在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
1件〜50件
【読書日記】ベストセラー青い壺
汝、自身を知れ
第4章 平成初期 9 職業差別 ナイチンゲール
【頑張って改革したのに5度の暗殺未遂】最後の爆弾で命を落としたロシア皇帝
最近おすすめの漫画ある?
一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書を読んだよ。
第4章 平成初期 8 学歴差別 レオポルト・モーツアルト
今年の大学入学共通テスト 世界史B
古代エジプトのヤバさ:最初期とツタンカーメンと人類の生活の変化と
第4章 平成初期 6 社会的身分差別(4) 玄 奘
バベルの塔を壊していない神様
バベルの塔を建てていないニムロデ
経済学部に入学したばかりの学生に強くおすすめしたい『若い読者のための経済学史』。これで経済学史の点数はだいぶ上がると思う。
空飛ぶ船を操る民族の共通点~ダーナ神族からヤマトまで~
慶應義塾大の小論文(教養編)
1810年2月16日、ウィーンにおいて、2月7日のナポレオン及び、マリー・ルイーズの婚姻契約が、批准された。 2月23日、ナポレオンは、未だ、会ったことのな…
1809年12月26日、ロシア皇帝、アレクサンドル1世は、自身の妹のアンナ大公女と、ナポレオンとの婚姻について、ポーランド王国を再興しないことを約束する、条…
タレーランは、ナポレオンの新「皇后」問題が、自分の復権の契機になると考えていた。 そのために、盟友のメッテルニヒと共に、マリー・ルイーズの擁立を画策したので…
シェーンブルンの和約後、ナポレオンは、オーストリアにウィーンを返還して、パリに帰還した。 既に、ナポレオンは、自身の生涯の私生活にとって、最大の決意を固めて…
スールト元帥の撤退後に、クロード・ヴィクトル=ペラン元帥率いる、スペイン駐留のフランス軍、2万3千人が、ポルトガルに進軍した。 ウェリントン公爵は、スペイン…
1809年9月24日、ナポレオンは、オーストリア皇帝、フランツ1世に対し、退位して、ヴュルツブルク大公爵フェルディナンド3世に譲位するように要求した。 フラ…
第五次対仏大同盟の戦役開始後に、オーストリア軍は、ワルシャワの占領に成功した。 ワルシャワ公国軍司令官、ユゼフ・ポニャトフスキーは、逆に、ガリツィアに侵攻す…
1809年7月6日、カール大公は、弟のヨハン大公の迅速な行軍を要求する、両翼包囲を計画した。 この時、ヨハン大公は、既に、戦場の東、数kmの地点にいた。 オ…
1809年6月14日、ヨハン大公の率いる、オーストリア軍は、ラープの戦いにおいて、フランス大陸軍のウィーン近郊の最高司令官、ウジェーヌ及び、マクドナルドに敗…
1809年5月22日、オーストリアのローゼンベルク軍団による、エスリンクへの攻撃は、サン・ティレール師団の増援を受けた、ランヌ元帥によって、撃退された。 中…
1809年5月13日、カール大公は、ナポレオンのウィーンの占領を気にすることなく、崩壊した、オーストリア軍をドナウ川北岸に集中させ、再編を行った。 そして…
1809年4月19日の夜、ダヴー元帥は、オーストリア軍の撤退時、ニーダーバイエルンのトイギ及び、ハウゼン村の中間地点において、オーストリア軍を攻撃し、勝利を…
1809年4月17日、ナポレオンは、ドナウヴェルトから、フランス大陸軍に向け、次の布告をした。 「私は、雷の如く、迅速に到着した。これまでの我が軍の成功は、…
1809年4月9日、ティロルにおいて、愛国者のアンドレアス・へファーが、フランスに対して、蜂起した。 へファーの背後には、オーストリアに買収された、カプチン…
1805年12月2日のアウステルリッツの戦いの後、12月26日、プレスブルク条約が、締結されたことは、既に述べた。 オーストリアは、敗北の復讐を望み、対抗策…
1809年1月29日、ナポレオンに罵倒された、翌日に、タレーランは、オーストリアの大使公邸を密かに訪れ、大使のメッテルニヒと会見した。 タレーランは、メッテ…
1809年1月23日、ナポレオンは、パリに帰還した。 ナポレオンは、「天才」を自負し、自分を万能と信じていたが、そのナポレオンが、軍人を除けば、才能を認めて…
青く晴れ渡った空の下、強風に震えながら親友のロシア人とマリーノ市に出かけました。 マリーノと言えば、カステッリ・ロマーニの中で残念ながら知名度は低いですが、深…
ナポレオンは、20万人のフランス帝国軍を率いて、スペインに侵攻すると、瞬く間に、スペインの元正規軍を粉砕し、スペインを再占領した。 以降、スペイン人の組織的…
ローマ郊外フラスカーティにある館。Villa Falconieri。 カステッリ・ロマーニ丘陵地帯には、Villa Tuscolana、Villa Aldob…
フランス帝国の大陸軍は、エスピノザ及び、サラゴサの会戦において、大勝利を治めて、スペイン軍を徹底的に叩き潰した。 更に、フランス軍は、首都のマドリードの前面…
先日バルベリーニ宮殿で行われている『カラヴァッジョとアルテミシア』展のガイディングをさせて頂きました。 この記事を書いている次の日に展覧会は終わってしまうため…
1808年10月29日、ナポレオンは、20万に及ぶ、のフランス帝国の大陸軍を率いて、スペインへと出発した。 11月5日、エブロ川北岸にいた、兄のスペイン国王…
1808年9月5日、フランス皇帝のナポレオン及び、ロシア皇帝のアレクサンドル1世の会見が、ドイツ中部の都市、エルフルトにて、行われることが、決定した。 エル…
