ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
「歴史」カテゴリーを選択しなおす
歴史に関する小説、エッセイ、評論などなど
■成蓮院【浄土宗鎮西派】
■山神社(千種区田代)【尾張国】
■常楽寺【日蓮宗】
■日泰寺【超宗派】
■正法寺【曹洞宗】
■龍神社・辨天社(蝮ヶ池)【尾張国】
■蝮ヶ池八幡宮【尾張国】
■善篤寺【曹洞宗】
地元の著名なお寺などに寄りながらの帰り道
■神明社(※中川区元中野)【尾張国】
■源通寺【真宗大谷派】
■長圓寺【真宗大谷派】
■八劔社(※中川区五女子)【尾張国】
■斎宮社(※熱田区切戸町)【尾張国】
■八幡社(※中川区牛立)【尾張国】
白石稲荷山古墳(群馬県藤岡市)
当時物発掘!!ケイテック・リトルスパイダー。偶然の出会いを思い出します。
敷石住居
人生初の化石発掘☆
青谷上寺地遺跡
縄文時代の陥し穴
瓜郷遺跡
あいち朝日遺跡ミュージアム
昼飯大塚古墳
白滝遺跡群
耳環
井出丸山遺跡
下寺尾西方遺跡
ホケノ山古墳
横穴式石室
第3位【ナポレオン・ボナパルト】138.ヴェルティンゲンの戦い
9月22日、オーストリアのマック将軍は、ウルムを流れる、イラ川の戦線を保持する事を決定した。 一方、ナポレオンは、9月28日~30日の三日の間に、フランス軍…
気になるブログをフォロー!
登録は不要で無料で使えます
フォローできる上限に達しました。
新規登録/ログインすることでフォロー上限を増やすことができます。
フォローしました
リーダーで読む
鎌足と霊石の不思議な関係を推理する
神体山・磐座・ご神木など『風土記』の時代から続く原始信仰の絶景を紹介します A magnificent view of an ancient Japanese shrine and temples
【清和源氏】編『足利一族』章「斯波氏」節 102.蜂須賀至鎮
蜂須賀至鎮は、1586年(天正十四年)、蜂須賀家政の長男として、誕生した。 至鎮の母は、家政の正室、生駒家長の娘の慈光院。 前述の通り、1600年には、小笠…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】十九
桀は、末喜の願いに応えるため、巨大な宮殿の瑤台、または、傾宮を建て、落成祝いには、過去にないほどの大規模な規模の宴会を催した。 桀は、祝宴において、池に酒を…
御崎神社(荒島)・出雲のミサキにある自然信仰
【蜀のラストサムライ】蜀の将軍霍弋は、南方に蜀の遺臣の国を築く?
263年劉備が作った蜀の国は滅びました。多くの蜀の遺臣は、蜀を滅ぼした魏の国(のちに晋)に仕えましたが、一人南方に活路を見出すものがいました。
【呉の最後の希望】陸抗と羊祜の『羊陸之交』の真相は?【陸遜の子】
呉の武将陸遜の子の陸抗。 陸抗は、晋の武将羊祜との『羊陸之交』と言われる敵同士の友情で有名です。 果たして、この友情はいかにして生まれたものだったのでしょうか?
第3位【ナポレオン・ボナパルト】137.ウルム戦役の開始
オーストリアのマック将軍は、フランス軍の進路が、南ドイツのシュヴァルツヴァルト、「黒い森」と考え、要衝の地、ウルムに入った。 ウルムは、神聖ローマ帝国の領邦…
【清和源氏】編『足利一族』章「斯波氏」節 101.蜂須賀家政・参
小田原城中では、北条氏の一族及び、重臣が、豊臣軍と徹底抗戦するか、降伏するかの議論が、紛糾し、長々と続いた。 その印象によって、平時に、月二回程度、行われて…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】十八
少康には、三人の息子がいたと言われる。 父と共に寒浞を打倒し、夏王朝を再興した、「予」、鄫に封じられた、「曲烈」、会稽に封じられた、「無余」である。 無余の…
「宇宙戦艦ヤマト」船首形状の疑問 乗員が新選組・徳川・歴史敗者多い理由の考察
新年あけましておめでとうございます。 クリック協力お願いします。ツイッター@moriezokikorro 副アカウント等未作成 twi以外、掲示板 著名人ブロ…
笠置山と三神宮と『卑弥呼の三女神社』
No.976【日本史リブレット 91~江戸の浄瑠璃文化】
評価:55点/作者:神田由築/ジャンル:歴史/出版:2009年 『日本史リブレット 91~江戸の浄瑠璃文化』は、山川出版社の日本史シリーズである、「日本史…
第3位【ナポレオン・ボナパルト】136.グランド・アルメ
第三次対仏大同盟は、イギリスとロシアの同盟に、オーストリア、スウェーデン及び、南イタリアのナポリ王国が、参加して、結成された。 同時に、オーストリアは、ロシ…
歴史オタクをうならせる歴史学の大巨人
久々に度肝を抜かれる歴史番組を見つけた。歴史マニア歴30年以上の私をうならせるその番組の名は「英雄たちの選択」。歴史マニアならば必見だと個人的には思う。
【清和源氏】編『足利一族』章「斯波氏」節 100.蜂須賀家政・弐
1583年(天正十一年)、蜂須賀家政は、賤ヶ岳の戦いに参加し、播磨佐用郡内に、三千石を与えられた。1 585年(天正十三年)には、家政は、父の正勝と共に紀州…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】十七
