在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
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土石流が再び起こらないよう祀られた伊豆山本宮の水神社
伊豆山神社/静岡県熱海市
関東屈指のパワースポット「箱根神社」の御利益がスゴイ!源頼朝と北条政子が祈願した「安産杉」、坂上田村麻呂の「矢立杉」まで徹底解説
源頼家と段葛
鎌倉時代~
■古くから伊豆国一の宮で源頼朝が源氏再興を願った『三嶋大社』(静岡県三島市)
■武家政権の発祥 北条氏の拠点『江間』周辺を散策(静岡県伊豆の国市)
穴場?連休でも静かに過ごせる「伊豆長岡温泉」
#362 本レビュー『新・平家物語(五)』吉川英治 ~とにかく読了 日本の古典~
【三島・三嶋大社】堂々と 権現造に 千鳥破風|60歳からの御朱印めぐり〔063/541〕
【熱海・伊豆山神社】温泉が 神と祀られ 熱海かな|60歳からの御朱印めぐり〔061/541〕
#424 TVアニメ『まんが日本史「源氏の滅亡-北条政子と承久の乱』の感想
日本三大悪女とは|日野富子、北条政子、淀殿は日本史上何をした?詳しくご紹介します!
磐田の東福山・西光寺(4)蓮光寺と薬師如来
磐田の東福山・西光寺(3)本堂
【サッカー⚽】勝った!ロアッソ熊本vs大分トリニータ【バトルオブ九州 Jリーグ】
DAZN観戦 2024年J2リーグ第11節 大分トリニータvsいわきFC
【サッカー⚽】今季初ホーム&勝てない|大分トリニータvsいわきFC 2024【Jリーグ 福島】
日曜日の試合結果
【サッカー⚽】雨の中、勝利!|ザスパクサツ群馬vs大分トリニータ【Jリーグ 2024】
DAZN観戦 2024年J2リーグ第7節 大分トリニータvsファジアーノ岡山
vs 大分トリニータ 突如として状況は激変するもの! レッドカードを事故だと割り切るなら、そこを乗り越えて行く強かさも昇格の為には必要になってくる。
【サッカー⚽】首位に勝ちたかったが|大分トリニータvsファジアーノ岡山【Jリーグ 2024】
【連載】アラフィフ婚への道②拒否権の行方
DAZN観戦 2024年J2リーグ第5節 大分トリニータvs鹿児島ユナイテッドFC
【エスパルス】大分戦「THE REAL」感想:愛される千葉寛汰選手。反省会は何が行われたのかw
清水エスパルス vs 大分トリニータ 快勝の雄叫び!2024 J2 第4節【試合レビュー】
清水エスパルス vs 大分トリニータ 連敗を止め、再び上昇気流へ 2024 J2 第4節【試合プレビュー】
🍊ファミリーを救え大分戦の勝利で
【初勝利⚽】大分トリニータが、藤枝MYFCに勝利|保田堅心の意地! in 静岡【Jリーグ】
織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあって、両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)、甫庵版を単に「信長記」または「甫庵
若武者・牛若丸(後の源義経/1159-1189年)と、後にその郎党となった僧兵・武蔵坊弁慶(生年不詳-1189年)との出会いは、童謡「牛若丸」にも歌われるほど有名で、こんな内容になっています。~京で千本の太刀を奪う悲願を立て、通りがかった武者に 決闘を挑んでは、それに
~織田信長(1534-1582年)は、大将の馬の廻りに付き添って護衛・ 伝令・決戦兵力として働く親衛隊的な存在である「馬廻」などの 精鋭を赤・黒二色の「母衣衆(ほろしゅう)」として抜擢した~さらに、~その中でもとりわけ優秀な者については、部隊の指揮官にまで 昇進さ
信長の野望・新生 7月21日発売日決定!PS4/任天堂スイッチ版信長の野望・新生予約受け付け開始。予約特典、アマゾン限定特典。トレジャーボックス同封内容。歴史シミュレーションゲームシブサワ・コウ40周年作品信長の野望・新生予約情報。早期購入特典シナリオ「長篠設楽原の戦い」
~宇宙の中心である中国王朝の文化・思想のみが最高のもので あり、それを持たない周辺(辺境)の異民族は単なる野蛮人に 過ぎない~こうした思想を「中華思想」と呼びますが、これがハンパなものでないことは、東西南北四周の異民族の総てに対して、野蛮人を意味する東夷
戦国の雄・織田信長(1534-1582年)についての一代記「信長記」には、信長近習の書記・太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に、儒者・小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。両者を区別するために、一般的には牛一版を「信長公記」(1600年頃?)
戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、織田信長(1534-1582年)の謁見(1581年)を経て、後にその献上品?とされた黒人がいます。~切支丹国より黒坊主参り候/年齢26-27歳ほど/ 十人力の剛力/牛のように黒い身体~よほどビックリこいた出来事だった
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」織田信長に関連付けられるこの句。本能寺の変で明智光秀の裏切りによって自刃。享年49歳だが、当時は満年齢で数えていた。今の年齢だと47歳で没。あと2日後が誕生日だったそうだ。他に47歳でなくなった歴史上有名な人
元亀元年6月28日(1570年7月30日)、姉川の戦いに勝利した織田信長は、すぐさまその3kmほど南の山上にある横山城を攻略し、小谷城攻めの拠点としました...
「その5」で紹介した陣杭の柳から300mほど南に、浅井氏の重臣・遠藤直経の墓があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30日)に起きた姉川の戦...
「その4」のつづきです。茶臼山古墳から250mほど西に、「陣杭の柳」と呼ばれる柳の木があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30日)に起きた...
「その3」のつづきです。姉川戦死者之碑から姉川を挟んで1kmほど南東に、茶臼山古墳という前方後円墳があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月3...
「その2」のつづきです。血川から直線距離で600mほど北上したところに、「陣田」と書かれた説明板があります。ここは、元亀元年6月28日(1570年7月30...
「その1」のつづきです。姉川戦死者之碑から150mほど北上したところに、「血川」という物騒な川の名の伝承があります。ここも、元亀元年6月28日(1570年...
元亀元年6月28日(1570年7月30日)、近江国浅井郡を流れる姉川を挟んで、織田信長、徳川家康連合軍と浅井長政、朝倉景健連合軍が激突しました。世にいう「...
なぜ徳川家康ではなく茶々に?
松本潤くん写真集、二次予約できました。(入荷予約)
共同通信PRワイヤー大河ドラマ「どうする家康」最終回パブリックビューイング&トークショーin静
静岡大河ドラマ館(2)メインキャストの紹介~衣装展示
静岡大河ドラマ館(1)ドラマに登場した小物の展示
於愛の方(西郷局)の生誕地・上西郷(掛川市)
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小牧・長久手の戦い「蟹江城合戦の舞台となった蟹江城址」
小牧・長久手の戦い「長久手に向かう家康が休憩した太清寺」
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小牧・長久手の戦い「玉林寺」
羽柴秀吉が本陣を置いた楽田城跡
明智光秀の首塚
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伊賀越え(4)家康が「麦えまし」を食べた浅間神社
小谷城近くのJR北陸本線河毛駅前に、小谷城主・浅井長政とその正室・お市の方の像があります。 こちらが、その像。訪れたのが夕方だったので、写真が暗いのが残念...
「その7」のつづきです。虎御前山陣城跡の最前線砦の「伝 木下秀吉陣地跡」まで制覇しましたが、麓にあった案内図には、まだ先に「伝 柴田勝家陣地跡」があるはず...
「その6」のつづきです。虎御前山頂上の織田信長の陣地跡まで制覇しましたが、まだ北側に砦はあります。 なだらかな下り坂の尾根道を進みます。 古墳のような丘陵...
「その5」のつづきです。いよいよ、虎御前山の山頂にある「伝 織田信長陣地跡」を攻めます。 上の写真は信長陣地の南大曲輪切岸。頂上の主郭から2段下の曲輪への...
