在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
逆転編14/もののふの美学となった
歴史人「織田信長と本能寺の変」!令和の新発見で信長像が変わる?信長殺しの動機と黒幕説は?
建勲神社
【信長の合戦】小口城の戦い~犬山城攻略【尾張統一編】
謎解き編38/ハテナに遭遇した境内散策
【歴史年表で追う】信長・秀吉の戦いと政策を比べて覚える
【信長の合戦】村木砦の戦い【尾張統一編】
【歴史年表で追う】室町時代2つの争乱期、南北朝・戦国
しぶとい植物、そして光秀も @フラリエ
【信長の合戦】浮野の戦い【尾張統一編】
【信長の合戦】稲生の戦い【尾張統一編】
【SHN】袴田巌~冤罪で47年間を刑務所で過ごした男性の裁判で無罪が確定しました【姓名判断チャート掲載中】
トンデモ編11/退却殿軍はウラ最前線
【信長の合戦】萱津の戦い【尾張統一編】
【信長の合戦】安食の戦い~清州城奪取【尾張統一編】
戦国時代におけるキリシタン信仰普及の真相を探る ~乱世におけるメシア思想の視点から
【歴史年表で追う】信長・秀吉の戦いと政策を比べて覚える
<伏見城8>城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-北政所が起居した”高台寺圓徳院”や”高台寺”に移築
<伏見城6> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る―御香宮神社の正面”拝殿”の桃山時代風彫刻
<伏見城5> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-伏見城から東本願寺を経て大通寺本堂・広間へ移築
<伏見城> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-重文”西教寺客殿”に残る秀吉の間”帝鑑の間”
<伏見城> 城郭建造物”御殿(居館)”を巡る-国宝”都久夫須麻神社本殿”へ秀吉の日暮御殿を移築
大阪城の紹介!
石田三成ゆかりの地「石田三成出生地」、秀吉との出会い"三献の茶"で知られる「観音寺」
清水
豊臣秀吉没す…一代で栄華を築いた英雄、最後の大舞台「醍醐の花見」
感想:城盗り藤吉郎
<飫肥城> 城郭建造物”御殿(居館含む)”を巡る-詳細に復興された伊東家の”松尾の丸御殿”
【NHK大河】とても放送できない光る君へ…宣教師に「獣より劣ったもの」と書かれた豊臣秀吉の性欲
京都に残る悲劇のあと「聚楽第」「瑞泉寺」!秀吉迷走…悲運の関白・豊臣秀次切腹事件
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
今回は「守山崩れ」について解説していきます。 この守山崩れとは、家臣の阿部正豊がある勘違いをしたせいで、徳川家康の祖父にあたる松平清康が暗殺されてしまった事件です。 この守山崩れによって、松平家の勢力は一気に衰えていき、孫の家康の代まで衰退の時期を過ごすことになりました。 守山崩れまで まずは守山崩れが起こるまでの松平家について解説していきます。 将軍問題で今川家と対立 1493年、京都では「明応の政変」という大きな事件が起こりました。 この明応の政変というのは、細川政元という人物が、将軍を足利義稙(義材)から足利義澄に変えてしまった事件。 ikusa-zukan.com この事件によって、こ…
朝倉軍の中には、踏み止まり、反転して、織田軍を押し戻すなど、果敢に奮闘したが、北庄城主の朝倉景行、当時、十七歳の朝倉道景等の一門衆を含め、山崎吉家・斎藤龍興・…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
20世紀に入って間もなくの1903(明治36)年12月17日のこと、アメリカ合衆国ノースカロナイナ州におけるライト兄弟※の数度にわたる飛行実験は、距離にして250mほど、時間にして1分足らずという「大記録」を打ち立てました。これが「有人動力飛行」、つまり空を飛ぶ機械によっ
