在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
神様のメッセージ!加賀國三社巡り金剱宮!後編
神様からのメッセージ!加賀國三社巡り金剱宮でカードリーディング!
神様からのメッセージ!加賀國一之宮三社巡り・白山比咩神社!前編
銀座で、夜のお仕事は副業に向いていますか?に回答しました。
【後編】銀座で、夜のお仕事は副業に向いていますか?に回答しました。
不登校とこれからの未来
神様からのメッセージ!加賀國三社巡り@白山比咩神社 後編
神様からのメッセージ!加賀國三社巡り@白山比咩神社 後編
星読み!風の時代を心地よく生きるために!
邪気を払い、心身をリセット。塩の浄化入浴で、スピリチュアルな癒しを体感しよう!前編
邪気を払い、心身をリセット。塩の浄化入浴で、スピリチュアルな癒しを体感しよう!後編
想いの力と言霊の力
私は、人間だもん
自然と人工のちがいとは?
宇宙にオーダー2 (補足)
個人的な事情で史料の探索に十分な時間を割けない日が続いているため、「新編相模国風土記稿」(各郡、山川編)や「七湯の枝折」の産物についての検討もすっかり止まってしまっています。今回は久々に「七湯の枝折」の「産物」から「禽獣類」、つまり野鳥や獣の項を取り上げてみたいと思います。一 鶯 時鳥 雲雀 山鴫 鹿 猿 兎 鷹右之類いつれも沢山なり取わき鹿の腹篭ニ上品あり(「七湯の枝折」沢田秀三郎釈註 1975年 ...
評価:80点/作者:城山三郎/ジャンル:歴史小説/出版:1972年 『雄気堂々』は、毎日新聞において、1971年1月~12月23日まで、連載されていた、「…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
前述の通り、栄一は、スエズから、アレキサンドリアの旅程において、初めて、汽車に乗った。 そして、交通機関である、陸の鉄道、海の船舶の日本への導入の必要性を感…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
幕末期に英国駐日公使館付通訳生がいた。その名は「佐藤(薩道)愛之助」。こう聞けば、自然「日系二世」?あたりを連想してしまいますが、その本名を「Ernest Mason Satow」(1843-1929年)といい、生粋の英国人でした。この「アーネスト・サトウ」が着任した頃の日本は、ま
第二十話及び、第二十一話は、今川義元の尾張国侵攻、そして、桶狭間の戦いを描いている。 そのため、完全に、信長が、主人公となっている。 本作の桶狭間の戦いにお…
信長は、病を装い、見舞いに訪れた、信勝と、互いに相手の美点を羨んでいたことを明かし合う。 しかし、信勝は、信長を毒殺するため、毒を持ち込んでおり、信長は、そ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:60点/作者:内海愛子/ジャンル:歴史/出版:2002年 『日本史リブレット 68~戦後補償から考える日本とアジア』は、山川出版社のシリーズ、「日本…
栄一は、喜作と共に、幕臣として、鬱々とした、日々を過ごしていた。 二人は、本来の志とは、異なる、幕臣の身を悲観して、浪人、または、血洗島村に帰ることを考えて…
(「京都」と書いて「みやこ」) おっさんの大学時代に仲がいい友人がいて彼の出身高校が京都高校でした。 京都高校は、「きょうと こうこう」ではなく「みやこ こうこう」と読み、 学校がある場所も「京都府の京都」ではなく「福岡県」です。 「京都」と書いて読み方が「みやこ」・・・なんか感じますね。 さらに、この京都郡には、御所山古墳というのがあります。 九州なのに「京都」、さらに「御所」・・・凄く気になりますね。 ということで、この御所山古墳に行ってきました。 (御所山古墳) 御所山古墳は、5世紀後半、 古墳時代中期に造られたと推測されるもので、全長119m、前方部幅82m、後円部径73m、墳丘の長さ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
