在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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②大人の遠足、奈良室生寺〜長谷寺へ。
連休はAudibleで源氏物語を聴く
緑が美しい梨木神社と源氏物語特別御朱印
疫病退散を願う祇園祭(3)山鉾巡行 その参
【期間限定】石山寺店限定の『石餅』がで全店舗で販売中 叶 匠寿庵
「源氏物語」4・5 角田光代
疫病退散を願う祇園祭(2)山鉾巡行 その弐
長崎のAさん関西ツアー④ (京都 風俗博物館からの~宇治へ)
むかしむかし、の過去に思いを馳せる時間
疫病退散を願う祇園祭(1)
「さわがしきもの」に例えられた清水寺
【光る君へ】#16 道長&まひろ悲田院での再会。別れから8年、すれ違いから4年(オリンピック?)
大河ドラマ「光る君へ」‐17
源融の河原院跡にある本覚寺
源融河原院跡
焼津市の徳川家康ゆかりの地(2)教念寺
羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将も散った「長久手古戦場」へ
長久手合戦を左右した家康の動きとは?家康本陣跡「色金山」と「御旗山」
焼津市の徳川家康ゆかりの地(1)焼津神社
家康を辿る城旅「岩崎城」!池田軍の奇襲"三河中入り"、戦いの帰趨を握った岩崎城の動きとは?
砥鹿神社里宮(2)
家康を辿る城旅「楽田城」!秀吉、楽田城に入る…小牧山を包囲する砦群
家康を辿る城旅「小牧山城」!決戦迫る…家康が本陣を敷いた信長ゆかりの堅城
砥鹿神社里宮(1)
カウンター席 ハッピーサンデー
写真展 in 静岡浅間神社 ^^/
#204 第13回「氏真」感想~大河ドラマ『どうする家康』
#206『三河物語』を読むその6 「五代目 松平長親」~『どうする家康』を楽しむため
徳川対北条"天正壬午の乱"甲斐の覇権の行方は?北条軍の本陣跡「若神子城」
#208『三河物語』を読むその7 「六代目 松平信忠」~『どうする家康』を楽しむため
祢軍の墓誌に書かれている「日本餘噍據扶桑以逋誅」の日本餘噍について具体的に考察して朝鮮半島の「日本」から扶桑、つまり現代の日本列島と呼ばれている地域に勢力圏を移動拡大した様子を今後暫く研究してみる。 まず、答㶱春初について考えてみたい。
朝鮮式山城とは白村江敗戦後の一時期に特徴的に表れる城壁である。 以下、https://ja.wikipedia.org/wiki/古代山城 より抜粋 狭義の朝鮮式山城 大野城跡 (福岡県太宰府市ほか) 「朝鮮式山城」の名称は、天智天皇2年(663年)8月の白村江の戦いでの倭軍敗北後に、これらの城が百済将軍の指導の下で築城されたことに基づく[2]。『日本書紀』では、天智天皇4年(665年)8月に百済将軍の答㶱春初が長門に城を、憶礼福…
雄略記 「七年(四六三)是歳(11)」には吉備田狭を「任那国司」に、 その八年(四六四)二月、新羅が高句麗に攻められ、任那王に助けを求め、「伏して日本府行軍元帥等に救いを請うた」とある。 from http://www.miraikoso.org/takaten/taka32.htm
日本書紀、天智天皇の項の白村江の戦いの場面で、佐平余自信等は、「會日本軍將等、相謀事機所要。」「明日、發船始向日本。」と言っている。 九月辛亥朔丁巳、百濟州柔城、始降於唐。是時、国人相謂之曰「州柔降矣、事无奈何。百濟之名絶于今日、丘墓之所、豈能復往。但可往於弖禮城、會日本軍將等、相謀事機所要。」遂教本在枕服岐城之妻子等、令知去国之心。辛酉發途於牟弖、癸亥至弖禮。甲戌、日本船師及佐平余自信・達…
「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地[4]」 旧唐書 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本書紀 三年春二月、遣使于百濟。百濟本記云「久羅麻致支彌、從日本來。」未詳也。括出在任那日本縣邑百濟百姓浮逃絶貫三四世者、並遷百濟附貫也。
「夫租薉君」銀印が発見されてから、歴史家が沃祖と書いていたのは夫祖と書くべきであったと思われるようになった。 また、濊と沃祖(夫祖)を大きく区別する必要は余りなくて、「夫租薉君」のように扶余族の中でも夫祖と濊は近い同族グループを形成していたように思われる。( 薉 → 穢, 濊) 濊も本来は、薉 で、海に近い薉 が濊であろう。
古文書には扶余として現れる民族であり、殊更、扶余語族という範疇を設けるのは、少し斜め目線を感じる。つまり、扶余語という言葉を用いているが民族文化的には異なる部族の集合というような意味合いがあるのかとも思う。しかし、民族の本貫は言葉であり、扶余語を話す民族は一般的には同じ民族であると考えるほうが一般的な民族理解として正統である。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。