在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
武道と清和源氏:八幡太郎義家と多田神社の歴史
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百弐拾参
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】六拾八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 113.徳川家康・百壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 112.徳川家康・百
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 111.徳川家康・九十九
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 110.徳川家康・九十八
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 109.徳川家康・九十七
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 108.徳川家康・九十六
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 107.徳川家康・九十五
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 106.徳川家康・九十四
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 105.徳川家康・九十参
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 104.徳川家康・九十弐
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 103.徳川家康・九十壱
【清和源氏】編『新田一族』章「徳川氏」節 102.徳川家康・九十
<松山城(3)>の”城門”を巡るー”天守内曲輪”へのルート途上の重文”三の門””仕切門”
<松山城(2)>の”城門”を巡るー”本壇”入口の枡形を形成する重文”一の門・二の門”
<松山城(1)>の”城門”を巡るー数多くの”城門”の中でまずは重文の3基 戸無門、隠門、紫竹門
<今治城>の”城門”を巡るー山里櫓併設の山里門櫓門と対の”山里門高麗門”
<小松陣屋>の”城門”を巡るー陣屋ながらも多くの城門が移築されて残ります
<西条陣屋>の”城門”を巡るー紀州藩支藩で御家門の陣屋大手門と、中・広敷門も移築などで現存する
<丸亀城>の”城門”を巡るー”大手二の門”と”御殿表門”が重文で健在の城門
<高松城(後編)>の”城門”を巡るー旧大手口には旭門、桝形内には鉄格子が嵌る埋門が見られる
ぐっときた。
<高松城(前編)>の”城門”を巡るー重文”着見櫓”群に挟まれた”水手御門”、海水を取込む”水門”
<徳島城>の”城門”を巡るー戦前まで残っていたが戦火で焼失、その後復元された”鷲の門”
<山口城>の”城門”を巡るー第二次長州征伐、倒幕運動の軍事・政治拠点として活用されたお城
<萩城(後編)>の”城門”を巡るー堀内には多数の重臣屋敷門が見られタイムスリップができる
<萩城(中編)>の”城門”を巡るー藩校”明倫館”に残る藩校門と聖廟門、聚楽第→萩城経由の移築門
長野旅2日目② 松本市と言えば・・・
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
親鸞上人の奥方 玉日姫と九条関白兼実の旧跡~先日、力餅さんで休憩した後、駅に向かい歩き出すと、通り道の西岸寺さんのお庭が門からチラりと見えた。何とも涼し気なつ…
YouTubeから動画を拝借。むかしむかしの映像ですが…この時代を生きた人たちにとっては普通だった事も、この時代から未来の人間が見て「いいな」と思う。今ほど豊かではないのかも知れないけれど、人間の心の豊かさと暖かさはきっと今以上にあったんだろうなって想像出来る。東京の昔の映像※「Final A」さんのチャンネル。↑時代は1913〜1915年だそうです。音声などは恐らく後付けのものと思われる。カメラが珍しいのかみんなこっち...
土浦城に続いて、茨城の百名城は水戸城です。 1回目に来たときは大手門の復元工事真っ最中で、二の丸は完全に工事現場でしたが、復元工事が終わってから再訪すると全く印象は変わりました。 跡地はほとんど学校になっていますが、それでも徳川御三家の城ですから、隠し切れない格式が感じられますよ。 お城:水戸城 茨城県水戸市HP:水戸城跡 « 水戸市の観光情報サイト「水戸旅」【公式】水戸観光コンベンション協会訪問日:2018年10月、2021年4月 概要 訪問記 水戸駅~大手門 二の丸~薬医門 本丸・薬医門 概要 1193年、馬場資幹が源頼朝から大掾に任命され、居館を築いたのが始まりです。 1427年に馬場大…
先週Aちゃんが新メニューに挑戦して、チキン胸肉と夏野菜のリゾットを作りました!チキンと野菜の旨みたっぷりで、とっても美味♪ 食べる直前にパルメザンチーズと...
