在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
1件〜50件
第10位【チンギス・ハーン】参
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第10位【チンギス・ハーン】弐
第10位【チンギス・ハーン】壱
心霊現象?或る古文講師の話【無料短編小説・幻想怪奇・夢】
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アテルイとモレ
第9位【フリードリヒ大王(プロイセン国王】五
青もみじと古城
日本軍が虐殺したシンガポールとマレーシア人.日本人との国際結婚を彼らは気にしていない
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歴史チップス2025年7月号停戦味更新
【新刊】小路幸也『素晴らしき国 Great Place』
安土城を解説してください。
山城のメリットとデメリット
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[レビュー] 岩崎城の見どころ
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あの世激突!長宗我部ファン vs 仙石秀久
日本の歴史の中で最強の剣豪は誰ですか?
あの世BIG対談 ~勢揃い!幕府の二代将軍~
あの世BIG対談 ~足利義詮VS徳川秀忠~
武田家本拠の躑躅ヶ崎館、の詰城、要害山城へ 続百名城には本格的な山城も選ばれており、ここもそのひとつそれなりに山を登ることになりました。 とはいえ、遺構を考えると登らないのはもったいない。スタンプは駅前ですが、もう一声行きたいところです。 お城:要害山城(128)山梨県甲府市HP:甲府市/要害山(ようがいさん)訪問日:2022年2月 概要 訪問記 スタンプ@甲府駅前 藤村記念館 登山口~諏訪の水 諏訪の水~主郭西側の門 概要 1519年、武田信虎が甲府の躑躅が崎館(訪問記)に居館を移しました。翌年、詰城として築いたのが要害山城です。 1521年、今川氏軍勢の甲斐侵攻を受けて、正室が要害山城に避…
⇩前回の小田原城はこちら⇩【小田原城】北条氏の本拠地/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続・小田原城】報徳二宮神社/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続々・小田原城】馬出曲輪/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続×3・小田原城】本丸東堀跡から常盤木門へ/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続×4・小田原城】天守閣/神奈川県のお城/KEIのお城写真館晴天とまではいきませんが、どしゃ降りだった雨はあがりました。天守閣最上階か...
⇩前回の小田原城はこちら⇩【小田原城】北条氏の本拠地/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続・小田原城】報徳二宮神社/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続々・小田原城】馬出曲輪/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続×3・小田原城】本丸東堀跡から常盤木門へ/神奈川県のお城/KEIのお城写真館(小田原城天守閣)小田原城の天守閣は江戸時代の雛型や引き図を基に、3重4階の天守櫓として昭和35年に復元されました。内部は歴史資料にな...
「その4」のつづきです。再び備中松山城天守の南側に戻ってきました。今回は天守をじっくり見ていきましょう。 備中松山城の天守は、高さ11mと現存12天守のな...
⇩前回の小田原城はこちら⇩【小田原城】北条氏の本拠地/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続・小田原城】報徳二宮神社/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続々・小田原城】馬出曲輪/神奈川県のお城/KEIのお城写真館(銅門土壁模型)前回の馬屋曲輪から銅門をくぐり広場に出ると、まず目に入るのがこの土壁模型。いろいろなお城に行ってますけど、こんな土壁の内部を見せてくれるのはなかなかなかったと思います。(菖蒲園)ここは当...
「その3」のつづきです。備中松山城二ノ丸から見た本丸石垣です。 土塀の右側の櫓が五の平櫓、その左側が六の平櫓、五の平櫓の向こうに見えるのが、天守です。 現...
⇩前回の小田原城はこちら⇩【小田原城】北条氏の本拠地/神奈川県のお城/KEIのお城写真館【続・小田原城】報徳二宮神社/神奈川県のお城/KEIのお城写真館…平成の大改修っ!!世の中は令和になっちまったぜい(笑)(馬屋曲輪)L字型構造の曲輪で周囲に石垣を巡らせ、その上に土塁と塀を備えていたんだって。…馬屋があったということは今だと駐車場ってことだね。左にあるのが二の丸隅櫓で、赤い橋は学橋(まなびばし)ですね。学橋は、...
