在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
尹佚は、「天子に戯れの言葉はありません。天子の言葉は、史官が記録し、礼官が実行し、楽官が、これを歌うのです」と答えた。 成王は、叔虞を唐に封じたため、唐叔虞…
9月26日 陰陽師の安倍晴明が没しました。享年85。 (平安時代の有名な陰陽師:安倍晴明) 安倍晴明は平安時代の伝説的な陰陽師です。 晴明は921年、摂津国阿倍野に生まれたと言われ、和泉国の信太の森の白狐が母親であるという伝説があります。 ただし生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もあります。 晴明は、陰陽師の賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたといいます。 (40歳を越えてからの出世) 安倍晴明は、960年に40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ職)であったときに村上天皇に占いを命ぜられます。 そして50歳頃、天文博士に任ぜられます。 979年、59…
日本の近代化の大きな原動力となった官営八幡製鉄所。その八幡製鉄所の工業用水確保のために河内貯水池が作られました。 その河内貯水池に行く途中に遭遇したのが、今回紹介する鷹見神社です。 鷹見神社と言う名前の神社は、この地域一帯には複数あり、英彦山・鷹羽鷹見系の神社群を形成しているそうです。 今回紹介する鷹見神社は、住所で言うと北九州市八幡西区市瀬で、場所的には北九州市街地から離れた権現山の西の山麓にあります。 祭神は、伊弉冊尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)です。 権現山の山麓から山頂までが、この神社の管轄だそうです。 (神石) 神社の一の鳥居の…
評価:70点/作者:安田元久/ジャンル:歴史/出版:1984年 『武蔵の武士団』は、武家の発生を、関東最大の律令制化の国、「武蔵国」に焦点を当て、畠山氏・…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
前述の通り、ナポレオンは、アイラウの戦いの前の1月23日、ルフェーブル元帥に対し、ダンツィヒの包囲を命じた。 ダンツィヒは、現在のポーランドの都市、グタニス…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
1985年(昭和60年)9月25日、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等が発掘されました。 藤ノ木古墳は、法隆寺から住宅地を少し歩いた場所にあります。 下の写真の中央に見える緑色した小山のようなものが藤ノ木古墳です。 直径約48m、高さ約 9mの円墳で国の史跡に指定されています。 周囲の住宅と比較して、その大きさがわかると思います。 「藤ノ木」の名称は所在地に由来しますが、法隆寺関係の古文書や古記録によれば、 かつては「ミササキ」「陵山」などと呼ばれていたそうです。 藤ノ木古墳の脇には入り口があり、中の様子を見ることができます。 ここから中を覗いたら、こんな風に見えました。 藤ノ木古墳は1985年…
渋沢喜作は、慶喜の将軍就任後、幕臣になると、監察支配職役となった。 主な役割は、堂上方、即ち、朝廷の公家等への使者である。 農民出身の喜作は、泰平の世に慣れ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
両さんなど「こち亀」のキャラクターの像を 見つけてきました。 (強烈なキャラが登場する「こち亀」) 「こち亀」=「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(こちら かつしかく かめありこうえんまえ はしゅつじょ)は、週刊少年ジャンプに連載されていた秋本治が書いた漫画です。 主人公は、東京都葛飾区にあるという亀有公園前派出所に勤務する両津勘吉(りょうつ かんきち)という江戸っ子の警察官。 これに金持ちの中川、麗子、大原部長、寺井、バイクの本田などの強烈なキャラが登場し毎回面白いストーリーを展開していきます。 その「こち亀」の登場人物の像がJR亀有駅周辺に複数あります。 連載40周年を記念して亀有駅周辺に作…
