在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
1件〜50件
セット売りは怖い?・・・佳子さま愛子さま二人連れ
11月第4週 18日~24日 ご予定
11月11日~17日 天皇皇后 ご動静
16日 百合子さまお舟入り(2)主に映像
16日 百合子さまお舟入り(1)主に資料
【三笠宮妃百合子さま ご逝去】(2)
101歳、三笠宮崇仁親王妃殿下百合子さま ご逝去
ネットで話題のアレコレ、、どんなに上手に隠しても
【朗報】なれどモヤっと・・12日 鴨場接待復活が発表される
天皇皇后 10月28日~11月3日のご動静、11月4日~11月10日のご動静
10日 今上、雅子さま 全国豊かな海づくり大会式典、稚魚放流
9日 今上、雅子さま 大分県開催「第43回豊かな海づくり大会」へ
8日 彬子さま急遽英国から帰国
やはり一人では無理?・・園遊会と茶会の愛子さま
4日~11日 ご予定
【期間限定:年末まで】セルフコーチング講座、募集します。
お悩み相談の本質はエッセイである
課題の分離は、利己的な考え方?
【認知の歪み】拡大(過小)解釈とは?極端な解釈がもたらす影響と改善方法
比較すること (24/11月 テンセン)
【認知の歪み】心のフィルターとは?ネガティブな視点が引き起こす影響と改善方法
ストレス解消。ワーッと話すと、スッキリしますよね?
ある経営者の兄弟 (下)
【認知の歪み】レッテル貼りとは?決めつけがもたらす影響と改善方法
姓に対する価値観の違いなのかしら。「夫婦別姓」で思い出したこと。
豊中市民健康展の準備
【認知の歪み】「すべき思考」に囚われるとどうなる?日常に潜むプレッシャーとその解消法
高次元の宇宙人
【認知の歪み】全か無か思考とは?完璧主義がもたらす問題と改善方法
「できない」のは「能力がない」わけじゃない。
前述の通り、源頼朝の嫡男、第二代の鎌倉殿の源頼家には、一幡、善哉、栄実、禅暁の四人の息子と娘の竹御所がいた。 源実朝にとって、甥、姪に当たる。 比企能員の娘…
前述の通り、源実朝は、大江広元に対して、源氏の正統な血統は、自分の代で終わり、子孫が継ぐことはないと述べており、生涯、子供ができないことを自覚していたと思え…
前節、「北条義時」と、本節「源家滅亡」は、年代順に記述していない。 最大の理由は、源実朝の治世を年代順に記述すると、一節では、収まらなくなり、特に、和田義盛…
1213年(建暦三年)5月3日、和田義盛の乱が、鎮圧されると、戦後処理が行われた。 同年9月19日、日光山別当の法眼弁覚が、大夫阿闍梨重慶が、謀反を企ててい…
北条義時は、1205年(元久二年)閏7月の牧氏事件によって、父の北条時政を追放し、第二代執権の座に就いたことは、既に述べた。 父の時政の性急な権力独占が、多…
前述の通り、源実朝は、1203年(建仁三年)9月、十二歳の年、征夷大将軍に任官した。 当初、外祖父の北条時政が、執権として、実権を握っていたが、牧氏事件によ…
日本人の歴史教科書と言われる、NHKの大河ドラマは、2024年までの六十三作までに、北条政子、豊臣秀吉の妻のねね、川上貞奴、春日局、日野富子及び、前田利家の…
1206年(建暦三年)5月3日、朝比奈義秀は、鎮西の住人である、小物資政を討ち取り、土屋義清、古郡保忠と、三騎、轡を並べて、敵陣に突入すると、将軍の軍勢を攻…
年(建暦三年)5月2日午後六時、和田軍は、一斉に大倉御所を襲撃して、御所を警護する、将軍の軍勢、北条泰時、北条朝時、足利義氏等の兵と合戦に及んだ。 そして、…
北条義時の思惑とは異なり、将軍の源実朝は、泉親衡の乱は、終焉し、危機は去ったと認識していた。 泉親衡の乱の目的は、北条義時の打倒であり、将軍の源実朝ではなか…
