在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
2025春の園遊会(1)Lunatic Doon
4月21日~27日 ご予定
4月14日~20日 天皇ご一家ご動静&最近の殿下がた
19日 園遊会の3ルート発表される・・ルート変更巷間談義に決定的に欠けている視点
佳子さま、能登視察で激励・愛子さま、オール学習院でお楽しみ
閑話:輝きはじける雅子さま、、
16日 今上ご夫妻 「日本国際賞」・トンガ皇太子ご夫妻への接遇
15日 今上、トルクメニスタン大統領と面会・種もみ撒き
14日 陛下、衆議院及び参議院役員等に拝謁を賜り軽食をふるまう
4月14日~20日 ご予定
4月7日~4月13日 天皇ご一家ご動静
関西・大阪万博開会式(2)&デイリー新潮の縁起でもない記事
12日 大阪・関西万博開会式
11日 今上ご夫妻、皇嗣ご夫妻 大阪入り
『NEWSポストセブン』愛子さまの進水式裏話を書く
「その19」で紹介した那須信吾戦死の地のすぐ近くの高見川沿いに、「天保高殿先生戦死之地・西田仁兵衛先生戦死之地」と刻まれた石碑があります。天保高殿は水戸藩...
文久3年9月24日(1863年11月5日)夕方、鷲家口手前で軍議を開いた天誅組残党一行は、敵陣に決死隊を斬り込ませて撹乱し、その隙に中山忠光ら本体が切り抜...
江藤新平が、佐賀の乱を起こし、西郷に助けを求めた時、西郷は、動かなかった。前原一誠が、萩の乱を起こし、熊本において、神風連の乱が、起こった時、西郷は、沈黙を続…
幼馴染であり、幕末の同志が、政府軍と薩摩軍に分かれ、戦ったのは、戦争の中心人物である、西郷と大久保のみではない。隆盛の弟、従道は、政府軍として、兄の隆盛、弟の…
高取城攻めで大敗を喫し、天ノ辻本陣まで退却した天誅組でしたが、そこで、中山忠光と吉村寅太郎らの意見が別れはじめます。そこへ、幕府の命を受けた紀州藩、津藩、...
「その15」で紹介した天ノ辻へ本陣を移した天誅組は、近隣の高取藩に兵糧の提供を求めます。この数日前、天誅組は五條代官所襲撃後すぐに高取藩に対して那須信吾ら...
櫻井寺本陣から天辻本陣に南下するちょうど中間地点あたりに、賀名生(あのう)という山里があるのですが、かつてここは、南北朝時代の一時期、南朝の行宮所が置かれ...
「ボウズヲシサツセヨ」のボウズは、当時、坊主頭の西郷のことで、「シサツ」は、「刺殺」なのか、「視察」なのか、本作では、明確にされていない。しかし、私学校の生徒…
帰国した頃から、大久保は、自身の本心を語らなくなり、顔つきは、険しく、まさに、悪役になる。しかし、西郷が、大久保の邸宅を去った後の表情と涙を見れば、大久保の苦…
文久3年8月17日(1863年9月29日)に櫻井寺(別稿:その11)で五条新政府を立ち上げるも、その翌日に起きた「八月十八日の政変」により、わずか1日で逆...
明治編は、基本的に、薩摩・長州閥と、土佐・佐賀を中心とする、その他の派閥対立によって、物語が、展開する。板垣退助、江藤新平、大隈重信、大木喬任など、土佐・佐賀…
五條は、幕末の思想家・森田節齋の出身地です。森田節齋は頼山陽に学び、頼三樹三郎や梅田雲浜、宮部鼎造らと親しく交わり、その門下には吉田松陰や久坂玄瑞がいまし...
西郷は、勝との会談で、江戸総攻撃の中止を決意したが、慶喜の首は、譲らなかった。勝は、西郷に、謹慎中の慶喜に直接、会うことを勧める。西郷は、寛永寺を訪れ、慶喜と…
五條出身の天誅組隊士としては、「その12」で紹介した乾十郎のほかにも2人いましたが、そのなかのひとり井澤宜庵の住居あとにも石碑が建てられています。 井澤宜...
「その11」で紹介した櫻井寺の南側に、五條出身の天誅組隊士・乾十郎の住居がありました。現在、その跡地には石碑が建てられています。 乾十郎は4歳にして孟子を...
文久3年8月17日(1863年9月29日)、天誅組隊士はいっせいに挙兵し、五條代官所を襲って代官の鈴木正信(源内)を殺害すると、ここ櫻井寺を本陣として五條...
天誅組の五條代官所襲撃によって殺害された代官・鈴木正信(源内)の墓所が、五條代官所跡の石碑から北東200mほどのところにあります。 墓は地元の人たちの墓地...
「その8」で紹介した五條代官所跡のすぐ近くに、天誅組の史跡公園があります。ここには、五條代官所の長屋門があり、民俗資料館として天誅組の史料などが展示されて...
本作において、西郷は、将軍となった、徳川慶喜の側室のふきから、慶喜が、フランスの公使、ロッシュに鹿児島など、日本の一部を割譲しようとしている、と聞き、武力倒…
本作の坂本龍馬は、唯一、主人公の西郷さえ超える、素晴らしい、人物として、描かれている。龍馬と桂が、下関で、待っている時、西郷は、長州征伐を制止するため、京に向…
文久3年8月17日(1863年9月29日)に五條に入った天誅組は、五條代官所を襲撃します。現在、代官所のあった場所は五條市役所になっています。 庁舎前の噴...
文久3年8月17日(1863年9月29日)、国境の千早峠を越えて大和国に入った天誅組一行は、昼過ぎ、五條北方にある岡八幡宮で休息しました。 このとき天誅組...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。