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歴史への旅(日本)

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歴史への旅(日本)
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歴史への旅(日本)
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日本各地の歴史に関わる旅の記事ならなんでも。お寺や神社、お城巡りや古墳巡り、歴史上の人物を辿る旅などなど。
テーマ投稿数
20,955件
参加メンバー
610人

歴史への旅(日本)の記事

2020年06月 (1件〜50件)

  • #源義経
  • #源頼朝
  • 2020/06/30 20:10
    宝塚市の大岩稲荷・知られざる原始信仰を訪ねて!

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/29 08:21
    岸うつ浪も法のとどろき

     高知県室戸市の行当岬の、不動岩のお堂の近くに石碑があります。 ご詠歌らしき歌が刻まれてあります。 ご詠歌とは佛のさとりの境地や教え、あるいは仏教徒としての信…

  • 2020/06/29 08:21
    行当岬の不動堂は、昔、女人堂だった。 

     四国霊場第二十六番札所・金剛頂寺は、明治初年までは女人禁制だったという(へんろみち保存協力会編『空海の史跡を尋ねて 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編』参照…

  • 2020/06/29 08:20
    室戸の霊場と鬼門の関係

     神秘の海岸洞窟に人工的な枠組みがあったり、内部に崩落防止(?)の梁みたいなものがあったり、手すりがあったりするのは、ちょっと興ざめのような気もしますが、それ…

  • 2020/06/28 06:20
    阿弥陀寺(あみだじ)奈良東大寺別院

    山陽・山陰 第七十八番 東大寺を再建した老僧のパワー  1180年に焼失した奈良東大寺復興の大勧進職を務めた俊乗房重源上人により、阿弥陀寺は東大寺の周防別所として、1187年に建立されました。  東大寺再建のための木材伐り出しに従事する人夫たちのため、重源が設けたと言われる石風呂が文化財として残って、後代に造られたもうひとつの石風呂があり、毎月第1日曜日には石風呂が焚かれるため、一般入山者も有料で入浴することがでます。  中門は1871年に東大寺所管の惣門を移設したもので、本堂は1731年に右田毛利家の毛利広政によって再建されています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2017.11.21 山口県防府市大字牟礼上坂本JR山陽本線、防府駅 動作確認はWindows10/Microsoft Edgeでしています。

  • 2020/06/26 17:33
    コロナ感染ゼロ、宮沢賢治、遠野、そして巨石文化・謎めいた岩手県を考える

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/26 09:18
    高知県室戸市行当岬、神秘の海岸洞窟

     この、高知県室戸市の行当岬にある弘法大師空海の修行の御霊跡は、ただ岩があるだけでなく、その岩場に洞窟があって、若き日の弘法大師が籠って修行した、というのです…

  • 2020/06/25 05:56
    瑠璃光寺(るりこうじ)国宝の五重塔

    山陰・山陽 第七十七番 嵐の翌日に見た五重塔の美しさ  国宝の五重塔を中心とし、境内は香山公園と呼ばれ大内氏全盛期の大内文化を伝え、「西の京・山口」を代表する国の史跡に指定されています。  室町時代 1442年頃の建立で、五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられることもあります。高さ 31.2m で屋根は檜皮葺で、二層にのみ回縁がついているのが特徴です。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2017.11.21 山口県山口市香山町JR新山口駅 動作確認はWindows10/Microsoft Edgeでしています。

  • 2020/06/24 21:18
    土佐の荒海に向かう弘法大師

     東京湾や瀬戸内海などと違って、高知県の海岸は外海に面しているので、荒波が打ち寄せることが多いです。台風の時に限らず、強風が吹き大波が寄せることが比較的多く、…

  • 2020/06/24 21:18
    番外霊場・不動岩の本尊は波切不動

     高知県室戸市の行当岬にある「不動岩」は番外霊場です。 つまり、四国八十八か所霊場として指定されていませんが弘法大師ゆかりの「霊跡」とか、遍路がはるか昔から信…

  • ブログみるブログを見る事に特化した無料アプリ「ブログみる」使ってみた!- フカの食卓ラボ
  • 2020/06/24 17:56
    河童と巨石と『遠野物語』・岩手という神秘

