在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
紫式部の先祖ゆかりの勧修寺
【大河ドラマアンコール】篤姫の次は?歴代作品一覧と 2025年以降の予想。
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(1)
大河ドラマ「西郷どん」 キャスト
大河ドラマ「西郷どん」 どこで見れる
大河ドラマ「おんな城主 直虎」第1話から第5話までのエピソードを総まとめ 井伊家の苦難が描かれます
大河ドラマ「光る君へ」第44話 「望月の夜」に満たされたのは紫式部の気持ち?
大河ドラマ「光る君へ」‐特別解説編‐8
光る君へ 44回目
大河ドラマ「光る君へ」‐44
大河ドラマ「草燃える 総集編」 どこで見れる
【光る君へ】#43 鈍感純粋まひろ一筋な道長、実資と議論かみ合わず。倫子様は鬱屈をひとりで昇華させた
一条天皇・三条天皇の火葬塚~三条天皇北山陵
大河ドラマ「龍馬伝」 キャスト モテる龍馬、支えるベテラン!
大河ドラマ「龍馬伝」 どこで見れる
福井旅行 最後は福井城址と焼き鯖寿し
<徳倉城> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-本丸を取巻く”石垣”や”櫓台”に度肝を抜かれた!
なぜ人は争うのか?戦国の時代と現代の平和への思いをつなぐ
【大手町を歩くその2】常盤橋公園と国の史跡・常盤橋門の石垣、渋沢栄一像、レアな昭和元年建設の「常盤橋」に見入る!
<津山城(4)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-「三の丸」~「本丸」までの間だけでも約35門
松山城城門 戸無門
薔薇! 薔薇♪
雨の飫肥城を歩く。 その4 <豫章館・小村寿太郎記念館>
雨の飫肥城を歩く。 その3 <旧本丸跡>
<西表島>西表島大自然満喫ツアー
雨の飫肥城を歩く。 その2 <旧中ノ丸西門~松尾丸>
雨の飫肥城を歩く。 その1 <大手門~旧中ノ丸南門>
岡山城二の丸の広場(2)
<高崎台場(砲台)> 幕末にできた立派な石垣造りの台場から明治には砲台に変遷、由良藩邸の門
<洲本城(下の城)> 背後は”三熊山”、前は水堀と石垣で守られた「洲本城下の城」
京阪の駅にこんなのがあった。旧暦の七夕祭りは仙台が有名ですが、京都でも数は少ないけど、北野天満宮や貴船、くぎ抜き地蔵など、旧暦で七夕祭りをする神社等がある。~…
小山朝政は、秀郷流藤原氏の二代当主である。 父の小山政光は、太田行政の四男であり、武蔵国の太田氏は、秀郷流藤原氏の嫡流を称していた。 政光は、下野国小山を所…
写真整理、最後です。よかったら、どうぞ~ お祭りで丁寧に祀られた不動明王に参拝して、広場を散策した。滝壺の広場の周りには、石舞台もあり、その近くにまた、七星塚…
1809年12月26日、ロシア皇帝、アレクサンドル1世は、自身の妹のアンナ大公女と、ナポレオンとの婚姻について、ポーランド王国を再興しないことを約束する、条…
さて、時代は江戸開発が盛んになった頃、そのことによって必然的に干拓地が増えた。また、それに伴ないそこには鰻も棲みつくようになったそうだ。そして、そうした鰻(江戸前)を労働者たちが食べるようになり、さらにはそれがキッカケとなって今日の「鰻食」が普及したとさ
前回続きです。良かったら、どうぞ~境内の入り口はお祭りムードが漂ってて、和やかな雰囲気だったけど、ここからが大変だったここで3の鳥居? 手水舎があり、この辺り…
越王勾践は、范蠡及び、文種の補佐を受け、着々と越の国力を増大させ、呉王房への復讐の機会を伺っていた。 伍子胥、孫武がいなくなり、夫差は、中原進出にばかりに目…
少し前の過日、夫がお祭りがあるからと交野ヶ原へ誘ってきた。 交野ヶ原といえば、先日、偶然知った七夕伝説の地域で、機物神社のお祭りは終わったけど、他にもいくつか…
