在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
飛山城史跡公園を散策
<多田銀銅山代官所>の”城門”を巡るー多田源氏、豊臣秀吉、江戸幕府の財源となった銀銅山
<白木陣屋>の”城門”を巡るー石川家本領の飛び地に築かれた陣屋の陣屋門が残る
【道の駅】愛知県愛西市 4/25RENEWAL OPENした「ふれあいの里HASUパーク」へ!
<狭山陣屋>の”城門”を巡るー小田原攻めで滅亡した北条家が大阪狭山で無城大名として復活
<麻田陣屋(後編)>の”城門”を巡るー出格子窓がある番所を構える長屋門が民家へ移築など
<麻田陣屋(前編)>の”城門”を巡るー青木家の陣屋から移築門が各所に点在
<池田城>の”城門”を巡るー城跡公園として整備され天守風建築と共に多数の城門が建つ
【酒々井町&佐倉市】本佐倉城跡【当時は鯉のぼりがありました】
信越お城巡りの旅
<大坂城(後編)>の”城門”を巡るーエッゲンベルグ城で見つかった屏風に載る豊臣期大坂城唐門
<大坂城(中編)>の”城門”を巡るー西の丸庭園の管理門ながらも非常に立派に再建された城門
<大坂城(前編)>の”城門”を巡るー大手門と桜門の各々を構成する重要文化財”高麗門”
<地黄城・陣屋>の”城門”を巡るー城主”能勢家”の菩提寺”清普寺山門”には能勢家家紋付き
<茨木城>の”城門”を巡るー豊臣秀頼・淀殿と袂を分けた片桐且元の居城の搦手門が残る
「その1」のつづきです。細川ガラシャの隠棲地と伝わる味土野女城跡にやってきました。 明智光秀の三女(もしくは次女)・たま(珠、玉、玉子)として、永禄6年(...
丹後宮津城跡から北へ直線距離で約15km、丹後半島のほぼど真ん中に、味土野という小字があります。ここは、戦国の世の悲劇の女性・細川ガラシャが、父・明智光秀...
「その1」では、明智光秀の首が晒された場所に近い京都市内東山の粟田口にある光秀の首塚、「その2」では、光秀ゆかりの亀岡市内にある谷性寺の首塚をめぐってきま...
「その1」では、京都市内東山の粟田口にある明智光秀の首塚を訪ねましたが、京都府亀岡市にある谷性寺にも、光秀の首塚が伝わっています。 谷性寺の創建は古く、平...
本能寺の変で主君・織田信長を討ったあと、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、自身の居城である坂本城小栗栖の藪に落ち延びる途中、小栗栖の藪で土民の竹槍に刺されて落命...
「歴史は勝者が書く勝者の歴史である」といわれます。いつの時代も、勝者は自身の足跡を正当化するため、必ずといっていいほど敗者を貶めます。そのため、敗者は実像...
いよいよ最終回、本能寺の変ですね。 安土城での徳川家康の饗応役を解かれた明智光秀は、備中で毛利軍と対峙している羽柴秀吉軍の援軍として出陣するよう織田信長...
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が次回で最終回をむかえ、本能寺の変が描かれます。歴史好きな人はもちろん、歴史にそれほど興味がない人でも、日本人なら誰もが知っ...
「その2」のつづきです。 天正10年(1582年)2月、甲斐武田征伐に乗り出した織田信長は、同年3月11日、甲州の天目山において武田勝頼を自刃に追い込み...
「その1」のつづきです。 丹波国と丹後国を平定した明智光秀と細川藤孝に対して、織田信長は、その功によって光秀に丹波国、藤孝に丹後国を領地として与えます。...
今回、天正7年(1579年)6月から本能寺の変の直前の天正10年(1582年)5月まで、一気に時代が3年も過ぎちゃいました。この間、明智光秀が関係した重...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。