在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
自然と共存する歴史町、五感を満たす食事。非日常に身を置く癒し旅14
(99) 運慶作 大日如来像を模写してみた
満洲国の歴史
巌流島の戦いを解説してください
#東奥見聞録 【ゆっくり解説】『シリーズ津軽信枚③~石田三成のこどもたち~』
影で支えた男「真田信尹(のぶただ)」—裏方こそ実力者!謙虚に潜む実力!
(98)名古屋 熱田神宮で長鳴鳥の「コケコッコー」を聞いてきた
(97)高野山に行ってきた
出張シャノワール
#東奥見聞録 【ゆっくり解説】『~番外編~雨と御山と姫の神』
歴史好きおじさんのChatGPT活用術!武将と会話できる時代到来!
紫式部と京都|源氏物語執筆の地と足跡を辿る
河井寛次郎と京都|清水焼発祥の地・五条坂での創作と暮らし
菅原道真と京都|天神様を取り巻く人々とゆかりの地
小野妹子と京都|聖徳太子に仕えた官人で華道の祖
信長は、古橋城の落城の報告を受けると、事態の重大さを再認識し、三好三人衆を自身、討ち取るべき、馬廻衆3千騎を引き連れて、8月20日に岐阜城を出立する。21日に…
横山城の包囲戦の最中、徳川家康の軍勢が、織田信長の軍勢に合流し、家康は、竜ヶ鼻に布陣した。一方、浅井長政には朝倉景健の8千人の援軍が到着する。朝倉郡は、小谷城…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
以上は、江戸時代前期の山鹿素行による、『武家事紀』の記述であるが、勝家の逸話は、江戸時代中期の湯浅常山による、『常山紀談』の記述では、尾ひれが付いた。六角義賢…
織田信長は、上洛戦の前年、1567年(永禄十年)に、伊勢国へ侵攻している。神戸具盛、長野具藤を降し、北伊勢の八郡を手中に収めた、信長は、南伊勢五郡を支配する、…
お天気が1日置きに変化する今日この頃。 少しひんやりした日曜日に、ナラノキのいえのお引渡しがありました。 江戸時代に建てられ、関東大震災もくぐり抜けてきたナラノキのいえ。 東日本大震災から9年目の今日
あすと長町地区にある長町駅東遺跡で、新たに飛鳥~奈良時代の竪穴住居跡が150戸超発見された。 これまでの調査と合わせると350戸超となり、当時としては東北最大級の集落とみられるという。[TBC東北放送]...
安政の大獄で獄死した幕末の若狭小浜藩士・梅田雲浜(うんぴん)が、越前福井藩の儒学者・吉田東篁(とうこう)に宛てた書簡が新たに発見された。 安政元年(1854)八月七日付で、福井藩を訪れた際に藩士らから受けたもてなしへの感謝を記した礼状だという。[中日新聞]※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。...
明治二十六年(1893)二月に起きた西津軽郡役所移庁事件(鯵ケ沢暴動事件)の関係資料が、鯵ケ沢町役場にあった「開かずの金庫」の中から発見された。 暴動の状況に関する知事への上申や会議録など、事件の詳細を生々しく記した公文書がまとめてつづられていたという。[東奥日報・陸奥新報]...
明治時代初期の榛名山麓に砂防のために築かれた石垣が広馬場の榛名白川源流部で発見された。 砂防のための堰堤は二十数基確認されているが、石垣に関する調査研究はほとんど行われていないという。[上毛新聞]...
1569年(永禄十二年)1月、三好三人衆は、足利義昭の仮御所、京の本圀寺を襲撃した。前年の12月に、信長が、岐阜に引き上げた後、本圀寺の警護は、明智光秀を始め…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。