在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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【クラーケン】海の悪魔と言えば大抵コレ【モンスターレビュー第106回】
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小野小町ゆかりの随心院(1)小町の化粧井戸
紫式部の先祖ゆかりの勧修寺
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(2)
京都文化博物館「近衞家 王朝のみやび 陽明文庫の名宝14―御堂関白記と源氏物語」
「西山なる御寺」のモデルとされる御室仁和寺(1)
【源氏物語】十七帖「絵合(えあわせ)」簡単あらすじ&登場人物と感想
NHK 光る君へ に、ツッコミたい(というか感想?) 11/17
大河ドラマ「光る君へ」‐特別解説編‐8
光る君へ 44回目
望月の歌が詠まれた土御門邸での宴
【光る君へ】#43 鈍感純粋まひろ一筋な道長、実資と議論かみ合わず。倫子様は鬱屈をひとりで昇華させた
一条天皇・三条天皇の火葬塚~三条天皇北山陵
【源氏物語】十六帖「関屋(せきや)」簡単あらすじ&登場人物
【源氏物語】十五帖「蓬生(よもぎう)」簡単あらすじ&登場人物
為時が出家した三井寺
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
1946年(昭和21年)2月16日の夕刻、幣原内閣が終戦後のインフレ対策として、金融緊急措置令を始めとする新紙幣(新円)の発行、及びそれに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切り替え政策を発表します。これが新円切り換えです。 これは銀行の預金をいきなり封鎖してしまい、一定の範囲内の額しか現金を引き出せないようにするもので国民には不意打ちでした。 (新円切り換えの背景) 太平洋戦争終戦後から物価が高騰します。 一説には1945年(昭和20年)8月から1年で物価は5.4倍に、さらにその後の1年間に物価は3.3倍になります。つまり、2年間で物価は18倍になったのです。 政府は、この激しいインフレー…
江戸時代が始まったばかりの1607年2月20日、 京都で人気の歌舞伎踊りの創始者・出雲阿国が 初めて江戸でその芸を披露しました。 出雲 阿国(いずもの おくに)は、安土桃山時代の女性で「かぶき踊り」を創始した人です。 その踊りが全国的に大人気となり、やがて現在の歌舞伎になったと言われることから 阿国は歌舞伎の祖と言われています。 (京都・佐渡の成功を経て江戸上陸) 出雲阿国は出雲大社の巫女という噂もあり年齢も出身地も不詳の「謎の美女」となっています。 出雲阿国は、京都で流行している異様な風体の「傾く者」のファッションを取り入れ、塗笠に衣を着け紅の腰蓑をまとい、金造りの太刀やロザリオをつけた男の…
戦時中に造られた、戦闘機などを守る格納庫・掩体壕。宮崎県新富町には、陸軍の新田原(にゅうたばる)飛行場があり、周囲には掩体壕が 4体現存しています。 現存する掩体壕は、頑丈な分厚いコンクリートで造られた屋根がある有蓋掩体壕です。 4基のうち3基を見てきました。 まずはこれ。 基地のすぐ隣にある畑の中にポツンとあります。 そこから少し離れた場所にある別の掩体壕。 畑の中にあるためか農機具が置かれていました。 コンクリートが分厚いのが印象です。 戦争中に作られたので80年ほど前に作られたものですが、つくりは頑丈です。 こちらは掩体壕の後ろ。。 さらに離れたところにもう1基 こうして太平洋戦争当時の…
