羽長秀を、佐…
石山本願寺の軍勢は、福島城まで、約4キロに陣営を構えた。石山本願寺が、参戦して、三人衆軍の士気は、一気に上がり、翌日の13日の早朝には、織田軍が、せき止めてい…
現代ですと「茶人」という言葉から文化人・芸術家を連想する人も多いと思われます。しかしながら、その歴史を辿れば必ずしもそのようには断定できない側面も備えていました。たとえば、茶人として名高い「千利休」(1522-1591年)のその最期は時の天下人である豊臣秀吉(1537
信長は、古橋城の落城の報告を受けると、事態の重大さを再認識し、三好三人衆を自身、討ち取るべき、馬廻衆3千騎を引き連れて、8月20日に岐阜城を出立する。21日に…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。