どうも、soul jemです。 さて、、、 現在、「とある科学の超電磁砲」の聖地巡礼で立川市に訪れている私ですが、、、 こちら、2020年にオンエアされた3期の「とある科学の超電磁砲T」、、、前作の2期から実に7年ぶりの新作である、、、もう一度言おう、7年である、、、 いや待たせるにも程があるだろ、、どんだけ老化が進んだと思っとんねん、、、 ともあれ、待たせただけあってこの新作は予想以上にに秀逸、、ここに来て過去最高の作画クオリティ&ストーリー、、、マジでシビれました、、、 今回のテーマは「大覇星祭」と呼ばれる能力者たちの威信をかけた大運動会、、これが最高に面白いのである、、、 何より、御坂美…
江戸湾でごねるペリー 戸田氏栄や黒川嘉兵衛が黒船に乗り込んで浦賀まで戻ることを要求するが、ペリーはそれに応じずに江戸湾内にとどまる。 この時に幕府は交渉場所を鎌倉として、なるだけ江戸からペリーらを遠ざけようとしたが、ペリーは江戸での交渉を望み話し合いは平行線のまま膠着する。 交渉地決定 幕府は洋式軍艦を製作していた中島三郎助と香山栄左衛門を黒船へ送り込んだ。ペリーらから信頼を得ていた香山の尽力により交渉地が横浜に決定することになる。 鎌倉と江戸との折衷案であった。
水戸藩の大砲 海防参与となった徳川斉昭は幕府にいくつかの意見書を出したりと精力的に幕政に関わっていた。 嘉永6年12月15日(1854年1月12日)には大砲74門を幕府に献上した。 軍艦つくりに着手 年が明けて嘉永7年1月2日(1854年1月30日)、水戸藩はいよいよ軍艦の建造を始める。
島津斉彬 薩摩藩のお家騒動で40歳を過ぎてようやく藩主になった島津斉彬は藩の富国強兵に努め、洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などの集成館事業を興した。 阿部正弘とも親交が深くペリー来航で斉彬を必要とした阿部は参勤交代の次期を早めて江戸に呼び寄せた。 西郷吉之助 薩摩の下級武士であった西郷吉之助は斉彬が藩主になって藩内から意見を求めるようになると意見書を書く。それは藩政批判の色が濃い過激な内容だった。 しかし、斉彬は西郷の一本気な性格に興味を抱き江戸へ連れて行く供に指名する。 江戸についた西郷はお庭番として身分が低いながらも斉彬の側近として取り立て..
今日は良いお天気になりました!南里邸は開催日です。今日一番遠くから来られたお客様は、パリでした!!パリ在住30年の佐賀出身の女性でした。色々なお話が弾みました!!
全国菊池の会事務局長。https://zenkoku-kikuchinokai.jp/ 市川ジャズ会長。90年バンド『ZIPANG』を結成(15年間休眠中)。新自由主義社会の経済政策は格差社会を作り、資本主義社会の破滅へ。
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