在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
大河ドラマ「光る君へ」‐特別解説編‐9
NHK 光る君へ に、ツッコミたい② 11/24
NHK 光る君へ に、ツッコミたい① 11/24
【光る君へ】#44 最終回?一同揃った豪華絢爛望月の夜、まひろと道長が万感の思いを交わす
京都文化博物館「近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝14―御堂関白記と源氏物語」
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(1)
【光る君へ】藤原道長の「望月の歌」再考 - 平安時代の真実と政権の試練に迫る
NHK 光る君へ に、ツッコミたい(というか感想?) 11/17
愁思~秋は夕暮れ
【ネタバレ】光る君へ第44回「望月の夜」ラスト5回…まひろの元に“ある決意”を固めた道長が!
「今日は満月。1000年前、藤原道長が見上げたものと同じ月」~満月の科学とすばらしい偶然
光る君へ 44回目
望月の歌が詠まれた土御門邸での宴
【光る君へ】#43 鈍感純粋まひろ一筋な道長、実資と議論かみ合わず。倫子様は鬱屈をひとりで昇華させた
一条天皇・三条天皇の火葬塚~三条天皇北山陵
安房の戦国大名、関東無双ノ大将里見義堯の居城、久留里城で初の御城印
青森市 横内城の歴史と史跡をご紹介!🏯
佐野市の城山公園
土手道を渡ってお城へ
四国初上陸6 現存12天守の一つ 「伊予松山城」 ~大天守・小天守内~
雨の佐土原城攻城記。 その1 <二ノ丸~中の道登山口>
雨の佐土原城攻城記。 その2 <中の道登山口~登山道>
雨の佐土原城攻城記。 その3 <切通道~本丸>
紅葉が美しい摂津池田城逍遥
福井旅行 最後は福井城址と焼き鯖寿し
訪城記 ~諏訪原城~ 【2024.10.26】
久々に熊本城一周
直前に決めた姫路一泊旅行《後編》
訪城記 ~久保田城~ 【2024.9.15】
丸亀城@香川県
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
四国八十八か所巡りの遍路が歩く道ならば一般道であっても「遍路道」ですが(広い意味では)、遍路のみが通る、もしくはほとんど遍路が通り遍路以外の人はあまり通らな…
五色台と呼ばれる、「青峰」とか「白峰」とか呼ばれる山々がひしめき合っているような場所は、標高三百メートルから四百メートル程度とはいえ瀬戸内海に近いので普通に…
東北 第六十四番 薬師如来像に浮かぶ苦渋の色 729年東北地方初の寺院として行基が開いたとされるが、兵火により焼失、その後807年に坂上田村麻呂により再興され、849年円仁(慈覚大師)が中興して現在の寺号となったとされています。黒石寺蘇民祭は、奥州市水沢にある妙見山黒石寺にて旧正月7日に五穀豊穣、無病息災を祈って行われる、1,000年以上の歴史をもつお祭です。 蘇民祭(そみんさい)は、岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭りで、1000年以上の歴史を持つと言われています。岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われ、岩手の蘇民祭の名称で国の選択無形民俗文化財で、その中で最も著名なものは日本三大奇祭ないし日本三大裸祭りの一つに数えられることもある奥州市の黒石寺蘇民祭です。 2008年の奥州市が作成したポスターについてJR東日本が上半身裸で胸毛の..
さて、平成三十一年一月、四国霊場第八十二番札所の根香寺から第八十一番札所の白峯寺へ行き、境内をじっくりまわり、お参りをして本堂や大師堂でしっかりお勤めして、…
東北 第六十三番 壮大な伽藍の跡と老女の舞 毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。 日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。 池のなかでも東南岸にある荒磯(ありそ)風の出島は、庭園中最も美しい景観の一つです。水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には約2メートルの景石が据えられ..
