在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
★ 世界遺産 ★
<八戸城・根城>の”城門”を巡る-立派な御殿門、根城に再移築した東門が残る八戸城
名古屋城の迫力
「松江城」現存天守は勿論、穴太衆築造の石垣も見逃せない!【島根県・松江市】
山内一豊の城 掛川城
秋空の掛川城
江戸城 遺構巡り【其の一】@東京都
日本100名城 1番 根室半島チャシ群跡 ヲンネモトチャシ(北海道根室市温根元59・60番地)
備中松山城
<岡山城(3)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-〆は岡山城下を車でドライブしながら遺構を巡る
<岡山城(2)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-本丸上の段・中の段・下の段にも見所満載
<岡山城(1)> "サイコロきっぷ”で行くお城巡り-今回”宇喜多押し”が目立った天守内部
日本100名城 弘前城(青森県弘前市大字下白銀町1)
関ヶ原前哨戦「岐阜城の戦い」!信長の嫡孫・織田秀信立て籠もる激戦のあと
丸亀城@香川県
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
蜂須賀至鎮は、1586年(天正十四年)、蜂須賀家政の長男として、誕生した。 至鎮の母は、家政の正室、生駒家長の娘の慈光院。 前述の通り、1600年には、小笠…
「三日坊主」という言葉には、こんな説明がされています。~飽きっぽくて何をしても長続きしないこと。 また、そのような人のことを嘲っていう言葉~何事も「三日」ほどの短期間のうちに、すっかり飽きてしまう意味であることは分かりましたが、では「坊主」って? それ
新年あけましておめでとうございます。 クリック協力お願いします。ツイッター@moriezokikorro 副アカウント等未作成 twi以外、掲示板 著名人ブロ…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
前回はメトロポリタン美術館のコレクションの所蔵するスチルフリートの「日本の風景と装束」に収録されている写真を何点か取り上げて検討を施しました。今回も海外のデジタルコレクションから明治期の写真を何点か取り上げてみたいと思います。今回は「ニューヨーク公共図書館(New York Public Library)」のデジタルコレクションから、日下部金兵衛の写真を何点か取り上げます。※「New York Public Library」は日本語版Wikipedia...
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
小田原城中では、北条氏の一族及び、重臣が、豊臣軍と徹底抗戦するか、降伏するかの議論が、紛糾し、長々と続いた。 その印象によって、平時に、月二回程度、行われて…
知名度としては、勝海舟(かつ・かいしゅう/1823-1899年)や、小栗忠順(おぐり・ただまさ/1827-1868年)には及ばないかもしれませんが、黒船来航(1853年)後の、いわゆる幕末期に活動した人物の一人に川路聖謨(かわじ・としあきら/1801-1869年)という人物がいます。旗
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
評価:55点/作者:神田由築/ジャンル:歴史/出版:2009年 『日本史リブレット 91~江戸の浄瑠璃文化』は、山川出版社の日本史シリーズである、「日本史…
1583年(天正十一年)、蜂須賀家政は、賤ヶ岳の戦いに参加し、播磨佐用郡内に、三千石を与えられた。1 585年(天正十三年)には、家政は、父の正勝と共に紀州…
久々に度肝を抜かれる歴史番組を見つけた。歴史マニア歴30年以上の私をうならせるその番組の名は「英雄たちの選択」。歴史マニアならば必見だと個人的には思う。
ウソかマコトか、随筆「枕草紙」の作者として有名な平安時代の女性・清少納言(966頃-1025年頃)にはこんなお話が残されています。兄・清原致信(生年不肖-1017年)が、二十名ほどの騎兵・歩兵に館を襲撃された時のお話です。すでに出家していた清少納言も、じつはこの館にい
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
