大内義綱の子。戦上手として知られ、政宗に従い緒戦に参戦。子の重綱の代には、伊達一門衆の厚遇を受ける。
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「関ヶ原の戦い」(1600年)の折の出来事です。いささかの手違いがあって、心ならずも 西軍にその身を置くことにしたのが薩摩国・島津義弘(1535-1619年)でした。戦闘についての作戦もそれなりに具申しましたが、ただ西軍指揮官である石田三成(1560-1600年)はそれに賛意を
苦労の末に奪取した自らの権力を、わが子・秀頼に継承させるべく心を砕いた晩年の豊臣秀吉(1537-1598年)は、政権運営の一端を配下の有力武将、いわゆる「五大老」に輔弼させる形を取りました。徳川家康・前田利家・毛利輝元らに混じって、五大老には、秀吉に可愛がられてそ
天下平定を目前にした織田信長(1534-1582年)が家臣・明智光秀(1528?- 1582年)の謀反に倒れた後の天下を掌握したのは、これまた信長の家臣で あった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)でした。 そして、さらにその秀吉が死を迎えたことによって、その後の豊臣政権には 大きなヒ…
織田信長(1534-1582年)から偏諱の「信」の字を、また下の字「康」を父・徳川家康(1543-1616年)から与えられたのが、後に「切腹」に追い込まれることになる家康嫡男・松平信康(1559-1579年/生前は徳川姓)でした。通説によれば、その「切腹」の発端は信康正室・徳姫が父
~宇宙の中心である中国王朝の文化・思想のみが最高のもので あり、それを持たない周辺(辺境)の異民族は単なる野蛮人に 過ぎない~こうした思想を「中華思想」と呼びますが、これがハンパなものでないことは、東西南北四周の異民族の総てに対して、野蛮人を意味する東夷
今回のタイトルが本年の大河ドラマのそれをパクったものになっていますが、 それは生来の面倒臭がりが出ただけのことで、決して悪意があってのことでは ありません。 その点、悪しからずご理解くださいネ。 さて、お話は戦国時代。 少しばかり極端な表現が許されるなら、その戦国乱世の常に中心に存在して いたのは少なからぬ尾張者の武将たちでした。 そうしたことは現代の尾張者・…
それまでまったく未知の宗教であった「キリスト教」が、この日本に初めて 伝わったのは司祭で宣教師のフランシスコ・ザビエル(1506-1552年)が、 洗礼を受けたばかりのヤジロウ(1511?-1550年?)ら3人の日本人とともに はるばる薩摩半島・坊津に上陸した1549年のことでした。…
強い者勝ちという戦国の時世にあって一介の足軽から身を起こし、ついには 最高権力者にまで上り詰めた人物、それが豊臣秀吉(1537-1598年)でした。 ちなみに、この秀吉とその直前に天下の大部分を掌握していた織田信長 (1534-1582年)、さらには秀吉の後に天下を平定した徳川家康
戦国の雄・織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、信長近習の書記・太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に、儒者・小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)
★都合により、しばらくの間(10日~2週間程度)記事の更新をお休みします。☆☆☆前回の「著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(4):服部克久/河口慧海/萩原朔太郎/円乗院」では、世田谷区の代田を散策しながら、服部克久の自宅や文士・著名人の旧宅跡を探訪しました。今回は、代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪します。(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人...
今回は、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」での散策場所近くにある史跡を通じて、隠れキリシタンについて考察してみます。また、本記事は「三田用水跡暗渠散策シリーズ」の番外編となりますが、番外編としては本記事の他に以下の2つの記事とシリーズがあります。①「日本最大のイスラム寺院・東京ジャーミイを訪問」②『「芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大...
