在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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ご訪問いただき、ありがとうございます応援いただけると、とても嬉しいです♪ 皆様こんにちはもう既に2ヵ月前の事になりますが、四天王寺で聖徳太子の1400年御聖…
○我と来て 遊べや 親のない雀 → 親とはぐれて一羽で遊ぶ寂しそうな子雀よ、同じように母を亡くした 私と一緒に遊ぼうじゃないか。 ○雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る → 雀の子よ、早くそこをどかないとお馬さんに踏みつぶされてしまうよ。 ○やれ打つな 蠅…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
奈良時代の皇統は、 ○第38代・天智天皇(在位:668-671年) ○第39代・弘文天皇(在位:671-672年/明治新政府によって認定) のあとに立った天武天皇以下九代(八人)約百年間の歴代天皇方に対して、 「天武系」という表現を用いられることがあります。 具体的には以下の…
「逆説の日本史 20幕末年代史編Ⅲ」の中で、著者・井沢元彦氏は佐久間象山(1811-1864年)の暗殺に触れ、こう書いています。 ~日本史上もっともテロが横行した幕末の文久から元治にかけても、 「人斬り」とまで呼ばれた人間は四人しかいない。 この「人斬り彦斎」こと熊
江戸後期の1828年のこと、任期を終えたドイツ人医師・シーボルト (1796-1866年)の帰国のための船が、たまたま起こった暴風雨によって 難破し、そのために積み荷が調べられることになりました。 その際、持ち帰ろうとした帰国用の荷物のうちに伊能忠敬(1745-1818年) 作成の日本地図などを含む多くの禁制品のある…
たまたま観た古い時代劇に犯人逮捕のシーンが登場していました。 えぇ、六尺棒を持った大勢の捕り手たちが、取り囲んだ犯人を力ずくで取り 押さえる場面です。 その捕り手たちが携えていたのが、「御用」の文字が入った提灯でした。 そこで筆者はこう思ったわけです。 ~「御用」と記された提灯を掲げて犯人逮捕に臨んでいるのだから、この 大勢の捕り手…
~殿中(江戸城内)において浅野長矩が吉良義央に刃傷に及ぶ~いわゆる「元禄赤穂事件」(1701年)の発端となった出来事ですが、この第一報は、当時の常識を打ち破る“驚異的なスピード”をもって、国許・赤穂まで届けられました。普通の旅行者なら概ね17日、飛脚なら8日をか
とある少年の特異な体験談(1820年頃)が世間の注目を集めていた。~オイラは、神仙界に自由に行き来できる不思議な老人(仙人?) と出会い、その老人に連れられてあっちこっちと飛行し、やがて 常陸の岩間山へ飛ぶや、その山中で四年間にわたって諸武術・ 書道・祈祷術
たまたま名古屋城を訪ねる機会を得た筆者は、ひょっこりこんなことに 気が付いてしまいました。 ~尾張人でありながら、名古屋城なんてメッチャの久しぶりじゃん~ 折にふれ、取り上げられていた名古屋城敷地内の復元「本丸御殿」。 その一般公開が、何年も前の2018年にはすでに始まっていたのに、筆者の 訪問が…
みたび、金関丈夫の『考古と古代――発掘から推理する』(法政大学出版局)から。この中の一章「十六島名称考」で、島根県の、十六島と書いて「ウップルイ」と読む地名の由来が考察されている。金関はその語源を朝鮮のほうに求めているのだが、話はほかの地名にも及んでおり、かつて壱岐に「於路布留」という地名があったが、読みは「オロプル」だったという推論を述べたあと、話題は蛇に転じる。壱岐の於路布留はオロプルだったとわかりましたが、このオロはまた、出雲に現われたヤマタのヲロチのヲロと共通かも知れません。いったい蛇には「ヘビ」「ハミ」「ハブ」の系統の名称の他に「チ」という名があり、水に住むものが「ミヅチ」(水の蛇、竜)、野にいるものが、「ノヅチ」(野の蛇、野槌)などといわれています。(中略)蛇の一名であるこの「チ」は、アルタイ語系の...蛇と生命、その語源
「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるように、江戸時代における 江戸の町は頻繁に大きな火災を経験しています。 この言葉は第四代将軍・徳川家綱時代の老中首座(大老)・酒井忠清 (1624-1681年)の発言がその語源とする説もあるようで、それによれば、 度重なる大火の発生にすっかりアタマにきちゃった老中・酒井が、
日本人が大好きなお芝居ということなら、元禄赤穂事件をモデルにした「忠臣蔵」は必ずその上位にランクインすることだろうが、お芝居の方が有名になりすぎてしまい、史実の方はいささか影が薄い。それは、一般的には「殿中刃傷事件」(1701年)とその後に発生した「吉良邸討
ネット徘徊をしていた折、ちょっと気になる像に遭遇してしまい、ついで のことにチョイとばかり深入りしてみました。 下の像がそれで、モデルの人物は「空也上人」と案内されています。 聞き覚えがあるようなないような、筆者にとっては微妙なお名前だったこと もあって、その「空也上人」のプロファイルから探ってみることにすると、
