在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
<清末陣屋>の”城門”を巡るー長州藩の孫藩の二重陣屋長屋門が民家に移築現存している
<岩国城・御土居>の”城門”を巡るー山上には模擬冠木門しかないが麓には多くの屋敷門が残る
<津和野城>の”城門”を巡るー浜田城に移築門がある他、津和野城下に多数の武家屋敷門が並ぶ
<松江城>の”城門”を巡るー本丸入口に長屋門の復興”一の門”、塩見縄手には重臣武家屋敷門が並ぶ
<鳥取城>の”城門”を巡るー現存の”西坂下御門”と復元の表門・渡櫓門”中ノ御門”が建ちます
<新高山城>の”城門”を巡るー小早川隆景の山城にあった桃山風の四脚門が寺院山門へ移築
<三原城>の”城門”を巡るー城下の寺院2箇所へ奉行所門が移築
<福山城>の”城門”を巡るー”東の門”が鞆の浦に移築され店舗として再利用されています
<美作勝山城>の”城門”を巡るー版籍奉還以降に旧藩主の居所となった”椎の木御殿”表門へ移築
<津山城>の”城門”を巡るー城内に多く残る門跡も中山神社へ移築門が1基残るだけ
<備中松山城>の”城門”を巡るー本丸の出入口に復元の棟門が3基
<妹尾戸川代官所>の”城門”を巡るー複雑な経緯で現在”笠岡代官所(小田県庁)”跡に移築
<備中高松城>の”城門”を巡るー秀吉によるあの有名な水攻めされたお城の城門がはるばる京都へ移築
<撫川(なつかわ)陣屋>の”城門”を巡るー交代寄合旗本”戸川氏”の知行地総門が城跡に移築され現存
<岡山藩閑谷学校>の”城門”を巡るーお城の門ではないですが藩主の命で建てられた公立学校内の諸門
<岩国城・御土居>の”城門”を巡るー山上には模擬冠木門しかないが麓には多くの屋敷門が残る
日本100名城 根室半島チャシ跡群 ノツカマフ1・2号チャシ跡(北海道根室市牧の内)
<津和野城>の”城門”を巡るー浜田城に移築門がある他、津和野城下に多数の武家屋敷門が並ぶ
【66】日本100名城 千早城跡〜世界最大の無印良品(大阪府千早赤坂村、奈良県橿原市)
<福山城>の”城門”を巡るー”東の門”が鞆の浦に移築され店舗として再利用されています
<津山城>の”城門”を巡るー城内に多く残る門跡も中山神社へ移築門が1基残るだけ
<備中松山城>の”城門”を巡るー本丸の出入口に復元の棟門が3基
八王子城跡 -JOSEKI-
山形城【再訪】@山形県
鶴ヶ城(会津若松城)@福島県
【64】休日の朝の明石城(兵庫県明石市)
<姫路城(9)>の”城門”を巡るー太鼓門脇に建ち上山里丸への入口となっている”りノ門”
<姫路城(8)>の”城門”を巡るー搦手道に並ぶ高麗門形式の”とノ二門””とノ四門”
<姫路城(7)>の”城門”を巡るー公開時に目にできる高麗門の”へノ門”と棟門の”ちノ門”
ヲンネモトチャシ跡(北海道根室市温根元59・60番地)ラッコがいた
1800年11月5日、ピウス7世は、スピーナ大司教をパリに派遣し、コンコルダート、即ち、政教和約の締結の交渉を開始した。ピウス7世は、ピウス6世の友人であった…
伊勢一向一揆鎮圧の直前、1574年(天正二年)4月、柴田勝家は、信長の高屋城の戦いに参戦している。摂津国の池田勝正、讃岐国の十河一行、雑賀衆の鈴木孫一、三好義…
鎌倉仏教の浄土真宗・親鸞さんのお考えはこうだ。~身分が高いとか低いとか、金持ちだとか貧乏だとか、 メタボだとかスリムだとか、要するに人間個々の「違い」なんて ものは、阿弥陀如来の存在の大きさに比べたら、ほんとに ちっぽけな誤差に過ぎないのだから、無視でき
ローマの民衆は、死体裁判に反発して、暴動を起こすと、ステファヌス7世を捕らえて、殺害した。後任の教皇ヨハネス9世は、898年に、アルヌルフの戴冠を無効と宣言す…
