在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
御座松塚跡(東京都稲城市)を訪問しました
白山神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
籠口ノ池(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました。
王禅寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました②
戒翁寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
江の島燈籠2023(神奈川県藤沢市)を訪問しました
新橋駅SL広場(東京都港区)を訪問しました
新宿諏訪神社(東京都新宿区)を訪問しました
玄国寺(東京都新宿区)を訪問しました
大林寺(長野県長野市松代町)を訪問しました
宗忠寺(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
長王寺(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
福聚院(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
池辺杉山神社(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
観音寺阿弥陀堂(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
「その3」で紹介した旧大村邸長屋門のある大手川ふれあい広場に、戦国の世の悲劇の女性・細川ガラシャ像があります。その向こうには、カトリック宮津教会がみえます...
宮津城跡から大手川を挟んで西側対岸の大手川ふれあい広場に、古い長屋門が残されています。これは、旧宮津藩士・大村政智の邸の門だそうです。 説明板によると、こ...
足利政氏館/甘棠院(あしかがまさうじやかた/かんとういん)創建年 永正16年(1519年)開基 足利政氏、貞巖(開山)二代目古河公方・足利政氏の館。政氏は息子の高基と対立し、出家した後にこの館を建て、高基と和解してからもこの地で過ごした。(所在地:埼玉県久喜市本町七丁目2-8)足利政氏館ギャラリー(2016夏)埼玉県久喜市にある、二代目古河公方・足利政氏の館跡の甘棠院にやってきました。足利政氏館跡及び墓 永安山...
鷲宮神社の境内にある絵馬掛所。…遠くからでも楽しげな感じが伝わってきます(笑)「あの花」のめんまがいました♪鷲宮神社はどちらかというと「らき☆すた」の聖地なのですが、KEIは「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」のファンなのでどうしてもそちらに目がいっちゃいます(笑)あぁ、、KEIの推しのあなるも!……願い事を祈願するとき、神社に奉納する絵馬。今のKEIの願いはこのあなるの絵馬が欲しいです(笑)…定林寺...
鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)主祭神 天穂日命 武夷鳥命 大己貴命由緒は神代の昔に、天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命)を建てて奉祀したのに始まり、次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿である。(鷲宮神社HPより)(所在地:埼玉県久喜市鷲宮一丁目6番1号)鷲宮神社ギャラリー(2016夏)アニメファンの間で「...
宮津城跡の縄張り内を歩いていると、玉垣に囲われた小さな神社の中に、「一色義清自刃の処」と書かれた看板が目に入りました。一色義清とは、いかなる人物でしょうか...
日本三景のひとつとして有名な天橋立がある京丹後の宮津は、かつて丹後国の中心地として国府が置かれ、室町時代には守護大名の一色氏が本拠地として、いたるところに...
「その1」のつづきです。下の写真は弓木城跡主郭南側の巨大竪堀。 巨大過ぎて圧倒されます。 主郭南側の曲輪に降りてきました。 主郭南側一段下曲輪から見上げた...
日本三景のひとつとして有名な天橋立から直線距離で6kmほど北西に、かつて弓木城がありました。弓木城は、天正7年(1579年)、織田信長の命を受けた細川藤孝...
八ッ橋:岩槻城址公園の池にはこの公園の象徴である、朱塗りの八ッ橋が架かっています。この写真ではわかりにくいですが、ジグザグに8回曲がっている特徴的な橋です。…春にだけ「埼玉限定 生八ッ橋桜花」が発売されていたそうですが、今はもうないのかな??検索しても昔の記事しか出てこないので。。特急電車1720系先頭車(1726):この車両は1994年に旧・岩槻市の市制施行40周年を記念して、東武鉄道から寄贈されたそうです。車...