イギリスの畑でローマ時代のモザイク画を発見…「イーリアス」の一場面が鮮やかに | Business ... Business Insider …
歴史のいわゆる通説・俗説に繰り返し触れていると、単純にそれを史実と受け 止めてしまい、それ以外の見解には妙な違和感を覚えてしまうこともあります。 それどころか、場合によってはヨタ話・トンデモ説ということにして 切り捨ててしまうことさえ珍しくありません。 じつはつい最近のこと、読んでいた本の内容にそうした思いを味わうことが あったので、ちょっとばかりの親切心を発揮し…
戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、織田信長(1534-1582年)の謁見(1581年)を経て、後にその献上品?とされた黒人がいます。~切支丹国より黒坊主参り候/年齢26-27歳ほど/ 十人力の剛力/牛のように黒い身体~よほどビックリこいた出来事だった
昇太さんと巡る諏訪原城跡ツアー 11月21日開催 島田市 …
こんにちは★ 歴史大好きよよちち🐨です🏯 さて、今回は超有名な剣術士宮本武蔵で…
家康から義直へ 天下統一を果たした徳川家康と、泰平の世に尾張国統治を 任された家康の息子義直。 義直へと受け継がれた治世方針に焦点をあてながら二人の生涯 そして、義直の家康への想いを遺品や史料などから読み解きます 2021年9月12日まで 徳川美術館 愛知県名古屋市東区徳川町1017 ☎052-935-6262 xn--cckkci4eve7kf8f.com
こんにちわ、旅行好きブロガーまいこです。 今回はいきなりですがクイズです。 京都に奈良より巨大な大仏があった。○か?×か
戦国武将・小早川秀秋(1582-1602年)のプロフィールはこうなっています。○羽柴(豊臣)秀吉(1537-1598年)の義理の甥として 生まれる(奇しくも「本能寺の変」の年)○秀吉の養子(1585年)になり、秀吉妻・おねに育てられる。○養父・秀吉に実子・秀頼(後継者)が誕生
さて、平々凡々とか人畜無害とか、ともかくそのように揶揄されることも 決して珍しくない筆者の生き様からは到底想像できないものの一つに、 いわゆる「数奇な運命」と表現されるものを挙げることができます。 そこには紆余曲折というか波乱万丈が満載されているわけですから、筆者の 平々凡々・人畜無害とはまさに対極にある人生といえます。 そうした「数奇な運命」は何も男性に限ったも…
本作の徳川家康は、物語終盤、武田信玄との戦いの中、信長が、本当に頼れる存在なのか、不安視し、菊丸は、光秀のみが、信じるに足ると述べている。 家康の妻の築山殿…
本作において、羽柴秀吉を演じるのは、佐々木蔵之介。 本作の秀吉は、木下藤吉郎の時代、即ち、織田信長の家臣になる、以前から、登場する。 藤吉郎は、行商をしてい…
あかがね くろがね 徳川美術館 愛知県名古屋市東区徳川町1017 本展の主人公は「あかがね」と「くろがね」 金属の中でも、派手で豪華な金、銀ではなく 銅と鉄に着目しました。 刀装具などの武具類をはじめ、尾張徳川家に伝えられてきた 金属工芸品を展示しています
日本史上、真の意味において、大河ドラマの主人公に相応しい、と呼べる、女性は、持統天皇、北条政子、春日局の三人しかいない。 他の女性は、基本的に、能動的行動を…
藤井棋聖“三冠”に立ちはだかる「豊島二冠の壁」 通算成績1勝7敗と苦戦 ZAKZAK 将棋の藤井聡太棋聖(18)=王位=は「第92期ヒュー…
本作において、五摂家の近衛家の当主、関白の近衛前久を演じるのは、本郷奏多。 前久は、近衛家に拾われ、育てられた、伊呂波大夫とは、姉弟の様な関係である。 前久…
前述の通り、朝倉義景は、足利義昭を保護下に置くが、一向に上洛を果たそうとはしなかった。 しかし、信長が、義昭を奉じて、上洛することを決断し、義昭が、越前国か…
片岡鶴太郎の大河ドラマ出演は、1990年、本作と同様、池端俊策の脚本の『太平記』における、北条孝時を始めに、1997年の『毛利元就』の井上元兼、1999年の…
日本史では「戦国時代」(1467-1590年)との異名もある室町時代の末期は、文字通り全国各地で活発に“戦さ”が展開された時代です。“活発に戦さ”ということは、言葉を換えれば、それに比例して多くの「戦死者」を生んだということにもなります。しかし、例えば映画やTV時代
本作において、室町幕府の第十五代将軍、足利義昭を演じるのは、滝藤賢一。 多くの作品では、義昭の良い面は、皆無に近く、圧倒的に無能な人物として、描かれる。 本…
室町幕府の奉公衆、三淵藤英を演じるのは、谷原章介。 奉公衆とは、将軍の直属の軍事力で、幕府の武官的存在である。 三淵氏の祖、三淵持清は、室町幕府の三代将軍、…