上の写真は、9月24日、西郷隆盛が自決した場所に立つ石碑です。 この日、西南戦争が終結しました。 西南戦争は、1877年(明治10年)に薩摩藩の西郷隆盛を中心にした士族による大規模な反乱です。 「乱」ではなく「戦争」と表現していることが、その規模の大きさを物語っているように、この戦いは、日本史上最大規模でかつ最後の武士の反乱で、現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において戦闘が繰り広げられました。 おっさんは1990年(平成2年)から4年間、仕事の関係で宮崎市に住んでいましたが、 宮崎県の北部に行くと西南戦争で西郷軍が立ち寄った場所があり、当時薩摩軍が発行していた紙幣・西郷札を見ました。 ま…
昨今のニュースの中にあった「原理主義」という言葉に久しぶりに遭遇しました。えぇ、アメリカ軍が撤退した後のアフガニスタンで、政権に復帰した「タリバン」の紹介する際に使われていたのです。意味は御承知の通りで、~基本的な理念や原理原則を厳格に守ろうとする立場~
周の建国後、畢公高は、畢の地に封じられたため、畢公高と呼ばれる。 姓は、無論、姫、諱が、高である。 成王の死に伴い、畢公高は、召公奭と共に、その遺命を受け、…
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9月18日、日清食品のカップヌードルが誕生日を迎えました。 今年2021年(令和3年)で誕生50年!!半世紀です!! (ヒントはアメリカ人の食べ方) カップヌードルは、ちょっとしたことで生まれました。 1958年(昭和33年)に世界初のインスタントラーメン・チキンラーメンを開発した安藤百福(あんどう ももふく)が、 インスタントラーメンを国際食にしようと外国人にも食べやすい方法を考えていました。 安藤は、日清食品の社長だった 1966年(昭和41年)に、 チキンラーメンをアメリカのバイヤーに 売り込みに行きます。 そのときに バイヤーがチキンラーメン砕いて紙コップに入れ、 そこにお湯を注いで …
9月19日は、政府が初めて平民に苗字使用を許可した日です。 (自由平民、苗字差し許され候事) 1870年(明治3年)9月19日に「自由平民、苗字差し許され候事」という太政官の布告が 出されました。 これにより、これまで武士や公家神官など限られた人にしか許されなかった苗字が、 この日から誰もが使用できるようになりました。 (戸惑い) 苗字をつけて良いと言われても、当時、庶民は苗字を名乗らず、下の名前を使っていて、それで何も不自由はないため、改めて苗字をつける必要性を感じた人はあまりいなかったようです。 そのため、苗字を名乗る人は少なかったそうです。 また急に苗字をつけろと言われても、どうやってつ…
近江神宮は、滋賀県大津市神宮町にある神社です。 1941年(昭和15年)皇紀2600年を記念して創祀された神社で第38代天智天皇をお祀りした神社で、天智天皇の古都・近江大津宮跡に鎮座しています。 境内地は約6万坪(20万㎡)。 生い茂る木々に囲まれた参道を歩いていると涼しさと厳かさを感じます。 (祓所:はらいど) 例祭に際して修祓を行い拝殿に参進する祓所があります。大祓式もここで行われます。 実に厳かな雰囲気でした。 (鮮やかな楼門) 参道を進むとまず到着するのが楼門。鮮やかな朱色です。 楼門をくぐると外拝殿が構えています。 社殿は近江造りあるいは昭和造りと呼ばれ、山麓の斜面に本殿・内外拝殿を…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:70点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2014年 『源実朝~「東国の王権」を夢見た将軍』は、鎌倉幕府の三代将軍、源実朝の伝記書。 文弱の貴公…
渋沢喜作は、栄一と共に、平岡円四郎の推挙によって、一橋家に仕官して、徳川慶喜の家臣になった。 尊皇攘夷の志士の二人にとって、徳川御三卿の一つ、一橋家への仕官…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
安倍晴明・・・・。平安時代、陰陽道を使う第一人者として有名です。 この安倍晴明の生誕地と言われる場所が大阪市にあるので行ってきました。 (安倍晴明の生誕地伝承地は安倍晴明神社) 陰陽師・安倍晴明は、平安時代の921年に現在の大阪市阿倍野区に生まれたといわれています。 生誕地と言われる場所には現在、安倍晴明神社があります。 安倍晴明は、阿倍野の豪族だった父・安倍保名(あべのやすな)と「葛の葉」と名乗る白狐の間に生まれたという言い伝えがあります。 この神社が安倍晴明生誕伝承地です。 安倍晴明のお母さんは言い伝えでは狐です!! だからこの神社にある安倍晴明像の隣に狐がいるのかなあ?? 社伝では、安倍…