1213年(建暦三年)3月9日、源実朝の意向の名目によって、和田義盛の一門、九十八人の面前で、北条義時の郎党、金窪行親、安東忠家は、和田胤長を二階堂行政に引…
泉親衡の乱に参加していたのは、和田義盛の四男の和田義直及び、五男の義重、そして、和田義盛の弟、義長の息子の胤長である。 三人が、泉親衡の乱に参加したのは、武…
泉親衡の乱は、首謀者の泉親衡の逃亡及び、その与同者達の配流及び、恩赦によって、終焉を迎えた。 しかし、泉親衡の乱は、鎌倉の武家政権の草創以来の最大の内乱の発…
千葉成胤が、安念を北条義時に引き渡した。 義時の郎党である、金窪行親の尋問の結果、安念は、謀反の全容を自白した。 首謀者は、泉親衡、与同の武士は、張本百三十…
源実朝は、北条義時が、自身の郎党を武家政権の御家人に列することを認めなかった。 義時の嘆願を却下したため、実朝は、和田義盛の上総介への推挙を認めることができ…
1209年(承元三年)5月12日に、源頼朝の挙兵以来の功臣下、侍所別当の和田義盛が、上総介任官の推挙を源実朝に求めた。 和田義盛は、三浦義明の孫であり、三浦…
源実朝は、1203年(建久三年)の比企氏の乱の動乱と共に征夷大将軍に就任し、二年後の1205年(元久二年)、畠山重忠の乱及び、牧氏の変が、勃発している。 源…
2022年の大河ドラマ、『鎌倉殿の13人の』主人公は、北条義時である。 後世、鎌倉幕府と呼ばれる、武家政権の構築者、政治的天才の源頼朝及び、瞬く間に、平家を…
1205年(元久二年)8月7日、牧氏の変の翌月、下野国の有力御家人、宇都宮朝綱が、謀反を疑われた。 宇都宮頼綱は、宇都宮業綱の息子で、宇都宮朝綱の孫に当たる…
源頼朝は、「坂東武士の鑑」として、畠山重忠に、「頼朝の後胤」を護ってくれるように、慇懃の詞を尽くしていた。 しかし、畠山重忠は、比企氏の乱の際、妻の父、北条…
平朝雅は、源義光の四男、源盛義の孫である。 源義光の長男の義業は、常陸国の佐竹氏、次男の義清は、甲斐源氏の祖となり、佐竹氏及び、甲斐源氏は、治承・寿永の乱の…
牧の方は、北条時政の後妻で、北条政子、北条義時、阿波局、北条時房の継母である。 北条時政は、1138年(保延四年)の生まれのため、1180年(治承四年)の源…
北条義時は、畠山重忠討伐に疑念を抱く、御家人達を見て、事実関係を確認していった。 父の北条時政が、言葉を失い、畠山重忠の謀反は、冤罪であると証明されたが、源…
1205年(元久二年)6月22日、鎌倉は、謀反が発生したと大騒ぎとなり、御家人達は、謀反人を誅するべく、由比ヶ浜へ先を争って走った。 畠山重忠の嫡子の重保は…
坊門信清は、京の朝廷の後鳥羽上皇の外叔父であると同時に、鎌倉の三代征夷大将軍、源実朝の義父になった。 坊門信清は、朝廷の頂点の上皇及び、鎌倉の頂点の将軍、双…
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1204年(元久元年)9月10日に始まった、平賀朝雅の平家残党軍との合戦は、三日後の12日には、鎮圧され、その後、伊賀国の残党が、追討された。 わずか、三日…
源全成の死後、北条時政が、千幡の乳母夫の立場になったが、乳母は、北条時政の娘、阿波局のままであった。 牧の方は、北条政子、北条義時、阿波局にとって、継母のた…
源実朝は、1192年(建久三年)8月9日、源頼朝と北条政子の次男として、生まれた。 同年7月12日、源頼朝は、念願の征夷大将軍に任官しているため、実朝は、生…
1203年(建久三年)9月5日、源頼家は、危篤を脱し、意識を回復すると、嫡子の一幡及び、比企一族の滅亡を知ると激昂した。 源頼家は、堀親家を使者として、仁田…
1203年(建久三年)9月2日、北条時政が、比企能員を暗殺すると、能員の従者達は、能員の暗殺を比企一族に伝えた。 比企能員の息子の宗員、時員、五郎、猶子の河…
