在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
23日 今上新嘗祭親祭 24日百合子さま通夜
11月25日~12月1日 ご予定
26日 百合子さま 令和流斂葬の儀で送られる
アル中患者らしい「ぼったま留学」案発表と裏事情を考察。
愛子天皇阻止代表A子さん、国民に秘密で海外で皇室利用するY子さん。
葬儀でもズルぼん企画?サギとバイコク皇族を税金で養い続けるか。
19日華子さま世界文化賞受賞式典 20日今上雅子さま受賞者と懇談
セット売りは怖い?・・・佳子さま愛子さま二人連れ
また時代は次へ。
11月第4週 18日~24日 ご予定
11月11日~17日 天皇皇后 ご動静
16日 百合子さまお舟入り(2)主に映像
16日 百合子さまお舟入り(1)主に資料
杖なし歩行の魔女ミテコ、東大・自民は腐り切れ。タイタニックのピーヒョロ青年❣️
三笠宮崇仁親王妃 百合子殿下 薨去
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:55点/作者:杉本一樹/ジャンル:歴史/出版:2010年 『日本史リブレット 74~正倉院宝物の世界』は、山川出版社の「日本史リブレット」の第74弾。奈…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
伊勢一向一揆鎮圧の直前、1574年(天正二年)4月、柴田勝家は、信長の高屋城の戦いに参戦している。摂津国の池田勝正、讃岐国の十河一行、雑賀衆の鈴木孫一、三好義…
八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ (柿本朝臣人麿)柿本人麿は九州王朝の人という説があるようだが、私もヤマタノオロチを九州の伝説と考えているので興味を持っている。上記の歌の解説には納得がいかない。以前読んだ本に「九州銅鐸圏」というフレーズがあったので読み返したが、吉野ヶ里遺跡でも銅鐸が出土している。また鋳型も近くの佐賀県鳥栖市と福岡市で出土している。国譲りはまず北部九州で行われたとみる。ヤマタノオロチはズバリ邪馬壹国自身かもしれない。井上悦文氏
鎌倉仏教の浄土真宗・親鸞さんのお考えはこうだ。~身分が高いとか低いとか、金持ちだとか貧乏だとか、 メタボだとかスリムだとか、要するに人間個々の「違い」なんて ものは、阿弥陀如来の存在の大きさに比べたら、ほんとに ちっぽけな誤差に過ぎないのだから、無視でき
ずっと謎だった、石見型と言われる形。この形は石製品、木製品、埴輪などに見られる。儀仗と推測されてきた。しかし何を意味するのかは分かっていない。私もこれまでいくつか考えてきた。以下のように。単・干の漢字の原型である盾と羽飾り 騎馬民族?アルファベットのX・Y(三重県宝塚一号墳の船形埴輪の飾り)ヨーロッパ文化?卯杖 枝を糸や組み紐で束ねたもの 漢代の風習?エジプトのジェド柱?そして私が石見方の最古の形と考えているのは、福岡県糸島市の釜塚古墳の石見型木製
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
名前や地名にある「木」、「城」は「から来た」の意味である場合が多い。崇神天皇の「ミマキ」は任那(ミマナ)から来たと考えられ、平木は新羅、厳木(キュウラギ)は木浦から来た可能性がある。更に発展させると、茨木(大阪府)・茨城は井原から来たと考える。井原は伊都国の三雲・井原遺跡周辺だ。茨城の筑波山の「筑」は筑紫のと思う。応神朝に筑紫刀禰が国造に任ぜられている。そして佐々木は「楽々浦(ササウラ)」が兵庫県豊岡市にあるが、ここではないだろう。しかしこの地にある気比神社