人間の年齢って、いつ加算されるのか?現代人と昔の人ではこの問題に対する回答はおそらく異なるであろうことを、若いヒメ隊員は理解できるかな。そう、言葉にすれば、「満年齢」を採用している現代に対し、明治以前は「数え年」を使っていたからだ。では、昔の人はなぜ「数
前回に引き続き、金関丈夫の『考古と古代――発掘から推理する』(法政大学出版局)から。この中の一章「海南島の黎族」で、中国の少数民族、海南島に住む黎族(リー族)の、独特な文化が紹介されている。特に僕の目を引いたのは、靴に関する風習。女の子が十四歳くらい、つまり見るものを見るころになると、両親は住家をはなれた畑の中に、娘のための小屋をつくってやる。(中略)日がくれると、村の若い衆がこれを訪問する。女よりさきにはいって待っている。一番乗りの男に、その夜の優先権がある。こうした交際でできた幾人かのボーイフレンドの中から、結婚の相手をきめる方法がおもしろい。娘が下駄の片方をつくる。ボーイたちもそれぞれ片方の下駄をつくる。それを合せてピッタリとサイズの合うものが選ばれる。歌合せでなくて、下駄合せだ。(中略)この下駄合せの方...靴と婚姻と二足歩行
地上の様子は地球を離れた空間にある人工衛星からもハッキリと観察できる 時代になって、そうした映像は時折ニュース放送などでも流されています。 昨今で言うなら、特殊軍事作戦と銘打ったロシアによるウクライナ侵攻の 報道がまさにそれで、侵攻初期において、ロシア軍戦車の隊列が道路上に 一直線に並ぶ姿が連日のように伝えられました。 そうした映像の特徴は、河・森・山・道路などの…
~白地の中央に太陽(日章)の赤丸をあしらった日章旗(日の丸)を、 いつ誰が日本の国旗と決めたのかしらん?~突然にこんな質問をぶつけられたとしたら、「日の丸弁当」の方ならともかくも、まあ大抵の方は即答できるものではありません。そこで頭の中を少々クールにした
江戸時代における庶民生活って一体どんなふうだったのか? ドラマなどでそうした様子を描いていることも少なくはありませんが、でも なんとなく実感が伴ってこないのもまた事実です。 そう感じていたところで、とある本の中に「長屋の生活」と題した項目を 見つけてしまいました。 そういう成り行きなら、それを無視することは難しい。 そこで中身を覗いてみたのですが、のっけに紹介さ…
ロシア軍 旗艦「モスクワ」が沈没 米報道官「戦力に影響」nhk2022年4月15日こうした中、ロシア国防省は14日、ロシア海軍の黒海艦隊の旗艦「モスクワ」につ…
「衣食住」という言葉があります。 人間が生命を守り生活を維持していくために欠かせないものとされる衣服と 食物と住居を指した言葉です。 その意味合いはまあ素直に認めることにしますが、ただ、ちょっと待て。 その順番だ。 これが、人間にとって重要なものの順番に並べたものだと したら、筆者的にはちょっと首を傾げたい。 だって、人間に限…
金関丈夫の『考古と古代――発掘から推理する』(法政大学出版局)を読んでの気付き。この本は、考古学・人類学・民族学を専攻し、発掘調査も行う金関が、様々な媒体に発表した、おもに考古学に関する論考をまとめたものである。その中の一章「髑髏盃」で、インド洋アンダマン島のオンギ族や、台湾の高砂族、ヒマラヤ地方などに、人の骨を加工して様々な道具を作る「人骨文化」があるとして、次のような具体例を挙げている。また、人の大腿骨や脛骨で、笛をつくって、祭りのときに演奏したりする。(中略)この、人骨で笛をつくる風習は、しかし、この地方だけではなく、近東からアフリカにまでひろがっていて、例えば古代エジプト人は、人間の脛骨で笛をつくり、これを、その骨の名をとって、シビと呼んだ。これは今の脛骨の学名であるラテン語のチビアと同語であり、またそ...骨と音楽と呪術
佐渡島への配流(遠島)について、こんな記事がありました。~722年の古くから始まり、1700年に廃止されるまで、実に 979年間の長きに渡って続いた~さらには、~奈良時代から室町時代にかけて76人、江戸時代に139人の 合計215人だった~そして、~1601年のこと、この「遠
歴史の中には国家のトップに立った女性も少なからず存在しました。 大昔の日本なら、三世紀前半頃の倭の時代の女王・卑弥呼(生没年不詳)が そうでしたし、その後も大王・天皇に就いた女性は少なからずいました。 第33代とされる推古天皇(554-628年)の即位は、日本初の女性天皇の誕生、 というよりは東アジアで…
江戸時代のあれこれを紹介した本にひょいと出会って、何気にそれを 眺めていたところ、「将軍の一日」というページに行き当たりました。 筆者はこれまで一度たりとも「将軍生活」というものを経験したことが ありませんでしたから興味津々です。 首を突っ込んでみると、ご丁寧にも将軍生活のイラスト入り日課時間割も 添えられています。 しかも、その時間割も親切なことに当時用いられて…
ごく一般的に使われている歴史用語の中にもなんとはなしに違和感が伴う 言葉もあって、筆者の場合ならその一つが「賜姓皇族」です。 ちょっと面倒な気がしないでもありませんが、折角ですからその説明も拾って おきましょう。 ~皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りることを「臣籍降下 (賜姓降下)」…