宇都宮朝綱は、藤原北家道兼流の宇都宮氏の第三代当主である。 藤原道兼は、藤原道長の同母兄で、「七日関白」と呼ばれた。 藤原道兼の曽孫の藤原宗円は、前九年の役…
混まないはずはないから、見物は控えたけど、鷹山が無事に山鉾巡行に復帰を遂げて本当に良かったそして、午後から少しだけ、また稲荷へ。夕方からは涼しくて、お散歩日和…
千葉常胤は、桓武平氏良文流の上総氏と分裂した、房総平氏の千葉氏の三代当主であり、上総広常とは、又従兄弟に当たる。 千葉氏の相馬御厨は、下総守藤原親通、源義朝…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
佐々木四兄弟は、宇田源氏の近江国佐々木荘を地盤とする、佐々木秀義の息子達である。 佐々木秀義は、保元の乱、平治の乱では、源義朝に従ったために、佐々木荘を追わ…
コロナでしばらく中止になっていた稲荷の本宮祭が今年は開催されたから、夕方から少しだけ参拝した。飛行機雲かと思ってたけど、この日は気圧の関係か流れるような筋雲が…
加藤景廉は、利仁流藤原氏の出身で、元々、伊勢国を本拠地としていた。 しかし、父の加藤景員が、伊勢国の平家の家人を殺したため、父及び、兄の光員と共に伊勢国を離…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
タレーランは、ナポレオンの新「皇后」問題が、自分の復権の契機になると考えていた。 そのために、盟友のメッテルニヒと共に、マリー・ルイーズの擁立を画策したので…
先祭りの頃は、一番人気の長刀鉾と共に四条通りも見物客でいつもより混雑してて、近寄り難かった。最近は通常の人出に戻ったようでそれ程、人も多くない時もあるし、今年…
後に日本最初期の職業写真師のひとりに数えられることになる上野彦馬が生まれたのは1838年。 奇しくもその翌年(1939年)、写真(銀板写真/ダゲレオタイプ)技術が発明され、その影響もあって、早くも1840年代には欧米で一種の「肖像写真」ブームが見られたそうだ。とはい
JUGEMテーマ:歴史「亀山公園」から眺める史跡の景観は、見つけると嬉しくなります 今回は、山口県山口市にある歴史公園「亀山公園」をお届けします。 亀山は古くから長山と呼ばれ、戦国時代末期には山と
JUGEMテーマ:国内小旅行若い人たちに希望を抱かせ、力になる聖堂「山口サビエル記念聖堂」 今回は、山口県山口市にある「山口サビエル記念聖堂」をお届けします。 1952年に、フランシスコ・サビエル
吉田松陰誕生地 今回は、山口県萩市にある「吉田松陰誕生地」をお届けします。 萩城下が一望できる風光明媚な場所に、吉田松陰の実家、萩藩士杉家(家禄26石)の旧宅地がありました。 松陰は、天
「天を回らし、戦いを好転させる」ー人間魚雷「回天」ー 今回は、山口県熊毛郡平生町にある「人間魚雷回天」の資料が展示してある「阿多田交流館」をお届けします。 太平洋戦争(1941〜1945)の終わり
「英雲荘」ー2011年から10年をかけて修復した庭園ー 今回は、山口県防府市にある三田尻御茶屋旧構内「英雲荘」をお届けします。 昨年も見学に行きブログに記事を書いていますが、また違った視点で「英雲
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
紀元前485年、呉王夫差は、水軍を率い、斉を攻撃した。 当時の斉は、魯に亡命していた、悼公の殺害の直後であったが、斉軍は、呉軍を撃退した。 晋の宰相、趙鞅は…
大庭景義は、桓武平氏良文流の鎌倉景正の曽孫である。 鎌倉景正は、大庭御厨を開発し、鎌倉景継が、大庭御厨を継承して、大庭氏を称した。 源頼朝の父である、源義朝…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
お祭りで途中になりましたが奈良旅の写真整理です。良かったら、どうぞ~新薬師寺を拝観した後、すぐ近くのカフェへカフェの前の道は、山の辺の道。なかなか機会がないけ…