岩槻城(いわつきじょう)県指定史跡(城跡)市指定史跡(大構)城郭構造 総曲輪式平城天守構造 不明築城主 太田道真築城年 1457年扇谷上杉持朝(うえすぎもちとも)が足利成氏(あしかがしげうじ)の侵攻にに備えて築いた城のひとつ。川越城と同じく太田親子が築いた。太田道灌の養子・資家(すけいえ)が初代城主。(所在地:埼玉県さいたま市岩槻区)岩槻城ギャラリー(2016夏)(岩槻城城門:黒門)岩槻城城門 この門...
伊吹文明元衆議院議長は、ポピュリズムに流されず、国民から不人気になるようなことも敢えて発言する保守政治家で、「体罰全否定しては教育はできない」と発言して(平成25年(2013年)2月9日付各報道)して物議をかもしたことがあります。★★★ ★★★その伊吹文明元衆議院議長が、眞子さまと小室圭氏のご結婚問題に関し発言していました(令和2年(2020年)12月3日付各報道)。その報道の一部を引用すると以下の通り...
建部山城跡のある建部山から北西約2kmのところに、かつて中山城がありました。ここは、建部山城落城後に落ち延びた一色義道が、最後を遂げた城といわれています。...
<前編>のつづきです。登山開始から約1時間、建部山山頂に到着しました。いきなり目に飛び込んできたのは、古い煉瓦造りの建物の跡。 これが、明治の建部山堡塁跡...
日本海を望む京都府北部の舞鶴湾に面して、「丹後富士」と称される秀麗な形をした山があります。標高315mのこの山は建部山といい、かつてこの山頂に丹後の守護大...
「その2」のつづきです。琴滝から登ること約30分、須知城主郭の高石垣に到着しました。 見事な高石垣です。 圧巻ですね。 こんな見事な石垣が残る城跡の存在を...
五稜郭最終回になります。五稜郭以外の写真も一緒に載せたいと思います。…まずは五稜郭中心部から見た五稜郭タワーです!半月堡:ひとつだけある半月堡。本当は5つ築こうと計画されていたそうですが、最終的にはこの半月堡ひとつだけでした。これにて五稜郭の写真は終了です。函館山へ 夜、ロープウェイにて函館山山頂にやってきました。せっかく函館に来たのだから夜景は見ておかなければと思いまして(笑)函館山山頂から函館...
前回に引き続き、2015年にお邪魔した五稜郭の写真を紹介していきます。五稜郭タワーの近くの、あの橋を渡って五稜郭内部に攻め込んでいきます!…五稜郭の南に位置する、半月堡に架かっている橋ですね。函館奉行所:五稜郭のど真ん中に建っているのがこの函館奉行所。2010年に復元された木造の建物です。…当時、正面玄関を入った先に太鼓櫓を設けたが、艦砲射撃を受けた際にその照準となっていると考えた旧幕府軍が慌てて切り倒した...
五稜郭(ごりょうかく)国の特別史跡北海道遺産日本100名城(2番)城郭構造 稜堡式天守構造 なし築城主 江戸幕府築城年 1866年幕末、蝦夷地を管理するため、8年の歳月をかけて築かれた。設計・監督を担当したのは諸学に通じた武田斐三郎。特徴的な星形の曲輪から、五稜郭の名がついた。城内には函館奉行所が置かれた。(北海道函館市五稜郭町・本通1)五稜郭ギャラリー(2015秋)五稜郭タワー:函館駅から五稜郭にやってま...
「その1」のつづきです。琴滝をあとにして、須知城跡のある山頂を目指します。 琴滝のすぐ横に、「須知城跡」と書かれた誘導看板があります。この地点をスマホのア...
周山城から西へ約17km、塩貝城から南西約12km、宇津城から西へ約14km、八木城から北西約12kmのところに、かつて須知城(しゅうちじょう)がありまし...
令和2年11月25日11時30分頃、新潟県長岡市の栖吉城本丸から約400m東南(西片貝町)の遊歩道脇の立ち木に爪痕が二つあるのを目撃。また栖吉城古城の直下(栖吉町)の遊歩道に3つ程の足跡を目撃。23日の雨によるぬかるみの為、新しい足跡と思われます。駿河守様より情報をお寄せいただきました。ありがとうございました。 ...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。