ハロルド・フォルターメイヤー「アクセルF」、ケロヨンの歌、ケロロ軍曹「ケロっとマーチ」、かえるの日、カエルのイメージアップ大作戦、カエルと飼い主のふれあい動画…
三好長慶の重臣、松永久秀を演じるのは、吉田鋼太郎。 吉田の大河ドラマ出演は、1998年の『徳川慶喜』の近江屋作兵衛、2007年の『風林火山』の津田堅物、そし…
ひょんな成り行きから、近しい者数人で愛知県丹羽郡大口町にある 「大口町歴史民俗資料館」を訪ねることになりました。 ここら辺の土地勘を持ち合わせている者がいないために、まずはその場所を 調べることから。 すると、筆者の生息地からひたすら北へ30kmほどと判明したので、あとは カーナビ任せに。 これで何事もなくスンナリ到着できるはずでし…
本作において、足利宗家、第二十代当主、室町幕府の第十三代将軍、足利義輝を演じるのは、向井理。 義輝は、戦国時代の大河ドラマの主人公となる、織田信長・豊臣秀吉…
漂着した異国船が薩摩国・種子島へ鉄砲という当時のハイテク兵器を もたらした、いわゆる「鉄砲伝来」は1543年のこと。 日本が初めて西洋の先端技術を目の当たりにした出来事だと言っていいのかも しれません。 それから数年後の1549年には、今度はカトリック司祭であるフランシスコ・ ザビエル(1506頃-1552年)…
第二十話及び、第二十一話は、今川義元の尾張国侵攻、そして、桶狭間の戦いを描いている。 そのため、完全に、信長が、主人公となっている。 本作の桶狭間の戦いにお…
信長は、病を装い、見舞いに訪れた、信勝と、互いに相手の美点を羨んでいたことを明かし合う。 しかし、信勝は、信長を毒殺するため、毒を持ち込んでおり、信長は、そ…
「仏の国」と書くのは、お釈迦様の出身地であるインドのことですか? あるいは「米の国」って、米食大好き民族の生息地、日本のことですか? 軽口好きなオジサンあたりがよく使いそうなボケですが、ご承知のように 「仏国」と書いてフランス国を、「米国」と書いてアメリカ国を意味します。 しかし、ちょっと待て。 「ご承知のように」とは言っているけれど、「仏国」「米国」との表現のい…
織田信秀は、嫡男の信長に那古野城を、信勝に末森城を与えたが、本作の信長は、末森城が、信勝に与えられたことに不満を抱いている。 何故なら、前述の通り、末森城は…
豊臣秀吉(1537-1598年)政権下で、ともに五大老としてその職責を担っていた徳川家康(1543-1616年)と前田利家(1538?-1599年)のその後は以下のようになりました。○1598年 豊臣秀吉の死 (享年62)○1599年 前田利家の死 (享年62?)○1600年 故・利家の妻・まつ(
本作の織田信長は、完全な新解釈である。多数の作品の信長は、「唯我独尊」的人物として、描かれることが多い。 しかし、本作の信長は、愛情に飢えているため、褒めら…
前述の通り、織田信長の曽祖父、織田良信は、織田敏信の息子とされているが、定かではない。 その息子、即ち、信長の祖父、織田信定は、良信の息子ではなく、大和守家…
本作において、織田信長を演じるのは、染谷翔太。二十七歳の染谷は、大河ドラマの出演は、四作目。 ただし、本作以外は、数話のみの登場であり、レギュラー出演は、本…
斎藤利政の庶長子、斎藤高政を演じるのは、伊藤英明。高政は、歴史上では、斎藤義龍の名で、知られる。 本作では、長良川の戦いで、道三を殺害し、上洛後、義龍に改名…
天下布武を目前にしながら、その直前に家臣・明智光秀の謀反に倒れた織田信長(1534-1582年)。そしてその後の政局を掌握したのは、同じく信長の家臣だった羽柴秀吉(1537-1598年)でした。後に新姓を賜り「豊臣秀吉」と名乗ることになる人物です。そして、その名乗りの変遷
『麒麟がくる』の帰蝶は、物語前半は、ヒロインの一人として、大活躍する。 本作の帰蝶は、光秀の従兄妹であり、第一話から、層状する、才気溢れる、活発な人物である…
仮に、沢尻エリカが、降板せず、帰蝶を演じていれば、全く、別の帰蝶になっていたのみならず、異なる、作品になっていたと考えられる。 沢尻エリカは、「悪女」のイメ…
斎藤道三の娘、本作のヒロインの一人、帰蝶を演じるのは、川口春奈。 帰蝶は、「濃姫」の名が、有名であるが、濃姫は、織田信長の尾張国の視点で、美「濃」国の「姫」…
「三日坊主」とは、修行に耐えられず三日で還俗してしまう僧侶(坊主)のこと から生まれた言葉だそうです。 何をしても厭きっぽくて長続きしないことや、またそのような人のことを 嘲っていう時に割合よく使います。 ちなみに還俗とは、一度出家した者が再び俗人に戻ることを意味していますし、 また、この場合の「三日」とは一日二日三日と指入りカウントして数える実際の 日数ではなく「…
