縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良時代の謎。神社、遺跡、古地に足を運び、忘れられた記憶、隠された暗号を探ります。近ごろは、古いサイノカミ・アラハバキ信仰の視点で(横断的に)探ることも多くなりました
文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球
歴史や民俗に関係するならアカデミックなことからサブカルチャーまでなんでも語ります。キーワードは「想像力」です。単に知る楽しさだけでなく、いろいろなことを考えていく楽しさを共有できたらうれしいと思います。
【巣山古墳(3)】出土した準構造船は高田川水域を支配した海人集団のこん跡【喪船】
巣山古墳の最終回。古墳外周から #準構造船 が出土。復元された船体を広陵町文化財保存センター(土日祝日休み)で見学できます。縄文以来の丸木舟に舷側と堅板の構造物を載せた船を準構造船といいます #高田川 #葛城氏 # 武内宿禰 目次 「喪船」とされる準構造船の出土 広陵町文化財保存センターの展示 高田川と巣山古墳 本文 www.zero-position.com www.zero-position.com 「喪船」とされる準構造船の出土 (1)で紹介しましたが、巣山古墳では古墳外周の北東角から準構造船の部材が出土しました。 準構造船の出土地点(北東角)から巣山古墳 広陵町文化財保存センターのパネ…
米満横穴墓群の探索の前に長南町郷土資料館に立ち寄った。米満横穴墓群出土の玉類、耳管、鉄鏃、須恵器などを展示。その他、能満寺古墳と能満寺裏遺跡の展示、根畑遺跡出土子持勾玉など見どころ豊富。 長南町郷土資料館 寛永寺の石燈籠 寛永寺の石灯籠 (寄贈 東京都 田中康弘氏) この石灯籠は、徳川将軍家の菩提寺・東京上野の寛永寺に建てられていたもので、高さは一丈(約3m)を測ります。 昭和27(1957)年に寛永寺から田中泉氏が譲り受け、平成18(2006)年に当館に寄贈されました。 銘文にある「文恭院殿」とは江戸幕府第十一代将軍家斉(1773〜1841)の法名であり家斉の死去に際し、天保12(1841)…
玉名市岱明町の龍神宮等巡礼2024/5/17(金)晴最高気温28°晴天の暑い日になりそうだったが、暑熱順化のためと自己暗示をかけて正午からポタリングに出る。目的地は、先日の横島町と同じく干支の龍を祭神とする玉名市滑石の共和龍神宮、岱明町の大相龍神宮、長保龍神宮とする。熊鹿ロードを北へ走り、県道31から国道208を走り、木葉駅前を通り玉名市田崎から県道170・176を通り、県道1を横断し大浜町を通る。町中で昔ながらの「矢幡と鯉のぼり」(写真1参照)を見る。広い屋敷地がないとこの様な旗棹は立てられない。大浜橋で菊池川を渡り、右岸堤防沿いに南市方向に下る。堤防傍に共和龍神宮(写真2・3参照)は鎮座する。境内地は広い。旧堤防と思われる地形の道路を西北方向に移動すると、漁港とその畔に「塩釜神社」(写真4・5参照)が...岱明町の龍神宮等巡礼
図はDNA分析から日本人の成り立ちの研究をされる篠田謙一氏作成の4万年前の海岸線と人類の移動ルートを表したものである。 この三つのルートが、ほぼ定説のようになっているが、よく見るとこの図には気になる点がある。それは現在の海岸線とともに、氷期の海水面の低下で
鑑賞石(水石・盆石)を失われつつある自然石文化財とみなした記録・継承の重要性。これはという一石と出会ったとき、ビギナーとしてとるべき鑑賞石を飾る手順を主に水石の水盤石飾りからまとめる。
縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)の集落 馬平遺跡 (静岡県島田市阿知ヶ谷馬平)
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
遊具,多目的広場,メロディー橋,風車モニュメント わんぱく水辺ランド 湯日川親水公園 (静岡県榛原郡吉田町住吉地先)
静岡県榛原郡吉田町住吉(はいばらぐん よしだちょう すみよし)地先のわんぱく水辺ランド 湯日川親水公園(ゆいがわしんすいこうえん)は、湯日川河口付近に所在。遊具、多目的広場、メロディー橋、風車モニュメント、トイレ、無料駐車場などが整備されています。湯日川親水
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳15基? 鵜田古墳群 (静岡県島田市野田北ノ谷他)
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
垂直の滑り台が恐怖 スウェーデン製の大型複合遊具が大人気 安久路公園 (静岡県磐田市安久路2-10-4)
静岡県磐田市安久路(あくろ)の安久路公園(あくろこうえん)は、スウェーデン製の大型複合遊具と天然芝サッカーコートがある、子供から大人まで大人気の公園です。遊具、自由広場(サッカーゴール、バックネットのあるグラウンド)、多目的広場(天然芝サッカーコート)、トイレ
こんにちは! 先ほど、5月18日午前6時から9時の間に、日本のはるか太平洋沖で前線が消滅したので注意範囲をお知らせします。・・・・・・・・・・・・・・・202…
いつも、ありがとうございます。よろしければポチっと応援をお願いします(^)o(^)古代史ランキング鉄のネットワークが各地に拡大する中で各地の部族長(首長)の部族内での権力が大きくなって行き、大型四隅突出型墳丘墓が造成され、首長継承の儀礼が行われるようになります。その後さらに大規模な古墳が作られるようになり、弥生時代後期前半まで残っていた縄文系の穀霊・祖霊祭祀から首長霊祭祀に変わり、古墳時代の先駆けになったと考えられます(詳細は「銅鐸祭祀は何故、消えた?」参照)。八束命の御子日高彦が西谷墳丘墓群で祖父イタケルやその姉妹が3号墳と2号墳でそれぞれ祀られていると推理していますので、最大の9号墳を造り、八束命を改葬して、王位継承の儀礼を行ったと考えています(詳細は「国引き神話は史実だった?(その5)西谷墳墓群の被...消された出雲・丹後王国の謎!(その2)日高彦の話
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