お待たせしました~! 愛知県の名古屋市でも、「悪の根源」のセミナーを開催することが決定しました。 中部地方の方、ぜひ受講してくださいね。 再受講の方も、大歓迎です。 以前にも書いたのですが、大切だと思うので、再掲載しますね。 そもそも、なぜ、「愛知県」というのでしょうか?2005年くらいに、世界的なチャネラー、リサ・ロイヤルさんの講演会が、愛知県長久手市で開催されたことがありました。その時に私は、主催者の方から、ゲストスピーカーとして招待され、壇上に上がって、短いスピーチをしたことがあります。講演では、リサさんが、とても興味深い話をされていました。リサさんが、長久手市の土地を、リーディンして解…
前回からの続きです。 私たち調査チームは、京都市内にある、「養源寺」に向かいました。 もう一度、その地上絵を紹介しますね。 拡声器のようなものをもったパイロットが、右側を向いて、操縦しているように見えますね。 着きました。 なんと、わざわざ、東京から調査に来たのに、あいにく、この日は、閉館になっていました。 一瞬、ガッカリしましたが、気を取り直して、見える範囲で調査することにしました。 友人たちとは、 「これは、また来なさいという意味ですね」 こう言って、笑いながら、調査を続けました。 門の前には、「血天井」という看板がありました。 こういうものは、実はダミーなのです。 つまり、本当に大切で歴…
何度も紹介している、「地上絵」の話題です。 地球上には、まさに、「神々の足跡」と呼んでもいいような痕跡が、無数にあります。 その中でも、日本列島の中に、山ほどある地上絵は、とても芸術性も高く、素晴らしいものばかりです。 この人工的な作品は、ウルトラ級のサイズなので、もちろん、人間には造ることは、不可能です。 だから、正確には、「神工的」なものなのです。 日本列島だけでも、ここ数年の間に、私は、100個以上の絵を発見しています。 そして、これは同時に、地球最大の秘密でもあるのです。 つまり、 「地球という惑星には、自然現象で造られたものなど、一つも無かった。全ては、意図的に、何かの計画のために造…
ここから、一気に佳境に入ります。 心の準備をしてから、読み進めてくださいね。 「清水寺」にも行ってきました。 新型コロナウイルスの騒動のおかげで、どこに行っても、空いているし、たまに空いている店も、サービスが、とてもよかったり、いつものホテルも、眺めのいい部屋が、安くで泊まれたりと、いいことずくめでした。 個人的には、この騒動、もっと続いてもらいたいです。(笑) ガラガラの商店街です。 清水寺の入り口で、皆で待ち合わせしました。 天気も良く、最高でした。 歴史の勉強をしていると、いろいろなことに気が付き、とても楽しいです。 子供から、 「何のために、勉強するの?」 こう質問されたら、即座に、 …
今年になってからの京都の調査では、「天龍寺」にも行きましたが、その相方の「南禅寺」にも行きました。 なんでも、この両者は、セットになっているようです。 午前中に、JR京都駅で待ち合わせして、南禅寺に向かいました。 出発前に、ホテルの前で記念撮影しました。 着きました。 建物を見ると、ここも明らかに、巨人族がいた痕跡があります。 柱や屋根などが、高いのです。 普通の人間のサイズには、必要のない高さだということが、すぐにわかります。 皆で、境内を探索しました。 赤レンガの橋ですね。 まるで、パラレルワールドに行くトンネルのようですね。 地図を見ると、「虎の子渡し」という場所もありました。 おそらく…
京都では、「鞍馬山」にも行きました。 ここには、14年前に、当時付き合っていた彼女と、最初にデートした思い出の場所でもあります。 その当時は、まだ、宇宙考古学には、目覚めてなかったので、普通の観光でした。 しかし、宇宙的な視点をもった現在では、境内など、とても新鮮に見えました。 視点が変われば、同じ景色でも、まさに別世界に見えるのです。 この日は、大人数での調査になりました。 門の前での記念撮影です。 実は、この門に、この寺の最大の秘密が隠されていたのです。 どの神社仏閣でも、そうなのですが、その寺や神社の真実の意味は、名前にあります。 しかし、本当の秘密など、そんなに簡単には、明かしません。…
