ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
「歴史」カテゴリーを選択しなおす
オープンジャンルで歴史を100倍楽しもう! さあ、あなたも「日本の歴史」の一コマを! 古今東西・老若男女・巧拙緻雑・・・みんな大歓迎!
10個の能力値について
【前書】簡略版
紫式部と京都|源氏物語執筆の地と足跡を辿る
河井寛次郎と京都|清水焼発祥の地・五条坂での創作と暮らし
菅原道真と京都|天神様を取り巻く人々とゆかりの地
小野妹子と京都|聖徳太子に仕えた官人で華道の祖
角倉了以と京都|大阪と京都をつなぐ水運を開拓した実業家
第4章 平成初期 10 排除の差別 徳川家康
コピーより
古い絵葉書から
古い絵葉書から(2)
古い絵葉書より(3)
第4章 平成初期 9 職業差別 ナイチンゲール
三国志の最強の武将は誰ですか。
■山神社(千種区田代)【尾張国】
■常楽寺【日蓮宗】
■猪子石神社【尾張国】
■日泰寺【超宗派】
■正法寺【曹洞宗】
■龍神社・辨天社(蝮ヶ池)【尾張国】
■蝮ヶ池八幡宮【尾張国】
■大龍寺【黄檗宗】
■香流川の桜【2025】
■善篤寺【曹洞宗】
■神明社(※中川区元中野)【尾張国】
■サイクリング⑧【香流川緑道】
■源通寺【真宗大谷派】
■長圓寺【真宗大谷派】
■八劔社(※中川区五女子)【尾張国】
No.658【体系 日本の歴史⑤~鎌倉と京~】
評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:1992年 『体系 日本の歴史⑤~鎌倉と京~』は、小学館ライブラリーの「体系 日本の歴史」の第五弾。 …
気になるブログをフォロー!
登録は不要で無料で使えます
フォローできる上限に達しました。
新規登録/ログインすることでフォロー上限を増やすことができます。
フォローしました
リーダーで読む
【武都】章『天下草創』編「鎌倉殿」⑪源頼朝の復位
平家の棟梁、平宗盛は、源頼朝の提案を拒絶した。 父の平清盛が、「頼朝の首を、我が、墓前に供えよ」、「「我の子孫は、一人、生き残る者といえども、骸を頼朝の前に…
探検504 幕末ブラック企業と過労死
最初の「黒船来航」(1953年)の折、開国を迫ったペリー艦隊は、その帰りしなに、幕府に対してこんな挨拶を言い残しました。~また来年もお邪魔に上がりますから、どうぞヨロシクね~この言葉にアワを食ったのが幕府でした。なぜなら、開国を迫るようなウットウしい奴らには
H.011【太平記】十弐
源義高は、父の源義忠の極位を越え、義理の兄、河内源氏の棟梁の源為義の極官、従五位下を凌駕し、当時の清和源氏の血脈の中で、最高の官位を得ていた。 義高は、清和…
H.011【太平記】十壱
源義忠は、二十七歳の若さで、暗殺されるが、前述の通りに、幼い、五人の息子がいた。 経国・義高・忠宗・義清・義雄である。 即ち、義忠の五人の息子達は、源家及…
【武都】章『天下草創』編「鎌倉殿」⑩京と鎌倉の交渉開始
源頼朝は、清和源氏の棟梁を自負していたため、親王でさえない、以仁王の令旨を受け、挙兵した、その他の清和源氏の一人に過ぎない状態を改善したいと考えていた。 下…
探検503 面食いには大バチが当たる
「古事記」では「木花之佐久夜毘売」、「日本書紀」では「木花開耶姫」、一般的には「木花咲耶姫」と表記される「コノハナノサクヤヒメ(ビメ)」という名が神話に登場しています。咲く花をイメージさせるまことに美しい名の姫です。実はこの姫、「天孫降臨」を果たしたニニ
H.011【太平記】十
源義親の息子の内、義俊、義泰、義行、宗清の四人の事跡は、不明である。 義親の七親である、頼純は、義親の死後、父の遺領、摂津国堀江にて、生まれたとされる。 生…
H.011【太平記】九
源行家は、源頼朝を嫌い、源義仲の死後、後白河法皇に召され、和泉国、河内国を支配した。 河内国は、河内源氏の本拠地である。 頼朝と義経の関係が、決定的になると…
H.011【太平記】八
源義広は、1180年(治承四年)に、甥の源頼朝等と同様に、弟の源行家から、以仁王の令旨を受けたとされる。義広は、鎌倉に政権を築いた、頼朝に合流せず、逆に、野…
H.011【太平記】七
源義朝の上洛後、義朝の長男、頼朝の兄の義平が、東国において、勢力を拡大し、叔父である、義賢と対立していた。 1155年(久寿二年)、源義平は、武蔵国比企郡の…
【武都】章『天下草創』編「鎌倉殿」⑨侍所の設置
前述の通り、源頼朝は、富士川の戦いの後、有力御家人の説得により、上洛を諦めた。 この時、頼朝は、己の無力さを痛感したであろう。 富士川の戦いの後、源頼朝は、…
探検502 公開イベントに勝算あり
江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849年)には、数多くのユニークな逸話が残されています。 たとえば、○改号すること30回?(異見もあり/「北斎」はその内の一つ)。○生涯に93回?の「引っ越し」を繰り返した。○どの住まいも掃除をすることなく「ゴミ屋敷」化が
探検501 変装密入国異人への取り調べ問答
江戸時代(1709年)のこと、燃える使命感を抱き、なんと髪を月代に剃り和服に大小二本差しという武士姿になって、日本(屋久島)上陸を果たしたイタリア人カトリック司祭・シドッチ(シドッティ/1668-1714年)がいました。かなり本格的?な変装ではあったものの、日本語が使
H.011【太平記】六
源範頼の二人の息子、範圓及び、源昭は、出家し、将軍後継候補としては、沈黙を貫いている。 範頼は、生前、武蔵国横見郡吉見郷を領有し、範圓の息子の為頼が、吉見為…
H.011【太平記】五
しかし、実際には、源実朝の死の時点で、清和源氏の嫡流が、断絶したわけではない。 公暁は、実朝殺害の犯人のため、当然、謀反人として、殺害された。 しかし、既に…
【武都】章『天下草創』編「鎌倉殿」⑧源頼朝の政治能力
前述の通り、源頼朝は、三つの幸運によって、挙兵に成功した。 そして、第四の幸運は、皮肉なことに、二人の兄、源義平、源朝長が、既に、死去していたことにある。 …
H.011【太平記】四
その結果、源義朝の九人の息子の内、三男の頼朝、七男の全成のみが、生き残った。 頼朝の死後まで、生き延びたのは、全成のみである。 全成は、北条政子の妹、阿波局…
H.011【太平記】参
前述の通り、本作の主人公、足利尊氏を演じるのは、真田広之。 1987年の『独眼竜政宗』にて、松平忠輝を演じた、真田は、二作目の本作で、大河ドラマの主演になっ…
【武都】章『天下草創』編「鎌倉殿」⑦源家の貴種
1180年(治承四年)10月20日、源頼朝は、平家軍との富士川の戦いに勝利を治めると、平家軍を追撃し、上洛を望んだが、上総広常、千葉常胤、三浦義澄等の有力御…
2022年01月 (1件〜50件)