「島原の乱」といえばキリシタンの農民たちが起こした一揆で有名だよね! 天草四郎が中心となって起こした、歴史史上長くて大規模な一揆! どんな一揆であったのか、一緒に見てみよう! 島原の乱とは なぜ島原の乱が起こったのか 鎖国の世の中 籠城戦による攻防 まとめ 島原の乱とは 島原の乱は、1637年〜1638年天草四郎を大将とした、江戸時代に起こった百姓一揆です。 主にキリシタンの農民らが一丸となって起こしたものだったので、宗教一揆の部類であると思います。 daisyribbon.com 一揆についてはこちらの記事でも紹介していますが、その中でも1年もかけて幕府と激しく戦った、宗教がらみの一揆はなか…
今日は「院政」についてのお話だね! うん!院政は天皇が上皇、法皇となっておこなった政治のことだよ!どんな政治が行われていたんだろうね。 実際どんな時代背景があったのでしょうか。 一つずつ追っていきましょう! 上皇・法皇とは 院政とは何か 藤原摂関家の台頭 藤原摂関家の弱体化 白河上皇の院政 院政はどんな仕組みで行われていたの? まとめ 上皇・法皇とは 「院政」という体制が始まったのは平安時代でした。 天皇が攘夷(後継者に位を譲ること)し、上皇や法皇となって政治を行うことをいいます。 まず上皇というのは、 ・太上天皇の略。後継者に地位を譲った天皇のこと。 法皇とは ・太上法皇の略。太上天皇が出家…
平氏と源氏。言葉はよく聞きますよね。武士で、平のなんとか~源のなんとか~人の名前として印象に残っていると思います。 そもそも何をして、どういう争いをしたのか。 検証していきたいと思います。 平氏・源氏とは 武士団の形成 朝廷による対策 平氏政権 保元の乱・平治の乱 武家政権の樹立 平清盛の政策 源平合戦 源氏政権始まる。鎌倉時代へ まとめ 平氏と源氏の争い 平氏・源氏とは そもそも平氏、源氏ともに、天皇家にゆかりのある一族であり、由緒ある家系でありました。それぞれ中央や地方で活躍していたのですが、武士団の形成により、事態は変わります。 武士団の形成 武士団という名前だけあって、戦闘のスペシャリ…
士農工商ってよく教科書に出てくるけど、実際どんな制度だったの? 江戸時代の身分制度のことだよ!ざっくり四つの身分にわけて、支配体制を整えるのに分かりやすくしたんだ。 それぞれどんな人が、どの身分にわけられるのか、一緒に考えていこう! 士農工商とは何か 四つの身分と割合 なぜ身分分けが必要であったのか それぞれの身分の違いとは 武士 武士階級の始まり 武士の特権 農民 町人 封建的身分制度は複雑だった 士農工商は果たして身分制度だけの意味あいだったのか 士農工商とは何か 四つの身分と割合 大きく分けると、武士・農民・職人・商人の四種類に分類されます。 武士は全体の7%、農民は85%、職人と商人で…
御成敗式目ってどんな法律だったの? 武士だけに通用した基本の法律だよ!51箇条あって、鎌倉時代に作られたんだ。 さて、その武士の基本法となった御成敗式目。これまで基本となる法律がなく、裁判やルールが曖昧だったこともあり、この法律が作られました。紛争にともなう訴訟も多く、公平に判断する必要があったのですね。 御成敗式目とは何か 北条氏の行った政治 五十一箇条の内容とは 守護の任務 地頭について 女子についての財産問題 御成敗式目まとめ 御成敗式目とは何か それでは、御成敗式目とはどのようなものだったのでしょうか。 1232(貞永元)年、執権北条泰時が定めた、武士のために作られた法律です。貞永式目…
皆さんは学生時代の歴史の授業、どういった思い出がありますか? 「年号覚えたり、同じような名前の人物ばっかりでてきて何が何だかわからない!」 「何がどこでなんで起きたか理解が難しい!」 そういった事が多かったのではないでしょうか? 確かに気持ちはわかります。 源さん、藤原さん何人いんねーん! 徳川さん誰が何代将軍やねーん! 応仁の乱って?何とかの乱とか多すぎ‥ そうでしょうそうでしょう。 でも、歴史って年代と戦争と人ばかりじゃないんです。 全て別角度から見た時の歴史がとても面白いんです。 物語風に、そして意味を考えながら読み解く! そこが歴史の流れを読み解く近道だと思います。 例えば以前紹介した…
江戸時代の武士の為につくられた法律「武家諸法度」。鎌倉時代の御成敗式目から発展して随分内容が詳しく変化してきたよ! 武士に対しての決まり事だね!なんだか厳しそう… 1615年(元和元)に徳川秀忠の時に京都の伏見城で発布されました。 目的としては、諸大名統制の為で、将軍の代替わりの度に追加で修正されていたのも大きな特徴でありました。 問題がさらに出てきたり、イマイチだった政策を見直したりと、少しづつ改訂されていったのです。 武家諸法度の目的とは どんな法律だったのか。大名の生活がかわった 基本法 寛永令 寛文令と天和令 禁中並公家諸法度 まとめ 武家諸法度の目的とは ではその武家諸法度、その目的…