「士農工商」とは、元々は中国・儒教が生んだ身分概念ですが、日本の学校教育などでは、これを江戸時代における身分序列であり、「四民」を偉い順に並べたものだと教える向きもありました。しかし、実際には儒教の概念を超えるものではなく、身分序列というほどに厳密で窮屈
天下平定を目前にした織田信長(1534-1582年)が家臣・明智光秀(1528?- 1582年)の謀反に倒れた後の天下を掌握したのは、これまた信長の家臣で あった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)でした。 そして、さらにその秀吉が死を迎えたことによって、その後の豊臣政権には 大きなヒ…
高天原の天照大神はこんな内容の「天壌無窮の神勅」を与え、孫のニニギを 地上の世界へと送り出し(いわゆる「天孫降臨」)ました。 ~いいこと、ニニギちゃん。 この国は我が子孫が王たるべき国なのよ。 さあ今から出発して、しっかりと治めなさいネ。 そうすることで皇位は天地と共に永遠に栄えるのよ。~ そしてこの折、天照大神がニニギに授…
21世紀の現代日本でも、たとえば生年月日を表す場合などには「元号」を 用いる機会があります。 えぇ、昭和、平成、令和といった、その元号のことです。 でも、そもそも「元号」って一体なに? 普段それについてあまり考えることはありませんから、やや不意打ち気味の 問いかけになりますが、それでも木で鼻をくくったような返答なら、 このくらいの…
旅行に出かけようとしたとき、それが現代人の場合なら現金なりカードなりの 金銭的な裏付けになるものを備えていれば、基本的にはまあそんなに困ることは ないはずです。 何かを必要としたときでも、これがあれば近くのなお店に飛び込むことで、 まあ大抵の物は手に入れることができるからです。 たとえば、ノドの渇きや空腹が襲ったとき、あるいは思いかけず体調不良に 陥った時などでも…
いわゆる「黒船来航」(1853年)より半世紀ほど前のこと、鎖国体制にあった日本の長崎港にイギリス軍艦が突如侵入するという事件がありました。軍艦の名から「フェートン号事件」(1808年)と呼ばれています。イギリス軍艦であるにもかかわらず、「オランダ国旗」を掲げて堂
たとえば、近年なら.昭和とか平成とかの、いわゆる「元号」について、 こんな説明に遭遇しました。 ~日本の場合、最初の元号である「大化」から「慶応」までは災害や 天変地異などの理由で頻繁に改元が行われてきた。 ~ ところが、~「明治」以降は一世一元の制に基づく~そうで、要するに、 天皇一代につき一つの元号とされということであり、さ…
その藩の籍から離れ、主従関係を解消する「脱藩」・・・こうした経験を持つ人物は、幕末に限っただけでも何人もいます。たとえば、長州藩士・吉田松陰(1830-1859年)は、我が目で東北の状況を確かめるべく旅行を計画したものの藩からの許可発行が遅れたため、それを待たずに
何気に眺めていたTV画面に水中を泳ぐ魚の姿が映り、併せてこんな ナレーションが流れました。 ~この魚は周りの環境に合わせて自在にオスメスの性転換をする~ ふぇえ、誕生した時のオスメスの別が、成長した後でも転換できてしまうのか。 ちょっとビックリだったので、もう少し探ってみると、なんと、 ~実は魚のうち約50…
江戸時代には前後三回の「伊勢参り」フィーバーがありました。①1705年(宝永2年)/②1771年(明和8年)/そして③1830年(文政13年/天保元年)です。参詣者数の数字を具体的に挙げれば、①③では人口の12%以上、②では同6%以上と推定されています。またいずれの年も、いわゆ
あまり有名な出来事ではないかもしれませんが、1864年のこと、備中国(現:岡山県)井原領主・池田長発(ながおき/当時28歳/1837-1879年)をリーダーとした34名からなる「遣欧使節団」が、幕末の日本を離れ、遠くフランスへ渡航した事実があります。 これより2年ほど前の
七つの海を跨く「イギリス帝国」を構想し、世界に「植民地」を拡大していていたのが19世紀のイギリスであり、海禁(鎖国)中のアジアの超大国・清国(中国)に対して起こした「アヘン戦争」(1840-1842年)も、まさにそうした行動の一つでした。完膚なきまでに叩きのめされた
2019年末に中国で(と考えられている)新たに発生した「新型コロナウイルス 感染症」は日本でもその後数度にわたる感染急拡大を繰り返しています。 ~現代にもあるくらいだから、こうした事態は昔もあったに違いない~ そう踏んでいた筆者の手元に届いたのが、特集記事を組み別冊誂えにした 地元紙・中日新聞のサン…
時代劇でもしばしば取り上げられる「新選(撰)組」。非常に微妙な存在であることはその正式な名乗りからも窺えます。~京都守護職/会津藩松平肥後守容保中将/御預浪士/新選(撰)組~同じ頃活動した「京都見廻組」が幕臣(旗本・御家人)で構成された正規(公的)の組織であ
四季に恵まれた日本で一番人気の季節は春なのかもしれません。 なぜなら、寒さから解放され、草木も芽生え何やら生命の躍動を感じさせる 季節だからです。 実はこうした季節の春の他にも人気者の春はあります。 えぇ、「春画」です。 これをご存知でない方は少ないと思いますが、念のために説明を拾ってみると、 ~そ…