四国霊場第八十二番札所・根香寺での参詣を終え、納経も済ませて、駐車場に戻りました。 もちろん、タクシーは待ってくれていて、第八十一番札所の白峯寺を目指しまし…
5月17日(日)と24日(日)の東京セミナーも、楽しく終了しました。 参加された皆さん、ありがとうございました。 写真は、両日の懇親会です。 長い期間だった、「新型コロナウイルス」による、緊急事態宣言も、ようやく、全国的に解除になったみたいですね。 この期間、水面下で様々な出来事がありましたね。 最近、ネットの記事で気になったものを、二つだけ紹介します。 一つは、私の過去記事、「自分らしく生きる」でも書いた、「狂犬病」が、国内で確認されたというニュースです。 もう一つは、安倍さんだけでなく、麻生さんも、脚にGPSの拘束具が、装着されたらしいということです。 どうやら、「大量逮捕」という行為は、…
5月11日(日)の東京セミナーも、楽しく終了しました。 参加された皆さん、ありがとうございました。 懇親会でも、皆で、いろいろなことを、熱く語りあいました。 こういう、真実の話を、本音で語り合う場は、今、たくさんの人が、求めている時間と空間だと思います。 懇親会でも話しましたが、人間の社会というのは、とても複雑です。悪人がいなくなり、善人ばかりになれば、いい世の中になる、そんな単純な話ではありません。実際には、善の中に悪があり、悪の中に善がある、こういうことも、たくさんあります。また、善人が善だと思ってやっていることが、悪になり、反対に、悪人が悪だと思ってやっていることが、善になることもありま…
5月5日(火・祝)の東京セミナーも、楽しく終了しました。 参加された皆さん、ありがとうございました。 毎回、衝撃の内容ですが、真実を知った後は、スッキリした表情で、皆、笑顔になります。 やはり、真実から目を逸らさないで、直視することが、結果として、心の平安に繋がるようです。 セミナーの後の懇親会です。 ここから先は、私の最近のブログ記事を読んでから、読み進めてください。そうでないと、チンプンカンプンだと思います。「青人の秘密」、「ファティマ第三の予言」、「赤い靴」、「ゾンビ」、「キリストの愛」、「サンタクロース」、「邪馬台国の復活」読んでいない方は、これらを、ぜひ読んでくださいね。 当初は、「…
平成三十一年一月の四国霊場巡りも終盤に差し掛かりました。 第八十二番札所・根香寺の駐車場に着き、そこにタクシーを待たせ、境内に入ります。一度低い所に降りてま…
四国霊場第八十五番札所・八栗寺の中将坊堂にお参りしたのが午前十時前でした。 携帯電話でお堂の写真を撮影したので時間の記録がありますが、それによると、九時四十…
東北 第六十二番 みちのくの黄金郷に鳴る青い鐘 慈覚大師開基の天台宗の名刹で、金色堂はじめ3,000余点の国宝や重要文化財を伝える、平安時代の美術工芸の宝庫です。寺伝によると850年、円仁(慈覚大師)が関山弘台寿院を開創したのが始まりとされ、その後859年に清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったと言われています。しかし、円仁開山のことは、確かな史料や発掘調査の結果からは裏付けられず、実質的には12世紀初頭、奥州藤原氏の初代・藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建と見られています。 本堂は、参道である月見坂を登った右手の中尊寺本坊内にあり、1909年の建築で2013年新本尊の丈六釈迦如来坐像の開眼法要が行われました。 覆堂(おおいどう)は、1962年金色堂の解体修理工事が始まるまでの約500年間、金色堂を風雨から守ってきた堂で、1..
東北 第六十一番 一人の僧がもたらした千二百年の法灯 比叡山延暦寺の別院として、貞観2年慈覚大師・円仁が開山した天台宗の名刹で、本堂にあたる根本中堂には、伝教大使、最澄が中国から比叡山に持ち帰ったとされる灯が、開山時に分けられた後、一度も絶えることなく千年以上の時を超え、今なお灯り続けている「不滅の法灯」があります。 せみ塚は、芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑で、芭蕉が山寺を訪ねてから62年後山形県村山市の俳人壷中(こちゅう)らが1751年建立したのがこのせみ塚です。 奥之院は通称で、正しくは「如法堂」といい、慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊とする如法堂は、参道の終点にあるので「奥之院」と呼ばれています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2009.04.27 ◆雪の山寺(立..
二十数年前から四国霊場をまわっていながら、平成三十一年一月になって初めて、中将坊堂に行ったのです。 寺域が広大で伽藍も多い比叡山や高野山と違うので、お堂ひと…
関西 第六十番 すべてを包みこむ「和宗」の祈り 593年、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられる、日本初の本格的な仏教寺院です。その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式です。 中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士で、大仏師松久朋琳・宗琳両師の作です。 講堂は経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂です。講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼びます。冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、夏堂には来世極楽に人々..