前回は補遺を1回挟む格好になってしまいましたが、改めて「その3」に続き、「七湯の枝折」の「禽獣類」に記された野鳥や獣を検討します。今回は、「山鴫」について見ていきます。3. 山鴫(やましぎ)「水谷禽譜」より「ヤマシギ」脚がやや短く頭が少し大きい特徴を書いており絵もある程度それに倣ったものになっている頭部の斑も数は異なる様だが反映されている(「国立国会図書館デジタルコレクション」より)ドイツの鳥類学者ヨ...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
8月3日 豊臣秀頼が大坂城で生まれます。 (天下人・豊臣秀吉の息子) 豊臣秀頼は、百姓のせがれから天下人に成り上がった豊臣秀吉の息子です。 豊臣秀吉が天下統一を果たした1590年から3年たった1593年8月3日に、 秀吉57歳の時の子として大坂城で誕生しました。 母親は秀吉が使えていた織田信長の妹であるお市の方の長女の茶々=淀君です。 ( 秀頼の人生) 豊臣秀頼は、1598年8月に父・豊臣秀吉が死ぬと6歳で跡を継ぎます。 この時、秀吉は「秀頼を頼む」と言い残しますが、秀吉が死んでしまうと当然のように徳川家康がこの約束を破っていきます。 1600年、秀頼8歳の時に起きた関ヶ原の戦いの後、徳川家康…
藤森を訪れた日に、ランチも中途半端な時間になってしまい、いつもならパンを買って帰るけど、暑さでバテ気味で、涼しいとこで休憩したくて、力餅さんへ寄った。かなり久…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
★今回の撮影および資料提供に関して、大膳自治区会の皆様にご協力を頂きました。 皆様、本当にありがとうございました。 「野辺今から体当り」 「このままでは爆撃を受け北九州の街が破壊される。それを阻止するために今から敵機に体当たりします!!」 自らの命と引き換えに故郷の街を空襲から守ってくれた飛行隊員に対し、 地元の方々が感謝の気持ちを忘れずに毎年開催している慰霊祭があります。 今回、その慰霊祭に参加させていただきました。 (体当たりで街を守る) 1944年(昭和19年)8月20日早朝、中国四川省成都を発進したB29重爆撃機が、北九州の八幡製鉄所などの軍需工業を攻撃目標として飛来します。 「敵機襲…
今日はAちゃん&チビーズと一緒にヨークへ行って、ほぼ1日中そこで遊んできました!というのもパパさんは彼の弟カップル&母親と一緒に、プロのクリケット試合観戦...
ピザハットで腹ごしらえした後は、またもやチビーズのあり余るエネルギー消費に勤しみました!でも土曜日は天気がイマイチな予報だったので、外遊びだけじゃ雨で中断...
所用で、藤森の近くへ行った際に駅に向かいつつ、駅前のこちらのお寺を通りかかった。 西休寺~法然上人により承安5年(1175)開宗された「浄土宗」のお寺で、慶長…
2021年(令和3年)7月23日から東京五輪が始まっています。 さて、日本人の五輪初金メダルはいつだったのか振り返ってみます。 (アムステルダム五輪で日本初の金メダル) それは、1928年(昭和3年)にオランダのアムステルダムで行われた五輪です。 8月2日、陸上三段跳びに出場した織田幹雄が優勝し、日本人初の五輪での金メダルの獲得となりました。 アムステルダム大会は1928年(昭和3年)の7月28日から8月12日まで開催され、46ヶ国から2694人の選手が参加し16競技119種目が実施されました。 日本は五輪に4度目の出場で、陸上、水泳など6競技に43選手(うち女子1)が出場しました。その結果、…
1972年(昭和47年)8月2日、電卓が発表されます。 (カシオミニ衝撃の登場) カシオ電機が、この日、世界で初めての個人用電卓「カシオミニ」を発表し、 翌3日から発売します。 おっさんは、「カシオミニ」の登場を強烈に覚えています。 TVから流れてくる女性の声の ♪答え 一発 カシオ~ミニ という CMソング。 今でも最初から最後まで覚えていて、自然に口から出てきます。 そして、当時小学生だった人にはご記憶にあると思いますが、あの時期、算数の時間はやたら計算が多く、足し算引き算掛け算割り算の四則混合の計算式が毎日宿題でたくさん出されていて、うんざりしていました。 おっさんは電卓などないので、1…
ナポレオンは、ダヴー元帥の副官、トロブリアンからアウエルシュタットの戦いの報告を受けると、当初は、その内容を信じなかった。 ダヴー元帥は、極度の近眼であった…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。