荘園とは、古代から中世にかけての土地支配の在り方です。 ・始め初期荘園として寺社や貴族によって所有される、自懇地系荘園が中心。律令政権下で発展。 ・10世紀以降は有力豪族などが寺社などに寄進する、寄進地形荘園が主。 形を変えて存在した荘園制度。その流れを、時代を追って一つずつ見て行きましょう! 口分田の不足 三世一身の法と墾田永年私財法 荘園の発生 寄進地形荘園のはじまり 荘園整理令 まとめ 口分田の不足 大化の改新で6歳以上の男女に与えられるようになった口分田 国の繁栄にしたがって、どんどん人口は増えていき、その上耕作人のいなくなった土地の荒廃もあって、良質な口分田が不足してしまうという事態…
古墳時代といえば名前のまんま、古墳づくりがメインとなった時代です。 3世紀末〜7世紀末頃までと、長い時代でもあり、前期・中期・後期と区分されていました。 それぞれに特徴があった古墳時代。その変遷を一つづつ見ていきましょう! 古墳の発生 古墳の特徴 前期古墳 中期古墳 後期古墳 副葬品 鏡・玉 刀剣・三種の神器 まとめ 古墳の発生 古墳が発生したのは3世紀〜4世紀にかけてくらいでした。 はじめは大和周辺で起こった高塚古墳と言われるもの。 高塚古墳とは、丘陵地や盛土をしたところに葺石で表面を覆った作りをしたものです。 古墳の特徴 時代を追うごとに規模が大きくなり、その意味合いや形状は変わっていくの…
鎌倉時代中期、元(モンゴル)が2度にわたり日本に攻めてきた事件。 「元寇」について今回は紐解いていこうと思います。 元寇の始まり 文永の役と弘安の役 文永の役 弘安の役 御家人への恩賞問題 まとめ 元寇の始まり 元寇は、「蒙古襲来」「文永・弘安の役」ともいいます。 きっかけとなったのは、当時ものすごい勢いで各地を征服していた蒙古の皇帝フビライによるものでした。 数々の侵攻により高句麗を手に入れたフビライは、日本にも侵攻すべく国書をおくってきたのです。 『東大寺尊勝院文書』によると、 上天のけん命せる大蒙古国皇帝、書を日本国王に奉る。 ……高麗は朕の東藩なり。日本は高麗に密邇し、開国以来、亦時と…
鎖国を行なった理由、その目的とは。 結論から言うと、「幕藩体制」を強化したかったからということです。 幕藩体制を強化。つまり、キリスト教を徹底的に排除して、土地や人民を幕府が支配するため、他国からの侵略の懸念もあり、鎖国が必要になったのです。 それではキリスト教が広がるにつれて、国内に与えた影響はどのようなものだったのか、順を追って考えていきましょう! 家康の外交政策 キリシタンの増加 貿易の制限と禁教令 鎖国令 5回にわたる鎖国令 島原の乱 キリシタンの取り締まり 幕藩体制の完成 家康の外交政策 江戸時代徳川家康は、外交政策について、秀吉時代のやり方を継承する形で平和的に行おうとしていました…
建武の新政とは 組織の内容 中央 ①記録所 ②雑訴決断所 ③恩賞方 ④武者所 地方 建武の新政の目的とは たった3年で崩壊へ 足利尊氏初代将軍に 建武の新政とは 建武の新政とは、1334年(建武元年)〜1336年(建武3年)、大覚寺統である、後醍醐天皇が行った政治のことです。建武の中興とも言います。 鎌倉時代、後嵯峨天皇の譲位後、天皇家が2つの党に分かれて対立しました。それが大覚寺統と持明院統です。 この二つの党は、それぞれが対立したため、交代で皇位につくことを決めました。 このことを両統迭立といいます。 2つの党は交代で即位することになったのですが、対立の波は引かず、やがて後醍醐天皇が即位っ…
歴史と聞いて、人や年号を覚えるだけ。一度テストが終わったらもう忘れてしまう… 歴史ブログを書くにあたって、何を伝えたいか、どんなことが心に残るかを考えました。 難しいことを書いても、もちろん自分もそこまで詳しくないし、物事を断片的に切り取っても、理解しにくいかもしれない。 ただ、歴史は今も常に新しく重ねられています。 昨今の天皇制のあり方や、感染症については、歴史上の大きな出来事の一つになるのではないでしょうか。 そんな中で今回は ①疫病の歴史 ②その歴史は本当なのか ③歴史とともに生きる というテーマで語っていきたいと思います。 日本における疫病の歴史 記述された歴史が本当であるのか 歴史の…