本作において、美濃国の守護代、斎藤道三を演じるのは、本木雅弘。 本作内では、出家前の名、斎藤利政の本名、または、通称の山城守と呼ばれている。 通説においては…
本作の事実上のヒロインは、門脇麦の演じる、架空の人物、駒である。 オープニングの出演者のクレジットでは、駒=門脇麦が、煕子=木村文乃より、先である。 女優と…
出自不明、生年不明の明智光秀が、斎藤道三に仕えていたとの説は、確かではく、無論、道三の命を受け、京の情勢を探り、尾張国に潜入する等は、史料は、完全に皆無のフ…
明智光秀、通称、「十兵衛」は、本作では、基本的に「十兵衛」と呼ばれることが多い。 通称とは、江戸時代以前には、「本名」=「諱」を呼ぶことを避けるために用いら…
平手政秀(1492-1553年)は、尾張の虎とも呼ばれた織田信秀(1511-1552年) と、その嫡男・信長(1534-1582年)の二代に仕えた人物でした。 ところが信秀が死ぬと後を追うように自刃しています。 その理由については、 ○信秀亡き後の織田家の派閥争いが原因 ○後継者となった信長とは以前から反りが合わなかった ○その若殿・信長のあまりのうつけぶりを…
2014年の『軍師官兵衛』は、春風亭小朝が、明智光秀を、江口洋介が、織田信長を演じている。 同作では、怨恨説を採用し、岡田准一の演じる、黒田官兵衛及び、竹中…
たとえば、こんな素っ気ない紹介文だとしたら、その意味するところをすんなり理解できる人は少ないのかもしれません。~耶蘇教が日本に伝わった戦国時代の16世紀、伴天連の 活動もあって、この日本にも多くの切支丹が誕生した~早い話が、この耶蘇教(やそきょう)、伴天
本作の主人公、明智光秀を演じるのは、長谷川博己。 既に、長谷川は、2013年の『八重の桜』の川崎尚之助役として、大河ドラマに出演している。 川崎尚之助は、綾…
極論を言えば、本作は、2016年の『真田丸』と同様、最終回のために、全話が、描かれている。 歴史ドラマは、戦国時代のみならず、日本史上の全時代を通じて、クラ…
日本史上最大の謎、本能寺の変の原因について、本作は、怨恨説、朝廷黒幕説などの一つの要因ではなく、複合的要因としている。 しかし、最大の理由は、ある意味、信長…
最終回を見終えたばかりの、2021年2月7日時点の筆者の感想としては、『麒麟がくる』の題名の回収としては正直、微妙であった。 しかし、何故、明智光秀が、「本…
NHK大河ドラマ【麒麟がくる】 評価:085点/2020年/大河ドラマ/脚本:池端俊策/全44話/平均視聴率:14.4%出演:長谷川博己、染谷翔太、門脇麦、木…
♪あたまを雲の/上に出し/四方の山を/見おろして/ かみなりさまを/下に聞く/富士(ふじ)は/日本一の山/ 唱歌「富士山」の歌詞にもある通り、日本一高い山は富士山であることは 日本人の常識になっているといっても過言ではありません。 その富士山について、裾野は山梨県と静岡県に広がり頂上は3,776mなどと、 友人とちょっとした雑学競争…
吉田類の酒場放浪記。黒田節と日本号。エジプティアン・ファンタジー。戦国武将と酒。天下人の酒宴。黒田如水「上善は水の如し」。上杉謙信・福島正則・黒田官兵衛・織田…
「死んでも生きている」?別にフランケンシュタインやゾンビのお話ではありませんが、実は「その時死んだ」ことが歴史の事実として確定しているにもかかわらず、「いや、奴サンは実は死んではいなかったのだ」と主張される人物が、日本史には少なからず登場しています。これ
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回の視聴者の感想。明智光秀と天海僧正。徳川家康と「人の死」。春日局。石橋凌さんの武田信玄。大河ドラマの未来。キリンビール。 …
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回について。「本能寺の変」成功の条件。織田信長親子を京へ。帰蝶はどこへ。備中高松城で待つ。甲斐をわが手に。公家の底力。是非に…
蜂須賀至鎮は、木津川口砦攻略後に、同地に布陣していたが、水野勝成が、博労淵砦を攻略する前に、自身が、砦を落とそうと考え、家康に「博労淵の守備兵が、荻に隠れて…
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が次回で最終回をむかえ、本能寺の変が描かれます。歴史好きな人はもちろん、歴史にそれほど興味がない人でも、日本人なら誰もが知っ...