豊臣秀吉(1537-1598年)政権下で、ともに五大老としてその職責を担っていた徳川家康(1543-1616年)と前田利家(1538?-1599年)のその後は以下のようになりました。○1598年 豊臣秀吉の死 (享年62)○1599年 前田利家の死 (享年62?)○1600年 故・利家の妻・まつ(
①[反日種族主義]韓国保守派 2019年韓国でソウル大学元教授(歴史家=経済史)による「反日種族主義」という本が出版され、ベストセラーになりました。(同年、日本でも出版)韓国進歩派 親日の本です。韓国保守派 歴史を直視することは親日ではなく、韓国にプラスのはず
織田信秀は、嫡男の信長に那古野城を、信勝に末森城を与えたが、本作の信長は、末森城が、信勝に与えられたことに不満を抱いている。 何故なら、前述の通り、末森城は…
本作の織田信長は、完全な新解釈である。多数の作品の信長は、「唯我独尊」的人物として、描かれることが多い。 しかし、本作の信長は、愛情に飢えているため、褒めら…
これを見てください!!インパクト大ですよね! これは、大阪堺市にある仁徳天皇陵の近くで販売されている古墳カレーです。 この古墳カレーを出しているのが、大阪府堺市にあるお食事処 花茶碗。 お店は「仁徳天皇陵古墳」の拝所から歩いて5分程度、JR百舌鳥駅のすぐ近く。 「古墳カレー」と書かれた幟が目印です。 (古墳カレーを食す) 古墳カレーは全部で9バージョンありますが、今回は、一番見た目のインパクトが強い「古墳の森カレー」を注文しました。 「古墳の森カレー」は1,000円。 ライスにブロッコリーがたっぷり盛りつけられ、古墳の姿をリアルに追求しています。 さらにスプーンとフォークはスコップ型になってい…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
人々の生活に直結した名残を感じる名称がそのまま神社の名前になっている物があります。 鹽竈神社。絶対に漢字では書けない文字ですが、これは「しおがま」と読みます。 「塩竈」とは、海水を煮詰めて塩をつくる製塩用のかまど(竈)のことで、かつて日本の各地の海岸には、このようなかまど(塩竈)がありました。 昔、塩は調味料や保存用に使われ、同時に、人が生きていく上でも欠かせない、非常に貴重な物の1つでした。 鹽竈神社は日本各地にありますが、福岡県北九州市の隣の苅田町、北九州空港が ある町にある、鹽竈神社に参拝してきました。 この神社は急な階段を上った山の上にありました。 山に登る階段の右には「明治32年9月…
仁徳天皇陵。。大阪・堺にある日本で1番大きい前方後円墳です。 社会の教科書に必ず出てくるこの古墳、おっさんが学生の頃は仁徳天皇陵と呼んでいましたが、現在、教科書では大山古墳となっています。 地元では仁徳天皇陵古墳となっています。 仁徳天皇陵は全長486メートルの綺麗な前方後円墳で1周が2.8キロです。 1周するのに1時間以上かかりましたが、下から見えるのは濠と木だけでした。 濠が張り巡らされていてが、外周からは木々が見えるだけで大きな森のようです。 大き過ぎて上空からでないと、全体の形が見れません。 (ビジターセンター) 古墳の全体像をみたいなら仁徳天皇陵のすぐ横にあるビジターセンターへどうぞ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:65点/作者:佐々木隆爾/ジャンル:歴史/出版:2008年 『日本史リブレット 101~占領・復興期の日米関係』は、山川出版社の日本史シリーズ、「日…
昨年夏頃に、「歴史をひもとく藤沢の資料 5 善行地区・湘南大庭地区」(藤沢市文書館)という資料を、主に藤沢飛行場に関しての記述を中心に紹介しました。第1集「御所見地区」の2016年以降、年1冊のペースでこれまで5巻が刊行されてきましたが、まだ藤沢市内の一部の地区に限られていることから、今後も年1冊ずつ残りの地域を取り上げていくものと思っていました。ところが、今年は趣が変わって「別巻 中世文書」(以下「...
