「たかね日記」(稲葉正通)における「矢倉沢の蛤石」
以前、春日局から稲葉正則に送られた書状に記された「雲雀」について分析を披露しました。その際に「御殿場市史 第4巻 近世史料編」に掲載された史料を引用しました。神奈川県在住の私にとって神奈川県外の市町村史を読む機会はあまりなく、この機にと他の史料も探していたところ、稲葉正通(まさみち)の著した「たかね日記」(以下「日記」)という紀行文が掲載されているのを見つけました。今回は、この「日記」に記録された「...
<福岡城・名島城>の”城門”を巡るー菩提寺”崇福寺”に移築された名島城唐門、城内には母里家長屋門
<高知城>の”城門”を巡るー城内に”城門”は無いが藩校”致道館表門”や”山内家邸門”が見られます
<宇和島城>の”城門”を巡るー城内唯一の現存薬医門”上り立ち門”は最大級、最古級とか
<吉田陣屋>の”城門”を巡るー”宇和島伊達藩”の支藩で模擬御殿前に築かれた模擬”表門”
<松山城(4)>の”城門”を巡るー”二之丸”跡を整備した”二之丸史跡庭園”に建つ城門
<松山城(3)>の”城門”を巡るー”天守内曲輪”へのルート途上の重文”三の門””仕切門”
<松山城(2)>の”城門”を巡るー”本壇”入口の枡形を形成する重文”一の門・二の門”
<松山城(1)>の”城門”を巡るー数多くの”城門”の中でまずは重文の3基 戸無門、隠門、紫竹門
<今治城>の”城門”を巡るー山里櫓併設の山里門櫓門と対の”山里門高麗門”
<小松陣屋>の”城門”を巡るー陣屋ながらも多くの城門が移築されて残ります
<西条陣屋>の”城門”を巡るー紀州藩支藩で御家門の陣屋大手門と、中・広敷門も移築などで現存する
<丸亀城>の”城門”を巡るー”大手二の門”と”御殿表門”が重文で健在の城門
<高松城(後編)>の”城門”を巡るー旧大手口には旭門、桝形内には鉄格子が嵌る埋門が見られる
ぐっときた。
<高松城(前編)>の”城門”を巡るー重文”着見櫓”群に挟まれた”水手御門”、海水を取込む”水門”
2020年11月 (1件〜50件)