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/23 06:44
    東光寺(とうこうじ)毛利家が眠る墓所

    山陽・山陰 第七十六番 萩の町にたたずむ中国風の菩提寺  山口県の萩は、1604年に毛利輝元が萩城を建てて以来城下町として栄え、江戸時代末期には松下村塾が開かれた場所で、東光寺は1691年に毛利吉就により建てられた黄檗宗の寺で、敷地の奥には萩を治めた毛利家が眠る墓所があります。 総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されて、名刹の面影を残し、本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並びます。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2002.11.02 山口県萩市椿東椎原JR山陰本線、東萩駅 動作確認はWindows10/Microsoft Edgeでしています。

  • 2020/06/22 18:31
    徳川二代将軍母の生家が掛川に・・・・・

    ポスKING永田です ! ! 以前掛川市をポスティング中にこんなものを発見しましたよ~ 二代将...

  • 2020/06/22 16:44
    吉備津彦神社の夏至信仰と磐座と水

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/22 12:10
    行当岬にある「空海の足跡」という岩

     四国霊場第二十六番札所・金剛頂寺から遍路道を通って行当岬に出て、高知県香南市や安芸市と室戸市とを結ぶ国道を渡りますと、わずかな駐車スペースがあり、集会所らし…

  • 2020/06/22 12:06
    江上波夫の日本古代史 江上波夫

    「騎馬民族征服王朝説」で有名な著者の初めての一冊でした。扶余族からでた、辰王朝から新羅・百済が独立し、残る弁韓の加羅人・倭人が協力し北九州に南下し、任那に根拠地として、実在が疑われる「任那日本府」は故地として半島進出の足掛かりの地としての役割を担ったところというのが説の大筋です。「騎馬民族征服王朝」という刺激的なネーミングをされて、当時は皇室に対するタブーがなくなった時代とはいえ文化勲章を受章されています。日本言論の自由が保障されたいい国だなあと思って読み進めていま

  • 2020/06/22 07:00
    永明寺(ようめいじ)津和野の小寺

    山陽・山陰 第七十五番 津和野の歴史を物語る小寺の静けさ  深い木々に囲まれたなだらかな坂を上り、門をくぐれば、目の前に大きな境内が広がります。ここは吉見、坂崎、亀井氏といった歴代の津和野城主の菩提寺で、今ではめったに見られない茅葺き屋根に息をのむ美しさです。  茅葺き屋根の本堂は1779年、庫裡(くり)・鐘楼(しゅうろう)などの建物は1859年に再建されたもので、寺宝館には、仏像や古文書が展示されています。  境内地は、国史跡「津和野藩主亀井家墓所」の一部として指定されており、亀井家の分家である高崎亀井家墓地や、家老多胡家墓地があります。その他に初代津和野藩主であった、坂崎直盛の墓や、明冶の文豪、森鴎外の墓もあります。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2017.11.21 島根県鹿足郡津和野町JR山口線、津和野駅 動作確認は..

  • 2020/06/20 22:36
    四国遍路の原風景・行道不動

     民俗学者の五来重さんが著書『四国遍路の寺(上巻)』(角川ソフィア文庫)の中で、「弘法大師の青年時代の修行形態が辺路修行」と書いておられます。「辺路」という言…

  • 2020/06/20 22:36
    「行当」岬にある「行道」不動

     高知県室戸市はその名が示すように室戸岬があります。 台風が良く通過しますし、日本列島に台風が接近するときにニュースや天気予報でその名が出るので有名です。 し…

  • 2020/06/20 10:49
    出雲とは何か

    出雲は天孫族に国譲りをした。しかし出雲国はその後も残っている。これは、国譲り以前は、出雲の国の範囲はもっと広かったと考えられる。天照大御神が太陽、それと対称的な存在の素戔嗚尊のイメージは雲。だから出雲国、というように連想からくる名前だと考えていたが、実際は土地の特徴を表した名前ではないだろうか。結論から言うと「雲=砂鉄」だ。常用字解(白川静)では群がり集まる雲の性質から派生して「多くのものが群がって区別しがたい状態」も意味するとある。砂鉄は砂粒と紛れ、混在し