622年2月22日、 日本初の女帝・推古天皇の甥(兄の子)で 摂政として内外の政治に手腕を発揮した 聖徳太子が49才で死去しました。 聖徳太子は推古天皇の兄の用明天皇の第二皇子で、 馬小屋の前で生まれたことから厩戸皇子とよばれていました。 【推古天皇について書いたブログはここ】 (聖徳太子が生きた時代) 聖徳太子は、日本を天皇中心の集権国家にしようと考え、「冠位十二階」「十七条憲法」を制定し国家の基本理念を示します。 また、制度や法を整備し、さらに大陸と国交を結ぶことで進んだ異国の文化を導入し、仏教興隆にも尽力します。 聖徳太子は20才のときに父の妹の推古天皇のもとで摂政として蘇我馬子と共に天…
1929年(昭和4年)2月23日、 帝都を騒がせた「説教強盗」が逮捕されました! 説教強盗??なんじゃそりゃ と思う方もいるでしょう。 (説教強盗とは) 説教強盗とは、1926年(大正15年)から1929年(昭和4年)の4年間に東京都内に出没した強盗です。 でもタダの強盗ではありません。 金銭や銀行の通帳を奪いながらも、家人を起こし、穏やかな口調で「戸締まりをしましょう」「庭が暗いから泥棒が入りやすいですよ。」「防犯用に犬を飼いなさい」など防犯の心得を2~3時間話し、やがて夜が明けるころ、姿を消す強盗です。 「昭和のルパン」とも言われました。 (説教強盗で犬の値段が高騰!) この説教強盗は1万…
2022年(令和4年)の冬に、普段は一般公開されていない寺が、特別に公開されると いうことで見て来ました。 京都市上京区にある臨済宗円通山本山の寺院・興聖寺」(こうしょうじ)です (興聖寺=織部寺) 興聖寺は江戸幕府が開かれた年=1603年に、虚応円耳(きいんえんに)という僧が開山し、大名で千利休の高弟の茶人でもある古田織部により建てられます。そのため “織部寺”としても知られます。 この古田織部という名前、恥ずかしながらおっさんは知りませんでした。この織部さん、この周辺ではかなり有名な方とのことです。 この寺は、江戸時代には後陽成上皇や後水尾天皇の勅願寺となり繁栄しました。 (通常は非公開だ…
平家に幽閉された後白河法皇は、幽閉先で平清盛から源頼朝の挙兵が失敗し、頼朝が 命を落とした話を聞き落胆します。 しかし、その情報はすぐに間違いだということがわかり、清盛は頼朝追討を命じます。 (上総広常を味方につけよ) 石橋山の合戦で大敗した頼朝軍、頼朝軍が再起するには、2万の兵力を持つ上総広常(かずさ ひろつね)を味方につけることが非常に重要なカギとなっています。 同様に、平家側の大庭景親もこの上総広常の勢力を味方につけたいと考えていました。 頼朝は上総広常を味方にするために義時と和田義盛を遣わせます。 しかし同じ日に大庭側からは梶原景時が来ていました。 梶原景時。。。頼朝が大敗した石橋山の…
京都に、日本最初の天満宮という場所があります。 京都市上京区にある水火天満宮(すいかてんまんぐう)です。 この天満宮は、水難火難避けの神で、地元の人には「水火の天神さん」として親しまれています。 (平安時代に建立) 社伝によると、923年に比叡山延暦寺の天台座主十三世・尊意僧正(そんいそうじょう)によって創建されたそうです。 この天満宮は醍醐天皇の勅願によるもので、「水害・火災を鎮める」守護神として菅原道真が勧請され祀られました。 昔は、現在地より少し西の場所=上天神町に鎮座していましたが、1952年(昭和27年)に現在の場所=堀川通の正面入口、バス停の真ん前に移転しました。 近くには一条戻橋…