讃岐(サヌキ)は、倭王讃+岐(敬称語尾)と考える。岐は神社名によく出る字であるが、現在でも「おじき(叔父貴)」のように残っている。長崎県佐世保市に「早岐」という地名が残っているが、これはモンゴルや古代朝鮮の首長を表す言葉で、チンギスハンのハンと、同じく敬語語尾の岐で、現在は「ハイキ」と読む。同じく長崎の諫早も古くは「伊佐早」であり、長崎のこの二つの地名は未確認であるが、同様の由来を持つと考えている。さて倭の五王の武の上表文「封国は偏遠にして藩を外に作
「騎馬民族征服王朝説」で有名な著者の初めての一冊でした。扶余族からでた、辰王朝から新羅・百済が独立し、残る弁韓の加羅人・倭人が協力し北九州に南下し、任那に根拠地として、実在が疑われる「任那日本府」は故地として半島進出の足掛かりの地としての役割を担ったところというのが説の大筋です。「騎馬民族征服王朝」という刺激的なネーミングをされて、当時は皇室に対するタブーがなくなった時代とはいえ文化勲章を受章されています。日本言論の自由が保障されたいい国だなあと思って読み進めていま
森鴎外「奈良五十首」に戻りたい。前出 鷗外「奈良五十首」を読む から・(27)首から(32)首までの六首には、「興福寺慈恩会」という詞書が付されている。「慈恩会」はジオンネと読むのが正しい。・慈恩会とは、法相宗の祖師である慈恩大師の徳をたたえるために、
「奈良50首」より35.なつかしき十輪院は青き鳥子等のたづぬる老人(おいびと)の庭高齢になってみると、忘れていて突然湧き上がってくるようななつかしさがあったりする。十輪院で森鴎外は多くの湧き上がる思いがあった、ということだろうか。十輪院については
前出の「奈良五十首」より16.はやぶさの目して胡粉(ごふん)の註を読む大矢透が芒(すすき)なす髪大矢透(おおや・とおる)についてはWikipediaから こちら (大矢博士自傳へのリンクがあります)正倉院の聖語蔵で大矢透なる人物が仮名の研究のため、経巻から訓
森鴎外「奈良五十首」より15.恋を知る没日(いりひ)国の主(ぬし)の世に写(うつ)しつる経(きょう)今も残れり平山城児著「鴎外奈良五十首を読む」によれば正倉院にある聖語蔵には写経・版経と少数の雑書を加えて、すべて七八三点、四九六〇巻を蔵しているとのこ
洛陽郊外の龍門山奉先寺にある廬舎那仏の容貌のモデルは武則天であるという。写真はWikipediaより武則天は伝えられるほどに悪女だったのだろうか?重用したという宰相狄仁傑(てき・じんけつ)については こちら適材適所を心掛けた女帝だったように感じられる。光明
森鴎外が6世紀から8世紀までの歴史にこだわっていることで思い出したことがある。2008年1月に書いた徳川光圀に関する記事で武則天に触れたのだけれど → こちらこの武則天が中国唯一の女帝で、しかも藤原鎌足の娘であるというのはほんとうだろうか。→ こちら
評価:55点/作者:前沢和之/ジャンル:歴史/出版:2008年 『日本史リブレット 72~古代東国の石碑』は、山川出版社による、「日本史リブレット」の第72弾…
出雲は天孫族に国譲りをした。しかし出雲国はその後も残っている。これは、国譲り以前は、出雲の国の範囲はもっと広かったと考えられる。天照大御神が太陽、それと対称的な存在の素戔嗚尊のイメージは雲。だから出雲国、というように連想からくる名前だと考えていたが、実際は土地の特徴を表した名前ではないだろうか。結論から言うと「雲=砂鉄」だ。常用字解(白川静)では群がり集まる雲の性質から派生して「多くのものが群がって区別しがたい状態」も意味するとある。砂鉄は砂粒と紛れ、混在し
陸上では、東の市江口から、信長の嫡男である、織田信忠の部隊、西の賀鳥口からは、柴田勝家の部隊、中央の早尾口からは、信長本隊の三隊が、進軍した。更に、海からは、…
これを読んで歯切れが悪い、どっちつかずと思う方がいれば、それはあなたの気が早いからだ。「科学者として責任を持った解答ができないかぎり,応えてはならないというのが、科学者に課せられた責任だと考えています。」これを逃げ口上と、勘ぐってはいけない。人間は明確であることを好む傾向がある。矛盾したことや、理解できないことにストレスを感じる。「怒り」でさえ、そういった「理解できないこと」に対する反応の一種ではないかとも思う。「なんでそうなるんだ!」「なんでそんなことをい