源全成が、誅殺されると、同年7月16日、全成の三男、阿野頼全が、京の東山延年寺で、源仲章によって、誅殺された。 四男の阿野時元は、外祖父の北条時政、叔母の北…
前述の通り、1199年(正治元年)10月、梶原景時弾劾事件によって、梶原景時は、失脚。 翌年の正月20日、景時は、戦死した。 その三日後の正月23日、三浦義…
佐々木盛綱は、越後、佐渡、信濃国から参じた、御家人達を編成し、阿賀野川を渡った。 佐々木盛綱は、城資盛に軍使を使わすと、資盛は、鳥坂城の付近で戦闘を行うと返…
梶原景時の変の一年後、1201年(建仁元年)正月23日夜、城長茂が、京の三条大路南の東洞院大路東に所在する、小山朝政の邸宅を襲撃した。 朝政は、この時、大番…
梶原景時は、源頼朝の死後、わずか、一年後に滅ぼされた。 十三人の合議制は、解体し、鎌倉の有力御家人の権力闘争の皮切りとなった。 そして、その最終的な勝者が、…
1199年(正治元年)12月29日、梶原景時の鎌倉追放後、事件の発端である、結城朝光の兄の小山朝政が、景時に代わり、播磨国守護になり、同時に、美作国守護は、…
三浦義澄・三浦義村・千葉常胤・千葉胤正・畠山重忠・小山朝政・結城朝光・足立遠元・和田義盛・和田常盛・比企能員・藤原朝光・二階堂行光・葛西清重・八田知重・大井…
源頼朝の死後、鎌倉殿になったのは、北条時政の娘、北条政子の息子、源頼家である。 源頼朝は、1182年(寿永元年)の頼家の誕生時、比企尼の養子の比企能員、比企…
1199年(正治元年)正月11日、源頼朝の重病危急の情報は、18日には、京都伝わり、世情は、不穏な空気に包まれた。 村上源氏の嫡流、土御門通親は、その前年に…
2022年の大河ドラマ、『鎌倉殿の13人』において、三浦義村を山本耕史が演じたため、義村の知名度は、飛躍的に上昇した。 大河ドラマの放送前、三浦義村の名を知…
稲毛重成は、秩父一族の畠山重能の弟、小山田有重の息子で、畠山重忠の従兄弟である。 1180年(治承四年)の源頼朝の挙兵の際、父の小山田有重は、畠山重能と共に…
1186年(文治二年)、源義経の愛妾の静御前が、源頼朝の命で、鶴岡八幡宮にて、白拍子の舞を披露したとき、重忠は、銅拍子を打って、伴奏を務めた。 翌年、畠山重…
畠山重忠の軍勢は、源頼朝の許に向かおうとした、三浦一族の軍勢と鎌倉の由比ガ浜で、遭遇する。 三浦一族の惣領、三浦義明の娘は、畠山重能の妻であり、縁戚関係のた…
畠山重忠は、秩父平氏の一族の嫡流、畠山重能の嫡子である。 重忠は、武勇の誉れ高く、清廉潔白な人柄によって、存命中から、「坂東武士の鑑」と称された。 後世、良…
葛西清重は、桓武平氏良文流の秩父一族の庶流、豊島清元の息子である。 秩父一族は、平良文の孫、平将常が、武蔵国秩父郡中村郷を所領として、秩父氏を称した。 将常…
下河辺行平は、小山政光の弟、下河辺行義の息子で、下河辺政義の兄である。 行平は、小山朝政、結城朝光の兄弟の従兄弟であり、宇都宮朝綱、八田知家の兄弟の縁戚にな…
結城朝光は、小山政光の四男で、源頼朝の乳母の一人、寒河尼の息子である。 寒河尼は、八田宗綱の娘であるため、朝光は、宇都宮朝綱及び、八田知家の母方の従兄弟に当…
小山朝政は、秀郷流藤原氏の二代当主である。 父の小山政光は、太田行政の四男であり、武蔵国の太田氏は、秀郷流藤原氏の嫡流を称していた。 政光は、下野国小山を所…
宇都宮朝綱は、藤原北家道兼流の宇都宮氏の第三代当主である。 藤原道兼は、藤原道長の同母兄で、「七日関白」と呼ばれた。 藤原道兼の曽孫の藤原宗円は、前九年の役…
千葉常胤は、桓武平氏良文流の上総氏と分裂した、房総平氏の千葉氏の三代当主であり、上総広常とは、又従兄弟に当たる。 千葉氏の相馬御厨は、下総守藤原親通、源義朝…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。