在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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石田三成 明智光秀 違いとは?性格と行動パターンで読み解く歴史の人物像
パチンコVtuber運を取り戻す復活のプレミアム乙女アタック
那由多な独り言727
敦賀氣比神宮から天筒山城〜金ヶ崎城〜敦賀城、気比の松原などを巡るラン
織田信長公像、そして徳川家康公像
【戦国武将診断】あなたに似ている戦国武将は誰?
【宮城県】粟野氏の系図・城・菩提寺・家臣団
勝ち虫トンボ~おにやんま君を全身に付けようじゃないか~
「伊達政宗に滅ぼされた豪族」粟野氏とは何か①
「伊達政宗に滅ぼされた豪族」粟野氏とは何か③
「伊達政宗に滅ぼされた豪族」粟野氏とは何か②
北野武監督映画『首』 観ました❗️
歴史散歩について
関ヶ原の戦い(西軍の敗因のまとめ)
四面楚歌~西軍総崩れの引き金となった裏切り~
「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一の生涯を描いた、令和3年(2021年)の大河ドラマ『青天を衝け』の全41話が終わりました。今年もなんとか全話レビュ...
ついに最終回を迎えました。前回につづいて15分拡大版となった最終回は、栄一の4回目の渡米、大隈重信と原敬の死、孫の渋沢敬三の結婚、関東大震災、中華民国の...
「その1」のつづきです。 渋沢栄一の次男(長男は夭折)として明治5年(1872年)に生まれた篤二。かつては女遊びに興じて受験に失敗し、熊本にある第五高等...
最終回前の第40話は15分拡大版で、渋沢栄一の実業界引退、渡米実業団、渋沢篤二の廃嫡、伊藤博文、渋沢喜作、井上馨、そして徳川慶喜の死、中国国民党党首の孫...
★都合により、しばらくの間(10日~2週間程度)記事の更新をお休みします。☆☆☆前回の「著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(4):服部克久/河口慧海/萩原朔太郎/円乗院」では、世田谷区の代田を散策しながら、服部克久の自宅や文士・著名人の旧宅跡を探訪しました。今回は、代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪します。(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人...
今回は、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」での散策場所近くにある史跡を通じて、隠れキリシタンについて考察してみます。また、本記事は「三田用水跡暗渠散策シリーズ」の番外編となりますが、番外編としては本記事の他に以下の2つの記事とシリーズがあります。①「日本最大のイスラム寺院・東京ジャーミイを訪問」②『「芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大...
明治35年(1902年)5月、渋沢栄一は妻・兼子を連れてアメリカとヨーロッパに出掛けました。随行者は、英語の堪能な第一銀行横浜支店長の市原盛宏が通訳に当...
前話で三菱との戦いや兼子との再婚が描かれましたが、今回は時代が一気に10年ほど進みました。本話のサブタイルが「栄一の嫡男」なので、まずはその嫡男・渋沢篤...
明治13年(1880年)に渋沢栄一が三井物産会社社長の益田孝らと共に設立した東京風帆船会社は、岩崎弥太郎が経営する三菱汽船の妨害を受け、うまく軌道に乗り...
「その1」のつづきです。 千代の死の前年に起きた「明治十四年の政変」も少しだけ描かれましたね。「開拓使官有物払下げ事件」に端を発して大隈重信一派が対立す...
渋沢栄一の妻・千代が亡くなったのは、明治15年(1882年)7月14日のことでした。享年42。死因は当時流行っていたコレラでした。 栄一と千代が結婚し...
渋沢栄一たちが創設した東京商法会議所が最初に手掛けた大仕事は、アメリカより来日したグラント将軍の接待でした。ユリシーズ・シンプソン・グラントはアメリカの元...
明治11年(1878年)3月、渋沢栄一、益田孝、福地源一郎、大倉喜八郎らによって東京商法会議所が設立され、栄一がその初代会頭となりました。今では日本各地...