一番読んで頂きたいのは、正木裕氏の「『魏志倭人伝』伊都国・奴国の官名の起源」です。タイトルの二国には「泄謨觚(せもこ)・柄渠觚(へくこ)・兕馬觚(じまこ)」という官名があり、それは中国の殷・周時代の青銅器の祭器名を由来とし、それを爵制として倭人が取り入れたものだとしています。青銅器そのものはこれま国内で出土はしていませんが、現在も結婚式の形態、神前式で用いられる「三三九度」「三献の儀」も周代の儀礼が形を残ったものです。青銅器「爵」の形(尖った二つの注ぎ口)が
蒲生野で詠まれたと言われる額田王、大海人皇子の相聞歌は有名だ。壬申の乱の引き金にもなったといわれてもいたが、白洲正子さんのエッセイ「近江山河抄」では、この歌を詠んだ時には二人は年を取り過ぎていた。これは戯歌あるいは儀礼の詠歌だと書いている。しかし蒲生野の風景はこの歌のように今でも美しい。広義の蒲生野は広く、鏡山、雪野山、瓶割山、箕作山、布施山、繖山とやわらかかな稜線を描く山々が、いくつも島のように浮かんでいる。山に囲まれたこの土地では、どこにもかくれ里の趣がある。
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
大原の三千院(2)
【光る君へ】第45話感想考察・あらすじ「はばたき」|賢子が自分の子だと告白された道長は…
甘縄神明神社
大原の三千院(1)
NHK 光る君へ に、ツッコミたい③ 11/24
NHK 光る君へ に、ツッコミたい② 11/24
NHK 光る君へ に、ツッコミたい① 11/24
小野小町ゆかりの随心院(3)能の間~小野小町ゆかりの品々
小野小町ゆかりの随心院(2)小町文塚~榧の大木
小野小町ゆかりの随心院(1)小町の化粧井戸
紫式部の先祖ゆかりの勧修寺
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(2)
【大河ドラマアンコール】篤姫の次は?歴代作品一覧と 2025年以降の予想。
京都文化博物館「近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝14―御堂関白記と源氏物語」
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(1)
主題としては倭人は伽耶人であり、天皇家も伽耶出身の九州王朝からの分派である、とまとめれる思います。古田武彦氏の九州王朝説を採りつつ、朝鮮半島の伽耶が母体のままであり、任那は北の地を意味し倭側の名であるという古田氏の説とは反しています。細部をここで比較することはしませんが、古田氏も「解説にかえて」で著者が日本の学界とは違い”黙殺”ではなく、正々堂々と九州王朝説を論じつつも、細部では異説を唱えられたことについて歓迎の言を述べ、失礼の批言と言いつつ紙上で論説しています。古
率直に、古墳の学術的・文化的価値というものが軽視されているために、戦後、高度経済成長期に破壊されてきた遺跡や古墳の様子を読むと辛くなります。しかし高速道路や工場の建設など、現在その恩恵を私たちが受けていることも事実であり、この問題のより良い解決方法に対し、社会が関心を持ち、多くの人に議論されることを期待します。現在では貧困問題に対しても、社会起業家という方達によって、社会問題の解決を、経済活動からアプローチする取り組みが始められ、その活動に賛同し参加する人達を含めメ
評価:55点/作者:木本雅康/ジャンル:歴史/出版:2008年 『日本史リブレット 69~遺跡からみた古代の駅家』は、山川出版社の日本史シリーズ、「日本史リブ…
