1月2日 旅順露軍降伏で旅順要塞陥落
1905年(明治38年)1月1日に、ロシア軍旅順要塞司令官ステッセルから 日本陸軍第三軍司令官乃木希典に降伏申し出の文書が届けられます。 (露軍降伏) ロシア軍は二百三高地が陥落し、その後の戦闘で予備兵力が枯渇していきます。さらにコンドラチェンコ少将が戦死した中でも抗戦抗戦という姿勢を捨ていませんでした。 しかし東北面の主要保塁が陥落したとで旅順要塞司令官ステッセルは、抗戦を断念し、1月1日16時半に日本軍へ降伏を申し入れます。 下の文書がステッセル将軍より乃木将軍に送られた書簡です。 「引用:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06041211500、明治38月1月1日発 ステッセ…