在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
桜の名所丸亀城石垣復旧中
石垣島で二郎系っぽいラーメン!「麺処あじくぅたぁ」
石垣島で一番有名な景勝地「川平湾」悪天候でも海の色は美しい
石垣島「米原のヤエヤマヤシ群落」高く伸びるヤシの木を見よう
石垣島「玉取崎展望台」海と星空の絶景が楽しめる展望台
石垣島北部「平久保ビーチ」美しい海が見られる穴場ビーチ
石垣島最北端「平久保崎灯台」恋する灯台に認定も
底力
「The BREAKFAST HOTEL PORTO石垣島」朝食が楽しいホテル
石垣牛の焼肉を味わう「石垣牛MARU」離島ターミナルから徒歩圏内
石の塀の美しさ:2・・・城壁や石垣
雪の日の鳥取城 天球丸の巻石垣
涙と愛の物語:常盤御前と伏見奉行所の知られざる繋がり
爽快 丸亀城
JR三原駅の真下にのこる「三原城」を散策した
ありし日の小川原湖民俗博物館と十和田観光電鉄<日本縦断紀行Classic 26日目-4 三沢>
T字路s・泪橋なみだばし歌詞解釈・言葉解説/橋の下の話
プチ感想・レビュー#320【現代民俗学入門: 身近な風習の秘密を解き明かす】
蛇を考える・その5 〜生と死
蛇を考える・その4 〜弥生・古墳時代の蛇
蛇を考える・その3 〜性の神
神社用語の基礎知識
蛇を考える・その2 〜縄文の蛇
1月29日は旧正月・旧正月の想い出
蛇を考える・その1 〜恭賀新年
植木屋と民俗学者の共通点
幽霊が開く感覚の扉:心霊スポットと霊感の不思議な関係
元小浜のおしゃもっつあんの森(左口明神)
ヤマイヌとオオカミ 〜遅れてきた神
中東の姉妹婚について『ペルシア民俗誌』
皆さんこんにちは!旅人サイファです。 今回もお城の話を続けましょう。 今回ご紹介するのは『旧国宝』の城郭。 ん?旧国宝? あまり聞いたことのない言葉ですよね。 実は、現在でいう国宝・重要文化財は戦前と戦後でその意味合いが異なるのです。 現在、数ある城郭の中で、国宝に指定されているのは天守閣が5城と御殿(住宅扱い)が1城。 わずか6城に過ぎません。 しかし、あまり知られていませんが、戦前昭和20年ころには、国宝のお城がなんと24城あったのです! 戦前の国宝は、昭和4年に制定された『国宝保存法』という法律で規定されていました。 そのリストがこちらです! 【旧国宝24城】 名古屋城(なごや- 愛知県…
「その3」の続きです。周山城本丸の南側の曲輪、鷹屋ノ丸にやってきました。 鷹屋ノ丸は本丸のすぐ南下に直結した曲輪なので、主郭同様の機能を果たしていたのでは...
「その2」の続きです。周山城を登り始めて約70分、ようやく本丸にたどり着きました。 周山城本丸は標高480m、比高230mの山頂にあり、その規模は東西約4...
こんにちは!旅人サイファです! 本日の記事は、前回に引き続いての城郭シリーズ! 天守閣がなくても実は超貴重な文化財である、国宝・重要文化財指定を受けている城郭リストです! まずは前回のおさらい。 お城=天守閣にあらず!石垣、堀、門、櫓(やぐら)、御殿(ごてん)、天守閣などを引っくるめてお城です! 天守閣が現存しているのは日本国内でわずか12城のみ! 現存している天守閣は全て国宝か重要文化財の指定を受けている! 現存12城は、前回の記事にも記載している通り、以下の12城です。 姫路城(ひめじ- 兵庫県姫路市) 松本城(まつもと- 長野県松本市) 犬山城(いぬやま- 愛知県犬山市) 彦根城(ひこね…
「その1」の続きです。周山城を登り始めて約45分、東出曲輪からさらに西側に向かって進みます。 東出曲輪の西側にも長い帯曲輪がつづきます。馬場跡でしょうか?...
こんにちは!旅人サイファです! 今回は、前回に引き続き城跡のお話です。 皆さん、お城って…いくつあったかご存じですか? 城郭マニアには、過去に何度も聞かれた鬼門の質問かもしれません。 「へえ!お城好きなんだー?日本にお城っていくつあるの?」 一般の人々からしたら、お城=天守閣。 「天守閣のあるお城っていくつあるの?」 っと聞かれれば答えることはできます。 しかし、前回も言及したように、天守閣は城郭を構成する一要素にすぎません。 しかも、天守閣にも江戸時代から現存する貴重か天守閣から、昭和以後になってから復元された観光用の天守閣などもあり、非常に答えにくい質問になっています。 私も、よく上記の質…
明智光秀の丹波攻略の拠点は亀山城でしたが、丹波国平定後は、織田信長の命でいくつかの新しい城を築き、丹波の領国経営を進めました。そのひとつが、北丹波に築かれ...