  • 2020/06/19 06:39
    一畑薬師(いちばたやくし)「目」のお薬師様

    山陽・山陰 第七十四番 ”目のお薬師さま”に詣でるひとびと  出雲神話の国引きの舞台を一望できる島根半島の中心部、標高200メートルの一畑山上にあり、「目のお薬師さま」として、古くから全国的に知られ、1300段余りの石段(参道)でも有名です。 創開は平安時代894年、日本海の赤浦海中から漁師の与市(よいち)が引き上げた薬師如来をご本尊としておまつりしたのが始まりで、与市 の母親の目が開いたり、戦国の世に小さな幼児が助かったことから、「目のやくし」「子供の無事成長の仏さま」として広く信仰されています。  境内には「薬師瑠璃光如来」を本尊とするお堂をはじめ、八万四千の仏様が奉納されている「八万四千仏堂」、百八基の燈籠がならぶ参道などがあります。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 島根県出雲市小境町JR松江駅から一畑電鉄一畑口駅 動作..

  • 2020/06/18 19:58
    謎めいた『押戸石』は古代シュメール遺跡?

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/18 12:18
    金剛頂寺から行当岬へ

     四国霊場第二十六番札所・金剛頂寺の宿坊の前を通り、境内から出て、しばらく、西へ向かって歩きました。 金剛頂寺は山の上の札所ですが、そこが一等三角点というわけ…

  • 2020/06/17 16:06
    二宮神社 (兵庫 神戸市)

    2015年4月のお出かけ記事になります。一宮神社からお次は二宮神社兵庫県神戸市中央区二宮町3丁目1−12御祭神天忍穂耳尊応神天皇鳥居額手水拝殿狛犬さん鳥居額稲荷神社↑クリックすると大きくなります。狐さん椋白龍社↑クリックすると大きくなります。おイネ狐御幸石手水舎の前に可愛いフクロウさん♪いただいた御朱印にほんブログ村...

  • 2020/06/17 12:05
    四国霊場第二十六番札所・金剛頂寺の境内を歩き、西へ

     四国霊場第二十六番札所・金剛頂寺(こんごうちょうじ)は通称、「西寺」といいます。高知県室戸市にある四国霊場三ケ寺のうち西側にあるからです。 第二十五番札所・…

  • #古墳時代
  • 2020/06/17 12:05
    平成三十一年二月、金剛頂寺参詣

     四国霊場第二十六番札所・金剛頂寺の境内に入りまして、まず、本堂へ向かいました。 仁王門をくぐって、真っ直ぐ進んだ先にあります。大きく、頑丈そうな建物です。 …

  • 2020/06/17 06:28
    清水寺(きよみずでら)安来

    山陽・山陰 第七十三番 山陰の「キョミズさん」に幟がはためく  587年に開かれた天台宗の古刹で、十一面観音様をご本尊に厄払いの寺として慕われています。鬱蒼と茂る杉林を登ると瑞光山の山腹に清水寺はあり、5万坪余りの境内には、山陰唯一の三重塔など、県や国の重要文化財も数多く、荘厳な空気に包まれています。  三重塔は、1859年に信徒の手により建立されています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2010.09.21 島根県安来市清水町JR山陰本線、安来駅 動作確認はWindows10/Microsoft Edgeでしています。

  • 2020/06/17 06:08
    美しい蒲生野

    蒲生野で詠まれたと言われる額田王、大海人皇子の相聞歌は有名だ。壬申の乱の引き金にもなったといわれてもいたが、白洲正子さんのエッセイ「近江山河抄」では、この歌を詠んだ時には二人は年を取り過ぎていた。これは戯歌あるいは儀礼の詠歌だと書いている。しかし蒲生野の風景はこの歌のように今でも美しい。広義の蒲生野は広く、鏡山、雪野山、瓶割山、箕作山、布施山、繖山とやわらかかな稜線を描く山々が、いくつも島のように浮かんでいる。山に囲まれたこの土地では、どこにもかくれ里の趣がある。

