在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
江戸城 遺構巡り【其の一】@東京都
自然豊かな城下町 丹波篠山市の歴史観光スポットと温泉
品川台場@港区
テーマにしてなかったけど、自然にテーマになってきた
丸亀城@香川県
仁木城 三河 その2 春日部氏の詰城として築かれ、家康による改修が行われた可能性がある山城
杉谷城 伊勢 方形の曲輪が連続する信長狙撃で有名な萩原善住房が城主だったと伝わる城郭
鶴ヶ城 美濃 大堀切が見どころの鎌倉期に築城され戦国期まで改修が繰り返された山城
力尾城 伊勢 道路開削で一部の遺構が消滅したが残存部分だけでも楽しめる山城 ハチに注意!
砕導山城 若狭 その1 広大な曲輪群と段切り遺構が見どころ 東海古城研究会の見学会で訪れました
高松城@香川県
高知城@高知県
岡山城@岡山県
本佐倉城@千葉県
佐倉城@千葉県
石山寺(いしやまでら)紫式部が『源氏物語』を執筆した場所として有名です 滋賀
光る君へ 45回
小野小町ゆかりの随心院(4)能の間~小野小町ゆかりの品々
【光る君へ】#44 最終回?一同揃った豪華絢爛望月の夜、まひろと道長が万感の思いを交わす
【源氏物語】二十帖「朝顔(あさがお)」簡単あらすじ&登場人物と感想
小野小町ゆかりの随心院(2)小町文塚~榧の大木
【源氏物語】十九帖「薄雲(うすぐも)」簡単あらすじ&登場人物と感想
【源氏物語】十八帖「松風(まつかぜ)」簡単あらすじ&登場人物と感想
小野小町ゆかりの随心院(1)小町の化粧井戸
紫式部の先祖ゆかりの勧修寺
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(2)
京都文化博物館「近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝14―御堂関白記と源氏物語」
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(1)
【源氏物語】十七帖「絵合(えあわせ)」簡単あらすじ&登場人物と感想
NHK 光る君へ に、ツッコミたい(というか感想?) 11/17
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
JUGEMテーマ:歴史幕末の長州藩士「寺嶋忠三郎誕生の地」 今回は、吉田松陰先生の門下生で、最期は久坂玄瑞と共に互いに刺し違えて自害した「寺嶋忠三郎」をお届けします。 山口県周南市には、「寺嶋忠三郎誕生の地」
時代が明治になった1869年(明治2年)11月27日、 長州藩は、藩内に色々と存在していた小軍隊を解散し 新に常備軍を編成すると発表しました。 この流れで奇兵隊が解散となります。 それでは奇兵隊の歴史を見て見ます。 (高杉晋作奇兵隊を設立) 1863年5月10日、長州藩が、下関の亀山砲台から関門海峡を通る 外国船に対し砲撃をくわえました。攘夷です。 【長州藩の外国船への砲撃について書いたブログ記事】 外国船に砲撃した長州藩は、外国軍艦の報復・来襲に備えます。 長州藩の高杉晋作が、藩から下関の防衛を任せられます。 (「近世名士写真」国立国会図書館ウェブサイトより) 6月7日、高杉晋作が、下関市に…
前述の通り、20世紀末までは、「いいくに(1192年)つくろう、鎌倉幕府」と、鎌倉幕府は、源頼朝が、「征夷大将軍」に任官した、1192年(建久三年)に成立し…
1724年11月22日、浄瑠璃および歌舞伎の作者、近松門左衛門が亡くなりました。 (上方文化の担い手の1人) 徳川時代になり、戦のない平和な世が続き、物の流通が盛んになり、江戸、京都、大阪は賑わいを見せます。 全国から集められた米や特産物が取り引きされ天下の台所と呼ばれていた大阪、天皇が住む御所を中心とする上方では、都市の繁栄を背景に経済力を持った町人を担い手にする新しい文化=元禄文化が栄えます。 その文化の担い手の1人が近松門左衛門です。門左衛門は現実に起きた物語を元に浄瑠璃や歌舞伎の台本を書きます。 1685年に門左衛門が描いた「出世景清(しゅっせかげきよ)」は、近世浄瑠璃の始まりといわれ…
戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、織田信長(1534-1582年)の謁見(1581年)を経て、後にその献上品?とされた黒人がいます。~切支丹国より黒坊主参り候/年齢26-27歳ほど/ 十人力の剛力/牛のように黒い身体~よほどビックリこいた出来事だった
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
久坂玄瑞の友「大楽源太郎」 今回は、久坂玄瑞などと活躍した尊王攘夷志士「大楽源太郎」をお届けします。 私は、大楽源太郎をよく知らなかったのですが、十朋亭維新館で「大楽源太郎の生涯」の企画展をしていましたので、
11月25日は、1940年(昭和15年)に、皇紀2600年記念行事の1つとして天孫降臨の地・ 宮崎に建設されていた八紘之基柱・平和の塔が完成し、その竣工式が行われた日です。 (八紘之基柱) この塔は、現在は、「平和の塔」と呼ばれていますが、戦前・戦中は、「八紘之基柱」 (あめつちのもとはしら)と呼ばれていました。 この塔は、神道で使う御幣を形どっていて、設計は著名な彫刻家の日名子実三が担当しました。高さは36.4メートルで当時、日本で1番高かった丸ビルを超えます。 建設から80年以上たってもがっしりしています。 (正面に刻まれた「八紘一宇」) 塔の正面には、当時の天皇の弟で、大正天皇の次男の秩…
東京都北区、JR板橋駅前には、近藤勇墓所・新選組隊士慰霊碑が建てられています。 近藤勇…幕末に活躍した新撰組の局長ですね。 【東京都調布市にある近藤勇生家の看板に使用されている近藤勇の写真】 ここには、土方歳三が函館で戦死した副長・土方歳三など百十名にのぼる新選組隊士と共に供養されています。 (流山で捕まり板橋で死刑。首は京都へ) 新選組は池田屋事件等での活躍し、幕末の京都を警護する部隊として有名になっていきます。 しかし世の中の動きが討幕へ進む中、鳥羽伏見の戦いでやぶれ、近藤勇は江戸にもどります。新選組は甲陽鎮撫隊と名をかえ戦いを続けますが、苦戦が続きます。 また、方針の違いから永倉新八とも…
1872年(明治5年)11月9日、太陰暦を廃し、太陽暦を採用することの詔書が発せられ、太政官布告第337号により公布されました。 これにより ①1年を365日、12か月とし、4年毎に閏年を置く ②1日を24時間とする という事が決められ旧暦の1872年(明治5年)12月3日が 新暦の1873年(明治6年)1月1日に定められました。 (大隈重信が太陽暦を採用) 太陽暦を採用したのは、佐賀藩士の大隈重信。 早稲田大学を創設した人物としても有名です。 それまで日本で利用されていたのは、月の満ち欠けを利用した太陰暦でした。 しかしこれでは1ヶ月が短くなりずれていくため、数年に一度は閏月(うるうづき)と…
11月11日は、1944年(昭和19年)に 長野県の松代大本営の着工工事が始まった日です。 (11月11日11時11分工事開始) 太平洋戦争終戦の前年1944年(昭和19年)11月11日11時11分、象山で最初の発破が 行われ、長野市松代地区の象山・舞鶴山・皆神山の3か所に地下坑道を掘りめぐらせる松代大本営の工事が着工されました。 お気づきのように発破の時間が「1」が並んでいます。 この時間が選ばれたのは、漢字の十と一を縦書きにすると「士」に通じることから縁起を 担いだためです。 工事は、西松組や鹿島組といった当時の日本の建設業界最大手が担当しました。 ご存じのように、当時は太平洋戦争末期で、…
11月19日は国連が制定した「世界トイレの日」です。 2013年(平成25年)、国連が正式に11月19日を「世界トイレの日(WORLD TOILET DAY)」と制定しました。 (世界で20億人がトイレのない生活) 2019年(令和元年)ユニセフとWHO共同監査報告書によると、世界人口の約78億人の うち、トイレのない生活を送っているのは約20億人。 さらには約42億人が安全に管理されたトイレを使えておらず、年間で29万7,000人(1日約800人以上)もの5歳未満の子どもが不適切な水と不衛生による下痢症で命を落としているそうです。 また、トイレではない野外排泄の場合、排せつ物からハエを媒介し…