こんにちは★ 戦国時代大好きなよよちち🐨です🌟 年末に放送した「戦国最強の大名…
こんにちは!前回、石山観音へのお参りの続きです。 その後、少し雰囲気の違ったところへと、関にお散歩に行きました。 関は、町の名前からも推察できますが、関所が置…
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。武田信玄の駿河侵攻。為せば成る 為さねばならぬ 何事も。徳川家康の苦渋の選択。織田信長の愛ある最後通告。名君の上杉鷹山。静岡県…
蜂須賀至鎮は、1586年(天正十四年)、蜂須賀家政の長男として、誕生した。 至鎮の母は、家政の正室、生駒家長の娘の慈光院。 前述の通り、1600年には、小笠…
豪商のまち松阪交流センターの方に見所など教えて頂き、おいしい量り売りのお味噌のお店があるとのことで行ってきました。お味噌も扱ってますが、正式には味噌屋じゃなく…
小田原城中では、北条氏の一族及び、重臣が、豊臣軍と徹底抗戦するか、降伏するかの議論が、紛糾し、長々と続いた。 その印象によって、平時に、月二回程度、行われて…
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」のメインテーマ曲「Warrior Past」。ジョン・グラムさん。織田信長と明智光秀。「本能寺の変」へのカウントダウン。「パイレ…
1583年(天正十一年)、蜂須賀家政は、賤ヶ岳の戦いに参加し、播磨佐用郡内に、三千石を与えられた。1 585年(天正十三年)には、家政は、父の正勝と共に紀州…
蜂須賀家政は、1558年(永禄元年)、蜂須賀正勝の嫡男として、尾張国の丹羽郡宮後村の宮後城に生まれた。 母は、正勝の正室の大匠院、松。 大匠院の出自は、明確…
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。武田信玄の駿河侵攻。織田信長の鷹狩り。信長の遠望。武田軍の頭脳。甲陽軍鑑。風林火山。天永寺と天沢。穴山梅雪・高坂昌信・山本勘助…
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。武田信玄の駿河侵攻。武田・北条・今川の三国同盟崩壊。徳川家康の二つの密約。信玄にかけたワナ。北条のかけ引き。信長と謙信の影。さ…
大坂城の留守居の蜂須賀家政・生駒親正・黒田長政は、紀州勢と戦ったが、建設途上の大坂の町は、無防備のため、、紀州勢は、大坂の街を破壊して、焼き払った。 最終的…
中国国分の結果、羽柴秀吉が、当初、求めていた、高梁川以東の毛利領の全面割譲は、受け容れられなかったが、備中国の内、賀陽郡・都宇郡・窪屋郡、美作国及び、備前国…
戦国の「なんでもあり」の状況から、最終的な勝者の地位を占めることに なった人物が三河国出身の徳川家康(1543-1616年)でした。 その「なんでもあり」の状況には、家康自身も何度も直面しています。 たとえば、家臣・明智光秀(1528?-1582年)の謀反によって主君・織田信長 …
朝倉義景さんの従兄弟の朝倉景鏡(あさくらかげあきら)さんをカキカキ令和2年(2020)NHK大河ドラマ『麒麟がくる』ではキャラクターが強烈な手塚とおるさんが演…
7月17日には、山崎合戦のあった、天王山山頂に山崎城の普請を開始した、秀吉に対し、安国寺恵瓊が、早々に、毛利輝元及び、吉川元春の使者として、訪れている。 毛…
『麟がくる』より第28回『新しき幕府』であった本國寺(本圀寺)の変や、第31回『逃げよ信長』の金ヶ崎の退き口で大活躍をした武将さんの池田勝正(いけだつまさ)さ…