たとえば江戸時代の人が「東海道五十三次」の旅行に挑んだとします。江戸日本橋から京都三条大橋まで、あるいはその逆のコースでも同じですが、東海道の道のりは490km余り。さて、それだけの距離の徒歩旅行ともなれば、宿場町という一種のサービス・エリア?がある地域はとも
たまたま遭遇した「聖徳太子」についての説明文にこんな内容が記されて いました。 ~飛鳥時代の政治家、また宗教的思想家であり、厩戸(うまやど)皇子、 豊聡耳(とよとみみ)、上宮(かみつみや)王ともいう。~ 「飛鳥時代の」とありますから、念のためにその期間を確認してみると、 ドッコイ、広義と狭義の二種…
前回の「千と千尋の神隠し」の後半に追記しようよ考えていた部分なのですが、 クリック協力お願いします。ツイッター@moriezokikorro 副アカウント等未…
最初の「黒船来航」(1953年)の折、開国を迫ったペリー艦隊は、その帰りしなに、幕府に対してこんな挨拶を言い残しました。~また来年もお邪魔に上がりますから、どうぞヨロシクね~この言葉にアワを食ったのが幕府でした。なぜなら、開国を迫るようなウットウしい奴らには
たとえば、葬儀参列の折に親戚の幼子から不意打ちのこんな質問が飛んで きたと思ってください。 ~ねぇねぇ、死んじゃったらどうなるの?~ 普通の人間なら普段それほど考えるようなテーマではありませんし、その 発端が幼子の思い付きのお問合せですから、まあこのくらいの返事になるの かもしれません。 ~おジイ(…
「古事記」では「木花之佐久夜毘売」、「日本書紀」では「木花開耶姫」、一般的には「木花咲耶姫」と表記される「コノハナノサクヤヒメ(ビメ)」という名が神話に登場しています。咲く花をイメージさせるまことに美しい名の姫です。実はこの姫、「天孫降臨」を果たしたニニ
多分これはヨタ話の類に違いないと踏んだこともあって、あまり熱心には 耳を傾けることはなかったのですが、町内長老のお話はこうでした。 ~かかりつけ医がワシにいうことにゃ、「アナタは糖尿病の二軍患者」だとさ~ なんにつけ病気と分かれば、その対処は避けて通れませんから、 ~まあ、早めに分かってよかったじゃな…
以前にも同じことを書いたのですが、宮崎駿ジブリ劇場アニメには、多くの場合、 クリック協力お願いします。ツイッター@moriezokikorro 副アカウント等…
江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849年)には、数多くのユニークな逸話が残されています。 たとえば、○改号すること30回?(異見もあり/「北斎」はその内の一つ)。○生涯に93回?の「引っ越し」を繰り返した。○どの住まいも掃除をすることなく「ゴミ屋敷」化が
その昔に見た娯楽時代劇に「虚無僧(こむそう)」が登場していました。 深編笠を被って顔を隠し、尺八を携えたお約束のいでたちです。 その時はまるで能天気に見過ごしていたのですが、後になってひょいとこんな 疑問が浮かんできたのです。 ~虚無僧って、いったい何者なの?~ 要するに以下のような諸々の事…
江戸時代(1709年)のこと、燃える使命感を抱き、なんと髪を月代に剃り和服に大小二本差しという武士姿になって、日本(屋久島)上陸を果たしたイタリア人カトリック司祭・シドッチ(シドッティ/1668-1714年)がいました。かなり本格的?な変装ではあったものの、日本語が使
~日本の真ん中ってどこだろう~ふと、こんな疑問が頭に浮かんだので、ついでのことにチョイと調べてみようと思い立ったのです。ところが、「日本の真ん中」を決めるにも、実に多種多彩なモノサシがあることを知りました。たとえば、こんな具合です。○国土の重心・・・石川
戦国の雄・織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、信長近習の書記・太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に、儒者・小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)
江戸中期の浮世絵師・東洲斎写楽は、一般的には~1795年5月から翌年3月にかけての約10ヶ月に百点以上の 錦絵を残し「忽然と姿を消した」?謎の人物~と理解されているようですが、これって少しヘンなのでは?なぜなら、考証家・大田南畝が同時代に著した「浮世絵類考」には
★都合により、しばらくの間(10日~2週間程度)記事の更新をお休みします。☆☆☆前回の「著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(4):服部克久/河口慧海/萩原朔太郎/円乗院」では、世田谷区の代田を散策しながら、服部克久の自宅や文士・著名人の旧宅跡を探訪しました。今回は、代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪します。(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人...
