在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
湧き上がる雲☁️… “やくも立つ(出雲)”…を思い出し…
初詣~出雲神話のつながりと今年初外食
出雲大社【出雲大社の歴史・ご利益・参拝方法・アクセス情報】
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 10 揖屋神社
春の島根ひとり旅12 - 稲佐の浜と弁天島
出雲国風土記 飯石郡 『狭長社(狭長神社)』
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『釜石』
あの世とこの世の境界線~出雲国風土記 意宇郡 『伊布夜社(揖夜神社)』と黄泉比良坂
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『尾留大明神旧社地』
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 9 平濱八幡宮
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 7 玉作湯神社
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 6 須佐大宮(神社)と天照社
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 4 須佐大宮(神社)
霊的考古学(その2):古代出雲人の祭祀心理
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 番外編
四国霊場第三十八番札所・金剛福寺の境内に入りました。 境内に入ってすぐに目につくのがウミガメの像です。 四国霊場中、境内でカメ像が見られるのは、そんなに多く…
こんばんは。tsuneです。 会津三十三観音巡りに続き今回からは「会津七福神巡り」について書いて行こうと思います。 会津七福神とは? 七福神とは「幸福、冨、長命」など福徳の願いごとを象徴している七柱の神です。 室町時代、応仁の乱などで疲弊した民衆から福の神の信仰として発祥したとされています。江戸期に入って財物を恵み、福運をもたらす神として庶民の間に広まり隆盛をみました。会津においても一般民衆に根をはって信仰されていたが、戊辰戦争での荒廃と、明治の廃仏毀釈によって姿を消したが、復興されたそうです。 現在の「会津七福神」は、昭和62年(1987年)に旧会津領の6寺1社で発足しました。 弁財天(辯財…
四国霊場第三十八番札所・金剛福寺は足摺岬の突端のすぐ近くにあり、ほとんど海に面しているといっていい状態です。 仁王門の前に道路があり、その向かいが御土産店…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
愛媛県宇和島市の中心部から愛南町御荘までの距離が長いので、御荘から高知県宿毛市の中心部までの距離が短く感じます。 土佐くろしお鉄道の終着駅・宿毛駅までバスで…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
目次 朝の岐阜駅前 柳ケ瀬商店街 楽市楽座発祥の地 橿森神社 江戸に鮎を運んだ御鮨街道 伊奈波神社を参拝 岐阜のシンボル金華山 けっこう険しい登山道 岐阜城とその内部 古い町並み残る川原町 岐阜シティータワー43 問屋町を散策 朝の岐阜駅前 岐阜は夜に雨が降り若干涼しい朝を迎えました。 駅前広場の金の織田信長像。右手に火縄銃、左手に西洋兜。今日は織田信長の居城でもあった岐阜城がある金華山に登ります。 麓の岐阜公園まで途中寄り道しながら歩いて向かいます。 柳ケ瀬商店街 岐阜の繁華街と言えば柳ケ瀬。柳ケ瀬と言えば柳ケ瀬ブルース。 youtu.be まだ朝8時半ということもありますが、人通りは少ない…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。