「その4」のつづきです。「伝 滝川一益陣地跡」をあとにして、虎御前山の尾根道を北へ進みます。 しばらく進むと、また曲輪跡っぽい地形が見えてきました。 「堀...
「その3」のつづきです。虎御前山公園をあとにして、虎御前山の尾根道を北へ進みます。 ここから先はNTTドコモの虎姫中継所の専用道路となっているようですが、...
「その2」のつづきです。展望台をあとにして虎御前山の尾根道を北へ進みます。 虎御前山の尾根道はハイキングコースとして整備されています。 説明板がありますが...
「その1」のつづきです。矢合神社をあとにして、虎御前山の尾根道を北へ進みます。 少し登ったところに、円形の丘陵地があります。麓にあった案内図でいえば、この...
先月まで北近江浅井氏の居城・小谷城攻城記を起稿してきましたが、本稿からは、その小谷城攻めのために織田信長が付城(陣城)を築いた虎御前山を歩きます。 上の写...
「その3」のつづきです。赤尾屋敷から大手筋に戻って、御馬屋跡の上にある桜馬場跡やってきました。 かなり広い曲輪です。 説明書きの駒札と復元絵図です。 そし...
戦国無双5攻略情報。戦国無双5の体験版無双演武「今川急襲」攻略チャート、無双演武「美濃襲撃」攻略ストーリーの流れ。登場敵武将本田忠勝、服部半蔵、明智光秀、斎藤道三等。簡単な戦国無双5攻略チャートをご紹介。
朽木西山城の西麓に、「信長の隠れ岩」と呼ばれる大きな岩があります。あの織田信長の「金ヶ崎の退き口」の「朽木越え」の際に、一時身を潜めたという伝承がある岩で...
前稿で紹介した大徳寺総見院から南へ800mほど下ったところに、織田信長を祀る建勲神社があります。ここは明治2年(1869年)に明治天皇の御下命により創建さ...
昨日の稿で京都阿弥陀寺にある織田信長の墓をお参りしましたが、京都市北区にある大徳寺の塔頭・総見院にも、信長の墓があります。ここは、信長の死後、羽柴(豊臣)...
本日6月2日といえば、日本史上最大のターニングポイントといっていい「本能寺の変」の起きた日。つまり、織田信長の命日ですね(現代の暦でいえば、6月21日にあ...
“地球は丸い“ことを始めて知った日本人は誰で、またそれはいつのことだったのか?初めて精密な日本地図(伊能図)を作った江戸後期の測量家・伊能忠敬(1745-1818年)がそれを承知していたことは間違いありません。彼は“地球は丸い”とする天文学を修めていましたし、その
天下布武を目前にしながら、その直前に家臣・明智光秀の謀反に倒れた織田信長(1534-1582年)。そしてその後の政局を掌握したのは、同じく信長の家臣だった羽柴秀吉(1537-1598年)でした。後に新姓を賜り「豊臣秀吉」と名乗ることになる人物です。そして、その名乗りの変遷
いよいよ最終回、本能寺の変ですね。 安土城での徳川家康の饗応役を解かれた明智光秀は、備中で毛利軍と対峙している羽柴秀吉軍の援軍として出陣するよう織田信長...
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が次回で最終回をむかえ、本能寺の変が描かれます。歴史好きな人はもちろん、歴史にそれほど興味がない人でも、日本人なら誰もが知っ...
「その2」のつづきです。 天正10年(1582年)2月、甲斐武田征伐に乗り出した織田信長は、同年3月11日、甲州の天目山において武田勝頼を自刃に追い込み...
「その1」のつづきです。 丹波国と丹後国を平定した明智光秀と細川藤孝に対して、織田信長は、その功によって光秀に丹波国、藤孝に丹後国を領地として与えます。...
今回、天正7年(1579年)6月から本能寺の変の直前の天正10年(1582年)5月まで、一気に時代が3年も過ぎちゃいました。この間、明智光秀が関係した重...
「その1」のつづきです。 織田信長によって京都を追放された足利義昭は、備後の鞆にいました。鞆は古くから足利将軍家とも所縁が深く、たとえば、初代将軍の足利...