  • 2020/06/16 23:25
    京都シークレットツアー 1 狛犬

    先週、用事ができたので、久しぶりに渋谷の街を訪れました。 スクランブル交差点を歩いたりすると、やはり、まだまだ、マスク姿の人が多いことに、気がつきました。 誰もいないところでも、マスクを付けている人を見ると、マスコミの情報を鵜呑みにして、恐怖心だけで、付けているように見えます。 私は、友人たちと、これらの人々を、「マスク星人」とか、「マスク真理教」と呼んでいます。(笑) 「マスク真理教」の信者たちには、もちろん、教祖や幹部たちがいるのですが、どうして、これらの権力者たちが、一般庶民に、マスクを強要するのか、その理由の一つが、最近わかってきました。 何度も書いているように、「新型コロナウイルス」…

  • 2020/06/16 23:25
    鬼と悪魔

    昨日、仕事で、JR東京駅に行きました。 カフェで、お茶をしながら、ノンビリしました。 だんだん、普通の生活が戻ってきそうで、嬉しいです。 窓からの景色です。 人類と悪魔との最終戦争が、いよいよ、最終局面にさしかかっているように感じます。 子供の頃、「デビルマン」という漫画がありました。 永井豪さんの作品ですが、子供が読むには、あまりにも残酷なシーンが多すぎて、ビックリした記憶があります。 その作品でも、人類と悪魔の戦争が描かれているのですが、悪魔の戦い方が、凄いのです。 第一弾の攻撃では、直接、人間と戦いますが、その後、一旦退却します。 なんと、第一弾の攻撃は、あえて、わざと負けるのです。 そ…

  • 2020/06/16 23:25
    鬼子母神

    5月31日(日)の東京セミナーも、楽しく終了しました。 参加された皆さん、ありがとうございました。 懇親会です。 ブログでは書けない話も、ここではできます。 皆、疑問に思っていたことが解けて、スッキリしていましたね。 宇宙考古学や古代史の最近の流行として、「共通項を探す」という動きがあります。数学でいえば、それまで、「違い」を探して、どんどん、「展開」していった流れから、現在は、「共通項」を探して、「因数分解」するような作業に、流れが変わっているのです。 時代や土地、それから、神話や伝説、また、人間と神々など、時空間や存在に関わらず、「似たような人生」、「似たような名前」、「似たようなシンボル…

  • 2020/06/16 20:13
    よく考えると不思議な『龍神』『蛇神』という謎

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/16 19:48
    午後二時十五分、金剛頂寺に到着

     険しい山道を行く遍路道は、いうまでもなく、クルマが通る道に比べると近道で、樹々の枝葉に覆われている分、日差しが遮られて涼しさを感じます。 急斜面を登るのです…

  • 2020/06/16 07:11
    大山寺(だいせんじ)鳥取

    山陽・山陰 第七十二番 霊山を仰ぎ、神仏を信仰する寺  本堂は天台宗の古刹で、大山寺の開創は西暦718年金蓮上人が地蔵菩薩をお祀りし、修験道場として開かれましたが、近世、封建時代には江戸幕府より3000余石寺領をゆるされ、別格本山としてその隆盛を極めました。現在の本堂は、1928年の火災で焼失したものを1951年に再建したものです。  大山寺阿弥陀堂(だいせんじあみだどう)は、大山寺に現存する寺院の中では最古の建築物で、平安初期に創建、藤原期に建立され、1529年に山津波で倒壊。その後1552年、現在の場所に再建されたといわれる室町末期の建造物です。本尊は、1131年に大仏師良円によって造営されたと言われる丈六(2.79メートル)の木造阿弥陀如来で、その両脇には観音と勢至の両菩薩も安置されています。  大神山神社奥宮は、大山寺から石畳の参道をあがったところに..

  • 2020/06/14 19:47
    ヤマタノオロチ退治は九州北部

    NOTEに掲載していますが、ウェブサイト開設の自己紹介としてブログでも発信してゆきます。ヤマタノオロチ退治は記紀には登場しますが、出雲風土記には登場しません。本当の理由はわかりませんが、基本的に出雲での出来事ではないから書かなかった、書けなかったと言えそうです。佐賀県西部に腰岳と黒髪山という山が隣接してあります。黒髪山には、黒髪神社という肥前最古と言われる神社と「天童岩」という朝鮮半島由来っぽい名前の立派な岩山があります。ヤマタノオロチはコシから来ましたが、腰岳は縄

