在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
5月12日~5月18日 ご予定
5月5日~5月11日 天皇ご一家ご動静 ・愛子さま、彬子さま、紀子さま大阪訪問詳細日程
今上ご夫妻と宮内庁による秋篠宮家への冷遇
嗜虐的ゲーム?・・天皇ご一家沖縄訪問ご日程発表
9日 今上ご一家、本日もハラホロヒレハレ
8日 ヨルダン皇太子訪日・・ついに本心をさらけ出した今上夫妻と宮内庁
7日 久子さま万博会場でご活躍
2025春の園遊会 スナップ写真(2)愛子さまご交流の場
2025春の園遊会 スナップ写真(1)三笠山下の場
5月5日~11日 ご予定
4月28日~5月4日 天皇ご一家ご動静
3日 新緑の候 それぞれの爆走・・悠仁殿下、愛子さま、今上
夫も子供も生涯皇族!の確約を目指して・・愛子さま猛アピールが止まらない
30日 瑤子さまにカレシ!とぬか喜びさせた『FRIDAY』
29日 昭和の日の上皇上皇后
丹波黒井城跡から南東に直線距離で20kmほどのところに、中世から戦国時代にかけてこの地を支配していた波多野氏の居城・八上城跡があります。天正3年(1575...
前稿、前々稿で紹介した丹波小富士山の東山麓に、黒井城主の赤井(荻野)悪右衛門直正の娘・春姫が眠ると伝わる姫塚があります。 姫塚のある場所がなかなか見つから...
「その1」のつづきです。最上展望台から2~3分で小富士山山頂に着きました。 標高231m、比高145mほどの登山だったので、ゆっくり景色を楽しみながら登っ...
丹波黒井城跡のある猪ノ口山から北東約3kmのところに、小富士山という名の秀麗な姿をした山があります。その名のとおり、その姿が富士山の形に似ていることから、...
丹波黒井城跡から南西約2km、茶臼山陣城跡から西へ約2kmところに、かつて朝日城がありました。ここも、天正3年(1575年)から天正7年(1579年)にか...
丹波茶臼山陣城跡から東へ600mほどのところに、かつて野村城がありました。現在、野村城跡は水田地帯となっていて、その痕跡はほとんど見られませんが、土塁跡が...
山城を攻めるとき、寄せ手側は敵の城がよく見える場所に陣城を築くのがセオリーでしたが、天正3年(1575年)から天正7年(1579年)にかけての明智光秀の丹...
「その7」のつづきです。黒井城跡の南麓にあるJR黒井駅の前に春日局像があります。 小さな駅です。 こちらが春日局像。幼き日の姿でした。お福像といった方がい...
「その6」のつづきです。黒井城のあった猪ノ口山の登山口にある興禅寺は、かつての下館跡と言われています。 石垣、土塀、水堀に囲われた興禅寺は、まさにかつての...
「その5」のつづきです。千丈寺砦から45分かけて、また黒井城本城まで戻ってきました。写真は西曲輪から見た本丸です。 さて、ここからは「その1」の登城道とは...
「その4」のつづきです。本丸まで攻略しましたが、まだまだ黒井城にはたくさんの砦があります。 写真は西曲輪から見た北側の眺望です。北丹波が一望できます。 見...
「その3」のつづきです。三ノ丸の西側にある虎口から、二ノ丸に登ります。 微妙に喰い違い虎口の形状が見られます。 上から見た二ノ丸虎口。 二ノ丸から見下ろし...
「その2」のつづきです。登山をはじめて約40分、ようやく黒井城本城の東曲輪に到着しました。パンフレットによると、東曲輪の広さは20m×15mだそうです。 ...
「その1」のつづきです。黒井城跡の登山口にやってきました。ここに車を停めて、ここから登山です。 駐車場には、明智光秀と赤井(荻野)悪右衛門直正の戦いを紹介...
兵庫県丹波市にあった黒井城は、戦国時代、豪勇をうたわれた赤井(荻野)悪右衛門直正の居城として知られています。天下統一を目指していた織田信長の丹波攻めの際、...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。