四国霊場第八十五番札所・八栗寺に初めて参詣したのは、もう、かれこれ二十数年前。 初めて四国霊場に行った時は同時に初めて四国を訪れた時でもありましたが、それは…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
関西 第五十九番 衆生のもとへ歩み寄る本尊 大念佛寺の開祖、良忍上人は、京都大原の来迎院・浄蓮華院を創建した方で、1117年、阿弥陀如来から偈文(げもん)を授かり、融通念佛宗を創始しました。融通念佛宗の教えのひとつは、「一人の念仏が万人の念仏に通じ、自他の念仏が相互に融通して大きな力となる」というもの。これは、一人ひとりが個性を発揮して自分の力を尽くし、互いに個を生かし合うことで、調和のとれた世界を現出しようということであり、二十一世紀のキーワードである「共生」「共助」の考え方とも通じます。 五月一日から五日まで、多くの参詣者のもとで行われる「万部(まんぶ)おねり」は、大念佛寺の中で最大の伝統行事として知られています。僧侶たちが声明を唱え、雅楽が奏でる中、二十五菩薩を従えた阿弥陀仏のお迎えで極楽浄土へ往生するという、来迎図さながらのお練り供養が繰り広げられます。 ..
たしか、初めて四国霊場第八十五番札所・八栗寺に参詣した時や二度目の時はケーブルカーを利用しましたが、ケーブルカーの山麓(といっても中腹くらいですが)駅の脇か…
関西 第五十八番 往時の宗教都市の面影が生きる寺 本願寺8代目の宗主で中興の祖蓮如上人を開基とする浄土真宗本願寺派の寺で、2万平方mの境内に本堂・大広間蓮如堂・書院・庫裡など26棟もの建物が残り、西本願寺から移設された本堂の柱には新撰組が屯所として使っていた頃の刀傷が残つています。 本徳寺の本堂が京都の本願寺の北集会所としてあったころ、実際の新撰組によって占拠された史実が裏付けられており、「新撰組」のロケには最適であろう。「軍師官兵衛」も英賀門徒の攻防や石山本願寺の見立てで石山合戦が撮影されており、共に播州の真宗史とも深い関係がある。このような利用のされ方は、歴史的遺産の新たな活用として妥当な所で、最近は、姫路市も観光に注視した都市政策を進めており、旅行社によるロケ地巡りのツアーも組まれ、多くの来訪者が訪れているそうです。 画像はフォトムービーでもお楽しみく..
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
石造宝篋印塔(遊女塚) 神戸市垂水区
【幻想的✨】夜の用作公園の紅葉ライトアップにうっとり♪ in 大分県豊後大野市2024
エキチカの弥生ムラ
【衝撃】 高見彰七はふたりいた!
高見彰七の活動期間が判明しました
高見彰七に関する驚愕の新情報
高見彰七について判明していること
中国山地の大鍛冶屋
【気合♨】松尾神楽の湯立神楽2024は迫力あり! in 大分県豊後大野市【祭り】
鞍ヶ池公園東 矢並八柱神社の神馬 2(高見彰七 推定作品)
化粧地蔵でほのぼの (その39 八浜児島淡水湖近くの化粧地蔵 2)
【高見彰七 リスト集2 No.24】 八王山 春光院 (その2)
草津 温泉はないけど
【山梨市】根津記念館【ドラマ版 ゴールデンカムイ】
【高見彰七 リスト集2 No.24】 八王山 春光院 (その1)
四国霊場第八十六番札所・志度寺での参詣が終わり、納経所へ行きました。 納経を済ませるとともに、そこで「おへんろストラップ」を買いました。前回の参詣でも買いま…
近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つともいうが、創建の詳しい事情は不明です、平安時代建築の太子堂をはじめ、「あいたた観音」など多くの文化財を有し「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺です。 現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉時代・室町時代には太子信仰の高まりもあって寺坊だけで30数箇坊以上を有する規模であり、寺領も2万5千石を有し、聖徳太子以来の法華経講讃の寺として繁栄し、戦国時代には近隣の書写山圓教寺が戦火に巻き込まれるなどしたが、姫路領主だった黒田職隆、黒田孝高親子の説得で織田信長派となり戦に巻き込まれず、当時の建築物が多数現存しています。 国宝の本堂は、入母屋造、本瓦葺き。堂内の宮殿(くうでん、厨子)の棟札銘から1397年の建築とわかり、内部の宮殿には秘仏の薬師三尊像と二天像を安置しています。 ..