1808年8月5日、ナポレオンは、スペインのフランス駐留軍を増強し、ヨーロッパ東部に駐留していた、部隊を撤退させる。 ナポレオンは、敗退の続く、スペイン戦線…
デュポン将軍は、カスターニョス将軍と和約して、降伏したが、叛乱軍の自治政府が、フランス人捕虜をカディス経由で送還されるとの和約の条項の履行を拒むと、イギリス…
バイレンの戦いは、戦略的に重要性はなく、大規模ではない。 しかし、スペインでは、バイレンの勝利は、神話に近い程、祭り上げられた。 スペインの周辺部の戦場にお…
その時、フランス、スペインの双方が、予想しなかった、スペインの増援が、南から、現れて、フランス軍の左翼に向けて行軍した。 その正体は、デ・ラ・クルーズ大佐で…
スペインのレディング将軍は、未だ、フランス軍が、東に残っているかもしれないと、警戒して、数個大隊をバイレンに駐留させると、7月18日には、残りの2個師団を率…
デュフォア将軍は、ゲリラ軍の攻撃を予測していたため、グアロマンとラ・カロリーナに進軍して、スペイン軍と対峙した。 その結果、ヴィーデル将軍が、夜中の行軍の末…
7月9日、スペイン軍のラペーニャ将軍の師団は、エル・カルピオからポルクナにかけて、展開され、アンダルシア軍は、フランス軍に対し、示威を始めた。 カスターニョ…
評価:80点/作者:オーギュスタン・ピエリ/ジャンル:歴史/出版:1833年 『メロヴィング王朝史話』は、ガリア及び、ゲルマニアの一部を支配した、フランス…
アンダルシアのデュポン将軍は、明確な指示がないまま、シエラ・モレナ山脈の隘路への撤退より、グアダルキビール川畔の保持を優先し、バイレンとハエンに攻撃を仕掛け…
評価:55点/作者:エインハルドゥス&ノトケルス/ジャンル:歴史/出版:不明 『カロルス大帝伝』は、ドイツ語名、カール大帝、フランス語名、シャルルマーニュ…
ナポレオンは、スペイン北部の脅威の他には、アンダルシアの制圧を重要視していた。 アンダルシアの郊外に住み、伝統的な住民達が、スペインの新国王、ジョセフ=ホセ…
評価:85点/作者:五十嵐修/ジャンル:歴史/出版:2001年 『地上の夢 キリスト教帝国~カール大帝の<ヨーロッパ>』は、現在の西ヨーロッパの大部分、即…
スペイン各地における、「スペイン人」の蜂起によって、8万人のフランスの駐留軍は、北のパンプローナ及び、サン・セバスティアンから、マドリード、南のトレドまでの…
評価:85点/作者:渡辺昇一/ジャンル:歴史/出版:1974年 『ドイツ参謀本部』は、現在の軍隊のみならず、企業を含む、巨大企業の原型となった、ドイツ参謀…
1808年5月5日、カルロス4世は、バイヨンヌにて、スペイン王に関する、全権利を、ナポレオンに譲り渡し、フェルディナンド7世は、退位した。 ナポレオンは、王…
アラフェスの暴動事件によって、王太子のフェルディナンドは、王室の逃亡を阻止して、ゴドイを罷免させた。 翌日の3月19日には、カルロス4世は、ゴドイの助命を得…
評価:95/作者:山本雅男/ジャンル:歴史/出版:1992年 『ヨーロッパ「近代」の終焉』は、数百年の間、世界史を主導し続けた、ヨーロッパの「近代」とは何…
1808年1月9日、モンセの率いる、フランスの第三派遣軍が、スペイン王国に入国した。 モンセの部隊は、公式上には、ジュノー将軍及び、デュポン将軍の増援部隊と…
★都合により、しばらくの間(10日~2週間程度)記事の更新をお休みします。☆☆☆前回の「著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(4):服部克久/河口慧海/萩原朔太郎/円乗院」では、世田谷区の代田を散策しながら、服部克久の自宅や文士・著名人の旧宅跡を探訪しました。今回は、代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪します。(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人...
今回は、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」での散策場所近くにある史跡を通じて、隠れキリシタンについて考察してみます。また、本記事は「三田用水跡暗渠散策シリーズ」の番外編となりますが、番外編としては本記事の他に以下の2つの記事とシリーズがあります。①「日本最大のイスラム寺院・東京ジャーミイを訪問」②『「芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大...
1807年12月13日、ドイツの哲学者、フィヒテは、ナポレオンの占領下のベルリンにて、史上有名な、「ドイツ国民に告ぐ」の第一講演を、ドイツ人の一般大衆に向け…
11月13日、デュポン将軍の2万5千のフランス軍が、ジュノー将軍の支援のために、スペイン領に入った。 ナポレオンは、更に、スールト将軍の部隊をイベリア半島に…
イベリア半島の最西部、スペイン王国の隣国である、ポルトガル王国は、ナポレオンの同盟国にならず、中立を維持していた。 ポルトガルは、イギリスの最重要貿易相手国…
1807年10月11日、フランス帝国の同盟国、スペイン王国の太子、フェルディナンドが、自身の王位継承を妨害する、スペイン王国の首相、マヌエル・デ・ゴドイに対…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。