法華堂跡(2)源頼朝の墓
法華堂跡 北条義時の墓
北条氏供養の寺「宝戒寺」
■武家政権の発祥 北条氏の拠点『江間』周辺を散策(静岡県伊豆の国市)
北条義時ゆかりの秋の覚園寺
初夏の翔んで山梨一人旅 北口本宮冨士浅間神社編
北条時房・北条顕時の邸宅跡
北条義時邸宅跡
金剛寺(神奈川県秦野市)探訪記
玄国寺(東京都新宿区)を訪問しました
【どうする家康】#22 設楽原でPTSD発症の信康、そして瀬名が動く
「北条義時」(岩田慎平 中公新書)を読んで
女性歴史小説家のパイオニア・永井路子さんのご逝去を悼む。
北条泰時の母は八重だったのか?謎多き八重に迫る「鎌倉殿と執権北条氏」
北条義時と結婚した?失恋して入水自害した?伊豆に残る「八重姫伝説」ゆかりの地へ
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
鎌倉時代の1221年5月14日、承久の乱が起きます。 後鳥羽上皇が武家政権の鎌倉幕府に対し兵を挙げたのです。 (朝廷の収入源が原因) 承久の乱は、朝廷をないがしろにする鎌倉幕府への反抗ですが、もう1つ経済的な意味もあります。 それはお金です。 鎌倉幕府ができる前までは、朝廷や貴族は全国にあった「荘園」からの租税収入がありました。 しかし、鎌倉幕府が成立し地頭を置いたことから朝廷や貴族はこれまでのような租税収入を期待することができなくなりました。 収入ダウン、経済封鎖であり、これは大きな痛手です。 朝廷側は、この経済的貧窮を何とかせねばと必死でした。 (源氏滅亡) 1219年3代将軍、源実朝が兄…
5月15日は、1932年(昭和7年)に武装した海軍の青年将校などが首相官邸に乱入し、 当時の内閣総理大臣の犬養毅を殺害したものです。 軍部が首相官邸に乱入し、首相を殺害したのはこれが初めてです。 (憲政の神様・犬養毅) (「近世名士写真」国立国会図書館ウェブサイトより) 犬養毅は慶応義塾で学んだあとに郵便報知新聞の記者として西南戦争に従軍。 東海経済新報記者をへて、立憲改進党創立に参画。1890年(明治23年)第1回総選挙で 衆議院議員に当選、以後第18回総選挙まで1度も落選することなく19回連続当選。 1932年(昭和6年)、首相となるが、翌年5・15事件で暗殺されます。 尾崎行雄とともに「…
渋沢栄一は、一橋家の財政再建のために尽力していたが、1866年(慶応二年)7月20日、第二次長州征伐の最中、徳川幕府の十四代将軍、徳川家茂が、大阪城において…
“地球は丸い“ことを始めて知った日本人は誰で、またそれはいつのことだったのか?初めて精密な日本地図(伊能図)を作った江戸後期の測量家・伊能忠敬(1745-1818年)がそれを承知していたことは間違いありません。彼は“地球は丸い”とする天文学を修めていましたし、その
前述の通り、織田信長の曽祖父、織田良信は、織田敏信の息子とされているが、定かではない。 その息子、即ち、信長の祖父、織田信定は、良信の息子ではなく、大和守家…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
本作において、織田信長を演じるのは、染谷翔太。二十七歳の染谷は、大河ドラマの出演は、四作目。 ただし、本作以外は、数話のみの登場であり、レギュラー出演は、本…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:65点/作者:北河賢三/ジャンル:歴史/出版:2003年 『日本史リブレット65~戦争と知識人』は、山川出版社のシリーズ、「日本史リブレット」の第6…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