先週、用事ができたので、久しぶりに渋谷の街を訪れました。 スクランブル交差点を歩いたりすると、やはり、まだまだ、マスク姿の人が多いことに、気がつきました。 誰もいないところでも、マスクを付けている人を見ると、マスコミの情報を鵜呑みにして、恐怖心だけで、付けているように見えます。 私は、友人たちと、これらの人々を、「マスク星人」とか、「マスク真理教」と呼んでいます。(笑) 「マスク真理教」の信者たちには、もちろん、教祖や幹部たちがいるのですが、どうして、これらの権力者たちが、一般庶民に、マスクを強要するのか、その理由の一つが、最近わかってきました。 何度も書いているように、「新型コロナウイルス」…
フーシェは、ナポレオンにさえ、秘密裡に、秘密警察に爆発現場の遺留品を徹底医的に集めさせ、使用された、荷馬車の馬の持ち主を割り出し、実行犯を突き止めた。 王党…
陸上では、東の市江口から、信長の嫡男である、織田信忠の部隊、西の賀鳥口からは、柴田勝家の部隊、中央の早尾口からは、信長本隊の三隊が、進軍した。更に、海からは、…
一方、グイード2世の皇帝戴冠の同年である、891年、ローマ教皇ステファヌス5世が、死去すると、フォルモススが、ローマ教皇に選出された。フォルモススとグイード2…
1800年12月24日のクリスマス・イヴの夜に、ナポレオンは、ハイドンのオラトリオ、『天地創造』の初演に臨席するため、テュイルリー宮殿から、オペラ座へと向か…
しかし、白山城の中島将監は、顔を見せなかったため、信長は、佐久間信盛・蜂屋頼隆・丹羽長秀・羽柴秀吉の四人人に命じて金掘り攻めをさせ、退散させた。しかし、大湊の…
仙台藩の初代藩主である伊達政宗には、「遅れてきた戦国武将」とのの異名もあります。いったい何に遅れたのか?政宗が地元・奥州を固めた(政宗23歳)頃には、既に天下は豊臣秀吉のものになっていたのですから、つまり、政宗はバトルロイヤルが演じられていた「戦国の世」に
ルドルフ1世は、ブルグント系のアルトドルフ伯、ヴェルフの曽孫である。ヴェルフは、ルイ1世の二人目の妻で、シャルル2世の母、ユーディットの父ある。ルドルフ1世は…
フランス軍とオーストリア軍は、ポッツォロの村を、六回に渡って、奪い合いを行い、激しい戦闘が続いた。フランス軍の1万人に対して、オーストリア軍は、三倍の3万人に…
信長の上洛戦以降、柴田勝家は、織田軍の先鋒を務めることが、多かったが、小谷城の戦いにおいては、木下秀吉が、先鋒を務めている。織田家の譜代の家臣を自認し、勇猛な…
「クジ引き」という行為に対しては、現代人の多くが幸運・不運の判定もどきの受け止めをするものです。それ以外に何がある?このような逆質問に遭遇したところで、これに答えることはおそらく困難でしょう。しかし、これは現代人ならそうなりやすいということであって、少し
昨日、仕事で、JR東京駅に行きました。 カフェで、お茶をしながら、ノンビリしました。 だんだん、普通の生活が戻ってきそうで、嬉しいです。 窓からの景色です。 人類と悪魔との最終戦争が、いよいよ、最終局面にさしかかっているように感じます。 子供の頃、「デビルマン」という漫画がありました。 永井豪さんの作品ですが、子供が読むには、あまりにも残酷なシーンが多すぎて、ビックリした記憶があります。 その作品でも、人類と悪魔の戦争が描かれているのですが、悪魔の戦い方が、凄いのです。 第一弾の攻撃では、直接、人間と戦いますが、その後、一旦退却します。 なんと、第一弾の攻撃は、あえて、わざと負けるのです。 そ…