明治7年(1874年)11月、第一国立銀行の発起人の片翼だった小野組が破綻しました。この出来事は民に下った渋沢栄一を襲った最初の災厄でした。 小野組は江...
今日は衆議院総選挙の日でしたね。選ばれて当選した議員の方々、おめでとうございます!選ばれたからには是非とも「より良き日本」になるように気張って働いて頂けますよう、よろしくお願いをいたします!!
明治6年(1873年)5月、渋沢栄一は大蔵省を退官しました。実は栄一が辞表を提出したのはこれが初めてではなく、この2年前に大蔵卿の大久保利通と軍事費の捻...
「青天を衝け!」の中でディーン・フジオカ氏はあさドラ「あさが来た」で演じたのと同じ役・五代友厚という実業家を再び演じているんですよ、レアなケースですよね!
「青天を衝け!」渋沢栄一の時代、横浜を出発してマルセイユに到着する迄にかかった日数は48日間、この48日間のあいだだけでもかなりの衝撃を受けたはずですよ、渋沢青年は!!
渋沢成一郎(喜作)が釈放されましたね。旧幕府軍の最期の砦だった五稜郭が降伏、開場となる直前の明治2年5月18日(1869年6月27日)、成一郎は脱走して...
明治4年(1871年)春、大蔵卿の伊達宗城が辞職し、代わって大久保利通が大蔵卿となり、井上馨が大蔵大輔、そして渋沢栄一は大蔵大丞となりました。しかし、大...
録画してた『青天を衝け』を観た栄一が、がぜん輝いて走りだした事に嬉しさが・・・・・・なんだろなぁこのドラマ全部面白いし演出良い・・・このレベルをずーっと維持で…
明治2年(1869年)12月、大蔵省勤務となった渋沢栄一は、仕官後間もなく、省務に秩序も企画性もなくシステムが整っていないことに落胆し、大蔵大輔の大隈重...
渋沢栄一が作った日本初の株式会社「商法会所」は、明治2年(1869年)5月、「常平倉」と改名しました。その理由は、藩の出資した金で商業を営むことは政府の...
駿府で謹慎中の徳川慶喜に民部公子(徳川昭武)からの手紙を届けた渋沢栄一は、駿府藩(この約半年後には静岡藩になります)から仕官を命じられます。今回描かれて...
明治元年11月3日(1868年12月16日)に帰国した渋沢栄一が故郷の血洗島村に帰ったのは、約1か月後の12月1日でした。ドラマでは一面菜の花畑でしたが...
「その1」のつづきです。 江戸城明渡しに不満を持つ旧幕臣たちが、上野の寛永寺に集結した彰義隊の反乱ですが、もともと彰義隊は、鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸...
鳥羽・伏見の戦いの真っ只中の大坂を抜け出して江戸城に戻ってきた徳川慶喜は、朝廷に対しての恭順姿勢を表明します。この間、幕府役人の中では、勘定奉行・小栗上野...
東京オリンピック期間中休止になっていた大河ドラマ『青天を衝け』が、4週間ぶりに再開されました。これだけ空いちゃうと話の展開を忘れてしまっちゃいそうですが、...
「その1」「その2」のつづきです。 王政復古のクーデターの報告を受けた徳川慶喜は、善後策に苦慮します。辞官はともかく、納地の命令は、徳川家15代当主とし...
「その1」のつづきです。 慶応3年10月15日(1867年11月10日)、徳川慶喜から受けた大政奉還の上表を承認した朝廷でしたが、やはり慶喜が考えていた...
今回は原市之進の暗殺、大政奉還、小御所会議、江戸の薩摩藩邸焼き討ち、そして鳥羽・伏見の戦いの直前まで、一気に話が進みましたね。2話ぐらいに分けて描いてほ...
慶応3年正月11日(1867年2月15日)、徳川昭武の使節一行29人を乗せたフランス郵船アルフェー号が、横浜港を出港しました。このとき渋沢栄一28歳。おそ...