⇩前回の小田原城はこちら⇩【小田原城】北条氏の本拠地/神奈川県のお城/KEIのお城写真館(報徳二宮神社)小田原城の西側にある八幡山古郭東曲輪を出て、今度は南に位置する報徳二宮神社にやってまいりました。この神社では小田原が生地である二宮尊徳(二宮金次郎)を祀っているそうです。(二宮尊徳翁像)二宮金次郎の像と言えば、背中に薪や柴を背負って本を読んでいる少年の姿が目に浮かびますが、こちらの像は現場の指導にあた...
「その2」のつづきです。備中松山城三ノ丸から北側の石垣群を見上げます。 右の石垣上に見える土塀は現存土塀だそうで、その段の曲輪が厩曲輪です。そして何段か石...
「その1」のつづきです。ふいご峠から歩くこと約15分、見事な石垣の場所につきました。備中高松城 大手門跡にあたる巨大石垣群です。平成28年(2016年)の...
古くから神々が住むと言われた吉備の国。現在の岡山県の中西部は、かつて備中と呼ばれ、その中心地である松山に、備中松山城がありました。備中松山城は標高430m...
古代ギリシャローマとは反対に(汗)、メソポタミア文明のハンムラビが思ってたのといい意味で違った件。 上部にあるレリーフは。椅子に座る正義の神シャマシュ(右…
九州旅行からの帰り道ですが、今日の夜までに家に帰り着けば良いので、大阪港から比較的近い岸和田城を観に行くことにしました。続100名城登城20城目です。岸和田城について歴史岸和田に初めて城が築かれたのは建武年間(1334~1336年)頃という
曲輪5(中野久尾)埋蔵文化財センターのジオラマより曲輪5へ曲輪3(本丸)から降りて、次は曲輪5(中野久尾なかのくび)へむかいます。細いV字型の空堀の底を通って進みます。空堀5(曲輪4と曲輪5のあいだ)は細い上に上り下りが大きく、微妙に曲がっ
九州旅行8日目は、鹿児島県大隅半島東部にある志布志城を見学します。現地の案内板より志布志城について歴史志布志城の築城年代ははっきりしていませんが、現在志布志城を構成する松尾城・内城・高城・新城の四つのうち松尾城と内城は南北朝時代には存在して
本丸・蔵之城枡形大空堀まで降り、次は弓場城と本城へ。この写真右側を登っていきます。上り始めてすぐ、人の背より高い壁と左手に直角にまがり先を見通せない道に行き当たります。枡形構造です。さすが本丸に至る道、他より防衛がしっかりしています。知覧城
九州旅行4日目は、鹿児島県薩摩半島の南部・知覧に向かいます。知覧は五年前に一度訪れていますが、今回の旅行では前回行かなかった続100名城の知覧城が第一目的地です。続100名城登城18城目です。知覧城平面図(駐車場案内板より)知覧城について歴
「その2」のつづきです。天守台から降りてきました。 「その2」で天守台の上から見た本丸西側の多門櫓台石垣を内側から見た写真です。 石段はのぼっちゃだめみた...
「その1」のつづきです。小浜城本丸跡に残る石垣を見て回りましょう。 まずは本丸南西隅にある天守台に登ります。上の写真は天守台東に続く登り口の石垣。打込み接...
福井県小浜市の日本海に面した場所に、かつて京極氏が築いた小浜城がありました。小浜市といえば、アメリカ大統領がバラク・オバマ氏だったとき、同名ということで何...