実は、西フランク王ルイ2世には、ルイ3世及び、カルロマン2世の他に、もう一人、相続権を有する、息子いた。シャルル3世である。彼は、ルイ2世の死後に生まれたため…
5月31日(日)の東京セミナーも、楽しく終了しました。 参加された皆さん、ありがとうございました。 懇親会です。 ブログでは書けない話も、ここではできます。 皆、疑問に思っていたことが解けて、スッキリしていましたね。 宇宙考古学や古代史の最近の流行として、「共通項を探す」という動きがあります。数学でいえば、それまで、「違い」を探して、どんどん、「展開」していった流れから、現在は、「共通項」を探して、「因数分解」するような作業に、流れが変わっているのです。 時代や土地、それから、神話や伝説、また、人間と神々など、時空間や存在に関わらず、「似たような人生」、「似たような名前」、「似たようなシンボル…
5月17日(日)と24日(日)の東京セミナーも、楽しく終了しました。 参加された皆さん、ありがとうございました。 写真は、両日の懇親会です。 長い期間だった、「新型コロナウイルス」による、緊急事態宣言も、ようやく、全国的に解除になったみたいですね。 この期間、水面下で様々な出来事がありましたね。 最近、ネットの記事で気になったものを、二つだけ紹介します。 一つは、私の過去記事、「自分らしく生きる」でも書いた、「狂犬病」が、国内で確認されたというニュースです。 もう一つは、安倍さんだけでなく、麻生さんも、脚にGPSの拘束具が、装着されたらしいということです。 どうやら、「大量逮捕」という行為は、…
湧き上がる雲☁️… “やくも立つ(出雲)”…を思い出し…
初詣~出雲神話のつながりと今年初外食
出雲大社【出雲大社の歴史・ご利益・参拝方法・アクセス情報】
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 10 揖屋神社
春の島根ひとり旅12 - 稲佐の浜と弁天島
出雲国風土記 飯石郡 『狭長社(狭長神社)』
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『釜石』
あの世とこの世の境界線~出雲国風土記 意宇郡 『伊布夜社(揖夜神社)』と黄泉比良坂
ちょっと寄り道...ヤマタノオロチ伝説を巡る旅 『尾留大明神旧社地』
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 9 平濱八幡宮
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 7 玉作湯神社
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 6 須佐大宮(神社)と天照社
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 4 須佐大宮(神社)
霊的考古学(その2):古代出雲人の祭祀心理
出雲国風土記 出雲郡 『杵築大社(出雲大社)』 番外編
5月11日(日)の東京セミナーも、楽しく終了しました。 参加された皆さん、ありがとうございました。 懇親会でも、皆で、いろいろなことを、熱く語りあいました。 こういう、真実の話を、本音で語り合う場は、今、たくさんの人が、求めている時間と空間だと思います。 懇親会でも話しましたが、人間の社会というのは、とても複雑です。悪人がいなくなり、善人ばかりになれば、いい世の中になる、そんな単純な話ではありません。実際には、善の中に悪があり、悪の中に善がある、こういうことも、たくさんあります。また、善人が善だと思ってやっていることが、悪になり、反対に、悪人が悪だと思ってやっていることが、善になることもありま…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。