広島市を走る路面電車。 その路面電車が開業したのが11月23日でした。 現在、広島市を走る路面電車は、その起点はJR広島駅前にある電停です。 この広島駅から広電宮島口行き(厳島神社で有名な宮島へは、ここからフェリーで渡ります)や広島港(宇品)行きがでています。 平和記念式典が開かれる平和公園に行くときも路面電車が便利です。 すぐに電車が来るので待ち時間はほとんどありません。 この路面電車を運営する広島電鉄は、日本最大の路面電車の路線網と収益を持っています。 (11月23日広島市に路面電車開業) 広島市を走る路面電車は1912年(大正元年)11月23日に開業します。 【開通記念花電車:広島市公文…
11月21日、平将門の乱が起きます。 平安時代の939年、関東で平将門の乱が起きました。 乱を起こした平将門は、千葉県西部の下総を本拠地としていた豪族・平良将の子で 903年頃に生まれた様子です。 出自は桓武天皇を先祖に持つ系統で、宇多天皇の勅命にて平姓を賜与され臣籍降下した氏族です。 (一族の争いから関東一円を巻き込む) 将門の乱は、下総国、常陸国に広がった平氏一族の争いから、やがては関東一円を巻き込む争いへと発展します。 平将門は、戦いに勝利し下野と上野へも進軍して支配し、関東一円を手中に収めます。 (自ら新皇と称す) 12月19日に上野国府で新皇を自称し、岩井(現在の茨城県坂東市)に政庁…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
尊王攘夷の志士たちも集った「山田家本屋」 今回は、山口県周南市湯野にある「山田家本屋」をお届けします。 ここは温泉も湧く地域であり、山田家本屋の入り口には「足湯」もあります。 地元の方達が、足湯につ
2021年(令和3年)11月14日(日) 人間魚雷回天の乗組員たちの追悼式に参加しました。 人間魚雷「回天」の訓練基地跡が残る山口県周南市の大津島。 この島で回天の搭乗員らの追悼式がありましたので参加してきました。 この式は正式には回天烈士及び搭載潜水艦戦没者追悼式と言います。 式には、関係者ら約40人が出席し、若くして命を落とした145人の霊を慰めるとともに平和を祈りました。 (人間魚雷回天) 回天は太平洋戦争末期に日本海軍が開発した特攻兵器。 全長は14.75m、胴体の直径は1mで1人乗りで、推進装置には、九三式酸素魚雷の エンジンを使っていました。 イスに座る形でこの回天の中にいて、乗組…
坂本龍馬の没後154年の命日となる11月15日(月) 京都市の霊山護国神社で、 龍馬や中岡慎太郎らを慰霊する「龍馬祭」が営まれたので参加してきました。 (龍馬が眠る:霊山護国神社) 坂本龍馬は1867年(慶応3年)11月15日、京都の醬油商、近江屋で中岡や下僕の藤吉とともに暗殺されまた。この日は龍馬の誕生日でもありました。 龍馬の遺体は霊山護国神社の境内に埋葬され墓が建立されました。 (命日に龍馬の墓参り) 霊山護国寺は京阪本線の祇園四条駅から徒歩15分で、ちょうどいい散歩コースです。 境内は龍馬命日用で坂本龍馬と中岡慎太郎の肖像画が掲げられていました。 龍馬像も去年同様マスク姿。 (龍馬の墓…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
高森本陣近くに宿泊していた吉田松陰 今回は、山口県岩国市周東町にある、江戸時代に藩主・役人・公家など、身分の高い人が宿泊した本陣の跡「高森本陣跡」と、その近くにあった吉田松陰の親戚岩本家に数回逗留した「吉田松陰宿泊の地
「幕府」とは、中国の「皇帝」、日本では、「天皇」によって、「将軍」に任命された者が、朝廷の外において、朝廷のため、「政治」「行政」「軍事」を行うために設けた…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
古事記では木花之佐久夜毘売、日本書紀では木花開耶姫、一般的には木花咲耶姫と表記し、その読み方を「コノハナノサクヤヒメ(ビメ)」とする、咲く花の美しさをイメージさせる名前が神話には登場しています。この姫神は「天孫降臨」を果たしたニニギノミコト(天照大神の孫
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