荒木村重の謀反は描かれないだろうと思っていましたが、やりましたね。おそらくこのあとの有岡城の戦いは詳しく描かれないでしょうから、ここで少し解説します。 ...
織田信長と石山本願寺の戦いが泥沼化していた天正5年(1577年)8月17日、対本願寺の付城である天王寺砦に定番として詰めていた松永久秀が、突如、砦を焼き...
前話のエンディング間際で丹波攻めの戦端が開かれたかと思えば、今回、その戦いぶりはまったく描かれませんでしたね。明智光秀最大の戦功である丹波攻略をこのまま描...
三淵藤英が織田信長より自害を命じられたのは12代将軍・足利義昭の追放から約1年後の天正2年(1574年)7月のことでした。同年5月、信長より所領の伏見城...
「その1」のつづきです。 将軍・足利義昭を追放した織田信長は、元亀4年7月21日(1573年8月28日)に京都に戻り、その1週間後の7月28日、元号を「天...
元亀4年2月13日(1573年3月26日)、将軍・足利義昭が反織田信長の兵を挙げました。義昭は信長を将軍家の「御敵」とし、京都近郊の諸豪族に味方につくよ...
今回のサブタイトルは「訣別」。いうまでもなく、室町幕府15代将軍・足利義昭と織田信長の訣別ですね。永禄11年(1568年)9月に上洛して以来、何とか表面...
今回はほとんど創作の回だったので、特に解説するところがありません。なので、ドラマでは築城中だった近江坂本城の話をしましょう。 明智光秀による坂本城の築...
元亀2年9月12日(1571年9月30日)、有名な織田信長の比叡山焼き討ちが行われました。その日は時折小雨の降る天候だったといいます。早朝から信長は軍勢...
元亀元年(1570年)6月の姉川の戦いで、織田信長は浅井・朝倉連合軍を敗走させましたが、同じ年の8月末には敵対する三好三人衆が大坂の野田城、福島城を拠点...
「その1」のつづきです。 姉川の戦いに勝利した織田信長は、小谷城に逃げ戻った浅井氏を一気に攻め滅ぼそうとはせず、そのまま兵を引き、元亀元年7月4日(15...
今回は明智光秀と深い関わりを持つことになる筒井順慶の顔見せの回でしたね。筒井氏は僧侶が戦国大名となったという異色の武将で、ドラマのこの当時、松永久秀と大...
在野の研究者の歴史書から学んだ結果をまとめたもの
日野市および周辺の地域情報や歴史にまつわる話を取り上げています。
日本100名城・続日本100名城に関する記事なら何でもOKです
親鸞
令和3年(2021年)の大河ドラマ「青天を衝け」を応援しましょう。
ガイドブックに載っていない、ローマの観光スポットを歴史とともに語る。
夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、拼音: Fúyú、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)[1]とも表記される。 https://ja.wikipedia.org/wiki/夫余
町奉行・寺社奉行・公事方勘定奉行、自身番屋・辻番・木戸番、火付盗賊改、関東取締出役、目明し・岡っ引き・手先、囚獄、評定所などに関するトラバ用テーマです。
私が書き残しておかなければ、永遠に埋蔵金が発掘されないであろうと思い、気力と体力のあるうちに30数年前に埋蔵金の研究をしたことを記載する。当時、埋蔵金発掘番組が世間を騒がしていたことを記憶されている方もおられると思うが、日本トレジャーハンティングクラブの代表として、TV局に番組の修正を依頼した経緯なども付け加えておく。
戦後GHQは昭和三年から昭和二十年までに刊行されていた書物のうち7769点を指定し、本屋などで流通していた書籍を没収・廃棄し、戦後の日本人に読めなくしました。 どのような書籍が没収されていたかを調べると、軍国主義的な書籍よりも圧倒的に多いのは、戦勝国にとって都合の悪い史実などが書かれた本であることが分かります。 GHQ焚書は、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、3割程度の本がネットで公開されています。実際に読んでみると、戦後詳しく知らされてこなかった史実などが満載です。