在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
【品川神社と板垣退助の墓】旧東海道にも近い歴史スポット!
■🏯将軍への道 〜徳川家康の人生を歩く歴史旅〜「名古屋郷土三英傑特集③」
三英傑ソックス
『L,KILL アイキル』クライマックス間近
小山評定 第一話
泰平の世をもたらした英傑、ここに眠る…徳川家康を祀る「久能山東照宮」
<福山城>の”城門”を巡るー”東の門”が鞆の浦に移築され店舗として再利用されています
法多山尊永寺(5)北谷寺~大師堂~鐘楼堂
続・史実の徳川家康に、ドラマで極端に美化された自分と極悪人に描かれた自分を見せてみた。
史実の徳川家康に、ドラマで極端に美化された自分と極悪人に描かれた自分を見せてみた。
法多山尊永寺(4)風鈴まつり
徳川家康(26)立命往生の巻!家康死す…天下泰平への思いは命尽きるまで
法多山尊永寺(3)本堂~願掛け風鈴
法多山尊永寺(2) 一乗庵
城ぶら「田中城」!徳川家康倒れる!家康が何度も訪れた鷹狩りの地
長谷寺の広い境内をあちこちと歩き回り、ほぼ全て歩きつくした(内部を見学できない建物は仕方ないので)ところで駐車場に戻りました。 次の目的地に決めたのは安倍文…
多くの末寺をもつ真言宗豊山派の本山というだけあって、長谷寺(奈良県桜井市)の境内はとても広いです。 そもそも「本山」というほどの寺院はみな境内が広いですが、…
奈良県の長谷寺がいかに大きな寺院か。 それは実際に行かなくても、末寺を多く抱える宗派の本山であるとか、歴史的に名高い寺院だということで、ある程度は想像できま…
私は四国霊場や坂東観音霊場、秩父観音霊場、武蔵野観音霊場、関東三十六不動霊場、神仏霊場巡拝の道などをまわっていますが、西国(さいごく)三十三観音札所もまわっ…
この一週間は予定が詰まってしまい、 週3で行っている仕事の間の日に 岐阜への一泊帰省と 上野で母の新盆供養、 ドキドキ歯科通院があって(爆) 1週間フルで動き回った。 無事に終えて 今朝はしばしボーっと出来た✨ (帰省) 藤沢から車で4時間半、岐阜県関市の風景を。 車に乗り疲れた私は 到着後、散歩をした。 何と言う暑さだ(-_-;)湿度も高い。。 気温が高いからか❔外に人が歩いて居ない。 津保川の支流沿い 天狗岩と白山神社。 背後にそびえる天狗岩は、昭和の頃は子供が登って遊んだそうだ。 山肌に やぐら穴の様なモノを発見。手掘りっぽいぞ('Д') 暑いし草ボーボーで 登ってみるのは冬場に来られた…
近鉄の長谷寺駅から長谷寺の山門までは、いかにも由緒ある寺院の門前町といった雰囲気の道を行くことになります。 クルマでの参詣の場合は、その門前町の中を通り抜け…
改めて説明いたしますと、長谷寺(奈良県の)は真言宗豊山派の本山であり、「西国三十三観音霊場」の第八番札所にして「神仏霊場巡拝の道」の第三十五番(奈良県の二十…
「英雲荘」ー2011年から10年をかけて修復した庭園ー 今回は、山口県防府市にある三田尻御茶屋旧構内「英雲荘」をお届けします。 昨年も見学に行きブログに記事を書いていますが、また違った視点で「英雲
熊谷、天野らの殉教碑とキリシタン信徒が眠る墓 今回は、山口県萩市にある「萩キリシタン殉教者記念公園」をお届けします。 政府によるキリシタン迫害により、あまたの命を落とした信徒たちがいます。&nbs
大賀蓮で有名な「源久寺」 今回は、山口県山口市にある「源久寺」をお届けします。 源久寺は、大賀蓮が見られるところで有名なのですが、この度は水不足により蓮田に水がなく、咲いていませんでした。&nbs
国指定名勝「常徳寺庭園」 今回は、山口県山口市阿東にある「常徳寺」をお届けします。 常徳寺には、雪舟作として伝わっている国指定名勝の庭園があります。 江戸時代後期の文献【防長風土注進案】
当時の光景が思い出される「山県有朋誕生地」 今回は、山口県萩市にある「山県有朋誕生地」をお届けします。 山県有朋は、奇兵隊総督、明治以来日本陸軍の第一人者となり、首相(2回)枢密院議長を歴任し「元
奈良県の長谷寺は真言宗豊山派の本山です。 豊山派の寺院は全国に数多くありますから、それだけに多くの人々の信仰を集めているといっていいですが、歴史があり観音霊…
夏の花 ヒマワリ🌻 白いヒマワリが咲いているというので植物園に見に行った。 まっ白 という感じではないけれどいつもの元気なヒマワリよりも穏やかで柔らかい。 種の部分の色で印象も変わるなぁ。 見下ろしたり見上げたり、 花壇の花たち、賑やかで楽しそうな雰囲気~✨ サルスベリの花とセミの鳴き声。セミは見えない。 いやーーー暑いな。 でも金曜土曜の2日間だけ涼しかったのには 助けられたなぁ。 あ、ミンミンゼミ。この子は鳴かなければ チョコミントアイスを連想して 涼しげなのに。。(笑) 今の時期は ギンヤンマの産卵期なのか、スイレン池に数組が来ていた。 いつも撮れない&観られないギンヤンマを 沢山撮るこ…
興林山 宗隆寺(→神奈川県川崎市高津区溝口2丁目)は、池上本門寺(→東京都大田区池上1丁目)の直属末寺に属していた日蓮宗寺院です。創建時は天台宗で本立寺と称していましたが、戦国時代前期(室町時代中期)の1496(明応5)年に日蓮宗に改宗して宗隆寺と寺号を変え、現在に至ります。江戸時代には昨日ご紹介しました溝口神社(→当時は赤城社)をはじめ溝口村全域の社(やしろ)の別当寺として祭祀を司るなど、武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)で...
