在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
2022年09月 (1件〜50件)
今回の城は【三河国】田峯城 を紹介したいと思います。 場所は奥三河の現代で言う愛知県設楽郡の山間にあった戦国時代中世の山城であります。 それは標高387mの独立兵陵であるこの地に文明二年(1470)
おごめ~ん、大分のtakatch親方です(`・ω・´)ゞ 旅行やイベント紹介などのブロガー/YouTuber 📝読売テレビ「遠くへ行きたい」で杉浦太陽さんと共…
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今日の城は【三河国】足助城 を紹介したいと思います。 場所はこの愛知県では紅葉で有名な香嵐渓の背後にそびえる真弓山(標高301m)の山頂にあります。 創建は鎌倉時代と言われるも発掘から中世戦国
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⇩前回の小田原城はこちら⇩【小田原城】北条氏の本拠地/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続・小田原城】報徳二宮神社/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続々・小田原城】馬出曲輪/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続×3・小田原城】本丸東堀跡から常盤木門へ/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続×4・小田原城】天守閣/神奈川県のお城/KEIのお城写真館晴天とまではいきませんが、どしゃ降りだった雨はあがりました。天守閣最上階か...
⇩前回の小田原城はこちら⇩【小田原城】北条氏の本拠地/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続・小田原城】報徳二宮神社/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続々・小田原城】馬出曲輪/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続×3・小田原城】本丸東堀跡から常盤木門へ/神奈川県のお城/KEIのお城写真館(小田原城天守閣)小田原城の天守閣は江戸時代の雛型や引き図を基に、3重4階の天守櫓として昭和35年に復元されました。内部は歴史資料にな...
「その4」のつづきです。再び備中松山城天守の南側に戻ってきました。今回は天守をじっくり見ていきましょう。 備中松山城の天守は、高さ11mと現存12天守のな...
今回は大給松平の地 大給城【三河国】を紹介します。 場所は現在の豊田市大内町にあって、現在においてもかなり山間に入った場所であります。 大給松平家の初代となった乗元から5代に渡りここに居城した
今日の城は【三河国】田原城 を紹介したいと思います。 場所は愛知県の田原町にあって、当時はここを拠点に渥美半島から三河湾の支配を睨んで、文明12年(1480)に 戸田宗光が築城したのが起源だそうです
⇩前回の小田原城はこちら⇩【小田原城】北条氏の本拠地/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続・小田原城】報徳二宮神社/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続々・小田原城】馬出曲輪/神奈川県のお城/KEIのお城写真館(銅門土壁模型)前回の馬屋曲輪から銅門をくぐり広場に出ると、まず目に入るのがこの土壁模型。いろいろなお城に行ってますけど、こんな土壁の内部を見せてくれるのはなかなかなかったと思います。(菖蒲園)ここは当...
「その3」のつづきです。備中松山城二ノ丸から見た本丸石垣です。 土塀の右側の櫓が五の平櫓、その左側が六の平櫓、五の平櫓の向こうに見えるのが、天守です。 現...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。