別の伝承では、羿は、自身は、王座に就かず、太康の弟の中康を王位に擁立し、自身は、天下の覇権を握ったと言われる。 伯封の父、后夔は、禹の臣下で、禹が、四瀆(長…
「鬼」と日本の巨石信仰
No.975【日本史リブレット 79~史料としての猫絵】
評価:55点/作者:藤原重雄/ジャンル:歴史/出版:2014年 『日本史リブレット 79~史料としての猫絵』は、山川出版社の日本史シリーズである、「日本史リ…
第3位【ナポレオン・ボナパルト】135.第三次対仏大同盟
ナポレオンは、戴冠式の後、タレーランの進言に基づき、自身が、大統領を務めている、イタリア共和国=旧チザルピーナ共和国の王国化について、協議を重ねた。 タレー…
三 立后の事 付けたり三位殿御局の事~1
[現代語訳] 文保二年(一三一八年)八月三日、後西園寺太政大臣実兼公の御娘が、皇妃の位に就いて、弘徽殿にお入りになった。この家で女御をお立てになることがすでに五代であったが、これも承久以後、北条氏が代々西園寺家を大事にされたからで、一家の繁栄はすっかり天下
三 立后の事 付けたり三位殿御局の事~2
その頃、阿野中将金廉の娘に、三位殿の局と申し上げた女房が中宮の御方にお仕えしていたが、帝は一度ご覧になって、他と異なるご寵愛を覚えられた。帝の全てのご寵愛が一身に注がれたので、後宮の全ての美女は顔色がないがごとくであった。三夫人、九嬪、二十七の世婦、八
【清和源氏】編『足利一族』章「斯波氏」節 99.蜂須賀家政・壱
蜂須賀家政は、1558年(永禄元年)、蜂須賀正勝の嫡男として、尾張国の丹羽郡宮後村の宮後城に生まれた。 母は、正勝の正室の大匠院、松。 大匠院の出自は、明確…
探検453 平将門が本邦初でした
初めての武家政権である鎌倉幕府が誕生する250年も前のこと、すでに武士が台頭し、その勢力を広げ始めていました。その草分け的存在とされているのが、平将門(生年不肖-940年)で、いわば、地方のボスのような存在でした。その一生は波乱万丈に充ち、歴史的にも面白いものが
二 関所停止の事
[現代語訳] そもそも四境七道の関所は、国の厳しい定めを天下に示し、また、非常の時に備えるためのものである。ところがこの度、壟断の故事のごとく利を図って商売往来の難儀、年貢運送の妨げになるということで、大津・葛葉の関の他はことごとく各所の関をおやめになる。
畑201 / Welcome
畑200 / 種まき
旅20 / 老いの小文 六の④
茶話180 / 老いの小文 六の②
茶話179 / 老いの小文 六-①
畑198 / エメットの法則
畑199 / 畑の法則
畑196 / 健気
畑195 / 百姓はつらいよ
畑194 / 彼岸
畑193 / 花は咲く
畑191 / くじけないで
畑/ちょっとだけよ
畑187 / 台湾山芋
畑186 / はてしなく
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】十六
羿は、后羿、または、夷羿と呼ばれ、中国の伝承において、五帝の堯の時代及び、夏王朝の太康の時代の二度、登場するが、時代が、全く、異なるために、明らかに、別人で…
一 後醍醐天皇御治世の事 付けたり武家繁盛の事~2
[現代語訳] 承久元年(一二一九年)以来、親王・摂関家から世を治め民を安んずることのできる貴族を一人、鎌倉にお下し申し上げて、征夷将軍と仰いで、臣下の武士は拝趨の礼を尽くした。 同じ三年、初めて洛中に一族の中の二人を据えて、両六波羅と称して西国の行政を行
一 後醍醐天皇御治世の事 付けたり武家繁盛の事~1
さて、我が国の天皇の始め神武天皇から九十五代の帝後醍醐帝の御代にあたって、武家の家臣相模守平高時という者がいた。この時、お上は主君としての徳に背き、臣は臣の礼を失ったのであった。このことから、国内は大いに乱れ、一日も穏やかな日がなくなった。狼煙が天にた
初めに
初めに また、このブログを始めます。 今回は『太平記』を読んでみます。 私の中で、鎌倉幕府の滅亡から室町幕府の滅亡までの日本史は、その前後が比較的一本道に見えるのに対して、全くの動乱の時代で色の違う糸が絡み合っているように思えています。後醍醐
No.974【日本史リブレット 93~近世の淀川治水】
評価:55点/作者:村田路次/ジャンル:歴史/出版:2009年 『日本史リブレット 93~近世の淀川治水』は、山川出版社による、「日本史リブレット」シリー…
第3位【ナポレオン・ボナパルト】134.ナポレオンの戴冠式
1804年12月1日、フランソワ・ド・ヌシャトは、元老院の名において、ナポレオンに、人民投票の結果を発表した。 同日、ジョセフィーヌは、ローマ教皇ピウス7世…
【清和源氏】編『足利一族』章「斯波氏」節 98.蜂須賀正勝・十五
大坂城の留守居の蜂須賀家政・生駒親正・黒田長政は、紀州勢と戦ったが、建設途上の大坂の町は、無防備のため、、紀州勢は、大坂の街を破壊して、焼き払った。 最終的…
2021年01月 (1件〜50件)