今回は「永正の錯乱」について解説していきます。 この永正の錯乱は、暗殺された細川政元の後継者を巡って、 細川澄之 細川澄元 細川高国 の3人の養子が争いました。 そしてこの乱によって、澄元の一族が後継者に決まりますが、畿内は20年間も戦に巻き込まれることになってしまいます。 永正の錯乱 では早速、永正の錯乱を解説していきます。 失脚を恐れて細川政元を暗殺 細川政元が暗殺されたことから、永正の錯乱は始まりました。 この細川政元という人物は、名門である細川家の主流の当主。 将軍の次に偉い「管領」という役職にも、長い間就いていた人物です。 また政元は「明応の政変」を起こし、将軍を変えた実績を持ってお…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
今回は「九頭竜川の戦い」について解説してしまいます。 この戦いは、朝倉宗滴と北陸の本願寺門徒が戦いました。 この戦いで宗滴は、約10000の軍勢で300000(諸説あり)という、前代未聞の大軍を撃破することになります。 九頭竜川の戦いまで まずは九頭竜川の戦いが始まるまでを見ていきましょう。 加賀一向一揆 九頭竜川の戦いが始まったきっかけは、「加賀一向一揆」にありました。 加賀一向一揆とは、簡単に言うと 守護大名の富樫政親に使い捨てられた本願寺門徒が、政親に復讐をした一揆です。 この一揆によって政親は自害したので、この頃は実質的に門徒のトップが加賀国を支配していました。 詳しくはこちらで解説し…
今回は「大物崩れ」について解説していきます。 この戦いは細川晴元と細川高国が、細川家の当主を競って争った戦いです。 この大物崩れでは、高国が有利だったにも関わらず、ある理由で晴元が勝利。 細川家の内乱が決着することになりました。 大物崩れまで 細川家の後継者候補 大敗してピンチの細川高国 浦上家の援護によって巻き返す 前哨戦~中嶋の戦い~ 赤松政佑が援軍に……しかし 大物崩れ 赤松政佑の裏切り 三好元長が連携 挟み撃ちされて総崩れ 細川高国の自害 その後 まとめ 大物崩れまで まずは大物崩れが始まるまでを見ていきましょう。 細川家の後継者候補 細川家の当主である細川政元は、将軍に次いで権力を持…
今回は「寧波の乱」について解説していきます。 この寧波の乱は大内家の謙道宗設という使者が、細川家の鸞岡端佐と宋素卿という使者に対して起こした反乱です。 この反乱によって、大内家は細川家との外交戦に勝利、大内家は日本と明の貿易の主導権を握ることになりました。 寧波の乱まで まずは寧波の乱が起こるまでを見ていきましょう。 日明貿易(勘合貿易)とは 日本と明(中国)との間には、寧波の乱よりも100年以上前から「日明貿易」という貿易がされていました。 この日明貿易というのは、勘合という 僕たちは乗っている船は正式な貿易船ですよ と確認する証明書を使った貿易のことをいいます。 勘合の例図/出典Wikip…
今回は「三浦の乱」について解説していきます。 三浦の乱は恒居倭人と呼ばれる日本人が、朝鮮国に対して起こした反乱です。 この三浦の乱によって日本と朝鮮国は仲が悪くなり、国交を中断することになりました。 三浦の乱まで まずは三浦の乱が始まったきっかけから見ていきましょう。 倭寇をきっかけに始まった通交 三浦の乱が始まるまで、日本と朝鮮国は「倭寇」という存在よって、お互い連絡を取り合ったり、貿易をしたりしていました。 倭寇/出典Wikipedia この倭寇というのは、各地の沿岸で略奪行為をしていた人達のことで、簡単に言えば日本人の海賊(後に日本人が少なくなりますが)です。 そして朝鮮半島にも倭寇がや…
信長の近江侵攻に対して、浅井長政は、5千人の軍勢で、小谷城に籠城し、朝倉義景は、家中の反対を押し切ると、自身、2万の軍を率いて、長政救援のため、余呉に本陣を敷…
まだ「中学生」の年齢で亡くなった第七代将軍・徳川家継(1709-1716年)の後の第八代将軍の座に就いたのが、御三家・紀州出身の徳川吉宗(1684-1751年)でした。将軍本家に、後継将軍に相応しい人材がいなかったことによるものです。幸いなことに、この吉宗には後に成って「
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
今回は「明応の政変」について解説していきます。 この政変は細川政元が中心となって行われたクーデターです。 この政変によって、将軍の足利義稙(義材)が退位させられ、代わりに足利義澄(義遐)が将軍の座に着くことになりました。 明応の政変まで ようやく決まった将軍が若死 後継決めで幕府が2つに 義稙に対立した伊勢貞宗が辞任 将軍の住まいをあげて義視が激怒 義稙に決まるも…父が病死 権威を高めるため親征 順調に進む畠山基家の征伐 裏で企む細川政元 明応の政変 クーデター勃発 勝利寸前から圧倒的不利に 朝廷も仕方なくクーデターを認める 政長の希望、紀伊国からの援軍 最後の抵抗 その後 まとめ 明応の政変…