大阪市生玉町に鎮座する生國魂神社。生国魂と書いて「いくたま」と読みます。 生國魂神社は、 大阪市、難波の繁華街から東へ20分ほど行ったところにあります。 この神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)は、 国土の神霊とされています。 (伝統ある神社) この生國魂神社は、社伝では、神武天皇が東征で現在の難波宮跡付近に生島神・足島神を鎮祭したのが創建とされています。 文献での初登場は、「日本書記」での孝徳天皇(在位645年から654年)の即位前紀に、 孝徳天皇がここ生國魂神社の樹木を伐ったことが書かれています。 かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世には隣に本願寺があり繁栄…
京都の坂本龍馬ゆかり日、拠点は3つ。 1日あれば全部の場所を巡れます。 ①龍馬が襲撃された池田屋周辺(京都伏見) 京阪電鉄の中書島駅からスタートします。十分歩ける範囲です。 【京都伏見の龍馬について書いたブログはここ】 ②龍馬暗殺の地周辺 龍馬の隠れ家や暗殺の地は京都の河原町に集中しています。歩いてすぐの距離です。 【龍馬隠れ家及び暗殺の地について書いたブログはココ】 ③龍馬の墓:霊山護国神社 坂本龍馬が眠る、京都霊山護国神社。お墓だけど拝観料が必要です。 【坂本龍馬の墓がある:霊山護国神社についてのブログはココ】 <<おまけ: 龍馬の命日に「龍馬祭」をハシゴしました>> 11月15日、龍馬の…
東京五輪のメイン会場となる新国立競技場の近く、駅で言うとJR総務線の千駄ヶ谷駅 から歩いて5分の場所に鳩森(はとのもり)八幡神社があります。 (都内最古の富士塚) この鳩森八幡神社には昔の風習の名残が見られます。「富士塚」です。 江戸時代は富士山信仰が盛んでした。 しかし、誰もが富士山に登れたわけではありません。 そこで各地に富士山の溶岩などを使い人工的に富士山に見立てた山や塚を作りました。 これを富士塚と呼び、この富士塚を登ったり拝むことで富士山と同じご利益が得られるとしました。まあ!なんと!なんと!! 鳩森八幡神社の富士塚は1789年に築造されました。 高さは約6メートル、直径およそ25メ…
山口県下関市。ここには幕末に活躍した長州藩の高杉晋作に関する史跡が多いですが、櫻山神社(さくらやま じんじゃ)もその1つです。 櫻山神社は静かな高台にありました。 階段の途中、右側には、「七卿史跡」と書かれた碑が。 1863年に起きた8月18日の政変で京都を離れた七卿がこの地を訪れたことを示す石碑。 階段を登ると、櫻山神社社殿が。 ちょうど、この日は心地よい風が吹いていました。 (高杉晋作発案の招魂場) 神社の裏に幕末の志士たちを祭る招魂場がありここに志士の石柱がありました。 奇兵隊の他、膺懲隊、八幡隊、遊撃隊、整武隊、 清末藩 育英隊等諸隊士 38柱の霊標 391柱があります。 1863年に…
栄一は、「歩兵取立掛」としての任務を成功させ、四百五十人以上の歩兵志願者を連れて、京へと帰還した。 同時に、栄一は、歩兵募集のために、領内を巡回したことで、…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
天下布武を目前にしながら、その直前に家臣・明智光秀の謀反に倒れた織田信長(1534-1582年)。そしてその後の政局を掌握したのは、同じく信長の家臣だった羽柴秀吉(1537-1598年)でした。後に新姓を賜り「豊臣秀吉」と名乗ることになる人物です。そして、その名乗りの変遷
斎藤利政の庶長子、斎藤高政を演じるのは、伊藤英明。高政は、歴史上では、斎藤義龍の名で、知られる。 本作では、長良川の戦いで、道三を殺害し、上洛後、義龍に改名…
「映画」と「健康」「食」に関する雑談でほっと一服なさってみてください!
『麒麟がくる』の帰蝶は、物語前半は、ヒロインの一人として、大活躍する。 本作の帰蝶は、光秀の従兄妹であり、第一話から、層状する、才気溢れる、活発な人物である…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:60点/作者:鈴木淳/ジャンル:歴史/出版:2010年 『日本史リブレット 100~科学技術政策』は、山川出版社による、「日本史リブレット」シリーズ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。