まもなく11月15日、 この日は坂本龍馬の誕生日であり、命日でもあります 大政奉還が行われたわずか1カ月後で、坂本龍馬33回目の誕生日にあたる 1867年11月15日に、坂本龍馬は京都で暗殺されます。 龍馬暗殺の地京都には、ゆかり場所がたくさんあります。誕生日&命日を機に龍馬関係史跡を周ってみては いかがでしょうか? ⓵龍馬が襲撃された伏見地区 ②龍馬の隠れ家があり、暗殺された河原町周辺 ③龍馬のお墓がある霊山護国神社 ・・この3つが京都龍馬史跡の重要地点です。 いずれも近いので1日あれば十分見ることが可能です。 ①龍馬が襲撃された寺田屋周辺(京都伏見) 京阪電鉄の中書島駅からスタートします。…
大政奉還が行われたわずか1カ月後の 1867年11月15日、 坂本龍馬は京都で暗殺されます。 その日は坂本龍馬33回目の誕生日でもありました。 (大政奉還を演出した坂本龍馬) 坂本龍馬は、幕末の土佐藩脱藩浪人で維新の立役者。 貿易会社で日本初の総合商社である亀山社中、のちの海援隊を創設。 当時、対立していた薩摩藩と長州藩を結び付けて薩長同盟を締結させ、 討幕運動を仕掛けた人で、大政奉還をも演出した人です。 (龍馬、誕生日に暗殺される!) 坂本龍馬は、1867年11月15日、京都にある隠れ家・酢屋から歩いて数分の地にある 近江屋という醤油屋の2階で中岡慎太郎と会っていました。 そこを突然襲撃され…
先日、戦時貯蓄債券と特別報国債券を頂きました。 これらの表面を見ますと「昭和17年」「昭和18年」「昭和19年」の文字が書かれています。太平洋戦争中ですね。 債券とは「国家、公共団体、銀行、会社などが必要な資金を借り入れる場合に発行する公債、社債などの有価証券」のことです。 今回頂いた戦時貯蓄債券と特別報国債券は、国が国民から戦争で使うお金を集めるための手段として戦争中に販売した「債券」の1つです。 (貯蓄債権発行の背景) 1931年(昭和6年)に日中戦争が起きると莫大な軍事費が発生しました。 その軍事費は、増税だけではまかなえることができなくなったため、1927年(昭和12年)9月10日、臨…
写真は奈良県の吉野です。 この吉野で、11月17日、源義経の愛人・静御前が捕らえられます。 静御前に関して、史料による記録が見られるのは、「吾妻鏡」だけです。 その「吾妻鏡」を中心に静御前の吉野での動きを見て見ます。 (義経・弁慶とともに吉野に逃げる) 1185年、平氏を壇ノ浦の戦いで滅ぼしたものの、兄の源頼朝と対立した義経は やがて、朝廷から「義経追悼の院宣」が頼朝に下されてしまったために、朝敵となってしまいます。 そして逃げ延びたのが吉野。 吉水院という修行僧の僧坊、のちの吉水神社に潜伏します。 (ちなみにここは南北朝時代には南朝の皇居になります) ここには源義経潜居の間があります。 ここ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:75点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2005年 『曾我物語~物語の舞台を歩く』は、日本三大仇討、「赤穂事件」「鍵屋の辻の決闘」と並び称され…
実に二十歳で、現在の数え方なら十九歳で亡くなった父を源頼朝、母を北条政子の間に生まれた長女・大姫(1178?-1197年)の生涯には悲しいものがあります。この二十歳の死に対する責めは父親・頼朝が負うべきものでしょう。それには、こんな経緯があったからです。「源氏」の
関門海峡の眺めが美しい「みもすそ川公園」 今回は、安徳天皇が入水した源平合戦の舞台「壇ノ浦の戦い」や、幕末の長州藩が外国船と戦った「下関戦争」など、歴史と浪漫にあふれる「みもすそ川公園」をお届けします。 関門
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
渋沢商店は、主に小野組の商圏であった、上信奥羽の米産地から、東京への廻米及び、委託販売を行い、荷為替決済、運送保険の制度創設に取り組んだ。 1878年(明治…
「その6」まででひとまず「七湯の枝折」の「禽獣類」について、取り上げられた個々の鳥獣類の分析を終えたあと、補遺を追加するなどしたために間が空いてしまいました。今回以降の2回で、ここまでの分析を踏まえて「七湯の枝折」の中での「禽獣類」の項の位置付けを考えていきます。その前に、もう少し手短に補足を加えます。歌川広重「箱根七湯図絵」より「底倉」(再掲)Museum of Fine Arts Boston.Licensed under Public dom...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
