在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
想いの力と言霊の力
【期間限定:年末まで】セルフコーチング講座、募集します。
お悩み相談の本質はエッセイである
課題の分離は、利己的な考え方?
【認知の歪み】拡大(過小)解釈とは?極端な解釈がもたらす影響と改善方法
比較すること (24/11月 テンセン)
【認知の歪み】心のフィルターとは?ネガティブな視点が引き起こす影響と改善方法
ストレス解消。ワーッと話すと、スッキリしますよね?
ある経営者の兄弟 (下)
【認知の歪み】レッテル貼りとは?決めつけがもたらす影響と改善方法
姓に対する価値観の違いなのかしら。「夫婦別姓」で思い出したこと。
豊中市民健康展の準備
【認知の歪み】「すべき思考」に囚われるとどうなる?日常に潜むプレッシャーとその解消法
高次元の宇宙人
【認知の歪み】全か無か思考とは?完璧主義がもたらす問題と改善方法
19日華子さま世界文化賞受賞式典 20日今上雅子さま受賞者と懇談
セット売りは怖い?・・・佳子さま愛子さま二人連れ
11月第4週 18日~24日 ご予定
11月11日~17日 天皇皇后 ご動静
16日 百合子さまお舟入り(2)主に映像
16日 百合子さまお舟入り(1)主に資料
【三笠宮妃百合子さま ご逝去】(2)
101歳、三笠宮崇仁親王妃殿下百合子さま ご逝去
ネットで話題のアレコレ、、どんなに上手に隠しても
【朗報】なれどモヤっと・・12日 鴨場接待復活が発表される
天皇皇后 10月28日~11月3日のご動静、11月4日~11月10日のご動静
10日 今上、雅子さま 全国豊かな海づくり大会式典、稚魚放流
9日 今上、雅子さま 大分県開催「第43回豊かな海づくり大会」へ
8日 彬子さま急遽英国から帰国
やはり一人では無理?・・園遊会と茶会の愛子さま
主君・織田信長(1534-1582年)が謀反に倒れた後の天下を掌握したのは、信長の家臣であった羽柴秀吉(1537-1598年)でした。権謀術数の限りを尽くして、織田家の血統を出し抜き、敵対する勢力を滅ぼし、あるいは臣従させた結果です。ところが、ここまでの既成事実を作れば、
『コンスタンティヌスの寄進状』の内容は、次の通りである。コンスタンティヌス大帝は、ハンセン病を患っていたが、ローマ教皇シルヴェステル1世の洗礼を受けた後に治癒…
評価:75点/作者:岩井淳/ジャンル:歴史/出版:2010年 『世界史リブレット115~ピューリタン革命と複合国家』は、山川出版社の歴史シリーズ、「世界史リブ…
1799年11月9日、革命暦八年ブリュメール18日、「運命の日」が、訪れた。元老院は、午前7時~8時頃、突如、招集され、リュシアンは、祖国と自由に対する、陰謀…
織田信長は、1549年(天文十八年)、父の信秀が、存命中の十七歳の年、美濃国の国主、斎藤道三の娘、濃姫を正室に迎えていた。隣国の美濃国の支配者、舅の斉藤道三の…
二度にわたる大陸から我が国への侵攻、その一度目を「文永の役」(1274年)、そして二度目を「弘安の役」(1281年)と呼ぶ、いわゆる「元寇」では、実は日本側は元側の攻撃を跳ね返しています。元側を撤退に追い込んだということです。そして、通説に従えば、この元軍撤退の
カールは、一年以上、悩み続けたに違いない。マインツにおいて、皇帝の称号を受ける、決断を下したが、なお、逡巡したため、ローマに直行せず、イタリアの諸都市を巡った…
1794年のテルミドール9日のクーデターの後、ナポレオンは、オーギュスタンの知遇を得ていたため、ニース近郊の牢獄に入れられたが、一週間後に釈放された。リュシア…
織田信行は、兄の信長ではなく、自分こそ、弾正忠家の当主に相応しいと考えていたが、実際に、信長の排除に動いたのは、父の信秀の死の五年後、1556年(弘治二年)で…
戦国時代の武将・織田信長(1534-1582年)が推進した政策、「楽市楽座」と「兵農分離」はセットで説明されることが多い印象で、要するに、「楽市楽座」政策が生み出した資金を「兵農分離」政策の推進に回したとする説明です。もっとも、「楽市楽座」自体は信長オリジナルの政
パリを通って、アーヘンに帰還した、カールは、同年8月、マインツに重臣達を集めた。カールは、会議において、四方に渡って、フランク王国の領土が、安泰であることを知…
民衆の絶大な人気を誇る、野心家の軍人、ナポレオンと、革命の第一人者を自負する、実務派の法律家、アベ・シェイエス。クーデターの成功には、互いの協力を必要としたが…
柴田勝家は、若い頃から、織田信秀に仕え、1551年(天文二十年)、信秀の死の頃には、信秀の重鎮の一人であったと言われる。織田信秀の死後、十八歳の嫡男、信長が、…
日本の歴史は、江戸時代(1603-1868年)から明治時代(1868-1912年)へと移りましたが、ここでは一般的にこんな評価が残っているようです。~江戸時代は暗黒、その暗黒を打ち破ったのが明治時代~つまり、露骨に言えば、江戸幕府は悪の存在であり、その悪を打ち倒した明治新
カールは、この時、ローマには、同行せず、バーダーホルンに留まった。同年11月19日、レオ及び、フランク王国の特使団の一行は、テヴェレ川に架かる、ミルィウス橋に…
1799年10月16日、ナポレオンのパリへの帰還は、フランスの都の民衆を熱狂させた。ナポレオンは、エジプトに遠征軍を置き去りにして、敵前逃亡したのであるが、そ…
足利泰氏の長男、足利家氏を祖とする、斯波一族は、室町幕府の三管領家の一つである、斯波武衛家、奥州管領家の大崎氏、羽州探題家の最上氏等、室町幕府の名門を輩出した…
「関ヶ原の戦い」(1600年)で、徳川家康(1543-1616年)率いる徳川連合軍に惨敗した豊臣方、つまり秀吉側室の淀殿(1569?-1615年)とその息子である秀頼(1593-1615年)は、その後なんと15年もの間、宿敵・家康に頭を下げることを頑なに拒み続けました。その後の「大坂の陣
799年7月、都市ローマを脱出し、スポレートへと逃げ延びた、ローマ教皇レオ3世が、バーダーホルンのカールの宮廷を訪れた。前代の教皇、ハドリアヌス1世が、カール…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。