とあるヒマ人(えぇ筆者のことですが)、そのヒマ人がネット徘徊をした折に たまたま出くわした「銅鐸/どうたく」の項目にはこんな説明があったのです。 ~弥生時代に祭礼に用いた青銅製のベル。 半環状の吊り手(鈕/ちゅう)を紐にかけて下げ、中空の身(鐸身/たくしん) の内側に棒(舌/ぜつ)を吊るして揺り鳴らすの…
明治になって廃藩置県(1871年/明治4年)が実施されるより以前は、たとえば筆者の生息地・愛知県で言えば、西半分は「尾張国」、東半分は「三河国」というように、いわゆる旧国名で呼ばれていました。そしてこの旧国名に「州」を付けて漢字二文字で表す略称もどきの言い方も
先進国と称される各国では原子力発電所の使用済み核燃料など、いわゆる「放射性廃棄物」の処理に大変な苦労をしているようです。なにせ、それが安全なレベルに達するまでには、ざっと10万年ほどの時間が必要とされているのですから、その間をキッチリ管理し続けることは確か
後に日本と名乗ることになるこの国では、その昔「公地公民」を原則として いたとのことです。 その言葉は聞いたことがありますが、でも何ですか、その「公地公民」って? その説明は筆者にはハナから無理なことですから、さっそく横目のカンニングに 及びます。 すると、まあこんな説明になっていました。 ~中大兄皇子、中臣鎌足らは旧体制を維持しようとす…
古事記では木花之佐久夜毘売、日本書紀では木花開耶姫、一般的には木花咲耶姫と表記し、その読み方を「コノハナノサクヤヒメ(ビメ)」とする、咲く花の美しさをイメージさせる名前が神話には登場しています。この姫神は「天孫降臨」を果たしたニニギノミコト(天照大神の孫
実に二十歳で、現在の数え方なら十九歳で亡くなった父を源頼朝、母を北条政子の間に生まれた長女・大姫(1178?-1197年)の生涯には悲しいものがあります。この二十歳の死に対する責めは父親・頼朝が負うべきものでしょう。それには、こんな経緯があったからです。「源氏」の
所用ついでに立ち寄った図書館で、ひょいと手にした本のタイトルが 「女系図でみる驚きの日本史」(大塚ひかり著)となっていました。 まったく知らない著者であるばかりでなく、内容についてもなんの知識も 持ち合わせていませんでしたので、いうならば衝動買いならぬ衝動借りをした というカタチでした。
まあ1440年頃のお話と思ってください。この頃の浄土真宗を率いていたのは、教祖・親鸞上人から数えて直系八代目の子孫にあたる蓮如(1415-1499年)でした。ただこの時期は、教団の教え自体が伝統的に「真っ向・真面目」であり宣伝広報などには、とんと無頓着だったこともあっ
生まれて直ぐの頃に父親を亡くし、数え二歳の頃には生母とも引き離されて 寺へ預けられる。 ですから、幼い頃に実の両親の愛情を体験することはありませんでした。 その後の僧として寺で過ごすこともまた本人の性に合わなかったようで、 そうした生活環境を嫌って、寺を出奔し奥州へ向かっています。 これが11歳の頃のことです。
Wikipedeaにある「日本三大怨霊」の項目には以下の御三方の名が挙げられています。 時代順にお並び頂くと、○菅原道真( 845 - 903年)冤罪を受け左遷地で窮死。○平 将門(903?-940年)東国独立を標榜し決起するが敗死。○崇徳天皇(1119-1164年)朝廷内抗争に敗れ配流先
数年前のこと、こんなニュースがありました。~マンションを建設するために、キリシタンの収容施設、 いわゆる切支丹屋敷(江戸小石川)の跡地を調査したところ、 3体の遺骨が発掘された。~そして、数年後の2016年4月になってその続報も。~国立博物館などの調査により、1
筆者の生息地・名古屋で購読される新聞は、圧倒的に地元紙「中日新聞」の シェアが高いようです。 そして、その中日新聞は日曜日ごとに特集記事を組んだ別冊紙面「サンデー版」 を登場させています。 日曜日ごとの登場という、それなりに密なスケジュールですから、対象とする 範囲も割合に広いものがあり、時には日本史系の話題が取り上げられることも あるのです。 つい最近の「サンデ…
元々は中国・儒教が生んだ概念である「士農工商」は、日本では江戸時代の身分序列を表わしたとされています。また学校の授業では、この「士農工商」は「四民」を偉い順に並べた序列だと教える向きもあるようです。しかし、これはどうやら間違いだと言ってもいいのでしょう。
どこのどなたがそのように決めたのかはよく知りませんが、世界の三大宗教と して普通には仏教とキリスト教、そしてイスラム教が挙げられるようです。 もっともこの場合の「三大」とは、信仰対象である神様仏様の姿カタチ・図体 が大きいという意味ではなく、一応は信者の数を目安にしています。 一応のところはキリスト教が20億人、イスラム教が16億人、仏教が4億人程度 の信者数だとされて…
