瀬戸内ピースツアー 2 補陀落渡海
前回書いたように、「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。 そういう状況の中、「天照派」のグループは、常に、「神武派」の追っ手から、ひたすら逃げていたそうです。関西地方からは、奈良県の吉野、それから、和歌山県の熊野の奥地に逃げたようです。 「熊野」は、今までに、5回ほど訪れていますが、この土地を旅していて感じたのは、「王子」という名前がつく神社が、たくさんあるというこ…