源義経は、兄の頼朝との対立が、決定的になると、叔父の源行家と共に、後白河法皇に、源頼朝追討の院宣を求めた。 後白河法皇は、義経に強要され、院宣を下したのか、…
バイレンの戦いは、戦略的に重要性はなく、大規模ではない。 しかし、スペインでは、バイレンの勝利は、神話に近い程、祭り上げられた。 スペインの周辺部の戦場にお…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
源頼朝は、源義仲討伐軍には、年貢の納入に滞り、食糧不足に陥っている、京に大軍を入れたため、乱暴狼藉を働いた、義仲の轍を踏ませなかった。 頼朝は、範頼の軍勢を…
あまり有名な出来事ではないかもしれませんが、1864年のこと、備中国(現:岡山県)井原領主・池田長発(ながおき/当時28歳/1837-1879年)をリーダーとした34名からなる「遣欧使節団」が、幕末の日本を離れ、遠くフランスへ渡航した事実があります。 これより2年ほど前の
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
紀元前635年、周の襄王が、叔帯の乱を避けて、鄭に亡命して、諸侯に支援を求めたが、権威の低下した、周王室を敢えて、助けようとする、諸侯はいなかった。 狐偃…
翌月、7月2日に、鳥羽院が崩御すると、京の緊迫は極限状態に達した。 崇徳院と後白河天皇の天皇家の対立、藤原忠実・頼長と藤原忠実の父子兄弟の対立が、頂点に達し…
新田義兼の本宗家は、名ばかりに過ぎず、鎌倉時代を通じて、山名氏及び、里見氏は、独立の御家人として、新田本宗家に従わなかった。 新田本宗家は、新田義兼、その息…
源頼朝は、源義仲討伐の功績により、正四位下に叙任した。 官位は、得られなかったが、その際、頼朝は、源義仲及び、源行家に与えられていた、平家没官領を与えられて…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
その時、フランス、スペインの双方が、予想しなかった、スペインの増援が、南から、現れて、フランス軍の左翼に向けて行軍した。 その正体は、デ・ラ・クルーズ大佐で…
古代の征夷大将軍は、大伴弟麻呂、坂上田村麻呂の二代しかなく、その後、蝦夷征討を行った、文屋綿麻呂は、征夷将軍であり、「大将軍」ではなかった。 征夷大将軍は、…
七つの海を跨く「イギリス帝国」を構想し、世界に「植民地」を拡大していていたのが19世紀のイギリスであり、海禁(鎖国)中のアジアの超大国・清国(中国)に対して起こした「アヘン戦争」(1840-1842年)も、まさにそうした行動の一つでした。完膚なきまでに叩きのめされた
宋の国民は、大いに怒り、成王の無礼を正すため、襄公は、楚に挑戦することになった。 楚軍は、首都の郢を発し、襄公は、決戦の地に宋国内の泓水の畔を選んだ。 楚軍…
源義国には、義重、義康、季邦の三人の息子がいた。 三男の季邦は、以仁王の挙兵に際して、源頼政と共に、宇治川の戦いに敗れて、戦死したと言われる。 季邦には、息…
自然と人工のちがいとは?
宇宙にオーダー2 (補足)
宇宙にオーダー
はしゃいで、騒いで、笑顔になれる、特別なセッションとは
神様からのプレゼント@白山比咩神社 不思議体験
なぜ、他人に親切にしても良いことが返ってこないのか?に回答しました。
星読みメッセージ!新しい自分に挑戦!一歩踏み出して、日常を彩ろう!
待ちに待った風の時代到来!新しい時代の始まり!
兵庫県知事選とスピリチュアル
神様の歓迎!巳の日詣りで弁財天様と龍神様からの神計らい!
星読み・牡牛座満月!風の時代・幕開けの始まり!
牡牛座満月!満月の夜に見つける、日常の小さな幸せ!
星読みメッセージ!新しい自分に挑戦!一歩踏み出して、日常を彩ろう!
