在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
明治13年(1880年)に渋沢栄一が三井物産会社社長の益田孝らと共に設立した東京風帆船会社は、岩崎弥太郎が経営する三菱汽船の妨害を受け、うまく軌道に乗り...
「その1」のつづきです。 千代の死の前年に起きた「明治十四年の政変」も少しだけ描かれましたね。「開拓使官有物払下げ事件」に端を発して大隈重信一派が対立す...
渋沢栄一の妻・千代が亡くなったのは、明治15年(1882年)7月14日のことでした。享年42。死因は当時流行っていたコレラでした。 栄一と千代が結婚し...
渋沢栄一たちが創設した東京商法会議所が最初に手掛けた大仕事は、アメリカより来日したグラント将軍の接待でした。ユリシーズ・シンプソン・グラントはアメリカの元...
明治11年(1878年)3月、渋沢栄一、益田孝、福地源一郎、大倉喜八郎らによって東京商法会議所が設立され、栄一がその初代会頭となりました。今では日本各地...
明治7年(1874年)11月、第一国立銀行の発起人の片翼だった小野組が破綻しました。この出来事は民に下った渋沢栄一を襲った最初の災厄でした。 小野組は江...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。