丹波籾井城攻城記。 <後編> 主郭~北郭群
「その1」の続きです。標高394メートル、比高150メートルの白尾山の山頂にある籾井城の主郭跡に到着しました。 主郭跡には「籾城公園」と刻まれた石碑があり...
戦国時代、安土桃山時代の武将。通称は十兵衛。正式な名のりは、源光秀。幼少時の名は桃丸。生年は不詳であるが、光秀死後かなりのちの江戸時代に書かれた軍記文学『明智軍記』に記載された辞世の句とされる漢詩に「五十五年夢」とあることから、1528年に推定されることもある。『明智系図』によれば、清和源氏の流れである土岐氏一族の明智氏の出自とされているものの、出自、前半生の経歴は、ともにはっきりしていない。妻は妻木載煕の娘の煕子。娘は細川忠興正室玉子(細川ガラシャ)で、細川ガラシャの女系の系統は現在の細川護煕元首相に続く。
2020年05月 (1件〜50件)