石垣に登ってみるそれでは石垣に登ってみましょう。先ほど外から観ていたとき、天守台の上などに人影が見えたので、どこかから登れるはずです…本丸北西(裏門枡形)というわけで、早速天守台に行ってみようと、本丸北西部・裏門枡形と天守台の間にあったこの
続100名城、登城16城目は、熊本県の八代城(190番)です。八代城復元模型写真(南側入口前の案内板)八代城について歴史八代城以前、この地には麦島城がありました。加藤清正が肥後藩主となると、清正は麦島城に重臣の加藤正方を城代として送ります。
二の丸中ノ御門を登って二の丸へ。中ノ御門跡を二の丸側から。枡形の様子がわかるかな…。中ノ御門を別の角度で。二の丸は、かつては城主が生活する御殿があり、人吉城の中心となる存在でした。なぜか現在は林のようになっています。御殿平面図(現地・二の丸
日本100名城、最後に登城することになったのは、熊本県南部にある人吉城です。三の丸~本丸平面図(現地・二の丸案内板)人吉城について歴史人吉城は、鎌倉時代前期の元久2年(1205年)、肥後国人吉荘の地頭に任ぜられた相良長賴さがら ながよりが築
時刻は12:30。天候は回復するどころか、ますます激しい雨に。ここから先は上り下りが多くなり舗装されていない道もあるのでちょっと迷ったのですが、覚悟を決めて見学続行です。稜線上灰塚展望所まずは城内で最も眺望がいいといわれている灰塚展望所へ。
アップするのを忘れていた記事、今更だけど。
【奥州市】歴史公園えさし藤原の郷 その弐【平安貴族のお屋敷】
【奥州市】歴史公園えさし藤原の郷 その壱【大河ドラマのロケ地】
あの世BIG対談:「俺たち一回しか出てねぇぞ!」の会 後編
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【滋賀3泊5日旅】2日目:比叡山延暦寺、石山坂本線、石山寺
【騒音】べらぼうに下手クソな『光る君へ』の爆音ピアノに震える夜。
【べらぼう】#12 尾美としのり祭り!蔦重、喜三二と初タッグ。俄祭りの夢の影で新之助&うつせみは神隠し
【美食探訪】石山寺 2025年3月
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百拾九
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【平安貴族】「光る君へ」で人気再燃の藤原実資と藤原道長:平安時代の政治を彩った関係
三井寺へ
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百八
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】百七
温故創生館まずは駐車場入口からすぐのところにある温故創生館(展示館)を見学します。入場無料、なんと御城印まで無料で貰えました。もちろん続100名城スタンプもゲット。展示の前に、鞠智城を紹介するビデオを鑑賞。僕1人のために上映してくれました…
九州旅行3日目です。続100名城登城17城目、熊本県北部の鞠智城へ行きました。鞠智城について歴史鞠智城について正確なことは判っていませんが、鞠智城は天智2年(663年)の白村江の戦いの後、唐・新羅に対する防衛のために大和朝廷によって築かれた
7月18日9時頃、レンタカーで天方城に行く林道を熊の親子が横切りました。しばらく停止して様子を見ていましが親熊がこちらを見ていましたのでゆっくり車を走らせて天方城の駐車場に向かいました。5分とかかりませんでした。住所は静岡県周智郡森町向天方天方城訪問者様より情報をお寄せいただきました。ありがとうございました。 ...
関西遠征第2弾は和歌山城へ。 紀州徳川家のお膝元ですが、個人的には和歌山観光はラーメンやらパンダやらばかりで(パンダは和歌山市ですらないですが)、城下町の印象はなく。実際に訪れて印象を大きく覆されました。 今回は外周の石垣を見ながら現存の門を見ていきます。有名な天守に至るまでにも見どころがたくさんありました。 お城:和歌山城(62)和歌山県和歌山市HP:トップ|史跡和歌山城訪問日:2021年12月 概要 訪問記 和歌山城公園へ 砂の丸・追廻門 不明門・岡口門 概要 1585年、羽柴秀長が秀吉の命により虎伏山に城を築いたことが始まりです。秀長は大和郡山城を居城としたため、桑山重晴が家老として城代…
昨年末の関西遠征を振り返っていきます。最初は続百名城の岸和田城。 岸和田と聞いてもだんじりくらいしか浮かばない人間でしたが、なかなか立派な復興天守に水堀に石垣そりゃ駅でおススメされるだけはありますね。 お城:岸和田城(161)大阪府岸和田市HP:岸和田城特設サイト- 岸和田市公式ウェブサイト訪問日:2021年12月 概要 訪問記 おまけ:特急ひのとりで大阪南部へ 感想 アクセス 概要 築城時期は不明ですが、岸和田古城から戦国時代に現地に移ったとみられます。 1585年には羽柴秀吉の紀州討伐の後、秀吉の叔父、小出秀政が整備し、5層の天守も築かれました。その後の歴代城主たちも、惣構えや城下、外堀や…
岐阜城山頂部の天守と遺構に引き続き、麓の居館跡へ 山頂部の訪問記はこちらから。tmtmz.hatenablog.com 存在感ある岐阜城天守に惹かれてサクッとロープウェーに乗ってしまうと見忘れるかもしれませんが、なかなか広大。復原はなくとも華やかなりし極楽と呼ばれた姿を伝えていて見ないともったいない。すぐにたどり着けますしね。 岐阜公園へ 信長居館跡 岐阜公園へ 岐阜城山頂部を見た後、ロープウェーで降りるところから再開です。 リス村に行っていたわけではなくて、リス村の隣がロープウェー乗り場だったのです。 ロープウェーの眺めも素晴らしくてついつい遠くを見てしまいますが、足元を見ると向かって左手、…
奈良県大和郡山市の近鉄橿原線筒井駅より北東一体に、かつて筒井城がありました。現在、その城跡は住宅地になっていて遺構はほとんど残っていませんが、その地形から...
