在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
安房の戦国大名、関東無双ノ大将里見義堯の居城、久留里城で初の御城印
青森市 横内城の歴史と史跡をご紹介!🏯
佐野市の城山公園
土手道を渡ってお城へ
四国初上陸6 現存12天守の一つ 「伊予松山城」 ~大天守・小天守内~
雨の佐土原城攻城記。 その1 <二ノ丸~中の道登山口>
雨の佐土原城攻城記。 その2 <中の道登山口~登山道>
雨の佐土原城攻城記。 その3 <切通道~本丸>
紅葉が美しい摂津池田城逍遥
福井旅行 最後は福井城址と焼き鯖寿し
訪城記 ~諏訪原城~ 【2024.10.26】
久々に熊本城一周
直前に決めた姫路一泊旅行《後編》
訪城記 ~久保田城~ 【2024.9.15】
丸亀城@香川県
源義経は、兄の頼朝との対立が、決定的になると、叔父の源行家と共に、後白河法皇に、源頼朝追討の院宣を求めた。 後白河法皇は、義経に強要され、院宣を下したのか、…
源頼朝は、源義仲討伐軍には、年貢の納入に滞り、食糧不足に陥っている、京に大軍を入れたため、乱暴狼藉を働いた、義仲の轍を踏ませなかった。 頼朝は、範頼の軍勢を…
源頼朝は、源義仲討伐の功績により、正四位下に叙任した。 官位は、得られなかったが、その際、頼朝は、源義仲及び、源行家に与えられていた、平家没官領を与えられて…
古代の征夷大将軍は、大伴弟麻呂、坂上田村麻呂の二代しかなく、その後、蝦夷征討を行った、文屋綿麻呂は、征夷将軍であり、「大将軍」ではなかった。 征夷大将軍は、…
「将軍」とは、中国発祥の言葉であり、文字通り、「軍を将(ひき)いる」ことである。 将軍は、比較的大規模な、軍隊の指揮官に与えられる、官職及び、称号であると同…
寿永二年十月宣旨は、源義仲が、平家追討のため、京に不在中に出されていた。 東海道を除けば、信濃国・美濃国・北陸道は、実際は、源頼朝ではなく、義仲の支配下にあ…
評価:60点/作者:野口実/ジャンル:歴史/出版:1994年 『武家の棟梁の条件~中世武士を見なおす』は、日本人が、好きな「武士」について、暴力団と断じ、…
源義仲が、破竹の勢いで、京に進撃し、平家を都落ちさせると、甲斐源氏、信濃、美濃、近江等の武士達は、義仲に従って、平家と戦った。 義仲の勢力は、頼朝を上回り、…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。