元信君、瀬名姫を娶る 弘治三年(1557年)正月十五日、元信君は今川治部大輔義元の勧めで一門衆の関口親永の娘、瀬名姫を娶った。 肌は透き通る如く白い見目麗しき姫君である。 瀬名姫の父、親永の妻は義元の妹で、義元とは姪にあたる姫君を妻に迎えになられたことからも、義元が三河国を傘下に収める腹積もりもありながら、元信君にはいかに期待を寄せていることかを物語っている。 瀬名姫の出自 瀬名姫の父は、今川家一門である瀬名家の関口親永(または瀬名義広)で、母は遠江国衆の井伊直平の娘とされ、言わば井伊家からの人質でした。 瀬名姫の母は井伊直平が今川氏に臣従したとき、今川義元に人質として差し出されました。彼女は…
現代語訳 徳川実紀 26 元信君、幕府に良馬 嵐鹿毛を献ず。 神馬 像 愛知県岡崎市 康生町 岡崎公園内 龍城神社 元信君、幕府に良馬 嵐鹿毛を献ず。 弘治二年 (一五五六年)、元信君が良馬を献上した。 並ぶ者がない俊足であり、名を嵐鹿毛という。 この馬を元信君が誓願寺の元信君住僧 泰翁を通じて室町将軍家に献上された。 足利義輝 様の喜びはひとしおであり、元信君に書状と短刀を返礼に贈られた。 これこそ 徳川家から幕府へ贈答をした始まりである。 考えるに、その頃 京都の室町将軍家は足の速い馬をお求めになっており、織田家へもお命じになった。 しかし、織田家では しかるべき馬を差し上げることは出来な…
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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現代語訳 徳川実紀 26 元信君、幕府に良馬 嵐鹿毛を献ず。 神馬 像 愛知県岡崎市 康生町 岡崎公園内 龍城神社 元信君、幕府に良馬 嵐鹿毛を献ず。 弘治二年 (一五五六年)、元信君が良馬を献上した。 並ぶ者がない俊足であり、名を嵐鹿毛という。 この馬を元信君が誓願寺の元信君住僧 泰翁を通じて室町将軍家に献上された。 足利義輝 様の喜びはひとしおであり、元信君に書状と短刀を返礼に贈られた。 これこそ 徳川家から幕府へ贈答をした始まりである。 考えるに、その頃 京都の室町将軍家は足の速い馬をお求めになっており、織田家へもお命じになった。 しかし、織田家では しかるべき馬を差し上げることは出来な…
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我が国の近代における軍人エピソードを中心としたブログです。 特に山下奉文陸軍大将と武藤章中将を取り上げていきますが、それ以外の方々や事柄についても触れていきたいと思います。
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