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
四国霊場第八十六番札所・志度寺に行った回数は多いですが、何故か早朝に参詣したことが多い印象です。 もちろん、昼間に参詣したことも数度あるのですが、この平成三…
関東・信州 第五十番 濁る川に生きる覚悟をする寺 信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来様を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ています。本堂は仏堂の前面に長大な礼堂を配した撞木造と呼ばれる独特の構造を持ち、東日本最大の規模を誇る江戸中期仏教建築の傑作で、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになって、より多くの参拝者が訪れます。 仁王門は1752年に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは1918年に再建され、この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。 善光寺山門は、1750年に建立されて以来、大勢の参詣者を本堂に迎え入れてきた歴史ある門で、修復完了を記念し、約40年にわたって中断されていた二..
城を観る今回は...(撮影 2019/07/30)躑躅ヶ崎館〜武田神社 左近乃櫻〜咲いてるところも見たいなァ。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
城を観る[YouTube]今回は...(撮影 2017/06/20)《高根城(久頭郷城)》 2017 〜奥山氏が築きし山城!高根城を観る〜チャンネル登録はこ…
城を観る今回は...(撮影 2019/07/30)躑躅ヶ崎館〜武田神社 甲陽武能殿〜能の舞台かな。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村マスク TINA…
城を観る今回は...(撮影 2019/07/30)躑躅ヶ崎館〜解説板 躑躅ヶ崎館(武田氏居館)跡〜こんな感じね。。。 ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村マ…
おさらいしますと、平成三十一年一月、四国へ渡り、まず四国霊場第十六番札所の観音寺から打ち始め、天石門別八倉比売神社、大泉神社、阿波史跡公園、第十五番札所・国…
関東・信州 第四十九番 情にあつく、さびしがり屋の日蓮像 鎌倉時代(1274年)に日蓮聖人が身延山へ入り「法華経」の読誦と門弟たちへの教導に終始した日蓮宗の総本山で、しだれ桜は全国的にも有名です。伽藍は明治8年の大火で焼失し、現在立ち並ぶ堂宇は再建されたものが多いそうです。 本堂は1985年落慶、本尊は日蓮聖人真筆大曼荼羅本尊を木造形式にしたいわゆる立体曼荼羅で、釈迦如来像・多宝如来像・四菩薩像・不動明王像・愛染明王像・四天王像・普賢菩薩像・文殊師利菩薩像・日蓮大聖人坐像などからなっています。作者は日蓮大聖人坐像を除き慶派の流れをくむ江里宗平・江里康慧親子です。 現在の五重塔は3代目で2008年竣工で2009年に落慶法要が行われました。初代の塔は1619年加賀前田利家の側室寿福院の建立でしたが1829年に焼失、2代目の塔は1875年焼失。 有名な久遠寺の..