溝口神社(みぞのくちじんじゃ→神奈川県川崎市高津区溝口2丁目)は、創立年代は不詳ですが、神社保存の棟札によると江戸時代中期の1709(宝永5)年に武蔵国橘樹(たちばな)郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されていて、神仏習合の江戸時代までは溝口村の鎮守・赤城大明神と親しまれ、赤城社と称していたといいます。江戸時代には現在の神奈川県伊勢原市の大山(おおやま)へ巡礼する大山詣(おおや...
久しぶりに保木薬師堂(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘西2丁目)を訪問しました。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条には「薬師堂 除地、四畝六歩、村の西にあり、東向にて四間四方の堂なり、薬師仏は坐像にて長二尺ばかり、萬蔵院持。」「萬蔵院 年貢地、村の西にあり、本山派の修験職なり。」と記されています。境内の案内板によりますと、江戸時代中期の1783(天明3)年に清沢村(→神奈川県...
金剛山 成就院 満願寺(→神奈川県横浜市青葉区あざみ野4丁目)は、江戸時代初期に創建されたと伝わる不動明王坐像を本尊とする真言宗豊山派寺院です。徳川将軍家の菩提寺の1つである三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)の裏鬼門に当たることから江戸幕府からも重要視され、江戸時代まではこの地域一帯の真言宗豊山派の拠点的性格をもつ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺とされました。満願寺があ...
十社宮(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘西2丁目)は、江戸時代初期に創建された旧石川村鎮守八社の1つで、1868(明治元)年の神仏分離令が出されるまでは十社権現社と呼ばれていました。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条には「十宮権現社 見捨地、西の方によれり。」と書かれており、隣接する保木薬師堂と共に別当寺(→神仏習合の時代に神社を管理した寺院)の満蔵院が代々その祭祀を守ってきた...
清涼山 覚永寺(→神奈川県横浜市青葉区元石川町)は、安土桃山時代後期の1594(文禄3)年に一向宗門徒の釋専念(→俗名井伊直重)によって建立された浄土真宗本願寺派の寺院です。井伊直重は小田原北条氏の有力国衆である世田谷城主吉良氏に仕えた武士だったようですが、織田信長と石山本願寺との間で行われた石山合戦(1570年~1580年)の際にはるばる大坂(おおざか)まで赴き、一向宗門徒として戦いに身を投じたといいます。1580(天正8)年...
「おふさ観音」の次の目的地を大和長谷寺と決めました。 「長谷寺」と書くだけでじゅうぶんとは思いましたが、鎌倉その他にも「長谷寺」とよばれるお寺は幾つもあるの…
おふさ観音と呼ばれるお寺は高野山真言宗の別格本山で「大和七福神八宝霊場」のひとつです。 同行した友人が、たしか大神神社でだったと記憶していますが、七福神めぐ…
談山神社を象徴する建物は、なんといっても木造の十三重塔です。 神仏混淆の寺院だったときの名残であります。神社であるのに代表的建築物が「寺院時代の名残」とは何…
中臣鎌足(藤原鎌足)といえば、歴史(世界史でははく日本史)の教科書には必ず載っている人物ですね。載っていなかったら教科書としておかしいといっても過言ではない…
談山神社の祭神は藤原鎌足です。 摂関政治で有名な藤原氏の祖であり、「大化の改新」の中心人物です。 もともとは中臣鎌足という名でした。 歴史書の伝えるところ…
談山神社は、友人にとっては初めて行く場所だったようですが、私にとってはこの時で二度目でした。 橿原神宮同様、二十数年前に、大学のゼミの見学会の旅行に参加させ…
平川神社(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘4丁目)は、猿田彦尊(さるたひこのみこと)を祭神とする旧石川村鎮守八社の1つです。創建の詳細は不詳ながら、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条(→項目)には「山王社 見捨地、村の西にあり、これも南向。」とあり、当時は山王社と呼ばれていたようです。説明板には「往古神猿があらわれて田畑を害すること甚しく、村民一致してその霊を祭ることにより...
先日の上野への月参りの日に、 ハスが見ごろかな、と思って 早めに家を出て 不忍池へ寄った。 上野公園から見下ろした不忍池 背景には マンションやビルがいっぱい建っているけれど 大昔に此処は 入り江だったとか、 江戸時代までは沼だったとか、 明治時代には 池の周囲で競馬をやって賑わっていたとか、 (賭け事ではなくってパリの競馬場を意識した、貴族の社交場風の競馬🐴) 戦後の食糧難では 数年間田んぼにしていた事なんかを 頭の中で動画にして妄想しながら 木陰から長い事眺めた。 そして、ハスの前にもう一つ。 私は今年 毎月上野へ通う様になり、 不忍池へ来る度に気づいてしまった事がある。 ”熟女装”の方が…
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。