1940年(昭和15年)11月10日(日)、 東京の皇居前広場で昭和天皇・皇后隣席の下、 内閣が主催する「紀元二千六百年式典」が 盛大に開催されました。 紀元2600年記念行事とは1940年(昭和15年)が初代神武天皇が即位して2600年目に あたる年とされ、国を挙げての大祝賀となりました。 11月10日の夜には、皇居前にかがり火がたかれ、夜更けまで賑わいます。 花電車も登場し、お祭りムードを盛り上げます。 皇紀2600年記念式典は翌11日にも開催され、2日間にわたるこの式典には、合計で5万5千人の参列者を迎えました。 【式典の様子を伝える東京朝日新聞の臨時夕刊の記事】 (式典はラジオで全校に…
11月10日、この日はトイレの日です。 なぜかと言いますと11月10日の数字が11(イイ)10(トイレ)と読めるという、なんともまあ、小学生のダジャレみたいなごろ合わせで、1986(昭和61)年11月10日に日本トイレ協会によって制定されました。 トイレと言えば、おっさんが子供の頃=1970年代は和式が主流でした。 しかし、今や洋式が主流になりましたね。そしてほとんどのトイレが水洗トイレになりました。 (渋谷にある透明トイレ) さて、この夏、渋谷に行き、透明な公衆トイレを発見しました。 トイレが透明ですよ、透明!! これです 灯りがついた透明の四角い建物・・・。 これは、東京渋谷区の千代田線代…
情緒あふれる武家屋敷「旧湯川家屋敷」 今回は山口県萩市にある「旧湯川家屋敷」をお届けします。 ここは、藍場川沿いにある藩政時代の武家屋敷で、キレイな水の中を鯉や小魚がスイスイ泳いでいる風光明媚な場所です。&n
萩の生んだ総理大臣「桂 太郎旧宅」 今回は、山口県萩市が生んだ萩市出身の内閣総理大臣、桂 太郎の「桂 太郎旧宅」をお届けします。 桂太郎は、第11代・第13代・第15代内閣総理大臣を務め、笑顔の「ニコポン宰相
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
そろそろ紅葉も見頃を迎える有馬で源泉とサウナも楽しめるスパ銭太閤の湯へ~前回記事↓神戸~ホテルステイを楽しむ 少し間が空きつつも、神戸のホテルに泊まった翌日は…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
沖田総司。。新撰組1番組組長。。。 沖田総司は、新撰組の中でも人気がある1人です。 時代が幕末から明治に変わろうとする1868年(慶応4年)5月30日、結核におかされていた沖田総司が命を落とします。 その沖田の終焉の地が東京台東区にあるというので行ってきました。 台東区にある今戸神社です。 (新撰組1番組組長:沖田総司) 沖田総司は、幕末に白河藩の足軽小頭の家に生まれます。 その後、江戸・市ヶ谷にあった近藤勇の天然理心流道場・試衛館で剣術を習い、 10代で免許皆伝、18歳で師範代を務めます。 1863年、沖田は、近藤勇や土方歳三とともに上京し、芹沢鴨と壬生浪士組を結成、8月に壬生浪士組は新撰組…
日本で初めて電動エレベーターが設置されたことを記念して1974年(昭和54年)に、(社)日本エレベーター協会が、11月10日をエレベーターの日に定めました。 日本で初めて電動エレベーターは、1890年(明治23年)の11月10日に東京の浅草の凌雲閣(りょううんかく)に設置されたエレベーターです。 (人気の凌雲閣) 凌雲閣(りょううんかく)は、明治期に建てらえた眺望用の高層建築物で12階建て、高さ66mです。名称は「雲を凌ぐほど高い」という意味で「浅草十二階」、あるいは「十二階」とも呼ばれていました。 凌雲閣の写真がありますが、なんともモダンですね。 この建物が明治半ばにできたんですから、そりゃ…
評価:75点/作者:奥富敬之/ジャンル:歴史/出版:1989年 『東国源氏の京都進出』は、後世、武家の棟梁として、源頼朝、足利尊氏を輩出する、清和源氏の家…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。