在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
9月19日は、政府が初めて平民に苗字使用を許可した日です。 (自由平民、苗字差し許され候事) 1870年(明治3年)9月19日に「自由平民、苗字差し許され候事」という太政官の布告が 出されました。 これにより、これまで武士や公家神官など限られた人にしか許されなかった苗字が、 この日から誰もが使用できるようになりました。 (戸惑い) 苗字をつけて良いと言われても、当時、庶民は苗字を名乗らず、下の名前を使っていて、それで何も不自由はないため、改めて苗字をつける必要性を感じた人はあまりいなかったようです。 そのため、苗字を名乗る人は少なかったそうです。 また急に苗字をつけろと言われても、どうやってつ…
近江神宮は、滋賀県大津市神宮町にある神社です。 1941年(昭和15年)皇紀2600年を記念して創祀された神社で第38代天智天皇をお祀りした神社で、天智天皇の古都・近江大津宮跡に鎮座しています。 境内地は約6万坪(20万㎡)。 生い茂る木々に囲まれた参道を歩いていると涼しさと厳かさを感じます。 (祓所:はらいど) 例祭に際して修祓を行い拝殿に参進する祓所があります。大祓式もここで行われます。 実に厳かな雰囲気でした。 (鮮やかな楼門) 参道を進むとまず到着するのが楼門。鮮やかな朱色です。 楼門をくぐると外拝殿が構えています。 社殿は近江造りあるいは昭和造りと呼ばれ、山麓の斜面に本殿・内外拝殿を…
上の写真は、9月24日、西郷隆盛が自決した場所に立つ石碑です。 この日、西南戦争が終結しました。 西南戦争は、1877年(明治10年)に薩摩藩の西郷隆盛を中心にした士族による大規模な反乱です。 「乱」ではなく「戦争」と表現していることが、その規模の大きさを物語っているように、この戦いは、日本史上最大規模でかつ最後の武士の反乱で、現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において戦闘が繰り広げられました。 おっさんは1990年(平成2年)から4年間、仕事の関係で宮崎市に住んでいましたが、 宮崎県の北部に行くと西南戦争で西郷軍が立ち寄った場所があり、当時薩摩軍が発行していた紙幣・西郷札を見ました。 ま…
1985年(昭和60年)9月25日、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等が発掘されました。 藤ノ木古墳は、法隆寺から住宅地を少し歩いた場所にあります。 下の写真の中央に見える緑色した小山のようなものが藤ノ木古墳です。 直径約48m、高さ約 9mの円墳で国の史跡に指定されています。 周囲の住宅と比較して、その大きさがわかると思います。 「藤ノ木」の名称は所在地に由来しますが、法隆寺関係の古文書や古記録によれば、 かつては「ミササキ」「陵山」などと呼ばれていたそうです。 藤ノ木古墳の脇には入り口があり、中の様子を見ることができます。 ここから中を覗いたら、こんな風に見えました。 藤ノ木古墳は1985年…
9月26日 陰陽師の安倍晴明が没しました。享年85。 (平安時代の有名な陰陽師:安倍晴明) 安倍晴明は平安時代の伝説的な陰陽師です。 晴明は921年、摂津国阿倍野に生まれたと言われ、和泉国の信太の森の白狐が母親であるという伝説があります。 ただし生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もあります。 晴明は、陰陽師の賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたといいます。 (40歳を越えてからの出世) 安倍晴明は、960年に40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ職)であったときに村上天皇に占いを命ぜられます。 そして50歳頃、天文博士に任ぜられます。 979年、59…
1945年(昭和20年)8月6日、広島市に史上初の原子爆弾が投下されました。 当初は、新型爆弾と呼ばれていたこの原爆投下の第一報を、初めて伝えたのではないかと言われる場所があります。 広島城にあった中国軍管区司令部防空作戦室です。 (軍都として発展する広島) 広島市は明治期から軍都として栄えました。 1894年に日清戦争が始まると、広島城の本丸に大本営が置かれるなど広島城周辺は 一大軍事拠点となり発展していきます。 【戦前の広島城周辺(広島市公文書館所蔵)】 【広島大本営について書いたブログはココ】 日清戦争の時に、広島大本営が置かれた広島城内に、終戦間際の1945年(昭和20年) 6月、中国…
うぎゃあああ、やられたあああ おっさんは和歌山城で 忍者に斬られました! 和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁という和歌山市街地の ど真ん中にあるお城です。 江戸時代は徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城で、八代将軍徳川吉宗も住んでいました。 (始まりは豊臣秀長) 和歌山城は、安土桃山時代の1585年(天正13年)に豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。 1600年には浅野幸長が和歌山城主になり城の拡張及び改修を行います。 その後、1615年に徳川家康の第十男頼宣が入城し明治維新まで250年間、徳川御三家の居城となりました。 1901年(明治34年)には、和歌山公園と…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
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ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。