信貴山城から東へ直線距離で約3km、椿井城から西へ約1kmのところに、かつて下垣内城と西宮城という2つの城が隣接していました。この2つの城は、確かな史料は...
「その1」のつづきです。椿井城跡最南端の曲輪に到着しました。はるか向こうに見えるのは、生駒山です。 案内板が設置されているようです。 案内板です。椿井城は...
信貴山城から東へ直線距離で約4kmのところに、かつて椿井城がありました。椿井城は、築城時期、城主に関する確実な史料が残っていないため、当初は在地土豪の椿井...
信貴山城から直線距離で南東約6km、立野城から南東約4kmのところに、かつて片岡城がありました。別名、下牧城とも呼ばれます。ここも、立野城と同じく信貴山城...
信貴山城から直線距離で約2km南東に、かつて立野城がありました。現在、城跡は住宅街として整備されてしまったため遺構は残っていませんが、奈良県生駒郡三郷町城...
前稿まで松永久秀の居城・信貴山城を攻めましたが、奈良県にはもう1ヶ所、松永久秀の居城がありました。奈良市内の中心地、東大寺からほど近い場所にあった多聞山城...
「その3」のつづきです。主郭跡まで攻略しましたが、信貴山城には主郭から北側に扇状に広がる東西550m、南北700mの城域に、大小120以上の曲輪が配置され...
「その2」のつづきです。雌嶽曲輪まで攻略したので、雄嶽の山頂にある信貴山城主郭を目指します。 前稿で紹介した鞍部からのスタートです。誘導板には信貴山城跡ま...
「その1」のつづきです。朝護孫子寺を参拝したので、信貴山城を攻め登りましょう。 上の写真は朝護孫子寺本堂から見た信貴山です。今からあの山を登ります。 登山...
大和国と河内国の国境にある生駒山系に属する標高433mの信貴山山上に、かつて信貴山城がありました。信貴山城は、戦国の三梟雄のひとりとして知られる松永久秀が...
「その2」の続きです。標高301mの瓜生山頂に登ってきました。 主郭西側の虎口跡と思われます。 微妙に喰い違い形状になっています。 主郭です。 将軍山城と...
「その1」のつづきです。狸谷山不動院の境内を抜け、いよいよ将軍山城跡のある瓜生山頂を目指します。 登山口には鳥居があります。山頂の主郭には幸龍大権現の社が...
京都洛中の鬼門にあたる北東、京都御所と比叡山を直線で結んだちょうど中間地点あたりにある標高301mの瓜生山頂に、かつて足利将軍家ゆかりの山城がありました。...
「二条城」といえば、世界遺産となっている徳川家康が築いた二条城を誰もが思い浮かべると思いますが、それ以前にも、京都には二条城がありました。あの織田信長が、...
前稿、前々稿で豊臣秀吉が京都に築いた幻の城、伏見城と聚楽第をめぐってきましたが、京都にはもうひとつ、まさに「幻の城」と言っていい秀吉の城がありました。令和...
前稿では豊臣秀吉が築いた伏見城跡を歩きましたが、今回は、同じく秀吉が築いた聚楽第跡を歩きます。聚楽第は天正13年(1585年)に関白となった秀吉が京の政庁...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。