在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
<芝村陣屋>の”城門”を巡るー織田有楽斎の四男が藩祖となった陣屋惣門が慶田寺に移築現存
<大和郡山城>の”城門”を巡るー南御門が永慶寺に移築、惣構えの大門一つも再現
<高取城>の”城門”を巡るー”子嶋寺山門”に”二の門”、”石川医院表門””植村家長屋門”等にも
<五条代官所>の”城門”を巡るー”天誅組の変”で襲撃され焼かれるも近くに直ぐに再建された長屋門
<佐和山城>の”城門”を巡るー”赤門”二門が彦根城下に残ると伝わる
<大溝陣屋>の”城門”を巡るー昨年に文具雑貨店”高島文庫”が解体復元された総門
<坂本城>の”城門”を巡るー”西教寺総門”と”聖衆来迎寺表門”に移築と伝わります
<膳所城(4)>の”城門”を巡るー草津市の”鞭崎神社”、遠く泉大津市の”細見邸”へ移築
<膳所城(3)>の”城門”を巡るー”新宮神社””近津尾神社””御霊神社”に移築されている城門
<膳所城(2)>の”城門”を巡るー”膳所神社”に3門が移築、”和田神社”には藩校門が移築
旅日記 No5 平戸島&生月島をドライブ
<膳所城(1)>の”城門”を巡るー摸擬”大手門”だけでなく移築現存の”犬走り門””北大手門”
<水口城>の”城門”を巡るー”徳川家光”上洛宿泊城として築城、出丸に復興高麗門と模擬長屋門
洲本城/淡路島
<永原御殿>の”城門”を巡るー徳川三代が上洛時に宿泊、休憩に使用した御殿の移築門
こんにちは。今回は「日本初」というものが多い、 歴史ある通り、横浜の「馬車道」をご紹介します! 貿易のため横浜港が開かれた際、 関内に外国人居留地が置かれました。 関内地域と横浜港を結ぶ道路のうちの一つとして 馬車道は1868年に開通しました。 外国人はこの道を馬車で往来しており、 関門があった「吉田橋」から「万国橋」の手前までを 「馬車道」と呼ばれるようになりました。 馬車道概要 「馬車道はじめて物語」はJR関内駅で見つけました。 該当する場所に石碑などが建てられています。 馬車道はじめて物語 「日本国新聞発祥の地」は横浜中華街 関帝廟近くにあります。 それ以外は馬車道至近にありますので、た…
私りんりんは観光地に行くと 必ずその土地の博物館、資料館に行く、博物館オタクです❤ 横浜観光の定番である、山下公園を散策した際に、 是非立ち寄っていただきたい博物館を5つ選んでみました! (以前アップしたものに加筆訂正を加えて、編集しています) 山下公園 日本郵船氷川丸 横浜人形の家 シルク博物館 横浜開港資料館 日本郵船氷川丸 氷川丸 氷川丸は日本郵船が1930 年に シアトル航路用に建造した貨客船です。 戦争中は海軍特設病院船となり、 戦後は貨客船に戻り1953年にシアトル航路に復帰。 船齢30年に達し第一線を退くまでに、 太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、活躍しました。 196…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。