幕末期にあたる1864年のこと、備中国(現:岡山県)井原領主・池田長発(ながおき/当時28歳/1837-1879年)をリーダーとした34名からなる「遣欧使節団」が日本を離れ、遠くフランスへ渡航した史実があります。 この時の「使節団」は上海やインドなどを経由した航路でスエズ
日本神話に登場する英雄の一人として日本武尊(ヤマトタケル)の名が挙げられてもそれほど不自然ではありません。なにせあちこちへ出かけ、その各地を平定したという実績があるのですから十分な資格を備えています。しかし、一面では何やら不透明感が漂うプロフィールを備え
紅顔の美少年(のはず)だった筆者には、かつて学校授業でこんなことを 学んだ記憶があります。 もっとも、紅顔ではなく厚顔と表現する方が適切だったと評する人も いなかったわけではありませんが、それはともかくとして本題は 江戸幕府での幕政改革についてです。 いわゆる「江戸幕府の三大改革」という歴史用語を教えられました。 ところが筆者の性格が元々、よく言えば素直、別の言…
昨今のニュースの中にあった「原理主義」という言葉に久しぶりに遭遇しました。えぇ、アメリカ軍が撤退した後のアフガニスタンで、政権に復帰した「タリバン」の紹介する際に使われていたのです。意味は御承知の通りで、~基本的な理念や原理原則を厳格に守ろうとする立場~
最近なにかと「アフガニスタン」に関するニュースに接する機会が増えました。 たとえばこんな報道です。 ~アメリカ軍が撤退したアフガニスタンで権力を掌握した武装勢力タリバンは 暫定政権の閣僚ら30人余りの名前を発表した~ アフガニスタンの地でアメリカ軍が戦っていたその相手がタリバンだという 程度のことはうすうす承知していましたが、情…
日本史における、大和朝廷登場以降の時代区分を眺めてみると、概ねのところこんな具合になっています。飛鳥時代/奈良時代/平安時代/鎌倉時代/建武の新政/室町時代/安土桃山時代/江戸時代/そして、明治時代以降の明治/大正/昭和/平成/という具合で、現在の令和時
昨日の投稿で出てきた「味覚がとてもざっくりしている」我が家の旦那はニュージーランド出身です。 ニュージーランドを訪れたことがある人はおそらくみんな食べたことがあるであろう、ニュージーランドの国民食「ミートパイ」。日本の「おにぎり」的な存在で、ニュージーランドでは、ちょっと小腹がすいたなというときには、パッとミートパイを買いに行って食べはります。どこのスーパーやコンビニでも売っている「おにぎり」同様、ミートパイは、どこのカフェやベーカリーでも売っていて、かつ手軽なお値段なので、私も何度も食べました。(自分で買ったというより、人と出かけたら本当によく買いに行こう!ってなるので…) 日本食が大好きな旦那ですが、やっぱり母国の味は恋しい様子。「あー、ミートパイが食べたい」とたまに言います。 先日、ダンナとコストコへ。 私「ハニー!!!ミートパイ売ってんで!買う?!」 旦那「オーーー!!買う買う!!」 迷いなく二箱カートにいれる旦那。冷凍庫にそんなスペースないよ!と言いたかったけど、まぁ母国の味に会えたのだから良しとしよう。 こちらの冷凍ミートパイ。ちょっとチンして、ちょっとトースターで焼いたら
~日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。 恙無しや、云々~これが我が国朝廷を代表として聖徳太子が隋の煬帝に宛てた国書の内容だ。かなりのツッパリを感じさせるこのタメ口の物言いに当の煬帝が激怒したことは言うまでもないが、そこはそれ国家間の礼儀というこ
デッチあげ・自作自演の強盗事件を「狂言強盗」と呼んでいるが、ではなぜここに古典芸能である「狂言」との表現が登場するのか、姫隊員は疑問に思ったことはないかえ?考えてみれば、この表現は本家本元の「狂言」に対して大変に失礼な言い方になるような気がするゾ。しかし
ひょんなことから、鉄道のことが話題になりました。 日本初は「いつ、どこだっかた」ということです。 しかしまあ、江戸幕府の時代に鉄道が開通していたとは思えませんから、 普通に考えれば「明治時代」ということになるでしょう。 またその場所も、鉄道唱歌~♪汽笛一声新橋を~と歌われているように おそらくは「新橋(東京)」が出発地だったのでしょう。 とはいうものの、生半可の知識…
こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。 以前の記事で、 「より機能的に、より快適にすごす」ための機能素材が注目されています。 と書きました。 ひとまとめに機能素材と言っても色々な機能の生地があります。 服の売り場や通販サイトでも、機能を説明するポップやマークをよく見かけるようになった気がします。 今回はどんな生地があるかではなく、どんな機能のものがあるのか、代表的なものをまとめてみました。 機能素材•機能性素材とは 快適性・着心地を追求した機能素材 吸水速乾 透湿防水 撥水(はっ水) 抗菌防臭・制菌 花粉対策 UVカット、遮光 接触冷感 帯電防止(静電・導電)…
こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。 割と長いこと服に携わる仕事をしているのですが、服の製造から流通までの仕組みについては数年前まで知りませんでした。 アパレルの全体像が見えるようになったのは、今の会社で自社商品の企画から販売を行なっているからだと思います。 僕は企画はしてませんが、知るしっかけになったのは間違いありません。 今後、アパレル業界がどのように変化していくのかはわかりませんが、まずは現状を知らなければ、先のことなどわかりません。 ということでアパレル業界の流通でよく言われる「川上、川中、川下」について書いてみます。 「服は高いのに原価は30%以下…
こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。 Tシャツを長く着ていると、どうしても首のリブが伸びてよれてしまいます。 そして首が伸びてしまったから捨てたというのは誰でも経験あると思います。 今アパレル業界では「環境に優しく、長く使える物を生産する」という流れがあります。 環境に配慮せず、数回しか着れない贅沢な服はほとんどありません。 Tシャツのリブの伸びは氷水に浸すと戻せる、と聞いたことがあります。 少しでも延命できれば!と思い、本当に首の伸びは氷水で戻るのか、試してみました。 Tシャツの首が伸びているとどうなる? なぜTシャツは伸びるのか。ヨレヨレになる原因 Tシ…
自分が属する組織に不満を感じる。 これは古今東西誰にもあり得ることで、日本もまたその例外ではありません。 そうした不満人物?の一人に、江戸時代初期の旗本・大久保彦左衛門 (1560-1639年/諱は忠教<ただたか>)を挙げることができそうなのですが、 まずは、その経歴を少し覗いてみることにしましょう。
気迫に満ち満ちた名称の江戸時代の法令「無二念打払令」。これが定められたのは1825年のことで、その内容を簡単に示すなら、~(清国・オランダ以外の)外国船を見つけたなら、 何も考えず(無二念で)、ためらうことなく即座に打ち払え、 追い払え!~こう言っているわけ
現代日本ではとんと見られることがなくなった伝染病「天然痘」も、実は明治時代に入るまではかなりの猛威をふるっていたばかりでなく、その凄まじい病状自体もまた「恐怖の対象」になっていました。それについては、水戸の医師・本間玄調(1804-1872年)が「種痘活人十全弁」
~天皇(という存在)は神の子孫である~ 日本では一応このようにされてはいますが、そもそも神が存在すること自体を 科学に証明することが困難なのですから、同様にその子孫であることの証明も 無理なことです。 ですから、まあ日本民族はこうした信仰心を持っているという程度の受け止め の方が無難なのかもしれません。 それはそれとして、その天…
「桁(けた)が違う」という言葉があります。普段の表記方法の場合なら、「1」の場合は並んでいる数字が1つだけですから1桁、「10」になるとこれが2つ並ぶことになり2桁、さらにこれが「100」になると3桁ということになって、いわゆる「桁(けた)が違う」わけです。しかし、
皆さんは射撃の経験がおありででしょうか。 私は二十代の時、タイ旅行した際にオプショナルツアーで勧められるままライフルを撃ったことがあるのですが 薬莢(やっきょ…
こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。 暑い夏の足元といえばサンダルです。僕はchacoのスポーツサンダルがお気に入りでここ数年ずっと履いてます。 流行っていようが、それがダサいと言われる時代がこようが、履き続けるかもしれません。それくらい気に入っているので、チャコについて書いてみようと思います。 長年履いてみて気づいたデメリットや、ウェビングテープが固くて動かないときの対処法なんかもまとめました。 chaco(チャコ)とは 僕にとってのchaco chacoの歴史 ブランドを代表する定番モデル Z1クラシック Z2クラシック chacoのスペックとメリット …
親の身分を子が継承することを、ごく当たり前のこととしていた時代もありました。それなりの格式を備えた家柄ともなれば、そのルール?はさらに厳しくなり、場合によっては、逆に親の身分を引き継ぐことから逃れるのが困難という状況すらあったほどです。いわゆる「家老の子
