在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
下鳥羽
史実の信長と光秀に、大河ドラマの定番シーンを見せてみた。
アケチ100形、森や田の田園道中に映える朱
<黒井城>の”城門”を巡るー登城途中の曲輪に建てられた模擬四脚門
<丹波亀山城>の”城門”を巡るー”御殿門”や”明智門”の他に城門と思われる城門が移築されている
< 勝竜寺城>の”城門”を巡るー細川藤孝のお城でしたが、山崎の合戦時には明智光秀の本陣として使用
ジョルダーノ・ブルーノの正体は、まさかの“オダノブ”だった説
<坂本城>の”城門”を巡るー”西教寺総門”と”聖衆来迎寺表門”に移築と伝わります
<明智城>の”城門”を巡る-明智坂の途中にある大手門跡に建つ模擬の”冠木門”
惚れるとは。きつね婦人の独断と偏見
【新説!】織田信長が明智光秀に殺されたのは当然の結果であることが判明。
山崎の合戦 天王山
稲畑御霊神社(朱印巡礼38)
上賀茂神社
本経寺(明智藪)
お疲れ様です。あかいあくまです😈 幕末に徳川幕府側の京都の治安維持組織として活躍した新撰組。当初は浪士組と呼ばれ、関東の道場から寄せ集められた浪士集団でした。しかし、局長の近藤勇...
評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:1992年 『体系 日本の歴史⑤~鎌倉と京~』は、小学館ライブラリーの「体系 日本の歴史」の第五弾。 …
平家の棟梁、平宗盛は、源頼朝の提案を拒絶した。 父の平清盛が、「頼朝の首を、我が、墓前に供えよ」、「「我の子孫は、一人、生き残る者といえども、骸を頼朝の前に…
源頼朝は、清和源氏の棟梁を自負していたため、親王でさえない、以仁王の令旨を受け、挙兵した、その他の清和源氏の一人に過ぎない状態を改善したいと考えていた。 下…
前述の通り、源頼朝は、富士川の戦いの後、有力御家人の説得により、上洛を諦めた。 この時、頼朝は、己の無力さを痛感したであろう。 富士川の戦いの後、源頼朝は、…
前述の通り、源頼朝は、三つの幸運によって、挙兵に成功した。 そして、第四の幸運は、皮肉なことに、二人の兄、源義平、源朝長が、既に、死去していたことにある。 …
正月、新年明けましておめでとうございます。 新しいコロナとともにある時代。ないものねだりをしない。 それがくじけないコツだと思います。 しっかりと生きてゆきたいものです。 本年もよろしくお願いいたします。 さて、日本の正月の習慣には「祝い箸」というものが...
その結果、源義朝の九人の息子の内、三男の頼朝、七男の全成のみが、生き残った。 頼朝の死後まで、生き延びたのは、全成のみである。 全成は、北条政子の妹、阿波局…
前述の通り、本作の主人公、足利尊氏を演じるのは、真田広之。 1987年の『独眼竜政宗』にて、松平忠輝を演じた、真田は、二作目の本作で、大河ドラマの主演になっ…
1180年(治承四年)10月20日、源頼朝は、平家軍との富士川の戦いに勝利を治めると、平家軍を追撃し、上洛を望んだが、上総広常、千葉常胤、三浦義澄等の有力御…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。