知将、謀将、軍師、名将、英雄だと思う人たちを独断で推薦してください 日本史、世界史、架空の名将(山本勘助とか)でも可とします
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現在、大阪歴史博物館で開催されている「あやしい絵展」に行ってきました。 ayashiie2021.jp 「あやしい絵展」って何?なんかあやしいけど気になる!と思った方はまず公式サイトを見てください。 サイトのデザインからとっても可愛いです。とっても好みです。 「あやしい絵展」について どうしても一言で説明してほしい人のために本展の公式図録より引用します。 集められた作品は、幕末から昭和初期の排他的、妖艶、奇怪、神秘的、不可思議といった要素をもつ、単に美しいだけではないものたち 私のために開催されたのかと勘違いしてしまうほどに好みです。 アートや美術展など普段あまり興味がないジャンルなのですが、…
秋山真之の話続きです。 秋山真之のことみんな大好き秋山真之。秋山については先日紹介した「追憶」の他にもサイトに幾つか話があります。ただ何と言うか…ファンの心をくすぐる話は少ないでしょう…どちらかというと日露戦争後の話の方が多いかな。日露戦争辺りの話は他にサイトさんが多くあるので、まあ別に私が書く事もないだろうと思う所がある。『坂の上の雲』に出てくる人物の印象は強いもので、「明治は良かった」的な司馬...
みんな大好き秋山真之。秋山については先日紹介した「追憶」の他にもサイトに幾つか話があります。ただ何と言うか…ファンの心をくすぐる話は少ないでしょう…どちらかというと日露戦争後の話の方が多いかな。日露戦争辺りの話は他にサイトさんが多くあるので、まあ別に私が書く事もないだろうと思う所がある。『坂の上の雲』に出てくる人物の印象は強いもので、「明治は良かった」的な司馬遼太郎の姿勢もあってか、日露戦争で名前を...
割と有名な話ですが、海軍は「こういった人間が欲しい」と現場が出した要望、また士官本人の要望に沿って配置するのがかなり上手かったようです。マッチングの名手。これは『海軍反省会2』でも言及があり、若手~中堅士官の間でも不満を感じる者はほぼいなかったらしい。海軍の考課表は年に1度作成されていましたが、それがこの人事の基本資料になっている。この考課表が中々面白い…というか、凄いもので、滅茶苦茶細かいのですよ...
これはサイトの振り返りなのかという感じになってきました。第11回。大佐から少将に進級するのは大変という話。進級にはいくらかの条件、資格を満たす必要がありその中のひとつが大艦の艦長経験がある事。ただそれを満たさずに将官になった人物もいて、それが山本信次郎になります。山本信次郎については「ダイバーシティ(山本信次郎)」をどうぞ。笑こちらの目次を見れば瞭然ですが、山本は海軍士官としてはかなり経歴が特異で、...
司馬の紀行文学、風景で味わう 写真展「『街道をゆく』の視点」 朝日新聞 陰影に富んだ紀行文学の世界へ、いざなわれるようだ。写真展「司馬遼太…
幕末・明治・大正を学ぶ前にぜひ僕・村内伸弘が写真をたくさん撮り、心込めて書き上げた幕末・明治・大正ブログ集をご覧ください。そして幕末・明治・大正を懐かしみ、旅してみてください。 明治・大正・昭和の歩き方 - 初代内閣総理大臣 伊藤博文 幕末・明治・大正はすばらしい! 幕末・...
明治4年の天然理心流の目録写真あり!局長近藤勇!土方歳三!沖田総司!井上源三郎!などなど新撰組と言えば多摩の武術・天然理心流!ですよね 天然理心流目録が発見されました! 発見されたのは僕の高祖父・村内宇三郎(むらうち うさぶろう)の天然理心流の目録です 天然理心流とは 天然...
僕・村内伸弘の高祖父(ひいひいじいちゃん)・宇三郎が大正の初めの頃やりとりしていた手紙が多数発見されました。 大正時代の手紙(見つかった大正時代の手紙の封筒) 村内醤油店創業地の用地買収時の手紙 ※15代当主 村内宇三郎控 村内宇三郎(むらうち うさぶろう) 僕の高祖父(ひ...
大正7年/1918年に亡くなった高祖父(ひいひいおじいちゃん)が書いた 107年前の手紙が発見されました。息子である僕の曾祖父に宛てた手紙です。 村内家 第15代当主・村内宇三郎(むらうち うさぶろう) ※僕・村内伸弘の高祖父 107年前の手紙 - 僕の高祖父・宇三郎が...
日本でチャイナタウンといえば、日本三大中華街と言われる、横浜の中華街・神戸の南京町・長崎の長崎新地中華街を思い浮かべると思いますが(下の写真は横浜中華街春節時の風景)、 かつて神田神保町は、ピーク時には約1万人の清国・中国留学生が暮らす大きなチャイナタウンでした。現在の横浜中華街の中国人人口は約6000人ですので(Wikipediaによる)、当時の神田神保町チャイナタウンがいかに大きかったかが分かりま...
今年に入って一度もサイトを更新していないことに驚愕しました。すいまっせん…ブログで桐野の連載していたから良しとしてください。今回の更新は山本信次郎の「ダイバーシティ」から零れた話を拾遺したものです。思いの外本数があった為少し長めですが、調べながら面白いと感じる話が多かったのだと思う。今回「皇太子の三人男」という話を入れていますが、個人的にはこれがお気に入りです。海軍は割と多様性(ダイバーシティ)の...
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知将、謀将、軍師、名将、英雄だと思う人たちを独断で推薦してください 日本史、世界史、架空の名将(山本勘助とか)でも可とします
第十一代将軍足利義澄の長男。管領、細川高国に擁立されて第十二代将軍に就任。義晴の代は、将軍の権威が失墜し、実権を握る細川氏や三好氏に振り回される境遇だった。子に剣豪将軍、義輝。
細川政元の養子(出自は典厩家)。養子兄弟の細川澄之、細川澄元等と将軍を巻き込み権力闘争を繰り返した。
大内義興の長男。北九州などに勢力拡大を図る。晩年は文化的傾向が強く、海外貿易などで得た富も重なり、山口は西の京と呼ばれる繁栄期を迎えるも、武断派の家臣、陶隆房の謀反に斃れる。
足利義視の子。室町幕府第十代将軍。義稙の代は将軍の権威が失墜し、諸国を流転の経歴から島公方、流れ公方と呼ばれる。流浪先の阿波国撫養(現在の鳴門市)で没する。
柳生家厳の子。新陰流の祖、剣聖上泉信綱より新陰流を継承した剣豪。柳生新陰流の祖。兵法家、剣豪として広く知られるが柳生の荘、領主でもある。隠遁後、太閤検地により隠田が摘発され、所領を没収されたと言われるが、晩年は家康等の計らいにより旧領に復帰。
徳川秀忠の娘。母は崇源院。豊臣秀頼の正室。秀頼死後、本多忠刻と結婚。 父、徳川秀忠は徳川家康の三男で後の江戸幕府第二代将軍。母、崇源院は浅井長政とお市(織田信長の妹)の三女で、秀頼の母、淀殿の妹にあたる。
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足利貞氏の次男。室町幕府初代征夷大将軍。御家人を従え、鎌倉幕府を滅ぼし室町幕府を開く。
飯尾彦六左衛門尉の子(諸説有り)。油売商人であったが謀略を用い、美濃の戦国大名となる。美濃の蝮。戦国三梟雄の一人。折り合いが悪いと言われていた長男、義龍が謀反を起し、長良川河畔で戦い討ち死。
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。