本2021年7月1日北京で開かれた中国共産党創立100年の祝賀式典において 習近平国家主席はこのような姿勢を強調しました。 もっとも、日本語だって結構危うい筆者に主席の原語演説がそのまま理解 できるはずもありませんから、以下は翻訳された情報から拾ったものという ことになりますが。 ○中国共産党による一党支配には正統性がある。 ○香港・台湾…
こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。 誰でもなんとなく好きなディテールってあると思うんです。 「パンツの裾はダブルが好き」とか「シャツは比翼が好き」とか「Tシャツには胸ポケットは絶対要らない」とか。 僕がなんとなく好きなディテールは「玉縁ポケット」です。 基本的にズボンのヒップポケットに使われるディテールなのですが、ここが玉縁ポケットになっているだけで嬉しいです。 ポケットの仕様って、カジュアルシーンではほとんどの人がどうでもいい、けっこうマニアックなディテールだと思うんです。それ故に知らずに過ごすってことが多いのではないでしょうか。 僕自身、特に仕立て屋で…
こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。 「植物由来の繊維が環境負荷を軽減する」 ということは、どういうことなのか。 なんとなく天然の繊維の方が環境にも人体にも良さそうな気がする、くらいで具体的に理解していませんでした。 もしかしたら皆さん知っているのかもしれませんが、僕は知りませんでした。 調べていって、今の自分なりの答えがわかったのでまとめてみます。 キーワードは【脱炭素】です。 植物由来の繊維は「脱炭素社会」に貢献できる カーボンニュートラルという考え方 カーボンゼロ、カーボンポジティブ、カーボンネガティブ カーボンニュートラルは何がきっかけで注目された …
こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。 買ったばかりの服は綺麗な状態ですが、着用を重ねていくと、いずれ黄ばんでしまいます。特に白い服は黄ばみやすい。 数年間着ている白いTシャツが少し黄ばんできた気がしていました。 そこで以前から「重曹で黄ばみが落ちる」というのをよく耳にしていたので、本当なのか白いTシャツで試してみました。 黄ばみの原因と対処法 黄ばみの原因は汗や皮脂汚れ 黄ばみには重曹が効く 重曹の性質 重曹が得意な汚れ・苦手な汚れ Tシャツの黄ばみを落とす方法 用意するもの 重曹 食器用中性洗剤 黄ばみの取り方 重曹と洗剤を混ぜる スチームをあてる 洗濯機…
少しお久しぶりの更新となりました。 二月にコロナ感染ではなくコロナ禍で亡くなったボブ父さんの葬儀、無事に終わりました。 会場は葬儀社のチャペルです。 葬儀…
たとえば、江戸時代に生きる人が「東海道五十三次」の旅行に挑んだとしよう。江戸日本橋から京都三条大橋まで、あるいはその逆のコースでも構わないが、東海道のその道のりは490km余り。これだけの距離の徒歩旅行ともなれば、「宿場町」というサービス・エリア?がある地域は
本2021年に入ってからの、まだ記憶に新しいところですが、インドシナ半島の 西海岸を占める国家・ミャンマーにおいて国軍による「軍事クーデター」が 起きました。 一般的には「2021年ミャンマークーデター」と呼ばれているようです。 その結果として、軍出身者である副大統領が暫定大統領となって国軍が 政権を握ったことと、またそれまで実質的な指…
近年大ヒットしたマッドマックス 怒りのデス・ロードに不思議な性的暗喩シーンがありました。 クリック協力お願いします。ツイッター@moriezokikorro …
こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。 服の生地って覚えられないくらいたくさんの種類がありますよね。 皮革や不織布を除いた一般的な服の生地は、大きく分けて織物と編み物があります。 基本的にシャツの生地は織物、Tシャツやニットなんかは編み物です。 前回の記事で服地の分類について書きましたが、今回はそのシャツなんかに使われる生地、織物についてです。 織物について知っていると、これから出会う生地など、さまざまな服地についてあらたな発見があるはずです。 織物の種類 組織点とは 平織りとは 平織りの特徴 平織りの生地の例 オックスフォード オックスフォード(チェック) …
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。