  • 2020/06/14 19:47
    船形埴輪と古代の喪葬 穂積裕昌

    まず表紙の船形埴輪の写真で、「ジャケ買い」でした。両端の形は剣の柄と蓋(キヌガサ)とわかるものの、中央の石見型といわれるX・Y字の立物に、興味が集中します。同じ三重県に「伊勢」「志摩」地名があるので、私は福岡県糸島市に居たと考える神武天皇や伊都国との関係を想像しています。この本で特に注目する内容が、同じ三重県内にこの船形埴輪と同じ装飾をした船でのお祭りが現在も行われていることです(写真アリ)。もしろん船形埴輪が知られる以前から行われるものだそうです。お祭りの船には前

  • 2020/06/14 19:47
    教科書では教えてくれないイエス・キリストと神武天皇 茂木誠

    予備校の講師をされてるだけあって、すごく簡潔でわかり易いというのが、一番の印象です。流れを理解するのにはもってこいの「参考書」です。世界の主な宗教、それにまつわる神話や歴史について一通り書かれています。一番読みたかったのは「ミトラ教」についてですが、こうもあっさりした文で読むと「謎」だと言って普段小難しく考えていることがなんだか可笑しく思えます。インド・ヨーロッパ語族の祖先が祭っていた神がミトラ神であったのです。「ミトラ教」も含め全ての宗教や歴史に対して、よく練られ

  • 2020/06/14 19:47
    前方後円墳の源流 全浩天

    前方後円墳の源流は高句麗の積石塚にあるという内容です。高句麗の積石塚には円墳、方墳、前方後円、四隅突出形があり、出雲地域の四隅突出形古墳の原型も高句麗積石塚に歴史を遡れるようです。騎馬民族説の江上波夫氏も「天皇家は高句麗と同じく松花江畔の夫余族」から出たと言っていましたので、高句麗に何らかの関係がありそうです。実際挿絵の測量図を見ても、くびれの確認できる前方後円墳に近い形をしています。森浩一氏が言う、「阿讃積石塚分布圏」の古墳群の中にも積石塚の前方後円墳があり、定型化前の段

  • 2020/06/14 17:35
    “こんぴらさん”神社庁離脱の衝撃・あるべき姿のお社とは?

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/13 20:32
    ペルシャの幻術師 司馬遼太郎

    短編の中の一つ「兜率天の巡礼」は日ユ同祖論や景教にまつわる話です。物語の中盤で作者は「ここまで書いて、実を言えば語り手は閉口している。(中略)一体どの程度まで正気で閼伽道竜が景教の研究などに凝りはじめたのか、この物語の語りてにも疑問である。」と自身の戸惑いを吐露する一文がはさまれます。にわかに信じがたい、これを信じるのは一種、狂気の沙汰だと。これは日ユ同祖論をやる人が誰しも共感するところではないでしょうか。しかし物語は続いていきます。存在不明の祖先の見えない影を追い

  • 2020/06/13 07:08
    三仏寺(さんぶつじ)国宝 投入堂

    山陽・山陰 第七十一番  役行者が建てた断崖の堂宇をめざして  役行者が開いたという天台宗の古刹で、奥の院「投入堂」は国宝に指定されており、断崖に立つその姿は壮観です。投入堂は、軽快な屋根の反り、堂を支える長短さまざまな柱の構成など、建築美の観点からも優れた作品で、国宝に指定されています。険しい行者道を登った先の、文字通り絶壁の中に建ち、参拝者は堂を斜め上方に見上げる地点まで行くことが出来ます。  文殊堂は室町時代後期の作で、奥の院への道筋の山中に建ち、従来桃山時代の建築とされていましたが、新たに1567年の墨書が堂内から発見されたことから、建築年代は若干上がるものと思われています。  観音堂は1648年に鳥取藩主池田光仲(徳川家康の曾孫)により再建されたもので、建物の大部分が洞窟に収まった配置で、前面1間分が崖地にせり出し崖造風になっています。参道は観音堂の外..

  • 2020/06/12 17:51
    これが神社信仰のミッシングリンクか?