スピリチュアルと予言
カツオと朝ごはん
しかし、牧の方の兄、大岡時親に「牧の方が、継母だから、仇をしようと思っているのだろう」と押し切られ、最終的には、軍勢を率いて、畠山重忠と重保の父子を討伐した…
天孫降臨の地・宮崎の空の玄関口・宮崎空港。 現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。 この周辺には今も当時使用した掩体壕(中攻用・小型機用)およびその関連施設が残っていて見ることができます。 赤江飛行場のように、1つの地域に大小の掩体壕が数多く集まって残っているのは 全国的に珍しいそうです。 そこで今回は 現存する小型機用の掩体壕を紹介します。 (3基残る小型機用掩体壕) 赤江飛行場で使用し、今も残っている小型機用の掩体壕は3基あり、近くに固まって いました。 撮影した時が逆行だったので見にくくて恐縮ですが、下が現地に掲げられていた案内板です。 では現地にあっ…
2022年(令和4年)のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。 日曜夕方6時にBSで見て、少し学習し改めて土曜日の13時5分から再放送を見るのが すっかり定着しました。 (4週連続視聴率1位) 1月30日(日)放送の第4回「矢のゆくえ」は、関東地区の平均世帯視聴率が15.4%を記録しました。 これは同時間帯の番組の中で4週連続視聴率トップです。 視聴率が15%を越える番組は、一般的に高視聴率番組と言われ、これが4週連続、つまり放送開始以来一度も視聴率が15%を下がらないのはいいことです。 さて、第4回、伊豆に身を寄せていた頼朝はいよいよ決起します。 (あらすじ) 治承4年(1180)8月、源頼朝…
宮崎空港の西側の一角に、 「宮崎特攻基地慰霊碑」が建っています。 (特攻基地赤江飛行場) 宮崎空港は、太平洋戦争中は海軍の航空基地・赤江飛行場で宮崎海軍航空隊がありました。 戦争末期には、赤江飛行場は、特攻隊の出撃基地となり、ここからも海軍の特攻兵たちが飛び立っていきました。 下の写真は、宮崎特攻基地慰霊碑の案内板に書かれていた特攻で赤江を出撃した飛行機です。 (遺族や関係者が慰霊碑を建立) 1983年(昭和58年)、この赤江飛行場の近くに、元特攻隊員や遺族、地域住民らが「宮崎特攻基地慰霊碑」を建立しました。 海軍赤江飛行場から出撃した特攻隊員など385柱と宮崎出身者でここ以外の飛行場から 出…
1996年(平成8年)2月12日午後8時50分、 歴史作家の司馬 遼太郎(しば りょうたろう)さんが腹部大動脈瘤破裂のため72歳で死亡します。 司馬遼太郎さんと言えば 歴史小説の第一人者。 「国盗り物語」「燃えよ剣」「龍馬がゆく」「花神」「坂の上の雲」 「飛ぶが如く」「項羽と劉邦」「播磨灘物語」・・・夢中になりましたね。 このような作品に小さい頃から触れたことで、おっさんの物の見方に影響を与えた一人です。 司馬さんは産経新聞の記者で在職中の1960年(昭和35年)に「梟の城」で直木賞を受賞しました。 その後、数々の歴史小説を世に出し、また「街道をゆく」をはじめとする多数のエッセイも発表しました…
2月11日は建国記念の日です。 (「建国記念日」ではなく、なぜ「建国記念の日」) 2月11日、古くは「紀元節」今では「建国記念の日」と言います。 「建国記念日」ではなく「建国記念の日」です。 この表現、よく考えると不思議ですよね。「建国記念日」ではなく「建国記念の日」。 世界には「建国記念日」はありますが、日本では「建国記念の日」、 すなわち「の」が入っています。 なぜ「建国記念日」とは言わないのか? それには理由があります。 太平洋戦争で負けた日本は史上初の外国の占領下になります。 そして軍国主義の風潮が封鎖され、皇国史観の「紀元節」も公には表舞台から消え去ります。 さらに紀元前660年・紀…
【鎌倉殿の13人 前回第4話「矢のゆくえ」のストーリーはコチラ】 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第5回では、 ついに源平合戦が始まります。 北条宗時率いる源頼朝軍は闇夜にまぎれ、伊豆国を取り仕切る伊豆国司の代官(目代)・山木兼隆と堤の館を襲撃します。 (義時初陣) 義時にとって今回が初戦(はついくさ)。 血が飛び散る戦の状況に戸惑いながら兄・宗時と父・時政に助けられながら初戦を 終了。 この弱弱しい義時が、これから回を重ねるごとにやがて勇ましく成長します。その過程も見所の1つです。 (平家の怒り) いくさに勝利した頼朝は、平家側の土地を奪って分配することにします。 しかし、これを知った平家方が怒…
