徳川家康の嫡男。母は正室の築山殿。家康の跡継ぎとして将来を嘱望されるも、内通の疑いで処断される。
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徳川家康の嫡男。母は正室の築山殿。家康の跡継ぎとして将来を嘱望されるも、内通の疑いで処断される。
室町幕府第十二代将軍、足利義晴の子。第十三代将軍。塚原卜伝に奥義を伝授された剣豪将軍。義藤から義輝に改名している。
村上顕国の子。信濃埴科郡葛尾城主。武田信玄を度々破り、村上氏の最盛期を築く。
織田信長の二男。一時、北畠氏を継ぐも、本能寺の変後、織田氏に復姓。織田氏の後継者争いでは秀吉と対立。家康と同盟、小牧・長久手の戦いを引き起こすも、信雄は保護者であった家康に無断で単独講和してしまう。
天正3年(1575年)5月、三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万5000人と武田勝頼軍1万5000人との間で行われた戦い。徳川氏の信濃国方面の前線であった長篠城が武田軍に包囲され陥落寸前となったため、家康が織田軍の援軍を要請。5月21日(新暦7月9日)に長篠城西方の設楽原(したらがはら)あるいはあるみ原にて野戦が行われ、織田・徳川連合軍側の勝利に終わった。
九戸信仲の子。南部氏の有力国人。器量に優れ、南部氏宗家に匹敵する勢力を築く。しかし、後継者争いから南部信直と対立し、同年挙兵。南部家の精鋭であった九戸勢は頑強に抵抗するも、信直の要請で援軍として参戦した豊臣勢連合軍の前に破れ、一族諸共惨殺されたと云う。(九戸政実の乱)
三代将軍足利義満の三男。室町幕府 六代将軍。くじ引きで将軍に選ばれた事から、籤引き将軍と呼ばれる。将軍家による中央集権制体制を築く。
北条氏康の七男。上杉謙信の養子。1578年、養父の謙信死後、同じく養子であった景勝と家督を巡り対立し敗れる。(御館の乱)
長尾政景の子、母は上杉謙信の姉・仙桃院。上杉謙信の養子。豊臣政権の五大老の一人。家康と対立し西軍の与した関ヶ原の合戦以降、米沢に減封されるも、上杉家臣団を減らさなかった。そのため晩年まで財政難が続いた。米沢にて死去。寡黙な大名として知られる。
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