在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
いわゆる「黒船来航」(1853年)以降の日本には、それまで日本人がまったく知らなかった事物がどっと入り込んで来ました。「未知との遭遇」というですから、そういうニュー事物に対しては、それなりの恐怖心も伴ったのでしょうが、民族性からしても、ひょっとしたら好奇心の
「その3」で紹介した山口護国神社から5kmほど北上した兵庫県朝来市山内の一角に、「勤皇志士 大川藤蔵殉難之地」と刻まれた石碑があります。大川藤蔵は水戸藩士...
「その3」のつづきです。生野の変ゆかりの地とは少し違うかもしれませんが、JR生野駅の駅前広場に、「山田顕義終焉之地」と刻まれた石碑があります。山田顕義は元...
「その2」のつづきです。「その1」で紹介した生野代官所跡から6kmほど北上したところに鎮座する山口護国神社は、「生野の変」を起こした尊王攘夷派志士たちが自...
「その1」で紹介した生野代官所が占拠される前日の文久3年10月11日(1863年11月21日)午後2時ごろ、澤宣嘉を中心とした尊王攘夷派浪士たちは、生野街...
先週まで、幕末に起きた「天誅組の変」ゆかりの地めぐりのシリーズを起稿してきましたが、同じ頃、但馬国でも同じような事件が起きました。「生野の変」です。「天誅...
シリーズ最後です。足を負傷したために一行から遅れていた吉村寅太郎は、傷が悪化して歩行困難となり、駕籠に乗せられて運ばれていましたが、文久3年9月27日(1...
鷲家にある禅寺・龍泉寺は、天誅組の菩提寺となっています。「その25」で紹介した鷲家口の宝泉寺も天誅組の菩提寺でしたが、あちらは「その26」で紹介した明治谷...
鷲家には「天誅義士湯ノ谷墓所」があります。ここも、「その26」で紹介した明治谷墓所と同じく天誅組隊士たちが葬られています。 伊勢街道沿いに「天誅義士墓所」...
「その27」の最後に紹介した藤本鉄石が紀州藩撃ち方の的場喜一郎を討ち取ったという場所は、現在、天誅組史跡公園となっており、藤本とともに天誅組三総裁のひとり...
源頼朝は、弟の義経に対し、左程の「情」を抱いていなかったため、義経を殺害する、決断は、容易であったに違いない。しかし、大久保は、西郷が、明治新政府にとって、脅…
鷲家口の激戦地から3kmほど北上した鷲家にも、天誅組史跡が残されています。まずは、幕府より命を受けて追討軍として出陣した津藩の陣所跡です。 古い家屋の2階...
「その25」で紹介した宝泉寺から南東に200mほど歩いたところにある墓地に、宝泉寺で菩提を弔われていた天誅組隊士たちの墓があります。 墓所入口には、「天誅...
本項の冒頭において、述べた様に、本作は、貧乏な下級武士の家に生まれた、幼馴染の二人、西郷隆盛と大久保利通が、出世して、明治維新を成し遂げ、「武士の世」を終焉に…
明治十年9月24日、新政府軍による、総攻撃が、始まる。西郷軍の最後の突撃は、泣ける。『真田丸』における、徳川家康の首を取る、寸前まで、迫った、真田幸村の突撃に…
東吉野村の丘の上にある宝泉寺は、文久3年9月24日(1863年11月5日)に起きた鷲家口の決戦における戦死者の菩提寺です。 宝泉寺は「その19」で紹介した...
鷲家口古戦場から伊勢街道を1kmほど北上したところに、「天誅義士 鍋島米之助先生戦死之地」と刻まれた石碑があります。 鍋島米之助は、文久3年9月24日(1...
「その22」で紹介した宍戸弥四郎戦死の地のすぐ北側に、「天誅義士 林豹吉郎先生戦死之地」と刻まれた石碑があります。 林豹吉郎は、文久3年9月24日(186...
何故、西郷は、西南戦争を起こしたのか。実際には、西郷の真の目的は、不明である。1991年の大河ドラマ、『翔ぶが如く』では、西田敏行の演じる、西郷は、新しい国が…
鷲家口北側の県道16号線と220号線が交わる三叉路に、「天誅義士 宍戸弥四郎先生戦死之地」と刻まれた石碑があります。 宍戸弥四郎は三河国刈谷藩出身の人物で...
「その19」で紹介した出店坂の上にある吉野小学校の校舎沿いに、「天誅義士 植村定七先生戦死之地」と刻まれた石碑があります。 植村定七は那須信吾を隊長とする...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
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親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。