在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
杉山城について続100名城登城2つめは、埼玉県比企郡嵐山町にある【杉山城】です。杉山城は戦国時代の山城で、築城の年代や築城主ははっきりしていません。時代は室町~戦国時代、築城主は山内上杉氏か後北条氏か地元豪族の金子氏か…と様々な説がありいま
菅谷館について菅谷館全体図(城内の案内版より)杉山城の見学は午前中で終了しましたが、埼玉県比企郡嵐山町にはもう1つ続100名城に選ばれた史跡があります。というわけで、続100名城登城3つめは【菅谷館】。鎌倉時代の御家人、畠山重忠の館跡です。
品川台場について全体図(現地案内版より)続100名城登城4つめは品川台場です。品川台場とは、江戸時代末期に異国船から江戸湾を守るために作られた海上砲台の跡地です。 嘉永6年(1853年) のペリー来航を脅威と感じた江戸幕府が急ぎ作らせました
滝山城について滝山城全体図(現地案内版より)続100名城登城5城目(通算103城目)は、東京都八王子市にある【滝山城】です。構造多摩川と秋川を堀とし、丘陵地の稜線にそって曲輪が配置される連郭式の山城です。歴史永正18年(1521年)に木曽義
石垣山城について岩垣山城全体図(バス停すぐの案内板より)続100名城登城6城目(通算104城目)は、小田原の【石垣山城】です。石垣山城は、小田原城からわずか3kmほどの山の上に築かれた山城です。本丸を二の丸・南曲輪・西曲輪が三方から囲む、梯
土浦城についていざ登城土浦は特急を使わなくても都心から1~2時間程度でアクセスできます。今回も朝イチから順調に移動して8:30頃に現地到着。土浦駅は大きな駅でした。土浦駅の向かいのビルは市役所なのですが、一見商業施設っぽい外観です。実際、一
笠間城について笠間城全体図(本丸の案内版)続100名城登城8城目(通算106城目)は茨城県の笠間城です。JR笠間駅から直線距離で約2kmほどのところにある佐白山(さしろさん)の山上に築かれた山城です。歴史鎌倉時代、正福寺と徳蔵寺の僧兵達が互
岩櫃城について11月最初の連休を利用して、群馬県内の続100名城…『真田三城』とも称される岩櫃城・名胡桃城・沼田城を回ってきました。今回の小旅行の最初の目的地、続100名城登城9城目(通算107城目)は群馬県吾妻郡東吾妻町の【岩櫃城】は、標
名胡桃城について現地案内板の全体図小旅行の2つ目の目的地・続100名城登城10城目(通算108城目)は、群馬県利根郡みなかみ町にある【名胡桃城(なぐるみじょう)】です。岩櫃城から電車で1時間、上越線後閑駅から直線距離で3kmほどの位置にある
沼田城について沼田公園入口付近の案内図より図の右方が北です。続100名城登城11城目(通算109城目)は沼田城です。沼田城は群馬県沼田市内、利根川と薄根川な合流点近く、河岸段丘の上に築かれた城です。歴史沼田城は享禄5年(1532年)、沼田氏
忍城について 忍城址内にある案内図より(通常の地図と逆に図の下方が北)続100名城登城12城目(通算110城目)は、映画にもなった【のぼうの城】の舞台、忍城です。 構造忍城は埼玉県北部の行田市内にある戦国時代の城です。広大な湿地帯に点在する
大多喜城について博物館下のゲート付近にあった図 続100名城登城13城目(通算111城目)は、 千葉県夷隅郡大多喜町の大多喜城です。構造 大多喜城は、現在いすみ鉄道大多喜駅のあるあたりから西に三の丸、現在大多喜高校のあるあたりが二の丸、山の
唐沢山城について唐沢山城全体図(武者詰にあった案内板より)続100名城登城14城目(通算112城目)は、栃木県佐野市の【唐沢山城】です。構造唐沢山城は唐沢山山頂を本丸とし、尾根に沿って曲輪がほぼ一列に配置される【連郭式】の大規模な城郭です。
本佐倉城について本佐倉城全体図(東山馬場下駐車場付近にあった案内板より)続100名城登城15城目(通算113城目)は千葉県佐倉市の【本佐倉城(もとさくらじょう)】です。構造本佐倉城は平山城です。築城当時この一帯には広く湿地が広がっており、そ
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。