本能寺の変の以前から、既に、羽柴秀吉は、包囲を継続すると同時に、毛利家との講和の交渉に入った。 毛利家は、僧侶の安国寺恵瓊を黒田孝高のもとに派遣し、備中・備…
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。武田信玄の駿河侵攻。武田・北条・今川の三国同盟。北条早雲がやって来た。上杉謙信の塩対応。二つの大きな杉とねずみ。東国の複雑な人…
毛利元就の次男、吉川元春が、伯耆国に侵攻して、南条元続の羽衣石城及び、小鴨元清の岩倉城を攻め、経家の雪辱を果たそうと、馬山に背水の陣を布いた。 秀吉は、正勝…
「戦国時代」はいつ始まったのか?そのひとつにはこんな見方もあるようです。~そりゃあ、やっぱり室町六代将軍・足利義教(1394-1441年)が 暗殺された、その瞬間からだろうなぁ~この見解に従えば、その「嘉吉の乱」(将軍義教暗殺/1441年)の実行犯・赤松光祐(1381-1
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。信長の二条城と大イベント。醍醐寺と藤戸石。藤戸の戦い。吉備国と桃太郎伝説。岡山県倉敷市の藤戸。源範頼と源義経。源平合戦・一ノ谷…
1580年(天正八年)1月、三木城の食料は、既に底を尽いていた。 織田軍は、三木城内の支城を攻撃し、6日には、長治の弟、友之の守る、宮ノ上砦を、11日には、…
その本名を「伊勢(新九郎)盛時」と言ったそうですが、これよりは別名の「北条早雲」の方がよく知られている人物です。生まれは1432年とも1456年よも言われ、またその出自についても、一介の浪人に過ぎないとする見方もあれば、室町幕府に何らかの関りを持っていた人物の血
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。織田信長の堺・名茶器・今井宗久・朝倉義景・武田信玄・若狭武田家にからむ訴訟の一件。若狭湾の恵みと鯖街道。若狭ひとしお。浜焼き鯖…
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。本圀寺の変って 何か変。三好三人衆を誘い出せ。信長の二条城。松永久秀のクリスマス・プレゼント。織田信長の戦術。朝倉義景と若狭武…
山中鹿之助=山中幸盛の死に伴い、一時、中国地方に覇を唱えた、戦国大名、尼子氏の再興は、叶わずに、滅亡したのである。 1577年(天正五年)、順調に進んでいた…
大内義綱の子。戦上手として知られ、政宗に従い緒戦に参戦。子の重綱の代には、伊達一門衆の厚遇を受ける。
斎藤道三の子。土岐頼芸の子という説有り。義龍と道三は折り合いが悪いと言われ、道三が寵愛している自らの弟、義重・龍定を謀殺。父に対して謀反を起こし、討つ。
蒲生氏郷の子。氏郷の死により13歳で会津若松92万石を相続。豊臣秀吉の命で徳川家康の娘と結婚、家康と前田利家の後見を受けた。1598年(慶長3年)家臣の内紛が元で厳封。下野宇都宮18万石に。関ヶ原の戦いで東軍に属し、戦後会津60万石に復する。
柳生宗厳(石舟斎)の五男。大和国柳生藩、初代藩主。将軍剣法指南役で柳生新陰流宗家。剣術家として将軍家師範を勤める傍ら、外交面、政治面でも才覚を発揮した剣豪政治家。著書に、「兵法家伝書」「玉成集」。子に柳生十兵衛ら。
柳生但馬守嫡男。
北条早雲から始まる、戦国時代の大名家
南北朝時代に関すること
日本の歴史に必要不可欠なアイテム日本刀を熱く語りましょう!
日本の城を語りましょう
鎌倉時代に関連すること
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。