大阪の堺の由来は、摂津国、河内国、和泉国の国境であったからと、以前知りましたが、これを疑うのは古代史をやる者の悪い癖でしょうか。ギリシアのヘロドトスの記した「歴史」の中に「ペルシア人はスキタイ人をすべてサカイ人と呼ぶ」という箇所がある。サカイ人の「人」は二重に翻訳されていると思うのだが、大阪の堺の語源はこのサカイであると考えたい。実際日本に来ていたサカイと呼ばれる人が、ヘロドトスが言うサカイかはわからない。匈奴や、塞かもしれない。しかし沖ノ島から出土した金製指輪はス
予備校の講師をされてるだけあって、すごく簡潔でわかり易いというのが、一番の印象です。流れを理解するのにはもってこいの「参考書」です。世界の主な宗教、それにまつわる神話や歴史について一通り書かれています。一番読みたかったのは「ミトラ教」についてですが、こうもあっさりした文で読むと「謎」だと言って普段小難しく考えていることがなんだか可笑しく思えます。インド・ヨーロッパ語族の祖先が祭っていた神がミトラ神であったのです。「ミトラ教」も含め全ての宗教や歴史に対して、よく練られ
短編の中の一つ「兜率天の巡礼」は日ユ同祖論や景教にまつわる話です。物語の中盤で作者は「ここまで書いて、実を言えば語り手は閉口している。(中略)一体どの程度まで正気で閼伽道竜が景教の研究などに凝りはじめたのか、この物語の語りてにも疑問である。」と自身の戸惑いを吐露する一文がはさまれます。にわかに信じがたい、これを信じるのは一種、狂気の沙汰だと。これは日ユ同祖論をやる人が誰しも共感するところではないでしょうか。しかし物語は続いていきます。存在不明の祖先の見えない影を追い
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
前方後円墳の源流は高句麗の積石塚にあるという内容です。高句麗の積石塚には円墳、方墳、前方後円、四隅突出形があり、出雲地域の四隅突出形古墳の原型も高句麗積石塚に歴史を遡れるようです。騎馬民族説の江上波夫氏も「天皇家は高句麗と同じく松花江畔の夫余族」から出たと言っていましたので、高句麗に何らかの関係がありそうです。実際挿絵の測量図を見ても、くびれの確認できる前方後円墳に近い形をしています。森浩一氏が言う、「阿讃積石塚分布圏」の古墳群の中にも積石塚の前方後円墳があり、定型化前の段
今回は「国府台合戦」について解説していきます。 この戦いは「第一次国府台合戦」と「第二次国府台合戦」の2回にかけて行われました。 ※なので、今回はまとめて2つの合戦を解説します。 この合戦はいずれも北条家が勝利し、この戦いによって北条家の勢力図は 上総国(現在の千葉県中部) 下総国(現在の千葉県北部) にまで進出することになりました。 第一次国府台合戦まで まずは第一次国府台合戦が起こるまでを解説していきます。 新勢力、小弓公方の誕生 当時、足利将軍家の分家である「古河公方」が、関東地方で力をふるっていました。 しかし、古河公方に反抗していた真里谷家当主、真里谷信清が さすがに将軍家の一族とは…
しかし、白山城の中島将監は、顔を見せなかったため、信長は、佐久間信盛・蜂屋頼隆・丹羽長秀・羽柴秀吉の四人人に命じて金掘り攻めをさせ、退散させた。しかし、大湊の…
仙台藩の初代藩主である伊達政宗には、「遅れてきた戦国武将」とのの異名もあります。いったい何に遅れたのか?政宗が地元・奥州を固めた(政宗23歳)頃には、既に天下は豊臣秀吉のものになっていたのですから、つまり、政宗はバトルロイヤルが演じられていた「戦国の世」に
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
いよいよ「日ユ同祖論」の本の紹介です。とてつもない大きな謎の一つです。聞くだけで、ワクワクします。興奮します。と言っておきながら私は、「日ユ混交論」という、日本の文化にちょっと影響があったかな、くらいの立場です。信じる方が楽しいですがヤミクモではいけません。この本はあばかれてしまった高貴な人物の墓、高松塚古墳の被葬者が誰かという問いを軸に天皇家とユダヤ人の関係を追うストーリーです。内容の多くはネットにも見受けられるものが大半ですが、その被葬者の母系の一族、胸形氏や猿