こんにちは!旅人サイファです! 今回は、先日ネットニュースで目にしたこちらの記事から。 お城の復元基準が緩和。 歴史的な裏付けのない怪しい復元城郭が増えるかも? という記事です。 昭和の時代、戦後の経済成長を経て世の中がバブルに浮かれるころまでに、日本各地に次々と建てられた『観光用の城』。 代表的なものは熱海にある熱海城や尾道にあった尾道城。 これらは、実はここに『城』があったという根拠がない場所に建てられた『天守閣風建築物』。 姿形はお城、天守閣を模した外観をしていますが、過去にその場所に城があったことは一切ない、全くの偽物! また、千葉県にある千葉城や久留里城、大多喜城などは、その場所にか…
(@GoogleMAP)五稜郭といえば北海道函館市の五稜郭を思い浮かべる人が多いかと思いますが、日本にはもう一か所五稜郭がありますそれが長野県佐久市の龍岡城、グーグルマップで写真を見ると堀が星形になっているのがわかります。堀の幅は思ったより狭いですが平均で7.3メートル、堀の南西と西側は未完になってるそうです。大手門跡です、ここが堀の幅が一番広く9.1メートルあります。大手門から先に進むと藩主等を祀ったお社があります。さらに進むと学校になっています、許可なく入れないですね(;^_^A敷地の右手にある古そうな建物が御台所、廃城後に校舎として使わていたが現在の場所に移転し復元保存されている見学には事前予約が必要(佐久市文化振興課文化財事務所)だそうです。龍岡城を築いたのは松平乗謨(のりかた)で三河奥殿が本領であった...龍岡城跡(長野県佐久市)日本で二か所だけの五稜郭
福岡城について福岡城下絵図(現地の案内板)100名城85番の福岡城に2008年以来2回目の登城です。前回は旅行最終日で、疲れと暑さでバテてロクに見学できていなかったのでした…。歴史慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦の後、筑前に入封した黒田孝
丹波国を平定した明智光秀は、天正8年(1580年)、新たな丹波国の拠点として福知山城を築城して城下町を整備しますが、その際、福知山の町を流れる由良川に大き...
「その3」の続きです。シリーズ最後に、福知山城本丸のある丘を降りていろんな角度から天守を見てみましょう。 まずは東側の駐車場から見た天守です。 ズームしま...
「その2」のつづきです。いよいよ福知山城天守を攻略します。 まずは天守西側から。福知山城天守は三重四階建ての大天守と二重二階建ての小天守が連結された構造に...
明石城について明石公園(明石城跡)全体図/現地の案内板より100名城登城94城目は、兵庫県の明石城(58番)です。概要古来より山陽道上にあって畿内と畿外の境界にあり、淡路・丹波方面へ続く経路のあつまる交通の要衝であった明石の地に、西国の外様
篠山城について17世紀後半頃の篠山城(現地解説パネル掲載の古絵図)100名城登城95城目は、兵庫県の篠山城ささやまじょう(57番)です。歴史篠山城は、慶長14年(1609年)に徳川家康の命により築城されました。山陰道の要衝である篠山に城を築
タイトルの松前城の写真はもうありませんが、そのあと巡った上ノ国勝山館と江差の写真が残っていたので紹介します。(上ノ国勝山館)松前町を北に行くと、上ノ国という町があります。そこにも武田信広が築いたとされる勝山城があります。別名、脇館、上之国館とも呼ばれています。これはガイダンス施設にあったお城の模型で、この時も雨が降っていたせいなのか写真がこれしか残ってません(笑)上ノ国町を出て、さらに北へ。今度は...
(天神坂)かつて城内へ通じる坂は全部で5ヶ所ありました。これはお城の東側にある天神坂で、この坂を上がると三の丸に出ます。(松前神社)本丸北側に建てられている松前神社。松前氏の家祖といわれている、武田信廣公を祀っているそうです。(血脈桜)マツマエハヤザキの原木で、樹齢200年以上といわれています。江戸時代の伝説にちなんで血脈桜と呼ばれるそうです。…ホントなら桜の時期に来るべきなんでしょうね(笑)https://j...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。