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/12 15:56
    金剛頂寺への遍路道(順打ちの場合の)を歩く

     それまで、四国霊場第二十五番札所・津照寺の本堂にお参りした時は、建物内に入らず外で拝んでばかりだったように記憶してるのです。葉入れても入り口付近で、それ以上…

  • 2020/06/12 15:56
    平成三十一年二月、津照寺参詣

     四国霊場第二十四番札所・最御崎寺に参詣。そして納経所にて納経。 気持ちがさっぱり、すっきりしました。 次に目指すは第二十五番札所・津照寺です。 六キロ以上の…

  • 2020/06/11 20:31
    平成三十一年二月、最御崎寺参詣

     四国霊場第二十四番札所・最御崎寺の境内に入りました。 四国霊場巡りをする遍路が多い季節は、穏やかな春や秋。団体遍路が多いと言われます。春のGWや秋の連休なら…

  • 2020/06/11 10:02
    【住吉大社(大阪)御朱印】安産祈願や開運巡り♪反橋が美しいお宮

    大阪府大阪市にご鎮座する「住吉大社」は、住吉神社の総本宮として広い境内とたくさんの境内社がある神社です。 美しい反橋や商売繁盛の初辰まいりなど、本当に見どころが盛りだくさん!! ご由緒や境内社など、写真と共にご紹介してい …

  • 2020/06/11 07:12
    「サカイ」と堺の古墳

    大阪の堺の由来は、摂津国、河内国、和泉国の国境であったからと、以前知りましたが、これを疑うのは古代史をやる者の悪い癖でしょうか。ギリシアのヘロドトスの記した「歴史」の中に「ペルシア人はスキタイ人をすべてサカイ人と呼ぶ」という箇所がある。サカイ人の「人」は二重に翻訳されていると思うのだが、大阪の堺の語源はこのサカイであると考えたい。実際日本に来ていたサカイと呼ばれる人が、ヘロドトスが言うサカイかはわからない。匈奴や、塞かもしれない。しかし沖ノ島から出土した金製指輪はス

  • 2020/06/11 06:30
    恐山(おそれざん)日本三大霊場

    東北 第七十番  北の山に死者の霊が帰る  862年に慈覚大師によって開山され、天台宗の修験道場として栄えましたが、いったん廃寺となり、14世紀に曹洞宗円通寺によって再興されました。風車がカラカラと回り、荒々しい岩場の合間から硫黄の臭いが立ちこめる様子は地獄で、宇曽利山湖をとりまく白浜は極楽に見立てられています。  恐山へ向かう道にある太鼓橋は悪人には針の山に見えて渡れないと言われ、橋のたもとでは奪衣婆・懸衣翁が待ち構えいます。  恐山霊場地獄巡り、恐山菩提寺の本草安置殿の奥に恐山霊場があり、荒涼とした真っ白い世界の所々から硫黄の蒸気が噴き出し、至る所に小石が積まれた小山が点在しています。  東日本大震災犠牲者追悼の為、極楽浜に建てられた地蔵菩薩像の背面には大小数十の手形が彫られておりきっと故人と同じ大きさの手形もあるはずです。  宇曽利湖畔のその場..

  • 2020/06/10 19:50
    真名井神社と元伊勢籠神社と神籠石・縄文起源の謎とは?

    神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します                              A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples

  • 2020/06/10 06:40
    長勝寺(ちょうしょうじ)津軽公のミイラ

    東北 第六十九番 ”じょっぱり”の地に立つ名刹  長勝寺は、津軽氏の祖である大浦光信の菩提を弔うため1528年に種里(鯵ケ沢町)に創建され、大浦城、堀越城、弘前城と大浦氏(津軽氏)の居城とともに移転し、現在地への移転は、弘前城築城に伴い城の南西に禅林三十三ヶ寺を移して長勝寺を惣禄としたことによります。  本堂は、1610年新たに造営され、庫裏くりは大浦城の台所を移築したとも伝えられています。  津軽家霊屋は長勝寺の境内のなかに、津軽藩藩主の津軽家の当主の霊屋が並んでいます。津軽家の祖で南部家から独立を果たした為信のものなど、豪華さはないけども立派な建物が5つあります。  津軽承祐公のミイラは墓地移転が行われた1954年に発掘されたが、発掘後空気に触れたためか徐々に腐敗が始まったため、永久保存処理を施して、長勝寺に1995年まで安置されていました。その後津軽..

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