今回は「山城国一揆」について解説していきます。 この一揆は山城国の国人と農民が、畠山家に向けて起こした一揆です。 この一揆によって名門の畠山家は、山城国から追い出されてしまいます。 そして山城国は8年の間、国人や農民が自治をする「惣国」となっていきました。 山城国一揆まで 畠山家の後継争いで大迷惑 山城国一揆 畠山家への不満が爆発 幕府も見て見ぬふり 鎮めるため伊勢貞陸を派遣 仲間割れした隙を着く その後 まとめ 山城国一揆まで まずは山城国一揆が起こったきっかけから解説していきます。 畠山家の後継争いで大迷惑 山城国一揆は、名門の畠山家の内紛がきっかけとなって起こります。 当時、畠山家は畠山…
今回は、「加賀一向一揆」について解説していきます。 この一揆は、加賀の本願寺門徒によって起こりました。 約100年続いたこの一揆は、最後には織田信長の家臣、佐久間盛政によって鎮められます。 加賀一向一揆まで 守護大名の争いに絡んだ蓮如 用済みの門徒を追い出す 加賀一向一揆 国人と結託し復讐 数々の戦いで衰える勢い 織田信長による鎮圧 その後 まとめ 加賀一向一揆まで 守護大名の争いに絡んだ蓮如 この100年も続く一揆の起こったきっかけは、1つの内紛にありました。 この時加賀国を支配していた富樫家には、応仁の乱によって兄弟が敵対し、後継者を決めるため争っていたのです。 後継者を巡って争う富樫家 …
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
なお、下京が、作成した、矢銭の献金予定リスト、「下京出入之帳)には、信長個人へ、献上する銀二百五十枚に続き、柴田勝家個人とその配下に合計銀百九十枚枚を送ること…
なんだかんだと言っても、戦国時代の人物相関には大変ややこしいものがあります。たとえば以下の内容がその通りで、この説明を分かりやすいと感じる人は、やはり少数派でしょう。~ええか、よく聞け!話は戦国時代だ。 毛利元就※1の実子が次男・吉川元春※2と三男・小早
またトランプ大統領による独特の言い回しが出てまいりました。 headlines.yahoo.co.jp 個人的にはトランプ大統領について特別な感情は持っておりません。 しかし、太平洋戦争(大東亜戦争)については、一日本人としてそれなりに意見をもっていますので、コロナウイルスを「真珠湾攻撃よりひどい」とする発言は受け入れ難いものがあります。 そこで今回は、アメリカと日本の戦争、いわゆる太平洋戦争についてなるべく分かりやすくかつなるべく客観的に検証してみようと思います。 なお、一定の信憑性、及び論争のある点については、双方の意見を記載しているという点でWikipediaを主にソースとさせて頂くこと…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
今回は「小田原征伐」について解説していきます。 この戦いは豊臣秀吉と北条氏政が戦いました。 秀吉はこの戦いで天下統一を達成し、氏政は切腹することになります。 小田原征伐はこんな戦い! 小田原征伐まで 名胡桃城を騙して盗る 小田原征伐 豊臣本軍の動向 山中城での戦い~徳川家康VS北条氏勝 その後の家康軍 韮山城での戦い~織田信雄VS北条氏規 下田城での戦い~豊臣秀長VS清水康英 北方軍の動向 松井田城での戦い~前田利家VS大道寺政繁 鉢形城での戦い~前田利家VS北条氏邦 八王子城での戦い~前田利家VS横地監物 別働隊の動向 玉縄城での戦い~本多忠勝VS北条氏勝 岩槻城での戦い~浅野長政VS伊達房…
【幻想的✨】夜の用作公園の紅葉ライトアップにうっとり♪ in 大分県豊後大野市2024
【美しい✨】用作公園の紅葉×モデルかすみん♪ in 大分県豊後大野市2024【ポトレ撮影会】
【ありがとう✨】Thanks Tシャツ、こちらこそ感謝✨地元の同級生は生き続ける【大分】
【元気だね!】豊後大野かるたで、ものしりを目指そう!新田小学校で先生になる大分の親方2024
【気合♨】松尾神楽の湯立神楽2024は迫力あり! in 大分県豊後大野市【祭り】
【ハロウィン】好きを極める!|38歳の誕生日を迎える大分の親方、レベルアップへ!