2月14日は言わずと知れたセントバレンタインデー。 女性にモテモテとは縁遠かったおっさんには嫌な日でした。 (バレンタインデーの起源) 3世紀、ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止していました。 しかし、キリスト教司祭であるバレンタインは、その政策に反対しひそかに多くの兵士たちを結婚させていました。ある日、そのことが皇帝の耳に入ります。 皇帝はバレンタインに、自由に結婚を促すことを辞め、またローマの宗教に改宗するように、と命令します。 しかし、バレンタインはその命令に従わいません。 そして270年の2月14日、バ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「将軍」とは、中国発祥の言葉であり、文字通り、「軍を将(ひき)いる」ことである。 将軍は、比較的大規模な、軍隊の指揮官に与えられる、官職及び、称号であると同…
スペインのレディング将軍は、未だ、フランス軍が、東に残っているかもしれないと、警戒して、数個大隊をバイレンに駐留させると、7月18日には、残りの2個師団を率…
寿永二年十月宣旨は、源義仲が、平家追討のため、京に不在中に出されていた。 東海道を除けば、信濃国・美濃国・北陸道は、実際は、源頼朝ではなく、義仲の支配下にあ…
「ロボコップ」というちょっと古い映画があります。 死んだ警官の脳を使ってロボット警官を作る。その活躍。 そんなヒーロー映画でした。 アタシはこの主演俳優といつも混同して間違えてしまう人がいる。 それがエド・ハリスという俳優です。いつもなかなか名前が出てこない。 どうしてもアタシはロボコップの役者とこの人を勘違いしてしまいます。 「ロボコップ」の方はピーター・ウェラーという人。 なんだか雰囲気がそ...
時代劇でもしばしば取り上げられる「新選(撰)組」。非常に微妙な存在であることはその正式な名乗りからも窺えます。~京都守護職/会津藩松平肥後守容保中将/御預浪士/新選(撰)組~同じ頃活動した「京都見廻組」が幕臣(旗本・御家人)で構成された正規(公的)の組織であ
重耳は、斉にて、妻を持ったため、斉を離れようとは、思わなくなっていた。 これに対し、狐偃・趙衰達は、重耳を連れて、斉を出ることを計画する。 「この計画を斉姜…
源義光の四男、盛義は、信濃国佐久郡平賀郷を領有して、平賀盛義を称した。 盛義の嫡男の義信は、平治の乱において、源義朝に従い、十七歳の若さで、参戦する。 源氏…
12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日です。 年末になると必ず話題にあがるのが「忠臣蔵」。 大河ドラマや映画などでも何度も紹介されましたね。 (忠臣蔵とは) 「忠臣蔵」。。誰もが一度は聞いたことがあると思いますが、ここでおさらい。 1701年(元禄14年)旧暦3月14日、赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、江戸城で吉良義央(上野介)を刀で切りつけました。 いわゆる松の廊下の刃傷事件です。 「浅野殿、殿中でござる 殿中でござる」 吉良に斬りかかる内匠頭を、その場にいた人が背後から取り押さえるシーンは、 芝居やドラマでおなじみです。 吉良は、命を落とすことはありませんでしたが、傷を縫うケガを負いました。 …
12月15日、 高杉晋作が、長州藩の俗論派を打倒するために 山口県下関市長府にあるお寺・功山寺で挙兵をします。 功山寺挙兵・回天義挙です! (挙兵をした功山寺) 挙兵をした功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある長府毛利家の菩提寺です。 幕末の1863年 、八月十八日の政変で失脚した尊王攘夷派の7人の公家が、京都を追放され長州藩へ落ち延びたました。 そのうち三条実美など5名がこの寺に滞在しました。 1864年年12月15日、高杉晋作は功山寺に潜居していた三条実美ら五卿に藩内改革のために決起する決意を述べ挙兵します。 その背景には松下村塾の師匠・吉田松陰から「生きている限り、大きな仕事が出…