なんとなく落書きをしていたらアーネスト・サトウさんが登場したのでご紹介この方、『一外交官が見た明治維新』という、日本人以外から見た幕末維新についての著作で有名…
録画視聴での視聴なので激遅でナンなのですがぁちょい前の大河ドラマ『晴天を衝け』の第9回『栄一と桜田門外の変』の回がメッチャ良かったいやもう知ってるし、今更って…
NHK大河ドラマ『晴天を衝け』の登場人物で徳川慶喜に惚れ込み、主人公 渋沢栄一を見出す名伯楽ぶりをみせていた堤真一さん演じる平岡円四郎が『第16回 恩人暗殺』…
iPad Proも新しくしたのでお絵描きをしようかとんで令和3年NHK大河ドラマ『青天を衝け』で武田真治さんが演じて話題となっている小栗上野介忠順(おぐりこう…
徳川慶喜に将軍宣下を命じる孝明天皇の内旨が勅使によって伝えられたのは、慶応2年11月27日(1867年1月2日)のことでした。これを慶喜が受け入れ、12...
「その1」のつづきです。 将軍・徳川家茂が死去すると、その後継者は、誰が見ても徳川慶喜以外に適当な人物はいませんでした。家茂は死に際して田安亀之助(家茂...
慶応2年6月7日(1866年7月18日)、幕府による第二次長州征伐が開始されます。幕府軍の兵力は総勢15万の大軍。一方、迎え撃つ長州藩の兵力は、奇兵隊ら...
慶応元年(18654年)9月16日、英仏蘭米4ヵ国の公使を乗せた外国艦隊が、兵庫沖へ渡来しました。彼らの目的は3つ。一つは、天皇による条約の承認を得るこ...
「天狗党の乱」が終結しましたね。これまで大河ドラマで「天狗党の乱」が詳しく描かれたことはあまりなかったんじゃないでしょうか? そこで、今回は「天狗党の乱...
平岡円四郎暗殺の凶報を関東出張中の渋沢栄一(篤太夫)と渋沢喜作(成一郎)のふたりが知ったのは、事件発生から14、5日後のことでした。栄一の自伝『雨夜譚』...
元治元年(1864年)5月、渋沢栄一(篤太夫)と渋沢喜作(成一郎)は、平岡円四郎より関東出張を命じられました。その目的は「人選御用」。一橋家に召し抱える価...
一橋家に仕官した渋沢栄一と渋沢喜作は、平岡円四郎の勧めもあり、栄一は「篤太夫」、喜作は「成一郎」と改名します。ドラマでは、喜作は「成一郎」という名を気に...
「その1」のつづきです。 文久3年も押し詰まった12月晦日、徳川慶喜は松平容保、松平春嶽、伊達宗城、山内容堂とともに朝廷から朝議参預に命じられ、小御所や...
平岡円四郎から呼び出され、一橋家に仕官するよう勧められた渋沢栄一と渋沢喜作は、その場で即答せず、いったん持ち帰って相談のうえ返事したいと伝えました。仕官...
文久3年(1863年)11月8日、渋沢栄一と渋沢喜作は血洗島村をあとにし、京都を目指しました。栄一24歳、喜作26歳のときでした。もっとも、京都に行くに...
高崎城乗っ取り、横浜居留地の焼き討ちという過激な計画を企てていた渋沢栄一は、父の許しを得た翌日、さっそく従兄弟の渋沢喜作とともに江戸へ出かけ、挙兵の準備を...
「坂下門外の変」の襲撃メンバー6人はその場で討たれ、その他、計画に関わった同士たちも捉えられると、当初、襲撃メンバーに加わる予定だった尾高長七郎にも嫌疑...
「桜田門外の変」で大老・井伊直弼が暗殺されると、幕府の権威は急速に失墜していきました。そこで幕府は、朝廷と手を結ぶことで権威の回復を図ろうとします。従来...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。