金沢へ行こう! ゴールデンウィーク旅行の計画を立てていた人も多いと思います。 お出かけできない今、行った気分を味わいませんか? 過去に行った国内旅行を紹介します。 今回は金沢です 千葉の我孫子に住んでいる私は常磐線で上野までいき北陸新幹線に乗ります。 北陸新幹線が開通して、本当に速くなりました。 25年ほど前、富山に数年住んでいたことがあるので、当時は長岡経由の特急で 時間がかかりましたが、気軽に行けるようになりました。 母と石川県和倉温泉に行ったときのこと↓↓も紹介しましたが本当に便利になりました www.wwwsmileend.com 始めての金沢にお勧めのコース まず金沢旅行で外せないの…
京都行きたい! 本日、緊急事態宣言が39県で解除されました。 私が住んでいる千葉も京都もまだ解除されていません。 まだまだ油断は禁物です。 お出かけできない今、行った気分を味わいませんか? コロナも少し落ち着いて来たようなので、夏には旅行できるといいですね。 過去に行った国内旅行を紹介します。 今回は京都です 過去に行った京都旅行の記憶がよみがえります。 綺麗な景色や建物、神聖な場所や、美味しい食事やスイーツなど… これから行きたい場所等も想像すると楽しくなりますね! 思い出したり、想像したり・・・ どこでも行けて楽しくなります(*^-^*) まず京都で外せないのは【清水寺】です 清水寺は50…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
登山家が使う特別な地図がある。山の斜面に緑の濃淡で色付けがしてあり、尾根や谷の様子が一目でわかるようになっている。リアルな山筋は航空写真を見ているようで、しかも立体感がある。これとは少し違うが明治時代の地図では山の斜面を刷毛目の筋の濃淡で描いて立体的に表現する技法が使われていた。科学的に言えば現在の等高線の表示方が正確
四国霊場第二十二番札所・平等寺の仁王門から境内に入り、そのまま本堂へ真っ直ぐ進み、本堂の前の「弘法の霊水」を見て、石段を登り、本堂で参拝。しっかりおつとめを…
関東・信州 第四十八番 多くの謎と武士の祈りを秘めた大仏 鎌倉大仏として名高い高徳院の本尊 国宝銅造阿弥陀如来坐像は、高さは11.31m(台座を含めると13.35m)、重量約121tあり、現在の金鋼仏は1252年に鋳造が始められ、完成当時は全身に金箔が施され、大仏殿内に安置されていましたが、大仏殿は台風や大津波のため倒壊し、室町時代の末までには、今の「露坐の大仏」になりました。 角張った平面的な面相、猫背気味の姿勢、体部に比して頭部が大きい点など、鎌倉期に流行した「宋風」の仏像の特色を示しており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として国宝に指定されています。 鉛の比率が高いことから、像表面に鍍金(金メッキ)を行うことは困難であったと推定され、造像当初は表面に金箔を貼っていたとされており、現在でも右頬に金箔の跡が確認できます。 後世の補修が甚大な奈良・東大寺の大..
幕末の京都地図である。このような地図は今でも色々作られている。ただこの地図には今ではありえないことが載っている。町はずれの場所に被差別民の居住地表示がある。江戸時代には士農工商の身分のほかに、それ以下の身分としてエタ(穢多)、ヒニン(非人)があった。これらの文字は漢字変換ですぐに出ない。ナルホド。さて明治時代になって四
地図は科学知識に基づいて作成されるが、同時に作成された時代の社会状況も映し出す。古地図は作成当初の地理的必要性を失った今でも様々な情報を教えてくれる。 大日本道中工程細見記大全 (文化六年)
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
高層ビルに囲まれた大都会の中にあって、近代的と言うより現代的そのもののお堂ばかりで、境内が参詣者でごったがえしているようなお寺には、それはそれで魅力はあると…
※本ブログの記事内容は、新型コロナウィルスが蔓延する以前に訪れたときの様子を書いたものです。新型コロナウィルス感染が収束するまでは、今まで撮った写真等のストックを使った記事を掲載します。なお、新型コロナウィルスに関する私の考えは「新型コロナウィルスで思うこと」で書いています。☆☆☆今回は、木村拓哉、桑田佳祐の自宅を探訪しながら中目黒界隈を散策してみたいと思います。(※)他の芸能人関係の記事については、...
関東・信州 第四十七番 明治の文学者たちを癒した寺 鎌倉時代の1282年に、鎌倉幕府執権・北条時宗が元寇の戦没者追悼のため中国僧の無学祖元を招いて創建ました。北条得宗の祈祷寺となるなど、鎌倉時代を通じて北条氏に保護されます。三門(山門)は1785年、大用国師誠拙周樗が再建したものと言われ、「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆とされ、楼上には十一面観音、十六羅漢像などを安置しています。 仏殿は関東大震災で倒壊し、 1964年再建の鉄筋コンクリート造ですが、1573年の仏殿指図に基づいて建てられ、堂内には本尊の宝冠釈迦如来像や梵天・帝釈天像などを安置し、天井画の「白龍図」は前田青邨の監修で日本画家守屋多々志が描いたものです。 国宝の梵鐘は、仏殿東方の石段を上った小高い場所にある鐘楼に架かり、寺では「洪鐘」と書いて「おおがね」と読ませている。北条貞時の寄進による..
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。