天野遠景は、藤原南家工藤氏の一族で、藤原景光が伊豆国田方郡天野郷を所領として、天野藤内と称し、その息子が、遠景である。 天野遠景の生没年は、不明であったが、…
岡崎義実は、三浦義継の四男で、相模国大住郡岡崎を所領とし、岡崎氏を称した。 即ち、三浦義明の末弟のため、三浦義澄の叔父、和田義盛、三浦義村の大叔父に当たる。…
本項では、十三人の合議制に選ばれていないが、源頼朝の武家政権構築に功績のあった、御家人達を紹介する。 筆者は、個人的には、源頼朝の天下草々において、北条時政…
雨降りならやめようと思ってたけど、雨も止んだし帰りに少しだけ宵山を見に寄ったけど、夜店も出るし3年ぶりのホコ天で、四条大橋の辺りで既に人がいっぱい 久々で忘れ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
奈良旅の写真整理です~よかったら、どうぞ~ 奈良にも沢山のお寺があり、どのお寺も有名な古刹。 そんな中の一つで、未訪の新薬師寺へちなみに、新薬師寺の新とは新た…
シェーンブルンの和約後、ナポレオンは、オーストリアにウィーンを返還して、パリに帰還した。 既に、ナポレオンは、自身の生涯の私生活にとって、最大の決意を固めて…
暑くてバテ気味で、鉾もあまり観に行けてないけど、通りすがりに蟷螂山の曳き初めに出会った。そんな風に道々では、チラチラと鉾を見物してるけど、私よりもスマホが重傷…
「関ケ原の戦い」(1600年)の直前の話だが、当時豊臣方(西軍)を切り盛りしていた故・豊臣秀吉の腹心・石田三成(1560-1600年)は、有力武将を味方につけるべく、その妻子を人質に取る作戦をとった。人質を大坂城に留め置くことで、彼らが徳川方(東軍)につくこと、それと
伍子胥が、闔閭に夫差を太子にするように進言したのは、夫差の兄弟である、公子子山との後継者争いを防ぐためであった。 夫差は、闔閭が、「勾践が、父を殺したことを…
梶原景時は、政治的感覚が、鋭いため、頼朝の武家政権構想を理解していたと思われる。 源頼朝にとって、安達盛長が、最も心を許せる、家臣であったのに対して、梶原景…
もうすぐ梅雨明けかという蒸し暑い日々が続き、疲れてた時に橿原神宮前のホテルのキャンペーンを見かけて、息抜きに訪れた 橿原神宮に天皇陛下が行幸される際にはお泊り…
梶原景時は、1140年(保延六年)、梶原景清の次男として、生まれた。 別説では、景時は、景清の父、景長の息子とされる。 何れにせよ、梶原氏は、後三年の役で、…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
暑くなってから、寄り道する余裕もなく、鴨川もチラッと見る程度だけど、37度くらいの暑かった日、さすがに、、人影やいつも河原に上がって羽を休めてる鴨も一羽もいな…
比企能員は、源頼朝の乳母、比企尼の甥と言われる。 比企掃部允と妻の比企尼の間には、男子に恵まれなかったため、能員を養子とした。 しかし、能員が、比企尼の甥で…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
安達盛長は、1135年(保延元年)の生まれであるが、享年からの逆算に過ぎず、実際の生年は、不明である。 安達盛長は、源頼朝が、十四歳の年、伊豆国に配流される…
石舞台古墳を後に、バスで高松塚古墳へ 少し暑い日だったから、極力歩かず、最寄り駅までバスで移動しつつ見学してたけど、壁画館へ向かう道々の風景に癒されるこれはゴ…
スールト元帥の撤退後に、クロード・ヴィクトル=ペラン元帥率いる、スペイン駐留のフランス軍、2万3千人が、ポルトガルに進軍した。 ウェリントン公爵は、スペイン…
明日香村の写真整理ですよかったら、どうぞ~ 万葉文化館を後に、明日香村の中でも屈指の見どころかと思われる石舞台古墳へこんな風に巨大な岩を運んだらしい。 エジプ…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。