九州出身の私にとって、たまに食べたくなるのものがあります。 その1つがハウス食品が九州を中心に販売している袋入りインスタントラーメン「うまかっちゃん」です。 「うまかっちゃん」は、九州方面でしか売られていない袋入り豚骨ラーメンで40年以上愛されています。 豚エキスに野菜、香辛料が香るさっぱり味の白濁とんこつスープ。 さらに、モチモチの細麺。 そして調味オイルがおいしさを引き立てます。 (開発秘話「九州で売れるラーメンを」) 「うまかっちゃん」は、1979年(昭和54年)9月12日に九州限定の豚骨味ラーメンとして発売されました。 当時、ハウス食品の福岡工場でもインスタントラーメンが作られていまし…
マッチ・・・最近見かけないですね。 9月16日は、1948年(昭和23年)のこの日に、これまで行ってきたマッチの配給がなくなり自由販売になったことにちなみ、この日が「マッチの日」となりました。 (戦争中は配給品) 1940年(昭和15年)に砂糖・マッチが切符制になりました。当時は日中戦争の最中で、翌年1941年(昭和16年)には太平洋戦争が始まります。戦争の長期化で、日用品から 生産資材に至るほとんどの物資が統制配給の対象となった時代でした。 戦争が終了し、9月16日にマッチの配給制が解かれ、自由に販売できるようになりました。 (明治初期に国産マッチが誕生し外貨獲得の重要商品に) 手軽に火をつ…
1964(昭和39)年9月17日、モノレールが開通しました。 開通したのは東京モノレール。 当時のモノレールは、浜松町 - 羽田間の運行で、途中の駅がなくノンストップの15分で結んでいました。 運賃は大人250円・小児130円。 ちなみに、国鉄の初乗りが20円、中型タクシーの初乗りが100円、週刊誌が50円なので、そこから考えるとモノレールの運賃は高額でした。 この東京モノレールが開通したのは、10月10日の東京オリンピック開会式の23日前でした。アジアで初めてのオリンピックとなる東京オリンピックが開催されたこの年は、東海道新幹線や首都高速道路、地下鉄、交通網が整備されました。 その1つとして…
日本史における、大和朝廷登場以降の時代区分を眺めてみると、概ねのところこんな具合になっています。飛鳥時代/奈良時代/平安時代/鎌倉時代/建武の新政/室町時代/安土桃山時代/江戸時代/そして、明治時代以降の明治/大正/昭和/平成/という具合で、現在の令和時
周公旦の政治からの引退の時期は、各史料によって、異なるため、正確には、不明である。 しかし、成王の即位の紀元前1042年から、成王の息子の康王の死の紀元前9…
缶ビールを開けるときの「プシュッ!」という、あの音、いいですね。 1958年(昭和33年)9月15日(月)、朝日麦酒(現在のアサヒビール)が日本で初めて缶ビールを販売しました。 容量はビール大瓶633mlの半分ちょっとの350ミリリットル。価格は75円。ちなみに ビール大瓶1本の値段は125円でした。 (缶ビールは、缶切りで開けていた!!) 缶ビールの日本第1号は1958年に、発売された「アサヒゴールド」です。 なんとこの缶ビール、今の缶ビールのスタイルとは違い、缶詰と同じように缶切りで 穴を開けていました!! 日本最初の缶ビールは、缶に缶切りで穴を開け、そこから中に入っているビールを注ぐタイ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
【昭和戦前の広島大本営(広島市公文書館所蔵)】 (日清戦争で広島に大本営設置) 1894年(明治27年)に始まった日清戦争の戦争指揮をとるために同年9月13日、 広島城内に大本営が設置されました。 実は、首都・東京以外での大本営の設置はこれが最初で最後です。 下は広島城の案内板です。中央に大本営跡があります。 広島大本営跡は広島城に入り石段を登ると、すぐ見ることができます。 現在、大本営跡には、石碑と建物の基礎だけが残っています。 (日清戦争開始1ヶ月後に広島に大本営設置) 大本営・・・天皇直属の日本陸海軍の最高総帥期間で、 日清戦争、日露戦争、日中戦争から太平洋戦争まで、と3回設置されました…
評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:2015年 『源実朝~歌と身体からの歴史学』は、鎌倉幕府の三代将軍、源実朝の伝記書である。 源実朝が、…
JR新橋駅前にあるSL。1972年昭和47年)10月に鉄道開業100周年を記念して設置されたものです。 1872年(明治5年)旧暦の9月12日、新橋ー横浜間での我が国初の鉄道の運行が始まりました。 当日、新橋駅では式典が催され、明治天皇を乗せたお召し列車が新橋駅から横浜駅に 向けて出発しました。 (鉄道は近代化の動脈) 江戸幕府を倒し誕生した明治政府は近代的な産業を育てることで「富国」を実現使用と考え、そのために殖産興業に取り組み交通の整備が始まります。 それの1つが日本初の鉄道、新橋―横浜間の開業です。 (2日がかりで歩いた距離を53分で通過) このとき開通した、新橋―横浜間の総距離は29キ…