【衆院選2024】あなたの一票を大切に✨|衆議院議員総選挙、私も投票 in 大分県豊後大野市
昭和の雰囲気漂う食堂「ごはん屋 山ちゃん」(豊後大野市緒方町)
【きれい✨】中秋の名月にほっこりしませんか? in 大分県豊後大野市【十五夜 満月】
「”働く力めし” 農村ダイナー」(豊後大野市大野町)
【祭り 大分】激しく勇壮!柴山俚楽(柴山神楽)が舞う|菅尾石仏火祭り2024 in 豊後大野市
【大分】コケコッコー!にわとり&ファイヤー!柱松|「菅尾石仏火祭り」 in 豊後大野市
【美女✨】モデルかすみんは、大分県豊後大野市に舞い降りた天使 in 沈堕の滝ポトレ撮影会
【大好き♪】大分「はなぶさのからあげ」は、秘伝のたれで美味しいごちそう♪ in 豊後大野市
カレー屋さん🍛”アラマンダ”に行ってきました。
今回は「八王子城の戦い」について解説していきます。 この八王子城の戦いは上杉景勝や前田利家や真田昌幸と、横地監物が戦いました。 この八王子城の戦いは、小田原征伐で最も激しい戦いといわれ、両軍ともに大きな被害を受けることになりました。 八王子城はこんな戦い! 八王子城の戦いまで 小田原征伐 八王子城の戦い 旧北条家臣を先鋒に 死闘を繰り広げる 落城、壮絶な戦死 その後 まとめ 八王子城はこんな戦い! 八王子城の戦いを表でまとめました。 八王子城の戦い 期間 1590年6月23日 戦場 八王子城(東京都八王子市) 交戦勢力 豊臣家 北条家 主な武将 上杉景勝、前田利家、真田昌幸 横井監物 戦争理由…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
今回は「忍城の戦い」について解説していきます。 成田長親は苦戦を強いられますが忍城を守りきり、忍城は本城の小田原城が開城するまで守りきった唯一の城となりました。 忍城の戦いってどんな戦い? 忍城の戦いまで 小田原征伐 忍城の戦い 沼と川に囲まれた堅城 水攻めでピンチに 沈没を阻止 次々と援軍が参戦 先に小田原城が陥落 その後 まとめ 忍城の戦いってどんな戦い? 初めに忍城の戦いとはどんなものなのか、表でまとめました。 忍城の戦い 期間 1590年6月16日~7月16日 戦場 忍城(埼玉県行田市) 交戦勢力 豊臣家 成田家 主な武将 石田三成 成田長親 戦争理由 豊臣秀吉の命令に従わないため 兵…
今回は、「石垣原の戦い」について解説していきたいと思います。 この石垣原の戦いは、黒田官兵衛と大友義統が戦いました。 この石垣原の戦いによって官兵衛は、天下統一への足がかりをつかみますが、それから領土を拡大することは叶いませんでした。 この記事でわかること 石垣原の戦いが始まるまで 石垣原の戦いの経過 石垣原の戦いのその後 当時の情勢 この当時、全国で大きく二つの勢力に別れていました。 それは、徳川家康をリーダーとする東軍と、 石田三成を(実質)リーダーとする西軍でした。 全国のあらゆる勢力は、東軍と西軍どちらにつくのか分かれることになったのですが、どちらにもつかないものもいました。 その一人…
今回は、「豊前国人一揆」について解説していきたいと思います。 この豊前国人一揆は、城井鎮房と黒田長政が戦い引き分けに終わりました。 この豊前国人一揆では、鎮房の奮戦により引き分けとなりますが、その後は城井一族は滅亡寸前にまで追い込まれることになります…… この記事でわかること 豊前国人一揆が起こるまで 豊前国人一揆とは何なのか どのように豊前国人一揆が終わったか 当時の情勢 戦国時代の後期、九州地方ほとんどを島津家が支配していました。 しかし、その頃本州をほとんど統一していた豊臣秀吉の怒りを買い、秀吉に一大決戦を挑みますが負けてしまいます。 その後、島津家は元の領地(薩摩国、大隅国、日向国の一…
3月11日、高山友照に斬られた、高槻城主の和田惟長が、三淵藤英の伏見城に逃げ込む、事件が起きている。1573年(元亀四年)3月25日、信長は、足利義昭の兵を討…
今は昔の昭和時代。日本とアメリカとの間で起きた、いわゆる「太平洋戦争」(1941-1945年)において、アメリカは戦争遂行もさりながら、終戦後に必要とされるであろう「日本占領統治」の研究・準備をかなり早い段階から進めていました。「近い将来の敗戦国」である日本に対し
前述の通り、本作は、武士の時代以外を描いた、そして、主人公が、武士、政治家等ではなく、スポーツ選手という、大河ドラマ史上、稀に見る、試みであった。しかし、全話…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
しかし、田畑は、聖火リレーの最終ランナーが、金栗が、日本人初のオリンピック選手とはいえ、「爺さんでは、つまらん」と、金栗を採用しなかった。そして、聖火の最終ラ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
信長は、戦後処理を明智光秀に任せると、翌日の13日、午前9時頃に精鋭の馬廻り衆を従えて、比叡山を出立、上洛していった。その後、三宅・金森の戦いにおいて、近江国…
~親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど 死にたくも無し~こんな六つの「無」を嘆いて、自ら六無斎(ろくむさい)と号した人物が林子平(1738-1793年)です。 今でいうトップクラスの「有識者」に当たるのでしょうか、「寛政の三奇人」の一人にも挙げられている優
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。