1926年12月25日午前1時25分、療養中だった大正天皇が48才で葉山の御用邸で崩御します。 これに伴い、26才の皇太子裕仁親王が践祚し、新元号を「昭和」とします。 大正が崩壊し、昭和の時代となりました。 (健康がすぐれなかった大正天皇) 大正天皇は幼少時から健康に優れず、第1次大戦期には十分に政務を行うことが困難でした。そのため息子の皇太子・裕仁親王が1921年(大正10年)からは摂政になり国事行為を行っていました。 大正天皇の崩御から2時間後の午前3時15分には御用邸内謁見所で皇太子裕仁親王が皇位継承をおこないました。 また御用邸で閣議が開かれ元号に関しての協議がなされ、午前11時に枢密…
1927年(昭和2年)12月30日、日本で初めて、東洋でも初めてとなる地下鉄が開業します。上野と浅草の間で2.2キロ。現在の東京メトロ銀座線です。 列車は、当時は蒸気機関車が主流でしたが、この地下鉄は電車でした。 (初日だけで10万人が利用) 12月30日午前6時、地下鉄の改札口には朝早くから押しかけた市民で長蛇の列ができました。開業初日は10万人が利用したそうです。 地下鉄の開通で2,2キロの上野と浅草がわずか5分でつながるようになりました。 電車の運転感覚は3分で運賃は10銭。夜の12時まで運行します。 地下鉄の車体は、暗い地下でもわかるように黄色に統一され、車内は影が出にくい 間接照明で…
2月1日は 1895年(明治28年)に日本初の路面電車が走った日です。 日本で最初の鉄道は新橋・横浜間というのは歴史の授業で学びますが、それは蒸気機関車。 一方、日本最初の電気鉄道は京都が発祥です。 京都電気鉄道株式会社が、1895年(明治28年)2月1日に開業し、京都市下京区東洞院通東塩小路踏切南側から、京都市伏見町油掛通までの約6.4kmを路面電車として走りました。 現在、それを記念した石碑が2つあります。 (京都駅前にある石碑) まずは現在の京都駅にある石碑。 京都駅烏丸口、住所で言うと東洞院塩小路の交差点南西角に立っています。 京都電気鉄道が日本で初めて電車の運行を始めてから80周年を…
天孫降臨の地・宮崎の空の玄関口・宮崎空港。 現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。 この周辺には今も当時使用した掩体壕(中攻用・小型機用)およびその関連施設が 残っていて見ることができます。 赤江飛行場のように、1つの地域に大小の掩体壕が数多く集まって残っているのは 全国的に珍しいそうです。 そこで今回は 本郷地区にある中攻用の掩体壕を紹介します。 本郷地区には下の写真のように住宅地の中に4か所中攻用の掩体壕が点在しています。宮崎県の資料を基に、 写真右の壕から、1号基と番号を付けています。 (1基は一般公開開始) 本郷地区にある4基の中攻用掩体壕は、まず、…
武田信義は、以仁王の令旨を受けると、源頼朝と同時期に挙兵して、甲斐国を掌握する。 更に、信濃国に侵攻して諏訪を領有した。 前述の安田義定は、甲斐源氏の一族と…
コメントいただきありがとうございます。 「ハンコの話」、これをもう少し深耕したくなりました。 これは「契約社会」への覚悟を私たちにつきつける議論となるからです。 「無駄のようでも無駄ではない」とか、「効率ばかりを追求すれば野暮である」という話だけでもありません。 ハンコは、我が国で行われてきた阿吽の呼吸、共同体での合意、私たちが共有している社会正義とか社会規範というもの、こうしたものが機能している...
天孫降臨の地・宮崎の空の玄関口・宮崎空港。 現在宮崎空港があるこの場所は、太平洋戦争中は海軍の赤江飛行場がありました。 この周辺には今も当時使用した関連施設が残っていて見ることができます。 そこで今回は 赤江にある海軍飛行場関連施設を紹介します。 (弾薬庫??) 太平洋戦争末期には海軍赤江飛行場は、沖縄戦の特攻隊出撃基地になり、ここから多くのパイロットが出撃しました。 現在は宮崎空港に隣接する畑になっていますが、ここにコンクリートでできた 建物が2つ、ポツンとあります。 案内板には弾薬庫と説明されています。 この2つのコンクリートでできた建物を見てみましょう。 下の写真の右奥と左手前の2つある…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。