室町時代に栄えた文化。足利義満の金閣寺に代表される北山文化と、足利義政の銀閣寺に代表される東山文化。 それぞれの特徴をとらえていきましょう。 御朱印もいただいてきてますので、少し交えながら簡単に解説します! 北山文化とは 東山文化とは まとめ 北山文化とは 15世紀の初め3代将軍足利義満によって花咲きました。 その特徴として、 ・五山文学 ・能楽の大成 ・絵画や美術、連歌の発展 ・金閣寺の建立 などが挙げられます。 ・五山文学 五山文学とは、五山派の禅僧によって書かれた漢詩文のことです。 この頃、義堂周信や絶海中津ら学問僧によって、漢文学が盛んとなりました。 ・能楽 室町時代に大成されたもので…
こんにちは、lalaです。 基本的な歴史を簡単にわかりやすく解説しています。 一緒に日本の歴史をおさらいしてみましょう! さて今回は「田沼意次による政治」です。 田沼政権のポイントは ポイント! ・商業統制のための株仲間の公認 ・貿易の拡張 ・貨幣経済の流通と物価の安定をはかる ・印旛沼、手賀沼の干拓と蝦夷地の開発 ・災害や対策の批判による一揆、打ちこわしの続発 商業や経済に特化した対策がとられていたのがわかります。 詳しくみていきたいと思います。 田沼意次という人物 田沼意次の政策 賄賂の横行 農村の荒廃と疲労 一揆と打ちこわしの続発 田沼政権の終わり 田沼意次という人物 10代将軍徳川家治…
評価:55点/作者:藤原重雄/ジャンル:歴史/出版:2014年 『日本史リブレット 79~史料としての猫絵』は、山川出版社の日本史シリーズである、「日本史リ…
[現代語訳] 文保二年(一三一八年)八月三日、後西園寺太政大臣実兼公の御娘が、皇妃の位に就いて、弘徽殿にお入りになった。この家で女御をお立てになることがすでに五代であったが、これも承久以後、北条氏が代々西園寺家を大事にされたからで、一家の繁栄はすっかり天下
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
蜂須賀家政は、1558年(永禄元年)、蜂須賀正勝の嫡男として、尾張国の丹羽郡宮後村の宮後城に生まれた。 母は、正勝の正室の大匠院、松。 大匠院の出自は、明確…
初めての武家政権である鎌倉幕府が誕生する250年も前のこと、すでに武士が台頭し、その勢力を広げ始めていました。その草分け的存在とされているのが、平将門(生年不肖-940年)で、いわば、地方のボスのような存在でした。その一生は波乱万丈に充ち、歴史的にも面白いものが
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
[現代語訳] そもそも四境七道の関所は、国の厳しい定めを天下に示し、また、非常の時に備えるためのものである。ところがこの度、壟断の故事のごとく利を図って商売往来の難儀、年貢運送の妨げになるということで、大津・葛葉の関の他はことごとく各所の関をおやめになる。
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
[現代語訳] 承久元年(一二一九年)以来、親王・摂関家から世を治め民を安んずることのできる貴族を一人、鎌倉にお下し申し上げて、征夷将軍と仰いで、臣下の武士は拝趨の礼を尽くした。 同じ三年、初めて洛中に一族の中の二人を据えて、両六波羅と称して西国の行政を行
さて、我が国の天皇の始め神武天皇から九十五代の帝後醍醐帝の御代にあたって、武家の家臣相模守平高時という者がいた。この時、お上は主君としての徳に背き、臣は臣の礼を失ったのであった。このことから、国内は大いに乱れ、一日も穏やかな日がなくなった。狼煙が天にた
初めに また、このブログを始めます。 今回は『太平記』を読んでみます。 私の中で、鎌倉幕府の滅亡から室町幕府の滅亡までの日本史は、その前後が比較的一本道に見えるのに対して、全くの動乱の時代で色の違う糸が絡み合っているように思えています。後醍醐
評価:55点/作者:村田路次/ジャンル:歴史/出版:2009年 『日本史リブレット 93~近世の淀川治水』は、山川出版社による、「日本史リブレット」シリー…
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
大坂城の留守居の蜂須賀家政・生駒親正・黒田長政は、紀州勢と戦ったが、建設途上の大坂の町は、無防備のため、、紀州勢は、大坂の街を破壊して、焼き払った。 最終的…
~2020年10月7日に称徳天皇(718~770年)の 1250年御遠忌法要が営まれた~ひょっこり、こんな字面が目に留まり、その称徳天皇に思いを馳せ、「天武系」天皇を一覧にしただけでなく、その皇位継承の有様を再確認してみたわけです。※(00)は天皇の代数(40)天武→(41)
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。