中国の太伯と卑弥呼のつながりから、神武東征後の新伊都国までの歴史について書かれています。最近読んだ古代史の中で、私の研究の基本的方針となる本になっています。記録にない神武の姉の名前や、神武の一族と思われる阿蘇の「井氏」の発見などの独自のトピックもあり、研究の後進者として参考になります。三角縁神獣鏡の「景初三年」の続きの銘文について解説され、歴史資料の捉えかたに新たな知見を得た気がしました。字の大きさを含め、文章に読みにくさはありません。伊都国に記紀の地名を探す段は是
これまで日本の古代のをやるのに、朝鮮の王族の名前にあっぷあっぷになり、中国の夏、周王朝で腹を下し気味になったところなのに、もうどうすんの!って話なんですが、「スキタイ」は別腹です。デザート程度につまみ食いしときましょう。NHKの「アイアンロード」は録画し何度も見ていますが、ああやって映像で見せられるとすんなり理解できますね。なるべく視野は広く持っておいた方が躓きません。遊牧民、騎馬民族が文明の外にいたのではなかったことがわかります。もちろん彼らの文明の影響も日本に届いていま
NOTEに掲載していますが、ウェブサイト開設の自己紹介としてブログでも発信してゆきます。ヤマタノオロチ退治は記紀には登場しますが、出雲風土記には登場しません。本当の理由はわかりませんが、基本的に出雲での出来事ではないから書かなかった、書けなかったと言えそうです。佐賀県西部に腰岳と黒髪山という山が隣接してあります。黒髪山には、黒髪神社という肥前最古と言われる神社と「天童岩」という朝鮮半島由来っぽい名前の立派な岩山があります。ヤマタノオロチはコシから来ましたが、腰岳は縄
まず表紙の船形埴輪の写真で、「ジャケ買い」でした。両端の形は剣の柄と蓋(キヌガサ)とわかるものの、中央の石見型といわれるX・Y字の立物に、興味が集中します。同じ三重県に「伊勢」「志摩」地名があるので、私は福岡県糸島市に居たと考える神武天皇や伊都国との関係を想像しています。この本で特に注目する内容が、同じ三重県内にこの船形埴輪と同じ装飾をした船でのお祭りが現在も行われていることです(写真アリ)。もしろん船形埴輪が知られる以前から行われるものだそうです。お祭りの船には前
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:60点/作者:寺崎保広/ジャンル:歴史/出版:2002年 『日本史リブレット06~藤原京の形成』は、山川出版社による、「日本史リブレット」の第6弾。「日…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
今回は「天文法華の乱」について解説していきます。 この戦いは、当時勢いのあった宗教である日蓮宗が起こした、宗教戦争のこと。 この天文法華の乱によって、京都は大部分が焼け、日蓮宗は6年もの間禁じられることになりました。 天文法華の乱まで 天文法華の乱が始まったきっかけは、日蓮宗の勢力拡大にありました。 勢いの増す日蓮宗、潰しにかかる本願寺 当時、京都では日蓮宗が広く信仰され、勢力を拡大させていました。 日蓮/出典Wikipedia 日蓮宗が広く信仰されると困るのは、他の宗教。 日蓮宗ばかり信仰されたら、他の宗教は信じられなくなってしまいます。 なので、迷惑がっていた宗教の1つである浄土真宗(本願…
信長の上洛戦以降、柴田勝家は、織田軍の先鋒を務めることが、多かったが、小谷城の戦いにおいては、木下秀吉が、先鋒を務めている。織田家の譜代の家臣を自認し、勇猛な…
「クジ引き」という行為に対しては、現代人の多くが幸運・不運の判定もどきの受け止めをするものです。それ以外に何がある?このような逆質問に遭遇したところで、これに答えることはおそらく困難でしょう。しかし、これは現代人ならそうなりやすいということであって、少し
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。