アイラウのフランス軍は、3軍団、3万9千及び、親衛隊6千。 それに対し、ロシア軍は、8個師団、6万7千であり、劣勢のフランス軍は、当日、攻撃を仕掛ける、予定…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
渋沢喜作、別名、渋沢成一郎の名前は、2021年の大河ドラマ、『青天を衝け』によって、飛躍的に高まった。 『青天を衝け』の放送以前に、渋沢喜作の名を知っていた…
福岡県北九州市若松区白山一丁目にあるJR九州・筑豊本線の若松駅は、かつて貨物取扱日本1を誇った駅です。 (石炭輸送の鉄道として開通) この若松駅は1891年(明治24年)8月30日に日本有数の石炭地である筑豊の石炭の鉄道輸送を目的に設立された筑豊興行鉄道により開設されました。 石炭の積み出しを目的にした駅で、広大な駅構内には石炭を積んだ多くの列車が出入りしていて、石炭桟橋から石炭を積みだし国内外へと運ばれていきました。 (一等駅・若松駅) 若松駅は、筑豊の石炭を運ぶ駅として栄え、戦前は日本で一番貨物取り扱いの多い駅でした。 戦前、当時の国鉄の駅には1等から5等までの等級がありました。 若松駅は…
~日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。 恙無しや、云々~これが我が国朝廷を代表として聖徳太子が隋の煬帝に宛てた国書の内容だ。かなりのツッパリを感じさせるこのタメ口の物言いに当の煬帝が激怒したことは言うまでもないが、そこはそれ国家間の礼儀というこ
奄と薄姑の領地は、新しく、封じられた、周公旦の魯及び、太公望の斉に併呑されている。 殷の領土は、分割され、一部は、武王の弟である、康叔の衛に統合された。 殷…
広島市にある原爆ドーム。広島市に原爆が投下された8月6日には必ずTVに登場する 建物です。 原爆ドームは1945年 (昭和20年)8月6日8時15分に広島に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える建物で、世界遺産に登録されています。 原爆ドームは、広島県のさまざまな物産を展示する広島県物産陳列館として開館され、戦中から原爆投下時までは広島県産業奨励館と呼ばれていました。 (軍都広島に建設) 広島市は日清戦争の時に大本営が置かれるなど軍都として発展し経済の拡大とともに 広島県産品の販路開拓にも力を入れていきます。 そのため、県内産製品の開発、品質向上、販路拡大のための拠点施設として1915年 (大…
評価:75点/作者:暁太郎/ジャンル:歴史/出版:2006年 『三浦義村』は、清和源氏の累代の家人、三浦一族の嫡流、三浦義村の伝記書である。 三浦義村は、…
ナポレオンは、マリア・ヴァレフスカを「ポーランドの妻」と呼び、1808年4月から、六週間、二人は、東プロイセンのフィンケンシュタイン城で、共に過ごした。 1…
1878 年(明治十一年)、大蔵卿の大隈は、殖産興業及び、不平等条約改正のための世論を形成する、民間の商人が、互いに相談する、集会の様な機関の設立を、栄一に…
「津浪記」と刻まれた石碑。。 大阪市大正区。JR大正駅から歩いてすぐ、安治川と木津川が合流するかかる大正橋の たもとにあります。 この石碑は、幕末の1854年に起きた「安政南海地震」とその直後に発生した津波の被害の状況を記した「安政大津波碑」で、地震の翌年の1855年7月に建立されました。 この石碑が建てられた当初は木津川には橋はなく、石碑は渡し場に建てられていたそうです。 石碑の正面は花立、線香立てがあります。 (水の都大坂を襲った津波) 江戸時代の大阪は水運に恵まれ背景に京都などの大消費地を控え全国の物資の集散地となっていました。 街の中を何筋もの川が通り、川にはたくさんの橋が架けられてい…
これぞ、石に刻まれた未来へのメッセージ!! 江戸時代の人が、「地震が起きたときにどう行動すれば良いのか?何を注意すればよいのか?」という教訓やアドバイスを未来に伝え残している・・そんな石碑があります。 和歌山県有田郡湯浅町にある深専寺(じんせんじ)の門前に建てられている石碑です。 下の写真、赤で囲んで部分です。 地震に関する石碑と言えば、震災で亡くなった人々の慰霊碑を思いつく人もいると思いますが、この石碑には地震の被害状況などの記録と避難方法、避難先が刻まれています。「地震が来たらこうしなさい」という過去から未来へのメッセージなのです。 (安政南海地震を伝え残す) 幕末の1854年(安政元年)…
清王朝が、滅亡して、中華民国が、成立した、1912年の「辛亥革命」を除けば、中国史上の革命は、全て、「易姓革命」である。 中国史上、最後の皇帝、溥儀が、退位…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。